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コーガン&リヒター『バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ (全6曲)』。第1番から第3番にかけてコーガンの主張にリヒターが天上で弧高の音楽を続ける感が深まっていったが、CD 二枚目は、第4番からコーガンが歩み寄り、それがリヒターの在り方に響きはじめたように私は聴いた。 (JRF 5338)

JRF 2012年1月14日 (土)

ただ、もう一度 CD の一枚目から聴くと、リヒターがそれほど「弧」高というわけではない。でも、3番あたりにくると、やはり同じ印象を抱く。

リヒター指揮のロ短調ミサ曲の DVD について [aboutme:124890] で、「多声が渾然と盛り上がり、しかし輝かしく重なる。それは聴く者、歌う者を超えたどこかで通じることを信頼しているかのようだ。」と書いた。CD 一枚目のリヒターはチェンバロで、この域に入ろうとしているように思えた。ヴァイオリンの人間味を出しつつコーガンもそうだったのかもしれない。

JRF 2012年1月14日 5980

しかし、第4番第1楽章はマタイ受難曲にもある私のよく知るバッハのメロディーであるからかもしれないが、コーガンが語りを抑えて感情を誘いはじめたように思え、そこにチェンバロのメロディーが響くようになったと感じた。

コーガン(vn)&リヒター(チェンバロ)『バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ (全6曲)』(1972年1月/5月 ミュンヘンでスタジオ録音, DENON Blu-Spec CD)
http://www.amazon.co.jp/dp/B003RECF7M
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3853820

JRF 2012年1月14日 3621

トシを経たクラシックファンは好みが交響曲から室内楽曲に移るもので、別の言では、クラシックの定番であるバッハに回帰するものらしい。

御多分[ごたぶん]に洩[も]れず、私も再生機器から流れる交響局の音が若い頃に聴いた響きと違うように感じることもあって、もっぱら室内楽曲を聴き、高校生の時分には抵抗のあった宗教曲も聴くようになってバッハに目覚めた。その「バッハ」の「室内楽曲」が悪く聴こえるはずもない。

JRF 2012年1月14日 6504

でも、最近、BS2 や NHK 教育の芸術劇場がなくなったせいもあるのか、クラシックの録画を聴く機会も減り、買った DVD も観ていない。クラシック趣味にかける時間が減った。この CD も正直、集中力が続かなかった。新しい再生機器を買うか、楽器を買って、よりのめり込む方向に行くか、はたまた、ブルーレイレコーダーがなかったころのように、録画はやめ、CD や買った DVD だけを聴くようにして距離をとっていくべきか。

JRF 2012年1月14日 1674

クラシックに限らず、趣味の縮小は何年も続く年齢的なもののようにも思う。これまで仕事が忙しかった人が趣味に手を出すようになるというのとは逆だな…。私は趣味に生きてきたような面があって、このトシになって仕事の一線から引いていく人がいるように、私は逆に趣味のほうから引いていく形になるということなのだろうか。でも、引いていって私はどこに行くのだろう…?

JRF 2012年1月14日 4658

typo 「交響局」→「交響曲」。

JRF 2012年1月14日 3932

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