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訳してはならない(注解ならいい)クルアーンの言葉ということで、アラビア語が「イスラム語」として普及している。普通だったら教えがより多くの人に届くほうが大事だと考え訳を認めそうなところ。言葉の教授法のインフラが何か調ってきたのだろうか?案外、筆記体の統一というのが発明だったのか?

JRF 2009年12月 8日 (火)

もちろん、原典にあたることを重視するのはどの宗教でも大事だろうが…。いや、「原典」重視も古書市場の発達とともに増幅されたものなのだろうか?

訳の拒絶は、アレクサンドリア図書館の喪失に味をしめて「言葉を殺そうとする者」に対する牽制で、ある種の節制の側面もあるのだろうか。
《アレクサンドリア図書館 - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8

JRF 2009年12月08日 0460

《ウェブ学会シンポジウム:「日本の著作物、世界から無視される恐れも」 長尾館長、Googleブック検索「対象外」に懸念 - ITmedia News》
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0912/07/news077.html

現在の「アリクサンドリア図書館」は Google。だから、↑も悪いことばかりではないのですよ…。って、そんなわけない。

JRF 2009年12月08日 9599

逆に、囲われたのを良いことに国内の「図書館」への集中が行なわれた上で、>「欲しいものは必ず手に入れるの。手に入らないものは壊すの」(…)「美しいものは、俗世に汚される前に壊す」<とばかりに、壊されるのではあるまいか。

引用(の引用)は↓
《藤森かよこの日本アイン・ランド研究会-アキラのランド節》
http://www.aynrand2001japan.com/akira/akira20091206.html

JRF 2009年12月08日 4095

クルアーンの発音(記号)の統一は、人々が持つ普及版よりも「原典」が神聖とならないよう未来の混乱を防ぐという「慈悲」の側面を見て支持されてるのだろうか。

「訳してはならない」のに信者らしき人が訳と言ってる…。クルアーンは声で読むことが大事で、読み方の定まらない日本語の漢字かなまじり文は、すでに「意訳」となってるとでも解釈するのかな?

でも、そうすると漢字圏以外の訳はどう考えるの?という話になるか。そこだけ抜け駆けるというのは本旨にあわないかな。

JRF 2009年12月10日 0439

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