aboutme:124052
死ぬのが怖い…。私はJRFというニックネームを偶然使うことになったのだが、それはジラフと読めば英語でキリンを意味する。動物園にいるほうではなく空想上の麒麟[きりん]は死後、不吉なことが起こるとされる。そんな迷信を気にかけてしまうということは、私が死にたくないということなのだろう。
JRF 2010年5月 8日 (土)
2008年1月20日あたりのひとこと。(例↓)
http://jrf.aboutme.jp/user_statuses/show/34883
>誰かの死によって「私」が生きることになる。その考えが辛いのだ。<
JRF 2010年05月08日 4275
↓の枠組で考えると、個人ではなく社会として外延的に「刷り込み」がなされていて、名前を排除せずに選んだことが除々に内面ともなるよう先に「免罪符」が撒かれていたといった倒錯した感じになるのだろうか。
《象徴の利用形態 [ JRF の私見:宗教と動機付け ]》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_14.html
JRF 2010年05月11日 1024
「殺されても文句が言えない」(↓)という「境地」に理性的には致って、なお、私はデジタルに関する疫病のようなもの(攻殻機動隊の電脳硬化症みたいなもの?)を錬成し死後それがはびこるのではないかという恐怖がある。
《JRFのひとこと:私は殺されても文句が言えない。(…)自分でなければできないということはなかったし、今後もないことももう悟った。》
http://jrf.aboutme.jp/user_statuses/show/119836
この「感情に律された理性」も「恩寵」であり、社会の象徴体系がうまく作用し、私がそこにひっかかったということになるのか?
JRF 2010年05月08日 0825