aboutme:130881
私は私の差別感情に慣れてない。外国人や障害者を見たときなどに、私の中に差別的な感情がふと湧いてくることを発見し、驚くことがある。
JRF 2010年9月20日 (月)
もちろん、当然の理性として差別感情を圧[お]し留めるのだが、理性的に考えていくと、そのような差別には、人間の歴史の中で合理的な瞬間を想定でき、それが現代に必要なくするようしている何かを支えることが、反差別だと思えても、それは目の前の人への差別心を反転させるようなものにまではならない。私の意志したことが私の心の辺境にまで届いてこない。
JRF 2010年09月20日 8575
そういった人々への「愛」とくに「性愛」といったものを根拠にするのは、逆に性を否定しようとする抑圧から、せいぜい逆効果になりそうだという予想しかつかない。(物語の中で、その人間性を肯定してから愛するという文脈はあるかもしれないが、障害があるがゆえに愛するというのは残虐性を強めることでしかないのではないか?オナニー後の自己嫌悪にそれを結びつける…というのがギリギリありえるところか。)
JRF 2010年09月20日 4484
……。彼らの側からの何かが私には必要なのかもしれない。
JRF 2010年09月20日 1949
私はあまりにも社会経験がなく、差別をかかえてそれらの人々にぶつかった結果、その人間性に触れて差別を解消したようなことはなかった。せいぜい、いじめいじめられた経験があるだけで、感覚的にはそこから類推するしかなく、自然、属性集団に対する差別へは感覚理解がないというべきだろう。
JRF 2010年09月20日 1007