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2009年3月8日 - 2009年3月14日

aboutme:96463

今日は風が強くて私は片目をつむりながら歩いていた。

JRF 2009年3月14日 (土)

aboutme:96462

対価として求めるような原理に乗せるというのがおかしいんだという主張が、格差を容認している自分を曝[さら]け出させて、情けない気持ちにさせるというのもないかな…。

JRF 2009年3月14日 (土)

aboutme:96461

「認め難い焦燥感」というのは、それを焦りと認めて、焦るままに求めては「インフレ」を呼んで、本当に対価を払って要求できるようなものでなくなるから、焦っているのとは違う感覚と思い込もうとするがゆえの感情。そういうものがあったように私は思う。

JRF 2009年3月14日 (土)

aboutme:96460

「ありがたい」が人を苛立たせうるのは、sollen(すべき)が満たされないからというよりも、相互性が破られるということを経由しているように思う。それを有り難いとまで言われると対価を払えば要求できるという構造が崩れるように見えるのが、認め難い焦燥感を募らせる…そのように私は観た。

JRF 2009年3月14日 (土)

aboutme:96457

選択できるよう凸になったのか、凸になったから選択すべきとされたのか。しかし適者と選択はある。

JRF 2009年3月14日 (土)

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aboutme:96456

《イメージによる進化》において「適者選択」は適者が選択するのかされるのか、それは極[きわ]めがたい。凹があったから凸が選ばれたのか凸があったから凹が選ばれたのか、凹が進むべきか凸が進むべきか。進ませた威圧は何なのか。

JRF 2009年3月14日 (土)

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aboutme:96455

消えていって土にしかならない。土からはゆかりもないものが生える。私はいます。私はどこから生じたかまで覚えてはいません。いつが消えるときなのか知りはしません。

JRF 2009年3月14日 (土)

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aboutme:96448

人工的なものを接いではじまった制度になんとか芽を吹かせ、それを「めでたい」「ありがたい」と少しのわだかまりを残しても受け容れていっしょに生きていく。それが我という人の業だと思う。…かつてそうあったものに私はどう接しているだろうか…。

JRF 2009年3月14日 (土)

aboutme:96447

そして、そのようなことは天与のものとして受動的に行われるよりも実験をするという意識に似た主体性を持ってなされるべきだという思いもある。

JRF 2009年3月14日 (土)

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aboutme:96446

言葉として「実験」と言うことは一般には適切でなかったかもしれないが、2008年11月06日に書いたように易を今の科学に通ずることを受け容れている私にはそのようなことに「実験」という言葉を充てるのも適当だ。

JRF 2009年3月14日 (土)

aboutme:96445

先に「民主的神道の実験」と書いた。宗教「が」実験するとなるとオドロオドロしい想像をしてしまうが、宗教を興したり神学を発展させたりといったことが一つの社会実験であるという見方が私にはある。

JRF 2009年3月14日 (土)

aboutme:96362

昨日街に出て風邪か何かもらってきたようだ。ぼーっとして頭が少しこわばる。あと昨夜は外で食べた油ものなどの累積で腹痛をくらっていた。田舎に閉じ込もっているほうが健康というのを現代に地で行くのもなかなか情けない。 なぁ >> 私。

JRF 2009年3月13日 (金)

aboutme:96304

ありがたい、ありがたい、でやり過ごす。卑賤であるというのは「まりあ†ほりっく」のかなこさんバリに受け容れてしまって、ありがたいとは実際思えるのだが、それが私の、または、周りの気を立たせるようにも思えて…。

JRF 2009年3月12日 (木)

aboutme:96206

今の自分、論文というかエッセイよりも小説を読むほうが、なんか気合いがいる…。功を焦っているというよりもエッセイを読むのに慣れてきたからだろう、今の私の場合、まぁ、そう考えよう。エッセイ脳が発達してきておるのですよ!

JRF 2009年3月10日 (火)

aboutme:96123

はっきりしない天気が続きますね。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96122

今の段階でやっかいなほどのコメントもなくネットを疎ましがる必要はないし、ネットに私がどう思われることになっても私だけのことならかまわない。ただ、私が過度の期待を受けているということはもうないと思うが、薄い穏当な期待までも裏切っているとすれば申し訳ない。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96120

↓おわり↓

JRF 2009年3月 9日 (月)

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aboutme:96119

代替案があるわけではないが、この方法もあまり良い方法とは思えない。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96118

また、現在この問題に関心のあるある他国の政府にすれば、国が宗教に介入することは自然であるから、この方策もあり得るのかもしれないが、国民のレベルでは、この方法では日本の国家主義の復活への警戒を呼び起こさせ、警戒心を固定することになるだろう。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96117

または、「個人」に期待するのは酷ではあるが、天皇家の方の「私有」にしてしまう。その過程で正すべきところを正してもらう。…というのはどうだろう?これは政治が天皇家にしかできないことを認め、期待をするということで、象徴天皇制という政体を崩し将来の革命をしたたませることになりかねない。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96116

現在の比較的穏健な宗教政党が国営化を提案して実現し、今、非難を一身に受けてもらい、次をやりにくくする。…というのはどうだろう?どうしてその政党が提案をし、受け容れることができるのか、ドグマ構築が技術的に難しいだろう。結局その政党の宗教に特別な地位を与えることを求めかねない。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96115

例えば、新しい宗教政党が興って第一党になったとき、敵対する宗教の本拠地を接収し、その後、民営化して自分のものとするといったことを許してしまうのではないか。それは混乱を導く。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96114

神社でなくなることに反発があるかもしれないが、国営になることを喜ぶ人はいるかもしれない。しかし、国が宗教を「接収」するのは、かなり危ういことではないか。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96113

周辺国や他宗教を刺激しない形をとるとすると、あくまで、その土地と財産を対価を払って接収し、その施設を「有効活用」して、「新たな」戦没者慰霊施設とする、名前も特定の宗教としないため靖国「神社」という名は使わないようにする、といったところだろうか。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96112

ビル・エモット『アジア三国志』(p.344)>靖国神社を国営に戻す特別法を制定する。これは日本国憲法が定める政教分離の例外とする。そうなれば、遊就館は公共の博物館となるし、「昭和殉難者」の身分という問題も、神社の手を離れ、国民の議論や政策として取り扱われるようになる。<

JRF 2009年3月 9日 (月)

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aboutme:96111

靖国神社を国営に戻すべきか (2009-03-09 作成) ↑はじまり↑

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96110

↓おわり↓

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96109

分祀するならば、国が関与する形にならないよう、神社の側で物語をつくるか「奇跡」を起こさなければならない。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96108

だからといって、一度、合祀したものはそう簡単に分祀などできまい。合祀をした宮司は、かつて受けた屈辱感という穢れを宗教感情と勘違いしていたのではないかと疑念がわく。血縁から離れた民主的神道の実験をこのような形にしてしまった宮司の責任は重い。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96107

国を戦争に導いたとされ、しかも戦死したわけでもない戦犯を殉死としてまつることは、上記のような非常に特殊な宗教観を生むことになるだろう。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96106

人間をまつる場合は、その人間の一部が強調されることになるが、集団をまつる場合、集団の共通項が強調されるのではなく、集団の一部が強調されるようになってしまう可能性がある。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96105

そこに墓があるわけではないのだから、様々な部分をもったある人間をまつるわけではなく、まつる人間の集団によって、まつる内容が変わることになる。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96104

通常、日本の神社では氏神信仰やたたり神の鎮魂の信仰が行われ、まつられるものは、個人であったり、何らかの象徴であったりするが、靖国は、血縁でもない人間の特定の集団をまつるという点で、非常に特殊な施設であり、新興宗教といっても差し支えないほどの改革神道である。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96103

儒教の新しい中心のつもりで、あくまでも日本的な宗教観でしかまつれない。アジアと日本の誤解の象徴ということか?

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96102

靖国神社が軍人をまつるのは、まつらなければ再び戦争をさせようと人々を先導するからだろうか?

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96101

靖国神社の軍神はたたり神か (01/08/13 作成)↑はじまり↑

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96100

他の宗教について書くときと同じでよくわかっていないだけでなく、普段はわりと避けている批判的内容を含むので公開しずらいが、もしかすると、批判からインスピレーションを得る人もいるかもしれないので、私のコメントをたまたま読むような人に有用であるようほんの少し願いを込めて書いておく。

JRF 2009年3月 9日 (月)

aboutme:96099

今必要な記事ではないが、最近読んだ本を契機として靖國神社について考えた。たぶん、ブログで記事として公開することはないと思うので、ここに書いておく。

JRF 2009年3月 9日 (月)

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