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キーロフ・バレエ団『プロコフィエフ:石の花』を観る。映像がメインの作品に対する私の感覚の常として、音楽はまだ味わったと言えないけれど、映像は美しく、バレエ特有のシンプルな物語も要旨を掴みやすい。ただ、今の私の家族の状態などから、物語を医療や社会の仕組みに引き寄せて考えてしまう。

JRF 2010年4月10日 (土)

キーロフ・バレエ団『プロコフィエフ:石の花』
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3569530
http://www.amazon.co.jp/dp/B001VOD5NS

JRF 2010年04月10日 5304

だいたいの物語はこうである。若者と婚約者がいて、若者は石細工の花を創ろうと決意する。婚約の祝いのあと、ささいないざこざで婚約者は先に帰る。若者が創りかけの石の花を壊すと、銅山の(石の精霊の)女王に別の世界に連れさられる。若者はそこで石の花を完成させるが女王の誘いを断わったため石にされる。婚約者は若者を探しに出かけ、ついに別の世界に辿りつき、その愛で若者を連れ戻すことを納得させる。END。

JRF 2010年04月10日 9788

私の観た物語はこうである。

若者ダニーラが、婚約者カテリーナと過ごすとき、愛を石の花で表そうと決意する。それは、金属細工でなくも石のままにこそ美があるということ。国などの保護経済のもとなんとかやっていた鉱山の町にも、「グローバル化」がおしよせている。なぜ鉱石という一次産品を扱うことが、貴族でもない中間層の生活を、そのルールのもとでも支えられるかといえば、ある種の「芸術」の力しかないという無意識の圧力があったのかもしれない。

JRF 2010年04月10日 9514

婚約の祝いの席に村役人セヴェリヤンがやってくる。彼は創りかけの石の花に興味をもち、カテリーナにもちょっかいを出す。カテリーナは、ダニーラが石の花とカテリーナの両方を守ろうとして、セヴェリアンに翻弄される姿を見て少しショックを受ける。カテリーナを守って欲しい、でも、結婚をするなら仕事を大切にもせねばならない。カテリーナはそんな自分に嫌悪感を抱いた側面もあるのかもしれない。ダニーラの家から飛び出る。

JRF 2010年04月10日 5013

ダニーラは、その迷いがもたらした結果に気づき、石の花を壊す。そこに妄想のように「銅山の女王」が現れる。それはダニーラが正しいと、真実の美として追求してきたものの姿でもあろう。カテリーナに感じた美もその追求の一側面だったかもしれない。しかし、結婚をするということは、そういった若かりし夢だけを追うわけにいかないことを意味する。だが、ダニーラは「芸術」を仕事としたいのだから、その夢もどこかで追求せねばならない。そういった「真実の美」の外部 (神)化、それが「銅山の女王」なのかもしれない。

JRF 2010年04月10日 2381

ダニーラは、そこで石の精霊達が花を描くような群舞を見る。花とはなんだろう?その踊りではオシベのようだからといって男が踊っているわけではない。石の花の花紛が運ばれる…その社会的意味はなんだ?石が花のように「仕事」すなわち経済を構成するとはどういうことだ?

JRF 2010年04月10日 8869

カテリーナは戻ってきてダニーラがいなくなったことに気付いた。そこにセヴェリヤンがアプローチをかける。だが、カテリーナは男根を去勢するために使えるような三日月の鎌で威してセヴェリアンを立ち退かせ、ダニーラを探しにいくことを決意する。

カテリーナは、街の市場(祭りかもしれない)にやってくる。村の口は固く、情報はそういう場所でしか手に入らなかったのかもしれない。街娘の衣装は、カテリーナの衣装とはかなり違い浮いている。前者は、色とりどりの「二次創作」的な美があり、カテリーナはシンプルなものである。加工貿易を支えるものと、特殊な眼の必要な鉱石(宝石)職人達の美感の違いなのかもしれない。

JRF 2010年04月10日 6929

そこに「ジプシー風」(ロシアから見ればインド風でもあるかもしれない)の女性がやってくる。売春を想起させる彼女らの美感とは一体なんなのか。そこに先の村役人セヴェリアンが少し軽い格好で「不良仲間」と共に現れる。セヴェリアンは、「グローバル化」の中、自由を求めながら、それには「暴力」が必要であるという洞察に致ったがゆえの生き方ではないのか。「ジプシー」も「自由」のために必要なこと…すなわち接触感染の克服のためにその生を選んだ側面があるのではないか。

JRF 2010年04月10日 1006

そこに「変装」した銅山の女王が現れる。それを見たセヴェリアンは、手足が不自由になったように感じる。「銅山の女王」を美として解き放つこと、それは、暴力を行う者に、病気や毒として足かせをかけるものにつながる…人々がそうつながるようにしむけてしまうのではないか。セヴェリアンは舞台の地下に沈み込みながら、ここでこの劇から退場する。

JRF 2010年04月10日 5926

カテリーナは、疲労のうちに、火の精霊と出会う。特殊な鉱物を火をとおして「感じる」ということは、特に結婚前の女性は遠ざけられていたかもしれない。火の精霊がカテリーナを、「石の花」(のイーメージ)を完成させたがゆえに捉われとなったダニーラと銅山の女王の元に導く。

ダニーラの「精神的病い」といっていいだろう。彼は、そのメカニズムを理解しながらも、それを仕事として続けることになる。その「介護」を引き受ける決心をカテリーナがしたとき、それが愛と認められ、銅山の女王は「現実」から去った。…END

JRF 2010年04月10日 5796

…これは「現実」をもとにした寓話というわけではないだろう。しかし、人が求めること、実際に起きたところから人が想像して抱いた恐怖のようなものが、反映はしていると思う。

JRF 2010年04月10日 7845

……。

書き過ぎかな。ストレスから逃げようとしているためか、最近、雑だけどいろいろ書き物が進む。

ちなみに、父は、一進一退はまだありますが、順調に快方に向かっています。生命の危険はほぼ考えないでよいところまで来ているようで、出なかった便も今日出て、食事も自分でとれてます。

JRF 2010年04月10日 5289

typo 「金属細工でなくも」→「金属細工でなくとも」。
修正 「かなり違い浮いている。」→「かなり違い、カテリーナは浮いている。」。
typo 「捉われとなったダニーラ」→「囚われとなったダニーラ」。

最初の typo は、間違いではないといえなくもないが修正する。次の修正は意味をとりやすくするため。最後の typo は、「捕われ」のほうが良いかとも思うが、このように修正する。

JRF 2010年04月12日 1856

もう少し DVD のデータを詳しく書いておく。

音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
振付:ユーリ・グリゴローヴィチ
美術:シモン・ヴィルサラーゼ
指揮:アレクサンドル・ヴィリウマニス
マリインスキー劇場管弦楽団

1991年作品。
上は 4:3 NTSC Region 2。

JRF 2010年04月12日 6051

typo 「花紛」→「花粉」。

JRF2014/7/251299

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