cocolog:72720148
「メンター」みたいな話を見たんで、こそっと書いちゃう。私は学生時代の最後に大きな「反面教師」にぶつかった。それは子供時代に見る反面教師とは違う。私の理想を延長するとこの人のようになる。教育者として優れ、頼る学生もいる。しかし、現在のシステムにおける理想の限界も痛感してしまった。 (JRF 7752)
JRF 2012年5月18日 (金)
他にもいくつか理由があるが、私が最後になって「ドロップアウト」したのは、そいういったことを受けての選択という面があったことは否定できない。他者から見れば「逃げた」ということなのだろうが、自分の中では「先に責任をとった」ということ。それまでの半生に私が先生に求めたのが過剰だったと認めたということ。
JRF 2012年5月18日 3547
(それでいてこのトシになって「ニート」という親という存在に過剰に求めることを継続してしまっているのだが…。orz)
JRF 2012年5月18日 8398
あと、もちろん、その「反面教師」よりいろいろ頭悪い、私の能力不足もドロップアウトの理由だよ。
前向きな言い方をすれば、そこに勝つには「人に教育する自分」を捨てて特化する必要を感じたということかな。誰かを教育することで自分が学べるというのは当然にわかっているから、対面しての教育ではなくネットの書き込みを通じた「教育」でその効果を効率的にいただく「別の道」を模索して、私はブログとか書き出したのかもね。(^^;
JRF 2012年5月18日 1170
修正 「隙を見ては」→「自分の研究の隙を見ては」。
修正 「綻び」→「綻[ほころ]び」。
JRF 2012年5月19日 0602
トップとして大風呂敷を広げ、予算も獲得し、隙を見ては学生に接する。やってることは、「教授」「博士」は、そうすべきと私が思っていたことだ。少なくともその体裁を高いレベルで保てているがゆえにその方はその地位にいる。
しかし、当然、人間なのだから綻びがある。私が「教師」だとか「研究者」というイメージに求めてしまっていたものを、自分がその位置にはまることが現実感をもって想像できるようになったとき、その責任の重さに私は耐えられないことがわかった。…という言い方ができると思う。
JRF 2012年5月18日 5886