aboutme:125921
昨日、町内会が「みんな見てるでー不審者を」というカンバンを貼るようポストに配っていた。しかも、今日歩くと割と貼っている家があって、ものスゴくショックを受けた。こういうカンバンは、かなりある意味「逆効果」だし、将来、ファシズムや外国人排斥の証拠として挙げられてもしかたのないものだ。
JRF 2010年6月 7日 (月)
例えば、私のような「精神異常者」というのは、どんな生活をしてようと人の目を気にせざるを得ない。「不審者」と書かれて自分のことと思うのは「不審者」自身よりも、そういった人との(ちょっとした)違いを意識せざるを得ない者だ。
本当の不審者もプレッシャーをまったく受けないわけではないかもしれない。しかし、プレッシャーというのは「ストレス」ということ。そういう者もある種の「精神異常」であることを考えれば、ストレスはむしろ罪を犯させる方向で作用する。そのストレスを上の違いを意識せざるを得ない他者にもかけるのだから、皆がそこへ追い込むことで可能性の数も増やしていることになる。
JRF 2010年06月07日 9068
「罪をあぶりだす」という言い方をされるかもしれない。昔なら、まさに火を使うようなテロが起きたのではないかと思う。現代なのだから、裁判等の何がしかの法的手続きを考える方向に導かねばならない。
JRF 2010年06月07日 9201
刑法的にありうるとすれば脅迫罪か威力業務妨害罪あたりだろうが、罪刑法定主義の要請から考えると今回のものはどちらも構成要件に足りない。でも、このカンバンが発展した例えば「いやな匂い追放」が明らかな人種差別になりかねないことを考えると、そういった文脈から否定できないといけない。とすると、憲法にうったえ、人権侵害や思想の自由の侵害となるだろうか。
今回は、町内会という公的組織が全員に配ったということで、場所や者によっては思想表明を強要したということにできよう。これが政党が党員に配ったものだったり、配らず特定の場所に配置したのみということと対比すれば、その侵害性は明白とできるのではないか。
JRF 2010年06月07日 8910
もちろん、政党がほぼ一党支配となったり、ほぼ全政党がそれを行ったりということが将来でてくれば、憲法も通用しないかもしれない。そうなると、一番上に書いた「ファシズムや外国人排斥の証拠」に挙がるという道筋になるのかもしれない。
例えば、何かコトが起きてそれが国際司法の場に持ち込まれた未来において、「あのカンバンには日本語では排斥の意味がある」と主張されたとき言い返せるだろうか?
JRF 2010年06月07日 3892
直接の関連ではないが、参↓。
http://jrf.aboutme.jp/user_statuses/show/123256
>「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」だと監視に抵抗したくもなるが、「ビッグ・ブラザーがそっと応援している」だと同じことを結局はやっているはずなのに頼もしい感じ。(…参)『1984年』(ジョージ・オーウェル, 高橋和久 訳)<
JRF 2010年06月15日 5226
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受信: 2012-01-05 19:01:09 (JST)
聴くと親も貼ろうと思っていたと言っていたので、かなり強く言って止めた。親との話だと「それぐらいいいだろう」という念が消えないらしいので、微力ながら、ここまで強い表現をする理由を書きたい。
JRF 2010年06月07日 2237