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フルトヴェングラー指揮『モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」』。重唱とその伴奏が様々な音域でビタッと合い、こんなにオペラが音楽をなしているのは、私のオーディオ機器でははじめてではないか。モノラルの魔術、造り込まれた芸術。いろんな意味でこのような作品はもう造れないだろう。

JRF 2010年7月24日 (土)

「いろんな意味で」とは、基本的には、今、こんなに豪華な顔ぶれを使った演奏を十分楽しんだと言えるためには、高価な機械かチケットが必要だろうし、クラシックで「万人向け」のフォーマットには逆に予算が出ないだろうから。

また、演奏者がモノラルマイクのクセに合わせて響くよう訓練していたのではないか?機械で音が割れさせないような響き方が絶妙だ。そういう訓練は、今は、録音技師も奏者も嫌ってできないだろう。

JRF 2010年07月24日 9360

書き割りが「リアル」に見えるのは、今の技術では求められていないし、大がかりなセットに人員を割くのはハリウッドでも難しいのではないか。そしてほぼ同じ文脈で、オペラという芸術に、これだけ当り役の「粒をそろえる」(最高クラスを並べるというのではなく)ことも難しいだろう。

高い技術を持った演奏家による高度なレベルで合った演奏ができる現代の音楽界では、ある意味自在で、歌唱に対してアバウトでもありながら節まわしを合わせるような演奏の才は、傑出できないのではないか。

……ってテキトーなこと言いすぎかな。毎度のことだけど。

JRF 2010年07月24日 7726

フルトヴェングラー指揮『モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」』
http://www.hmv.co.jp/product/detail/704585
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000677GE

(ただし、私が観たのは LD を DVD-R にダビングしたもの。)

演奏者のデータは HMV が詳しい。

JRF 2010年07月24日 7096

劇としての「ドン・ジョヴァンニ」は現代では解釈が難しい。単純な因果応報で読み解くわけにはいかない。

因果応報…死んで真実の自分に向き合うというなら、ドン・ジョヴァンニはむしろ「好欲」という真実を生きて生前に嫉妬の炎に焼かれていた。彼が最後にみせたのは勇気もしくは気慨であり、彼が「地獄」で向き合うのは、おそらく仲間の死に事態を好転させられない無能な自分なのではないかと考える。

それに沿えば、死後、ドンナ・アンナは好色への恐怖に遊ぶのだろうし、ドン・オッターヴィオは、破廉恥という「天国」を生きるのだろう。

JRF 2010年07月24日 6008

…「私」は、どうなるのだろう。

私は…。死という機構には、そんなユング心理学的を超えた救いがそもそもそなわっていると私は信じたい。

JRF 2010年07月24日 5112

typo 「気慨」→「気概」。

JRF2014/7/255831

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