aboutme:114003
自立支援の枠組で、自己負担を求める。負担があっても後でする給付によってだいたい帳尻を合わすんだから、欲しいサービスを表明する機会として自己負担はあったほうがよいという考え方があったのだろうと思う。教育バウチャーに似た考え方である。
JRF 2009年11月25日 (水)
中小企業のオヤジが陰謀してる姿を想い浮かべる。なんとか障碍者が使っているという実績を作って補助金を出してもらい、その金をあてにして借金し他の事業に役立てる。それが自立支援の枠組があると、使われないものやサービスが明確になり、補助金を自由に引き出すのが難しくなり、返済計画にも支障が出る。……。
JRF 2009年11月25日 3963
その妄想をなかば続けながらさらに想い浮かべる。パターナリズムと言われるかもしれないが、障碍者には自分に必要なものというのが判断できない。コンプレックス等から意外なものを不要と判断してしまう。また、障碍は個性が強く、その人に必要ないサービスが他者には必要なんだけど、そのサービスを提供するためには一定程度の需要が必要だから、必要ない者も使うという枠組がいる。サービス提供者がまともな生活をするためには上のオヤジのような人からマージンを継続的にもらう必要がある。
だから、自立支援をとりあえずよしとするなら、上を間接的に実現する周り道も必要となる。ならば資金プールを作ろうという試みもなされた。……。
JRF 2009年11月25日 5442
自立支援の会計に関して逮捕者が出たのは、もっとまともな方法があるという提案なのか、単に行きすぎがあったのか、そもそも上の自立支援の枠組がおかしいということなのか。
私のような妄想だけの門外漢にはいつまでもわからないだろう。
JRF 2009年11月25日 6393
ニュース。例↓。
補助金不正流用:全精社協会長ら2人を起訴 大阪地検 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091111k0000m040105000c.html
JRF 2009年11月25日 1780
私も実はそういう考え方を支持していた。
障碍があることで、すべて(普通人が耐えている社会に)耐える必要なくされ、何か社会から浮いたような存在に自分を思う。負担をして選ぶことが、社会の厳しさに自分を曝すこと、社会が自分をプレイヤーとして圧力もかけたい存在と認めてくれることに繋る。そういう感覚があった。
JRF 2009年11月25日 6872