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スメタナSQ『スメタナ:弦楽四重奏曲 第1・2番』。第1番には『わが生涯より』との副題。全体として普遍的音楽というよりもそれに擬して自分を語った「モノローグ」的な作品…というより、それが「国民楽派」スメタナという人の流儀なのだろう。 (JRF 3504)

JRF 2011年6月12日 (日)

第1番第1楽章はやけに不安…焦燥に近いものではじまる。眠りの足りない忙しさや神経のたかぶり、それが「国民」に求められる時代…これが「誕生の風景」なのか?

それが後景で見えない「子供時代」はすぐに終り、むしろ、そういった不安に反発しながらも、乗じることを覚えていく青少年期、だが、決して心から馴染[なじ]むわけではない。

JRF 2011年6月12日 2397

第2楽章、戯画的に「国民性」を表現することを覚えたのだろうか。そんな「偽り」が人に芸術家としての自分を認めさせることになる。それが成り立つのは自分の国が「属国」的で、「偽り」を強制されており、また、「偽り」の中でしか表現できない文化が根付いたからだろうか。それが「国民性」であるはずはない…そう思いたい。

第3楽章、不安…絶望に近いものではじまる。その不安を優しい響きで補ってくれる者がいる。これが「愛」なのだろうか。「愛」はそれでいいのだろうか。そこに「国民性」への統合をはかるとき、第1楽章の主題を繰り返す不安がよぎる。でも、それはない、そうではないものを築いているという「愛」がある。

JRF 2011年6月12日 4726

第4楽章、これも「戯画的」なのかもしれない。でも、少し違う。私はアニメ「母をたずねて三千里」の人形使いペッピーノ一座を思い浮かべる。端から見れば滑稽さ。でも、それが自分の培ったわざの正しい使われ方のはずだ…。

しかし、それは幸せだけに続くものではない。大きな不幸らしさのあと、私は何度も、この曲を聴き逃した。音楽によって、なせると思われていたことはなせなかったかもしれないが、人の注意をそらすわざぐらいは身につけていたのかもしれない。ただ、注意して、起こることを予期して、最後まで聴いてみても、「大きなメッセージ」はない。

JRF 2011年6月12日 8256

第2番第1楽章、端から見れば不幸のうちにあるのかもしれないが、トシをとれば、それなりにゆっくりとした時間が流れるということかもしれない。「不安」はどこか通くで流れている。それに関わることは必ずしも求められてはいない。

第2楽章、敢えて関わってみれば、神話的妄想にとらわれる。まぁ、楽しいさ。そういったところを落ち着かせる音楽みたいなのはないですか…と?

JRF 2011年6月12日 7399

第3楽章、現実を見せて欲しい?それは複雑なものさ。各々がいろいろやれるところをやってみてる。それでまとまりのようなものが見えるというのは、インターナショナルにはたぶん嘘だ。起こることが予期できてどうにかなることはあり、起こせるものがあるときもある。でも、それを伝えてどうなる…。

第4楽章、スメタナなりの普遍性、抽象性を追及した楽章ではないだろうか。そうでしか表現できないものもあることは認めるのだろう。

JRF 2011年6月12日 5534

スメタナ四重奏団『スメタナ:弦楽四重奏曲 第1・2番』
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http://www.hmv.co.jp/product/detail/3853807
http://www.amazon.co.jp/dp/B000066ILJ

上二つは Blu-spec CD。価格的に少し高いだけで、HMV のマルチバイならそうでない amazon のより安いから、今はこちらを買い求めればよいだろう。

JRF 2011年6月12日 8064

今回は、ライナーノートも少し印象に残りながらの、久々のコバナシ風の感想。まぁ、たまにはええでしょ?

JRF 2011年6月12日 5991

typo 「どこか通くで」→「どこか遠くで」。

JRF 2011年6月15日 7625

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