aboutme:130447
メロス・アンサンブル『ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲』。第一楽章、いつかソビエトを紹介する番組で観たコンクリートの頑丈そうな「アパート」の並びが想い浮かぶ。…
JRF 2010年9月11日 (土)
メロス・アンサンブル『ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲 他』
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3822249
http://www.amazon.co.jp/dp/B003F1WH20
JRF 2010年09月11日 8355
第二楽章、これはテレビという娯楽を表現していると思った。もっとも笑えるのが、政治のニュースである。笑ってはいけないし皆が(自分も)笑わないのが、とても滑稽である。
第三楽章、何か悲観的な感情を表すようにはじまって…いや、特にそうでもない。上のような「物語」の想像を拒絶されたかのようだ。むしろ、バッハ的・純音楽的にすら感じる。バッハ的ということはショスタコーヴィチの「祈り」の表現でもあるのだろうか。
JRF 2010年09月11日 8275
この続きには「プロコフィエフ:五重奏曲」が入っている。それは、↓の「サティ:家具の音楽」に似ているように思う。音楽のタペストリー。そこから逆にショスタコーヴィチの第三楽章に、部屋にたくさん貼られている写真の光景を想い重ねた。
アルス・ノヴァ合奏団『サティ:管弦楽作品集』
http://www.amazon.co.jp/dp/B0000ARKE5
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1961377
JRF 2010年09月11日 9037
ロシア正教にはイコンの文化がある。イコンに聖性・霊性があるなら、写真にも霊性があるのではないか。いや、もちろん、ソビエトでは宗教がないので霊性どころかイコンに意味はない。しかし、イコンが偶像でしかないのに人々が希望を見出したように、遺っていく写真に想いを抱く人がいるなら、それは永遠性を得ているということではないのか。もちろん、ソビエトなのだから、そんな迷信に希望を置くわけもないが、かつての若者達を奮い立たせる思い出の構造物を織り成していくのだから、それは一つの達成ではないのか。
JRF 2010年09月11日 3651
さらにプロコフィエフの次には「シャイベル:若き日の芸術家の肖像」が入る。プロコフィエフに続くその十二音技法の幻想的な響きは、まるで、家具の論理に入り込んだ霊が、その向こうに通り抜け、時間すらないところ、創世記のはじめの深淵に辿りついたかのように感じる。3D ゲームのバグで、壁の通り抜けをしてしまったかのよう(参↓)。
《日々是遊戯:怖すぎる! 「ぼくのなつやすみ」幻の“8月32日”を知っていますか? - ITmedia Gamez》
http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/1008/12/news059.html
JRF 2010年09月11日 5282
…ふぅ。この感想、「西側」で育った人間の偏見もかなり入っているかな。ショスタコーヴィチのは、作曲が 1940年で、まだ冷戦には致っていないし。
JRF 2010年09月11日 5612
修正 「第三楽章」→「第四・五楽章」。
修正 「第二楽章」→「第三楽章」。
修正 「第一楽章」→「第一・二楽章」。
CD では、三つに分けられているけど、元は五楽章からなるらしい。
JRF 2010年09月11日 7480
…家族へ割り当てられる区画は一つの部屋が決して広くないが、貧しいという感じではない。えんじ色のフェルトの壁の部屋で「社会主義」らしくない祈りを保ちながら老人が家族と暮らしている。若者がそこから巣立ち軍で青春を過ごす。冷戦でいっそう見えなくされた敵を想定する毎日が、精神をむしばむ。やがて若者も家庭を持ち、老人の祈りを想い出す。でも、それは遠い出来事のようで、そこに親となることのモデルを感じるのは難しい。
JRF 2010年09月11日 3297