« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »

aboutme:119893

ろくでもない実験屋がいるから「人をモルモットにするな」という気持ちはわかる。でも、ある程度、安全というのがわかったら、「ノーブリスオブリージュ」的に自分はわかりそうだから使ってみるというのは必要では?それをいきなり国単位でドカッとやってしまう必要はないかもしれないけど。

JRF 2010年2月23日 (火)

コンピュータ関係とかではよくある「人柱上等」というやつ。「アーリーアダプター」に自分がなるということも大事。

法律とかは国単位で強行して自治体で微調整するというあり方もしかたないんじゃないか?

《裁判員裁判で死刑の求刑は? ココログニュース:@nifty》
http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/domestic-201002231601/1.htm

JRF 2010年02月23日 5589

アーリーアダプターであることを強制されるのは、病源をばらまいて人体実験するようなことと思われるかもしれないが、医師に先にワクチンを打ったように、平和な日本だからこそ、安全に「反応」を終らせられるという望みもありえる。

もちろん、マスコミが関心を煽る高い「反応熱」の中、あえて避けるという選択肢をとることは非難しない。でも、そういう人はぜひ選ばれることの平等に「疑い」を向けるようなことをすべきと私は想定している。

2008年07月09日のひとこと(↓とか)。
http://jrf.aboutme.jp/user_statuses/show/65336

JRF 2010年02月23日 7259

死刑について>私は全員一致を求めるのは反対だな。最後まで反対のポジションをとりきった職業者が、ハレの場で宣告を担う、という形なら、まだわかる。ただ、そもそも、そんな罰が必要か、ということに私は疑問がある。ただ、本物の終身刑にも大きな疑問がある。そこには希望がない。作為的な希望であっても、何かを用意しておかねば反対しないわけにはいかない。<

JRF 2010年02月23日 5973

2009年06月15日のひとこと。
>モンスターと戦う仲間としてのエルフやドワーフは長命である。そのファンタジーの含意は、人こそモルモット動物であること、人が下位集団としてのモルモット人間を造ることの無意味さにあるのではないか。

出エジプト記で奴隷として圧されるごとに一部族が数を増す。…ああ在ることの現代的基礎条件、すなわちニンゲンの条件は何だろう。

JRF 2010年02月23日 9579

省「かえ]りみて自分はアーリーアダプタなのかというと、違うかな。最近、新しい技術に挑戦していない。

もともと「デジモノ好き」のようなテンションはない。時間的・金銭的制約からやらないという面が今は強いが、それは昔から新しいことへコストをかけなかったことの延長なのかもしれない。同人誌を商業誌のパフォーマンスと比べ買い渋ったり、自分で下手な絵を描いてまで参加することに時間を費やすのを嫌った。

JRF 2010年02月24日 7393

便利そうでと思い、手に入れ易いと思えば新しいことを嫌うことはない。が、それ以上に「タダほど怖いものはない」という考えはあるかな。

つまり、新しい物というのはそれなりの投資が必要なわけで、なのにそれを自分「ごとき」が手に入れられるようなものはおかしいという感覚が働く。それは「麻薬的」…安くして馴らしてから後でツケを回されると疑ってしまう。気に入った消費スタイルを将来持続できないのではないかという不安を嫌う。

JRF 2010年02月24日 8362

私は「不便」な単漢字入力IME『風』を使っている。

IME『風』を使うのは、普通のIMEだと、向こうの提案がないとダメな自分になりそうだから。入力のような「原始的」なことについて、人間がトレーニングすれば済むことを機械に頼るのは好ましくないから。人間の能力が上がることを機械が支援するという形にするためには、より原始的な部分ではより人間の熟練に頼ることが、機械を「麻薬的」なものに堕さないと信じるから。

Isabelle の証明支援という考え方が好きなのも、機械がないとできない部分があっても、あくまで人間が鍛えられることに意味を見出せるから。TeX もそう、Emacs もそう。

JRF 2010年02月24日 2867

もちろん、すべての人がそういうものを使うのが良いこととはしないけれど。

アーリーアダプターでもラガードでもない、新しいものに保守性を欲する者が必要ではないか…今考えると私はそういうニッチでありたいのかもしれない。

JRF 2010年02月24日 7886

typo 「便利そうでと思い」→「便利そうと思い」。

JRF 2010年02月25日 8426

反知性とグノーシスのひとこと(2009年05月25日)を思い出す。
>法・契約において、知識があることが不利にならないようにする。しかし、知識があるところに責任を認めたい。グノーシス主義と反知性主義の対立の法的側面。<

>だまされることに責任がなく、知識がなくてもだまされない社会が良いならば、なぜ知識をもつことが良いことなのだろう。…社会としてだまされないためには個人が知識をもちあう必要があるからだ。社会のため?(…)責任がないようにするためだから出発点は個人のため、とも言える。<

JRF 2010年02月25日 2236

>でも、そこには「社会」がすべての知識を含んでいく、そして適切に扶け合うことができるという前提があるのではないか。本当の個人の危機において必要なのは、ハッタリに似た確信で切り抜けれる体系を知識としてもつことだ、というのがグノーシスあたりになるのか。<

>客観的な正しい知識を積み上げることではなく、主観的な正しい認識を洗練する、むしろ反知性の極になることが(…)理想なのだという態度もあるか。つまり、反知性も責任を負いうる。<

JRF 2010年02月25日 7357

これまでやってきた仕事を機械にまかせる。機械はいつでも代替でき、機械を使うのはコストの問題できかないように保つ。…その考えは私とは立場が違う。

機械を必要とすることを受け容れたがゆえにできる革新こそ望ましく、しかし、それを望むがゆえに、人間を(人間が機械に依るように)機械に必要とせしめたい。

(超意識体的な)機械が思ったわけでない「人間」を自分は表現できるようでいたい。

JRF 2010年02月25日 1498

typo 「コストの問題できかない」→「コストの問題でしかない」。

「コストの問題で(その供給の封鎖等が)効かないように保つ」…というのもムリではないが、当初の意図を尊重して。

JRF 2010年03月01日 2306

« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/93568/51548696

トラックバックのポリシー

他サイトなどからこの記事に自薦された関連記事(トラックバック)の一覧です。

» aboutme:125348 from JRF のひとこと

我思うゆえにありうるのは我々までであって、我が自立して存在するとまではいえない。しかし、常に我々と思えないほど人は絶望的に孤独であり、そこに多くとも「我」しかない。孤独ということは、私を我々と思うのを Imaginary に留めねば、生物として危ういということである。... 続きを読む

受信: 2012-01-05 19:16:21 (JST)

» cocolog:79931287 from JRF のひとこと

電子書籍まわりの著作権について、また少し考えつつ、角川 歴彦 著の本を読んだ。 続きを読む

受信: 2014-06-28 17:28:31 (JST)

このころのニュース