« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »

cocolog:70928320

12月12日の朝『視点・論点』で、福井 健策という方が「日本人は契約・交渉ベタ?」という私が若いころよく聞いたような論題で話をされていたのをチラと観た。契約についてもっと知るべきだと述べていて、私は反感を持った。そもそも国際的に自由な契約は、どうなり立つか…。 (JRF 5220)

JRF 2011年12月17日 (土)

《NHKネットクラブ 番組詳細 視点・論点「日本人は契約・交渉ベタ?」》
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20111212-33-05996

JRF 2011年12月17日 9751

またオレ様理論で恐縮だが…。

契約に書かれてないから殺していいとはならない。殺せば本人がいないから無効というわけにはならない。国際契約だから国が間に立つわけでもない、宗教も違うとなるときでも、信用が確立するまで取引を待つというわけにはならない。相手を試すようなことをしなければわからない部分があるだろうが、それが互いの信用を壊すようでは自分のところでも商売に勝てないとしていくものだ。

JRF 2011年12月17日 7612

《海外ダウンロード購入にまつわる私のトラブルに関する法的検討》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2011/07/post.html
>敢えて問題を残すことで、消費者がシステムの「操作的外観」からその示唆を学び、まったく知らない何者かが専門を再構築することまで許すことをよしとする(。…)販売者は(…)状態を放置することを宣言した。(…)この時点で、この取引は敵対的とは言わないまでも対立的なものに移行した。<

JRF 2011年12月17日 0381

「契約を知れ」とは、その内容を知ることではない。契約というものの来[き]し方、信義誠実とは何かを知ること。

文化が違えば、相手のための項目もそう受け取られるとは限らない。また、良かれと思ったことが相手に悪く出ることもある。そういう悪い状態にあると見えても、不当性を相手が本気で主張しないかぎり契約したことは尊重する。…それは思い違いで自分が悪くなってもそう簡単に引きさがらないということ。それは信仰に近いが、長い年月を経た合理性でもある。

JRF 2011年12月17日 9832

もちろん、契約の内容をよく知ろうとする人間も必要だが、それは商業的「官僚」主義という方便みたいなもので、商業組織が十分発展したときの、そういう時代の余裕でなりたたせるものなんだよ。普通はそう騙しあったりしていいというものではない。

JRF 2011年12月17日 9205

「私立の最高学府」ってのがそういう「官僚」を生み出すための機能を与えられていることになるだろう。今の時代、MBA の重視とかが叫ばれ、契約はよく読めないやつは「情弱」だみたいな在り方がまかり通ってるかもしれないけど、「官僚」主義で商売が成り立つわけでは本来ないから、実社会つまり商業のトップにおいては例えば大学出ではない者などが牛耳ってるような印象が私にはある。…まぁ、SNS が隆盛の社会ではどうなってるのかわからないが…。

JRF 2011年12月17日 6130

六方礼経の話(↓)で書いた「資源を大量投入することで自然が平癒しようと社会を侵すのに常に先回りして長足の発展を目指す方法」がひろく用いられる時代で、だから文化をささえていた礼・犠は塗りつぶしても契約がなるとされる面がある。

《『六方礼経』にちなみ、友ならぬ知り合いの道を語り解く》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2009/02/post-3.html

JRF 2011年12月17日 7492

クレジットカードってのがそもそも排除の可能性によってなりたつ SNS 的で、ネットの黎明期である 2001 年にテロとの戦いってのを掲げて、それ以外の決済を不自由にするのが普通になってしまった(と私は認識している)。だから、ネットも SNS から入るのが普通になってしまっていて、それは「私立」の「官僚」主義と親和性が高そうにみえる。そういうところから見ると、経済にはルールが必要で、まずルールを守る「ギルド」が必要で、それに所属しないものははなから排除していい…とかいう「クライアントサーバーモデル」的なものを提唱しやすい。([cocolog:70725852])

JRF 2011年12月17日 1377

でも、グノーシス主義やマニ教の行く末などを考えると、排除をする組織は結局、社会から排除されていくのがオチだと私などは考える。こういうのはローマ法を経た現代には、歴史的にわかり切ったことのようにも思うのだが、違うのかな?「最高学府」では「官僚」を造る一方で、そのあたりの歴史を見通せる者も造っているはずだが、今の状況をどう思っているのか…。

JRF 2011年12月17日 2766

……。

アメリカや、そこから日本に入ったキリスト教が、いっちゃ悪いが、「マニ教的」になるように見える。それは、キリスト教とマニ教がその初期(アウグスティヌスの時代)にはげしく争ったということは、外から見れば近しいところがあったわけで、「外」に近いところでは、キリスト教が先祖がえりを起こすみたいな部分があるからだと思う。

私は、それを「聖餐」の秘蹟性を忘れた結果として見てしまう。私は、聖餐には、「最初」に信じがたい秘蹟を信じるとすることで、ある意味で非合理性を宣言して、「合理性」をむしろあとにのこすことが(僧も含めた)信者の平等に寄与すると見ている。

JRF 2011年12月18日 3938

そうじゃなくて、上に行くほど霊的にすぐれより「理性」に近づく…真の意味で「合理的」になる…といった霊肉二元論的解釈をとると、当然、宗教者のような時間のつかい方ができない者は「二級の救い」にしかあずかれないのが、合理的解釈となる。

「破門」された先に何もないのが当然となり、そこは考慮されない…となると、人はそんなにキレイじゃないので、「破門」先を整えるような動きが定着すると、「合理性」はちっとも魅力的でなくなる。

逆に、破門されればむしろ合理的だとなると、出ていけば、要は、彼らが価値あるといったものは「合理的」には彼らの中でしか価値がなかったとすぐにわかる。

JRF 2011年12月18日 5948

だからこそ、死に触れるなどして非合理性を欲すれば、合理的にその中に向かおうとするようになる。

クレジットカードがなければ買えない状況をつくり、SNS に入ってより狭い組織に所属するのが合理的な態度で、その「合理性」に従って判断した結果は、下の「非合理」な人間は受け容れるのが当然である…となれば、その帰結は決まっているだろうに…というのが昨日の意見。

でも、その帰結が得られると「信じ」ても、それが得られるのは自分が死んだあととかじゃ、合理的には意味ないんだけどね。(^^;

JRF 2011年12月18日 4038

いちおう関連…。

《聖餐論、聖体論争》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_15.html

《仏教とキリスト教:教えの誠実さ》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_7.html

(もうちょっと、マニ教とかグノーシスの問題点と私が感じる、この辺のこと、どこかに書いた気がしてたんだが…こんなふうにしか書いてなかったか…。)

JRF 2011年12月18日 8389

……。

アメリカ人が、こんな辺鄙[へんぴ]なとこまで読んでるとは思わないが、少しフォローが必要か。

日本とか、アメリカでも宗派の違うところとかではそうだと思うが、宣教するときに、大衆が集うような教会施設がないといったとき、どうやって聖餐式を行っているのだろう?…と想像してみて、それが「外」からどう見えるかを考えれば、ヨーロッパはもちろん、普通のアメリカ国内の教会などともだいぶ雰囲気が違う…伝統ある宗教施設に通う人にははっきり言って「異教的」にすら見えるのは確実になる。

メガチャーチなんかも、一方にそういうミニマムな形態を知るがゆえに許容されてる面があるのではないか?

JRF 2011年12月18日 3139

キリスト教の組織論を商業にも適用するのは、ユダヤ陰謀説みたいな暴論に思うかもしれないが、特に国際貿易というリスクを個人が敢えてとるのは、伝道の意志が意外に大きいと私は見ていて、本国内では「外の合理性」となるべき商業が伝道といっしょになってやってきがちなのも、本国に残る人からは「異教的」に見える側面になると思う。

いっしょになりがちな分、商業組織への影響も大きく、理想主義的で本国で理想としながらできなかったことを僻地でなそうとする面も強くなる。

JRF 2011年12月18日 4854

理想主義的「若者」が、「破門」のプレッシャーを伝道において使えれば便利だと思うのは当然だろう。

日本(や中国)では銀行振込(や郵貯)が発達しているのに、PayPal ではそれらから入金できずクレジットカードを使わないといけないとか普通のアメリカ人はどれほど知ってるだろうか?まぁ、もちろん、日本の側の参入障壁もあるんだろうが、その実態は、上の「官僚」による支配で、日本の多くの私立大学の設立の経緯を考えると、根はいっしょではないか?

JRF 2011年12月18日 1506

…あんまりフォローにならなかったかな。私の偏見を披露するだけに終った感じ。orz

JRF 2011年12月18日 0987

……。

ちょっと、最初のところに戻って…。

違う国・宗教の下ということで、なれなれしくしないというのも、契約においてそれなりに意味があることかもしれないけどね。

JRF 2011年12月21日 1833

……。

マニ教と言えばゾロアスター教。ゾロアスター教と言えば今のアフガニスタン・イランあたりに発祥。で、現代にアメリカが敵視する一つがそこ。でも…、アウグスティヌスが見た辺境の「マニ教」がイランのものと同じだったとも考えにくいんだろうけど。

ところで、イラン・シーア派の初代イマームはアリー(Ali)、ヘブライ語で ari はライオンのこと、獅子は百獣の王だが、漢字でケモノへんに王と書くと「狂」なり、孔子などの時代には反政府主義者みたいな意味があったらしい。もちろん、r は l ではないし、アラビア語・ヘブライ語で a と A も違う。「狂」はやっぱり「くるう」が原義だろうしね。関係ない。

JRF 2011年12月22日 0264

たまたま、『列王記上 第20章』を読んだ。

「愛」を思わせる名を持つイスラエルの王が、権謀術数にたけたアラムの支配者を逃したとき、預言者の仲間の一人が、隣人に「私を打て」と言った。打たなかった隣人は獅子に殺された。もう一人は打ち、打たれた彼は眼帯をして正体を隠し、イスラエルの王に難癖を付けた。

その警告の意味は、「王が王とつるみ、自分の民にわからせるために、わざと攻めさせるようなことがある」…そういう疑いが広まる・噂を広められることがあるということか。そのリスクを銀1キカルで売ったことになるということだろうか?…と以前考えたことがある。

JRF 2011年12月22日 2846

『士師記 第14章』では、サムソンが引きさいた獅子から蜂蜜が生じている。

《『新約聖書』ひろい読み --- イエスはサタンか》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/01/post_4.html
>ゾロアスター教では、知識を蜜にたとえ、賢者を蜜蜂にたとえていたからである。<

知恵を付けた者が「狂」なのか…、「狂」は知恵がついた状態ではとうていなさそうだが。

ちなみに、打たれた彼はその後「白鯨 Moby-Dick」にでもなってヨナを飲みこみでもしたのだろうか?(^^;

JRF 2011年12月22日 8776

修正 「ライオンのこと、」→「ライオンのこと。」。
typo [「狂」なり]→[「狂」になり]。

JRF 2011年12月22日 6795

かくして鳩(ionh)は、三度目にはノアのもとに帰り付けませんでした…って?(^^;

ジョークはその辺りにして。

今年は、日本では東北大震災・原発震災の年だったけど、世界的には「独裁者」が死んだ年となった。

でも、金正日に関しては、私は、「罪」を認めて拉致被害者を帰したことはすごかったと思う。その後、日本が送り返さなかったのは当然だとしても、マスコミの煽り方はむしろ人道的解決からは遠ざけるようにあったと私は感じた。被害者家族は北朝鮮に直接交渉しようとしてできなかったかもしれないが、マスコミにはいろんなチャンネルがあっただろうに。

JRF 2011年12月22日 6007

「王が王とつるみ」はなかったかもしれないが、私は、法の回避地としての「敵国」を欲する者がいるという疑いを強く抱くようになった。

原発が「爆発」しても、日本の体制は変わる感じがないが、世界はこれからどう動いていくのだろう?日本より「うまく」やって、「敵国」なんていらないことを証明する国でもでてくるんだろうか?(^^;

JRF 2011年12月22日 9133

……。

(「お話」をアンハッピーエンドで終わらせるのが私の悪いクセだ。それは「リアリティ」ではない。昔、短編小説を書いたときも暗い終り方ばかりにしてしまった。ハッピーなほうがいいのかなと続編を考えたりしたこともあったが、今の私は、あのころのように小説を書けない。もうこの先、原稿用紙何十枚何百枚とかいう小説の表現形式で完結したものを書くことはあるまい。

《昔書いた短編小説》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2007/08/post.html

月並みなものになるが、せめて上の比喩的表現に終末を付けよう…。)

JRF 2011年12月23日 1479

……。

しかし、鳩は死んだわけではなかった。鳩は永遠と思えるときを飛び、やっと三たび人の住む世に辿り着いた。鳩が天から降り来たとき、粗布をまとう男が決して清くはない川の水で一人の若者に洗礼を与えようとするのを見た。鳩は、自らが「愛」の表現であったことを思い出し、自らが降り目指す彼が救世主[メシア]であることを悟った。

(ちょっと早いけど)メリー・クリスマス!

JRF 2011年12月23日 0774

« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/93568/53506264

トラックバックのポリシー

他サイトなどからこの記事に自薦された関連記事(トラックバック)の一覧です。

» cocolog:71468845 from JRF のひとこと

ライセンスに書けるのは、責任条項だけであって、「無責任条項」はつまりそこに書いた以外の責任をとるという責任条項になってしまうのではないか?創造者への過度な追及は社会が連帯して防ぐべきもので、契約的に逃れうるとしないし、法を専門家に頼れる者しか創造できないと錯覚してはいけないから。... 続きを読む

受信: 2012-03-29 18:28:51 (JST)

» cocolog:74426831 from JRF のひとこと

小ネタ集。今となっては私自身「???」ってなるものも多いが…。 続きを読む

受信: 2013-06-30 01:45:05 (JST)

» cocolog:83479882 from JRF のひとこと

J. L. ボルヘス『伝奇集』を読んだ。難しいな。現代の幻想の小説[ノベル]が、これに続くものなのだとしたら、私に書けるのは「ライトノベル」でしかなく、またそれを超えるものであるべきではないと思った。... 続きを読む

受信: 2015-09-28 14:35:58 (JST)

このころのニュース