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「低脳」を意味するネットスラングに「DQN」という言葉がある。特にヤンキー系「種族」に対するネット側の差別感を表すのに使われているようだ。それを「ネットサヨク」が理詰めに罵倒するわけだが、左翼批判にあった現実の見えてない部分が、今度はDQN批判の側にないか想像してみる必要がある。

JRF 2010年9月20日 (月)

まず、外延から DQN 批判を責めるとすると、いわゆる DQN のほうが批判者よりも「生活力」があることが多い。そのことは DQN 集団の中には必ずといっていいほど権力者の家族が含まれているという事実に、痛感せねばならない。つまり、屈折にはそうさせるだけの力が背後にあったということだろう。

そこから類推すべきなのは、DQN 批判が自らに及びうる経路である。DQN の側こそ盗聴・監視者に繋りがあるのだ。そこを想像せずに批判を公にする時点で、自らの「生活力」のなさを証明しているようなことになる。

JRF 2010年09月20日 5830

しかし、そのような DQN 批判者も生活はしているわけである。そこに金銭が渡っているというのは、DQN 批判が自らへ影響することが見えなくなるのと同様に、やはり批判者の側への金銭提供は何がしかあって、それを見えなくされているだけではないかという疑いは生じうる。

JRF 2010年09月20日 8245

違法(性のある)取引と DQN が結びついて見えるというのは、「自力」で稼ぐ手段というのが外からの勢力により結局封じられている現実が彼らの上に構成されているからではないか。現代では、自由貿易主義の辺境が、経済の中で常識が疎外される領域として造り出せねばならぬという意志と必要が国家にあるのではないか。

JRF 2010年09月20日 4266

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