aboutme:128792
[デマ]「雰囲気」はそもそもが「仏胤機」という密教系の言葉から生じたもので、それが中世には神道系で「封印の儀」と混同され、さらにそこと別系を保つとする修験道系で「ふいんき」と呼ぶようになった。それを音写したのが「雰囲気」だから、これを「ふんいき」と読むのはむしろおかしい。
JRF 2010年8月 2日 (月)
そのため「仏胤機[ほとけのたねのはたらき]」の特色として、その「機」を現実に呼びよせること、末法を現世に待望する思想を含んでいる。そのような「仏胤」がどこかで生じたことが救いと同一視されることから、仏胤の機をもたらすことがすなわち悪弊を減じしめる…すなわち「仏胤」を呼び出して悪が「封印」されるということになった。
JRF 2010年08月02日 6326
中世に「封印の儀」となったと書いたが、その「儀式」自体はもっと古くからなされていたらしく、その印の主がおそらく「仏(の胤)」であることを隠さず、さらには「景教風」ですらあったことも隠していなかったことが、聖徳太子伝説などから、うかがわれる。ただ、(中国の)南方系の勢力の拡大とともに、それが「神道系」へと追いやられ、やがてその根跡が消されるに致ったのだろう。
JRF 2010年08月02日 5126
ちなみに「封」の字は「ほう」と「ふう」の二つの読みがあるが、神道系が仏教系から「独立」するために、この「仏」からの変化であることを隠すために「ふう」の字に一般に「封」を充てたことから、「ふう」の読みが別系統して残ることになったという説もある。「ふういんは法印とは違う」という仏教学者達の主張もこの変化の成立を促したという。
JRF 2010年08月02日 6015
そのような神道系に反発する形で、密教を継ぐとする修験道系でもこの思想は重要な位置を占めることがあった。しかし、元の意味どころか漢語表記すら失われ、「ふいんき」は「呪い」などがまだ「ことば」になっていない状態を一般に指すようになった。
そして、近代になり、関西の学者が few signs を「…の雰囲気はなかった」と訳したのが、「雰囲気」の音写のはじまりらしい。(なお、同語を別の人間は「不思議」と訳し、この語が現代でよく使われる一因となったようだ。)
JRF 2010年08月02日 8705
エイプリルフール!の二倍(4:1 -> 8:2)。まるっきりデマです。本気にしないように。
私が子供のころは「雰囲気」を「ふいんき」と読むほうが普通だったなぁ…という感覚をジョークにしあげてみました。
JRF 2010年08月02日 1419
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もう少し詳しく述べると、「仏(佛)胤機」は「払胤機」でもあり、「仏の教えが効力をなくす時代」(ある種の「世紀末思想」)を受け、前者はそれがすでに現れてきていること、後者はそれが未だないことを示しながら、教団の破綻とある種の救世主待望の雰囲気を表現している。
つまり末法思想と呼ばれるものの一種だが、これは後の世に広がった阿弥陀如来に関する「南方系」とは違う出自を持ち、「北方系」むしろ「景教(ネストリウス派キリスト教」の影響を強く受けた思想で、密教の一種として日本に伝来した。(もちろん、さらに辿れば同じメシア思想に行きつくのかもしれないが…。)
JRF 2010年08月02日 9596