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aboutme:105879

>間接侵害の和解と「三位一体」説<は、神学に繋ったから真実に近い…のではなく、むしろ、「一度通った道」臭がすると考えたほうがよい。「聖霊的責任」が「聖霊の時代」を想起させることも、「終末」の喜ばしい予兆ではなく社会の「死亡フラグ」で、おかしな方向に行きかけてると考えたほうがよい。

JRF 2009年7月22日 (水)

JRFのひとこと:間接侵害の和解と「三位一体」説。 : アバウトミー : @nifty
http://jrf.aboutme.jp/user_statuses/show/104131

まぁ、自分で否定してしまうのもあれだけど。

JRF 2009年07月22日 5480

おそらくもっと単純なところに留まったほうがいいことを示している。ただ、ITというこの時代の武器で「おかしな方向」でもどれだけ耐えられるか試してみることは意味がないことでもないだろう。IT が複雑なことでも単純に行えるようにして、「聖霊の時代」というほどのことでもなかったというところに落ち着けるのかもしれない。

JRF 2009年07月22日 0654

宗教的熱心さがなければこの枠組は維持できないのではないか。法律としては簡素になっても協約などが複雑になりすぎてとても普通人の間で施行できなくなったり、逆に普通人に偽造などができない愚かさ(純粋さともいう)を強制することになったりするのではないか。

一方で、「単純さ」の中には政治運動的・暴力的な解決も含まれうる…。

ただ、日本は、開発者の逮捕に踏み切っているため、それを不思議な圧力で「なかったこと」にでもしない限り、三位一体の方向を模索するしかないのではないか?

JRF 2009年07月22日 5407

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