aboutme:125215
「最終兵器」としての核兵器の使用をどう制限するのか…という理論的考察の中に、最後の手段を使ったのだから、相手市民のあらゆる機能停止に責任を負う必要を見出し、その後の「安保責任」を負担させることを抑止力とする文脈もあったのではないか。
JRF 2010年5月27日 (木)
関連薄いが国際関連で私が記事にしたのは↓だけか。
《時効延長絶対反対 [ JRF の私見:税・経済・法 ]》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2010/03/post.html
JRF 2010年05月27日 7070
うーん。もちろん、占領を正当化するために最終兵器を使う…下品な例だが、「責任」を取るためにゴーカンみたいな話にも注意がいる。
そのあたりのケジメとして、非核三原則のうちもっとも「非現実的」とも言える「持ち込ませず」があったと論じれないか。
最終兵器が使われている状況というのは、金銭的な解決の枠組みは考えれない。そこにおいて「占領」に致らせないというのは、核がないと不安な「チキン」に核を持ち込ませない、それでもやっていける自分達になるんだという気概(というか狂信かな)でしか示せない。…といった理屈、まぁ、もうちょっと上品な言い方があると思うが、骨子としてはそういう理屈が考えられないか?
JRF 2010年05月29日 2751
まぁ、50年以上たってもその責任があるという話とすべきではなく、世界の市民すべての責任とするなかに被駐留国の予算からも出していく…という理屈も出てくるかな。
その「理想」が当然のように打ち砕かれたとき、その「最終兵器」性とどう向き合うかが問われる。
私に答えはない。
JRF 2010年05月27日 3504