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aboutme:122364

「ご教授いただいた」には伝授のニュアンスがあって「ご教示いただいた」のほうが、一時に教えてもらった情報に対するにはふさわしいという論が常識のようだ。しかし、私は「ご教示」には「啓示」「黙示」「開示」といった「示す」の宗教的ニュアンスを感じて、逆に好きになれないのだが…。

JRF 2010年4月10日 (土)

記事(↓)のタイトルにそれを使っていて「訂正」すべきか何度か迷ったのだが、私の感覚のほうがおかしいということでかまわないから、今はそのままにすることにした。

《《イメージによる進化》の《忘却からの帰還》からご教授いただいたことへの対論 [ JRF の私見:宗教と動機付け ]》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/06/post_1.html

(ちなみに「対論」というのもあまり使わない表現。「反論」とは必ずしも違うが、別の視点から述べておくべきことがあるというのを表したかった。)

JRF 2010年04月10日 1824

もちろん、「示す」そのものが宗教的とは限らない。しかし、「教え」のような重いものが一時に「示され」てわかっているというのは、それは瞬時の「悟り」のようなものを本来必要とすべきように感じる。

「教え」を「授かり」、まだ十分自分の中で育っていないけれども、何かを言っておかねばならないと思う。人に教えられるというのは、本来そういった「重さ」があるのであって、たとえ儀礼として丁寧に「教えられた」ことを認めるときも、「教え」は「伝授」が理想であるという姿勢を維持したほうがいいのではないか?

……まぁ、逆にそう考えて「ご教授」を選んで使うほうが「宗教的」になっちゃうんだろうけど。

JRF 2010年04月10日 7016

「教えを享受する」という言葉がありうるが「教えをご享受いただくというのはおかしい」と誰かが言ったのを、「ご教授いただくはおかしい」という誤解になったのではないか、と私は邪推するようになった。

だったら「ご教示」ならいいだろう…という「ご教示」は後知恵の言葉のように思う。または禅あたりで「ご経辞[きょうじ]をいただく」という表現でもあったのだろうか。(「教辞」ならググるとある…。)

では、先生に(地理の)道順を教わったとき、「ご教授いただいた」は仰々しいというのはもっともだが、それが「ご教示」なら適切かというと、そうではないだろう。この場合は、「道順を伺[うかが]った」と言えばいいのである。

JRF 2010年04月15日 3804

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