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2009年1月4日 - 2009年1月10日

aboutme:92044

自己啓発本は疎んじてきた…。私はまだ生活費も稼げてない。自分を肯定したいというところまでいっていない。社会が私にどうアファーマティブに接することができるかも考えれていない。違うのかな…。自分をアファーマティブに見ることから、社会の視線を変えようとしていくべきなのかな…。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92041

そして今黒人(?)が大統領になる。どれもダメだったけど、アクションはするというのが核になると考えていくのかな…。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92040

民族教育のようなものをして、それが評価されるようにしよう、というのがサラダボウル言説あたりになるのかな。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92039

じゃあ、なぜそれが有効に機能しなかったかというと特定者の中間層が育ってなかったからではないか、と思った。でも、そこにも問題があって、それがきっとスラムをなくそうとしたら、ちょうどその上の層あたりの不満が含らんだ、というところにこのアイデアは対応しているのだろう、と。

JRF 2009年1月10日 (土)

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aboutme:92038

まず、直接的な支援でなくても人種の指標を元に差が現れているところに財政的支援を行うというのはアリなのではないかと思った。しかし、これはすでにある程度なされていたのだろう。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92037

いわゆる逆差別、アファーマティブアクションについても少し考えた。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92035

……。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92034

最後に、信用原理は、全体として生への欲求があれば一人だけ死ぬような勝手は許さないことを示唆する。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92033

まず、保険原理はどんな存在であってもいつか生産に役立つことがありうること、危機から逃れる者も必要であり、逃れた者もいたことを示唆する。次に、分業原理は、他者の必要を受ける可能性があること、死を賭してるような余裕はないことを示唆する。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92032

分業原理には、非生産的存在に死を欲する側面がある。信用原理には、死の危機の共有を欲する側面がある。保険原理には、死を賭して試すことを欲する側面がある。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92031

私の倫理の核は今のところ《なぜ人を殺してはいけないのか》の記事になる。最初に書かれた三つの「原理」を分業原理、信用原理、保険原理と呼ぼう。(信用原理は連帯原理と呼んでもよかろう。)それぞれに死の契機を含む。しかし、それは残り二つで否定しうる。

JRF 2009年1月10日 (土)

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aboutme:92030

私が「危機」を乗り越える上で、何かを付け加えれるとすれば、なぜ死があるのか、という疑問を生じたときにランドの嫌う「集団」を持ち出すことで、やり過ごす、というリロン的導出があることを語ることだろうか。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92029

アイン・ランドの主張を読んで少し倫理について考えた。ランドの生きることこそが目的で、それ以外はすべてそこから出るというのはツッコミどころ満載であっても、人が青春を過ごす上での真実がある。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92028

訳者に力がある。藤森かよこ氏の解説は最後まで読んで欲しい。(『電脳コイル』に言及しているのがヲタクゴコロをくすぐるよ!)

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92027

この本を最初から読んでいって、その論旨の「拙さ」(といっていいと思う)に引っかかりながらも、徐々に論旨の向こうにあるものに気付きはじめたとき、訳者解説を読んで納得した。これは「自己啓発本」を疎んで政治哲学書のみをありがたがる私のような人間を啓く自己啓発の本なのだ、と。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92026

帯に引用のある>アイン・ランドが本書で弾劾してやまない悪とは、「生きているのに死んでいること」である。祝福してやまない善は、「とことん生き延びること」である。<と書かれた訳者解説が《救いの無力さ》を書いた私にとても刺激的だった。

JRF 2009年1月10日 (土)

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aboutme:92025

Ayn Rand (著) 藤森かよこ (訳) 『利己主義という気概』を読んだ。

JRF 2009年1月10日 (土)

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aboutme:91911

やっぱり出せない。私のこしらえたいところを、かすりはしているが、かすっては外すという感じだ。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91910

…ホントかよ? (C+D) - (D-C) - C = C という「詐欺」的利益はどう使うんだ?

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91909

よって D に関する積み立ては C が長じるごとに消えていかねばならず、それの価格的表現の一つが D - C となる。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91908

追加料金 C によって席に座れるようになるほうが鉄道会社にとって公正であり、高齢者が C を出せるのが公正な社会である。そこを割引 D を使って目的を実現するのは、教会を建てるのに余剰生産力を使うように、D を可能とする本来のあり方からはずれた生産者余剰を使っている。

JRF 2009年1月 8日 (木)

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aboutme:91903

出せない…。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91902

C は両方に入ってるから引く必要ないよ!D - C じゃない。ただの D だ。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91898

2 座席3人3様で、本当ならばもっとも公正なのはすべての人がe-Mudを持っている状態というのを考えると F-D + F+C + F-D になるべき、それが不公正 F + F+C + F-D になっている。引いて D そこから C は引くから 不公正利益は D - C。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91894

C+D - C = D を D - C もありうると考えてしまった…のは否定できないけど、D だけで確定するのは違和感がある。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91893

C は e-Mud への勧誘に使うのが公正であり、C は別物として引かないといけない。2座席のとき 0.5(C+D) - C = 0.5(D-C)、1座席のとき C+D - C = D、平均して 0.75D - 0.25C。この操作を積み重ねると D - rC に近づくとか…。

JRF 2009年1月 8日 (木)

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aboutme:91889

やっぱり私はうまく説明できない。そもそも間違ってるのか?

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91887

違う。…と思う。D-Cじゃなくて C の前に混雑率に関する r がついて、D-rC とか?

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91886

1座席、3様3人だと同じようにすると C+D が不公正利益…。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91885

2座席あって、3様の3人がいる。そのとき公正な組み合わせは F + F-D + F-D と F-D + F+C + F、不公正な組み合わせは F + F+C + F-D、不公正が実現しているとき、公正であったときの平均をそこから引くと、0.5(D-C)、不公正利益が発生する…。

JRF 2009年1月 8日 (木)

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aboutme:91882

いや、おかしいな。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91881

e-Mud 未対応非高齢者(F払う)と高齢者(F-D払う)の起立・着席が入れ換わっても変わらないが、そこに e-Mud 対応非高齢者(F+C払う)がいた場合のみ「不当利得」ができる。F-(F-D)+F-(F+C) …と考えるのは…

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91879

高齢者起立時「不当利得」が C + D ではなく D - C となりうると私が考えたのはなぜだろう?直感的にはあってるはず(と思うん)だけど、うまく説明できない。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91808

見返すと何度も書いてたが、やっぱり、古本を買い過ぎている。でも、買い物をひかえてると反動が出る。なんとか自然に衝動をやり過ごせないか…。

JRF 2009年1月 7日 (水)

aboutme:91807

ずっと答えねばと思っていたが苦しくなった。やっつけで解答してしまったかもしれない。ダミー行動と荒らしについて↓に書いた。

JRF 2009年1月 7日 (水)

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aboutme:91755

もう少し詳しく語れると思ったが、今はここまでだ。機会があったら考え直したい。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91754

それは、会社の中の「積立金」でありながら、だいたい外部の者が高齢者の益になっているかどうかを判断できると考えることだ。これができるなら、外部の者が益の計上をコントロールする「ブランドを質に入れる」ようなこともできるだろう。

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91753

むしろ、それを鉄道会社が内部留保とし、高齢者のためとなるような費用の使い方をした(停車時間を長くしたなどの)とき、取り崩して収益にできるようにすれば良いのではないか。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91752

この「不当利得」は高齢者のために使われなければならないと考える。しかし、これをどこかの NPO に寄付して運用というのは高齢者にとって必ずしも望ましいことではない。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91751

何らかの事情で高齢者が声をかけずに立っていたというとき、高齢者の代わりに着席していたのもが立った場合の F - D を F から引いた D (または D - C)は「正常」な場合実現しなかった「不当利得」のようなものと考える。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91750

12月25日の記号(標準料金 F、起立割引 D、着席寄付 C)を使う。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91749

e-Mud システムは高齢者が席を譲ってもらえるよう声をかけることを勧めるところからアイデアが来ている。しかし、それでも汲み尽くせない思いがあることをシステムの中に表現したい。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91748

そのとき e-Mud の管理会社がユーザーから代位して徴収するという論理が必要になるのではないか。スパム保険や訴訟信託に必要なものは何かを考えたのはこのあたりに触れている。

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91747

開かれたシステムにすると e-Mud にあまり適切でない情報“スパム”が書かれる可能性もある。鉄道会社などインフラを提供したり割引を提供したりして e-Mud の価値を高めたところ以外のところから、e-Mud の管理会社は相応の料金を受けとれねばならないだろう。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91746

しかし、経済的実体は独占を志向してしまうから、これを抑制する論理が必要になる。ダミー行動の自由とダミー行動を必要とさせるものが何らかの補償をしなければならないという論理を設ければいいのではないだろうか。

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91745

e-Mud は開かれたシステムにすべきと考える。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91744

e-Mud のシステムを語るうちに、それ以前に述べたことと関連付けていきたかったが、どうもそう簡単に e-Mud のリロンを語ることができなさそうであることを、もう、悟った。そこで、どういうふうに関連付けたかったかだけ、どう「あたり」を付けていたかだけ、記録しておこうと思う。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91738

何かのマンガで「敵に回すと怖い」をもじって「味方にすると怖い」タイプというのがあったと思う。私は…どちらかというと後者、敵味方関係なくふるまおうとするタイプかな?

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91736

寄付 C を「搾取」することを正当化する論理は、申告残業税が機能することを示すのに応用できないだろうか…。払わないことに関し「消極義務」であたるべきというところが似ているように思う…。

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91669

キャスリーン・バトルの『シューベルト:歌曲集』を聴く。素敵。ああ何だろう、男の持っている乙女心が表わされた歌と声ってこれ以上のものはないのではないか。(…私にとっては。)還暦過ぎた今のバトルが、R.Straussの四つの最後の歌を歌ってくれないかなぁ。グロテスクな趣味、望みか。

JRF 2009年1月 5日 (月)

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