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セルゲイ・パラジャーノフ監督『ざくろの色』(1971)を観る。映画のスジには関係ないが、聖歌隊などが、髪を水色に染めていた…。綾波レイの水色の髪ってただのアニメ的表現だと気にしてなかったけど、何か(アルメニアの)キリスト教の象徴的意味があるのだろうか?
JRF 2010年9月25日 (土)
作品の感想は…。詩的な映像により意外性のある美しさが味わえると言える。
ただ、話のスジとしては…子供時代に受けた性的な「トラウマ(?)」を抱えて成長し、恋をし、挫折し、不倫もあったかもしれないが、深刻になりそうなところで逃げたのだろう。そしてちょっとした遍歴のあと、修道院に入り、これが「婚礼の喜び」かという違和感を感じつつも、院内政治的な力も持ってしまうが、そこでもある種の挫折をしていき、人生の終りに近くなって、修道院を出て、死ぬ。
JRF 2010年09月25日 7424
…いや、書いてみればいろいろあったように見えるが、「これだけ」という印象のスジ。ただ、「それだけ」の人生が複雑な色で染められているのを見るとき、私達は自分のありきたりな人生に複雑な感情の動きが伴っていたことを思い出すだろう。…ということだと思う。
でも、そういう感想を述べるよりは、その映像の一カット一カットが衝撃的で、ほんとその夜の夢に出て、それが夢だったか記憶だったかがわからなくなる映像だった。
JRF 2010年09月25日 0013
これはインテリ or ヲタクな人には有名な作品かもしれないが、一般受けしたとできないだろう。最近書いたことを振り返りながら考えると、これを美しいと述べることを拒絶させる構造 or 異国的象徴を読み取らねば「正しい感想」を書けないこと、「空気」として感想を共有できないことを忌避させる心理的抑圧があるのかもしれない。
JRF 2010年09月25日 7958
今では釈尊の直接の教えではないとされるが、仏教に「変成男子[へんじょうなんし]」すなわち「男性に転生しなければ女性は成仏が難しい」という考え方がある。その反面としてだろうか、キリスト教には、終末において待つ人の姿を「おとめ」または「花嫁」(マタイ25章)として描くことがある。(もちろん、転生があるとはしないから、これが煉獄における「変成女子」、または「天使のごとくなること」をグノーシス的に「変成両性具有者」として聖性を見出せば「異端」となるのだろう。)
JRF 2010年09月27日 9515
主人公である詩人が従順に死を受け容れていくさまは、私には「花嫁」のごとく思える。詩人は彼が不倫を導きながら、そこに導かれた彼女を許せなかった。修道院で向きあったのは、不倫という罪ではなく、その許せなかった自分なのだろう。両親が死んでイエに頼れなくなって、嫉妬深い社会と向き合うとき、彼は「花嫁」の気持ちがわかるようになったからか、単にトシをとってまるくなったからか、彼女を許すことができた。そこに、あのとき望んだはずの死がやってくる。彼の中の彼女はあのとき彼が殺していたのかもしれない。それを受け留められたところで、彼には苦痛を伴う死が安らぎとして訪れたということだろう。
映画後半の私の解釈。
JRF 2010年09月27日 1777
Wikipedia によると、アルメニア教会は単性説をとると言われているそうだ。単性説というのは、キリストが両性具有的ではないという説ではなく、キリストは神性のみを持つ(人性は神性の一部など)という異端とされた説。…男性は女性性を理解・体得するようになっても、女性になるわけではない。「水色髪」は神性という「性別」の象徴なのかな?
《アルメニア教会 - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E6%95%99%E4%BC%9A
JRF 2010年09月27日 8860
少し関連するかな?↓
《『創世記』ひろい読み - 神の像・似像》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/01/post_1.html
>神の中に神のイメージがあるのならば、全能な神がするイメージである以上、イメージの中の神は完全な神である。当然そのイメージの中の神自身もイメージを持つ(…)。それは、あたかも合わせ鏡のごとく、無限に神のイメージを作り出す。(…)最初に鏡に映ったのが男である以上、神はどちらかと言えば女ということになる。(…)そういえば、子供を「造る」のはどちらかと言えば女であるし、最初に創造的な間違いを犯したのも女とされている。<
JRF 2010年09月27日 1058
蛇足だが、このページだけしか見ない人が知らず知らずに「異端」にならないよう…。
《ネストリウス派 - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E6%B4%BE
これは>キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考える<異端。
JRF 2010年09月27日 2972
上のネストリウス派の説明は、三位一体が受け容れられている現代では誤解の余地があるかな?
単性説が異端であることを受け容れた人間には、その後の>人性においてキリストを生んだ「マリア」が神の母<というのが重要で、つまり、人間であるキリストが除々に神性を「獲得」したとか考えるのが異端だということ。生まれたはじめから神であり、そして、神として創造していたということ。
JRF 2010年09月28日 8939
「水色」というのは「空色」かな?夜の色でも地の色でも小麦の色でもない。本来闇の色・無の色である黒を、神の輝きは青く染める…といったところか?実は、青は闇の宇宙から地球を観たときの色でもあったんだけど。…ちょっと自然崇拝的かな?
ただ、『ざくろの色』では染料のシーンがあるんだけど、もともとは、髪を水色に染められるというのが一つの達成で、その染料の知識などに何か意味があるのかもしれない。そこはわからない。
JRF 2010年09月28日 3087
セルゲイ・パラジャーノフ監督『ざくろの色』(1971)。
http://www.amazon.co.jp/dp/B002MH1ANA
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3658115
なお、私は LD を自分で DVD-R にダビングしたものを観た。
(ちなみに綾波レイはアニメ『エヴァンゲリオン』(『ヱヴァンゲリヲン』のキャラクター。↓)
http://www.amazon.co.jp/dp/B001VNCVTS
JRF 2010年09月25日 5761