aboutme:117811
私の小学校時代の最初の工作は、牛乳パックで創った「楽器」だったと覚えている。息を吹きこんで紙が膨らむときに音が鳴り、空気が出ていき紙が戻るときにもう一度音が鳴った。ベコンベコンと。
JRF 2010年1月19日 (火)
古代アメリカ文明では、心臓に関する祭儀があったと我々は聞かされたものだ。
そういうことはゲームにもなっていた。(例えば↓。)
《アステカII 太陽の神殿 - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%ABII_%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E7%A5%9E%E6%AE%BF
JRF 2010年01月19日 7089
その関心は、人工心肺の登場や移殖医療の発達に支えられていたのかもしれない。↓のゲームも、そういった社会情勢からくる「悪夢」への応[こた]えだったのだろう。
《夢幻の心臓 - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E5%B9%BB%E3%81%AE%E5%BF%83%E8%87%93
JRF 2010年01月19日 8925
古代アメリカには車輪がなかったというのもよく聞かされた。道路というものがなければ、車輪の有用性は薄い。でも、石の床があり、転がせる壷があった文明に(円盤の車輪も)「ない」なんてことがあるのか、むしろ、宗教的禁忌で輪を使うことが制限されていたのではないか。
JRF 2010年01月19日 0002
ところで、輪を使った楽器ってあるだろうか?輪はファン(回転扇)として空気を動かせうるが、それが空気が鳴っているはずの音波にならない。ファンの先に笛をつけるのが関の山である。
振り回すなら、ガラガラ(ラチェット)やホースが近い。そこでは息を使う楽器に比べて永続的に、技術なく、音を出せることに回転を使う。まるで惑星が太陽の回りを回るように回転し、横から見て図示すれば輪になる。
JRF 2010年01月19日 6716
ファンを二つ使って楽器はできないだろうか。筒の中に両者の風を逆側に吹き込む。…いや、回せなくなるだけか。…もしくはファンが一時的に壊れて全体が「ベコン」と鳴る…。
JRF 2010年01月19日 6098
「台風」の回転をなんとか制御しようとすることが、筒として働く惑星に負荷を貯め、それがあるとき「ベコン」と鳴動するということはないか…。いや、風の回転ごときが大地に影響しないだろう。
…逆はあるか?一時的に壊れたファンは流れによって逆向きに回される…。それこそがむしろ「台風」で、何らかの循環エネルギーを上手に風によって逃していたのが、何故か阻害される。だから鳴動が起こるようになるということは…ないない、そんなわけない。それは人工衛星を一つつぶせば、地球が公転をやめるというような話だ。
JRF 2010年01月19日 0091
空想が過ぎた。
ところで、血も臓器っていうらしいけど、それなら、精子も臓器、ミルクも臓器だと思う。ハートから伝えるための。
JRF 2010年01月19日 5784
セガサターン版の『太陽の神殿』(↓に収録)をプレイした。古代アメリカ文明がテーマだったが、心臓祭儀への言及はなかった。(もしかすると、深いところでのつながりはあるのかもしれない。ある部分を開いたり閉じたり、大きくなったり小さくなったり…と。でも、それはコジツケすぎだろう。)
《Amazon.co.jp: ファルコムクラシックス2 限定版: ゲーム》
http://www.amazon.co.jp/dp/B000092PH9
JRF 2010年05月08日 3567
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我思うゆえにありうるのは我々までであって、我が自立して存在するとまではいえない。しかし、常に我々と思えないほど人は絶望的に孤独であり、そこに多くとも「我」しかない。孤独ということは、私を我々と思うのを Imaginary に留めねば、生物として危ういということである。... 続きを読む
受信: 2012-01-05 18:36:52 (JST)
心筋梗塞のニュースが気になる。この前のサイエンスZEROで心臓が止まったとき救急人工心肺を使って脳を先に救う話があり、人工心肺や体制づくりなどのコスト面が問題になっているということだったが、予算を付けやすくするため、「心筋梗塞」の判断の基準が変わったとかあるんだろうか?... 続きを読む
受信: 2012-01-06 00:29:20 (JST)
(今想うと、その「楽器の姿」は、まるで心臓のよう。)
母の胎内で感じた音に似ているとか、赤ん坊の音あそびのように、それに喜んだという面もあっただろう。でも、私はそれが「創造」だと言い張れることを喜んだ。
牛乳パックを素材に何を創っても良いと言われ、普通は動物などを作ることが求められたはずである。でも、私はどういうおもしろいことをすべきか決められず、いろいろ試しているうちに、実際に使える楽器を創ることも創ることだと気づいたのだ。
私は「変わった子供」と見られることが好きだった。
JRF 2010年01月19日 7528