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cocolog:73267390

「哲学は神学の婢女[はしため]」なんて言葉を聞いたことがあるかもしれない。日本だと人を疑うことすら憚[はばか]られることがあり、まして神様を疑うなど…といった面もあるが、「欧米では」というかキリスト教神学は疑ってナンボなところがあって、知性・理性から神に近付く道が伝統的にある。 (JRF 0616)

JRF 2012年7月 4日 (水)

このあたりの私のネタ本その1は↓。

棚村 重行『現代人のための教理史ガイド - 教理を擁護する』(教文館 2001年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4764265524

擁護[ようご]するというぐらいだから、現代だと特にアメリカのプロテスタント系によくある「神学」を軽視する傾向ってのも、やはり一方にある。それをこの本は「啓示」と「神学」の対比として一章を割いている。

JRF 2012年7月4日 7866

「哲学は神学の婢女」は、この本ではフランシスコ会ボナヴェントゥーラの言葉として引用されている。

>「こうして聖書において明暸に啓示されている多様な神の知識がいかにしてすべての知識と自然のなかに隠されているか明らかである。そして同様に知識のすべての分野が神学の仕[つか]え女であることも明暸である。」<(p.58)

JRF 2012年7月4日 0135

「スコラ哲学」として有名なトマス・アクィナス。↑と同じページで、トマスは「知性主義」的では必ずしもないとしながらも、「恩寵[おんちょう]は自然を破壊せず、これを完成する」というスローガンを紹介している。ここでの私流の解釈は、つまり、「理性は恩寵によるのだから、それでいくら疑ったからといって、結局は、信仰生活とか真実を破壊しはしない」ということだろう。

JRF 2012年7月4日 0663

ネタ本その2は↓。
A.E.マクグラス『キリスト教神学入門』(神代 真砂美 訳, 教文館 2002年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4764272032

JRF 2012年7月4日 5432

神の存在自体を「疑う」というと語弊があるのかもしれないが、その存在を知性で証明しようという試みすらある。それがどういうものかはググっていただくとして、そういう態度は、外の者を信仰に導くのに資するのかという神学者に対する疑いが一方にあり…。

>キリスト教神学の内部の一般的な合意としては、理性は個人を信仰に導くことは出来ないが、信仰者はそれにもかかわらず自分の神への信仰について合理的な理由を示せるということになっている。<(p.331)

JRF 2012年7月4日 0914

ところで、著者は「啓蒙主義的合理主義」を説明するところで、次のようなことも述べている。

>ここで「理性」と「合理主義」の違いを強調しておかなければならない。(…)「理性」とは議論と証拠に基づいて考えるという人間の基礎的な能力のことである。理性は神学的には中立で、信仰に対して脅威を与えるものではないが、神知識の唯一の源泉と考えられる場合は別である。この場合が「合理主義」となる。これは人間理性に対する排他的信頼であり、神の啓示に重きを置くことを全く許さない。<(p.251)

JRF 2012年7月4日 1425

……。

この「ひとこと」のキッカケとなったのは↓の二つの対論である。

《人の心を試してはいけないのはなぜか。 - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記》
http://kawango.hatenablog.com/entry/2012/06/29/002717

JRF 2012年7月4日 2136


今朝、ラジオで荒井由美の昔の曲を紹介していたひとが、「人の心を試してはいけない」といっていた言葉が心に残った。「それはとても失礼だから」ということらしい。
(…)
「神を試してはいけない」というのはなぜだろう。

宗教側の立場からいうと、神を試されて困る理由は明白だ。神が本当はいないことがばれてしまうからだ。(…)表現を変えると、”みんなが想像し期待するような”神はいない、ということが分かってしまう。
(…)
神も(自分の理想とする)他人も自分の脳内にしか存在しないのである。
(…)
自分自身もまた現実の相手の心なんか、おかまいなしに、相手を受け入れて、愛して、信用すべきだろう。

JRF 2012年7月4日 2066

《相手の心を試しているうちは、その人を愛せないよ。 - シロクマの屑籠》
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120630/p1
>自分ガー自分ガーという合理性では手の届きにくいところにもかけがえのないものがあって、そのかけがえのなさにアクセスするためには、人の心を試してしまうような強すぎる自己執着が邪魔になりますよ、と言いたいのです。<

JRF 2012年7月4日 9104

……。

「神がいないとわかっちゃうのがまずい」というのはおかしい。別に「まずい」からおかしいというわけでなく。

神を試すという段階で、「神がいるという疑い」を持っている。「信じたい自分がいるだけだ」というのはそうだが、試してダメだから諦めるとなるかというとそうではなく、たいていは他に愛されている者がいるかを試すことになる。そして「信じたい自分」は必ずといっていいほど、愛されている者を見つけてしまう。(このあたり [aboutme:116249] のラバンの話を私は思い出す。)

JRF 2012年7月4日 7379

「略奪愛」が悲惨なのは、略奪できた瞬間に、自分がかつて見つけたことが「偽り」だとしてしまわざるを得なくなるから。そこでもやはり諦めるとはならないから。

JRF 2012年7月4日 8520

一方、「試し」たときに奇跡があるということも稀にだがある。(精神分裂病になったことがある私はそう証言せざるを得ない。)このとき、仮に「神がいる」とするなら、試すこと、疑うこと自体は悪いことではなくなるが、一方で、試した自分の意思が自分のものであったことを疑わねばならなくなる。今の私なりの結論を言わせてもらえば、その疑いも確信も常にかかえて生きていくという選択しかなくなる。知らなかった自分をかえりみながら、その自分から続く「自分の意思」と他者的だがやらざるをえない「神の意思(的に感じるもの)」を抱きながら生きねばならぬことになる。

JRF 2012年7月4日 5702

そして、それは、神を試した「他の人」の生きかた、感じかたとは違ってしまっているのが当然とわかるから、かえりみて自分が「実感」したことの理性的な説明もすべきだとはわかる。しかし、「知らない者」への説明は、あたかも自分を騙すかのような淵に立たされる。

JRF 2012年7月4日 1189

子供のころの時間感覚なら偶然で済ませるだろうことも、大人の自分にとってそれは単純な偶然でないとわかることがある。

そう感じるのはシンクロニシティ(共時性)的で、合理的には同じソースから違う者がほぼ同時に同じ結論を導き出してることで、「違う者」の間でありえないスピードで伝わったように見えるとかいうことで、[aboutme:123928] で書いた「方向感のなさがすなわち臨界の特徴」に重なるところだが、実感として説明しきれない「奇跡」が起きている「確信」が私にはある。

JRF 2012年7月4日 1302

これははっきり見たことがないものを経験や知職が少ないゆえに信じる迷信とは違う。もちろん、かつて「迷信」を教えた者を辿ると、私のような精神病的「確信」を持っている表現者がいる可能性は否定しないけど。

keyword: シンクロニシティ
keyword: 臨界

(「真理」を先取りするというと、最近のアニメでは『Fate/Zero』の言峰綺礼があったね。)
《Fate/Zero -アニメ公式サイト-》
http://www.fate-zero.jp/

JRF 2012年7月4日 2376

……。

私の「確信」がどれほど造られた物かはわからない。「米軍」とか「公安」とか「カルト」とかの人間(or 超人)が、そういう操作を共謀して行ったんだ…という別方向の妄想を持つのも精神病の病理としてはよくあるし、そういう疑いを私も持った。実は、そのあたりを後から考えて結実させたの↓の記事になる。

JRF 2012年7月4日 1629

《シミュレーション・アーギュメントを論駁する》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/10/post.html
>この論議においてシミュレーションをする者は(…)「神」になるでしょう。このページを読んで、その者「達」がどういう意図を持っていると想像できますか?

JRF 2012年7月4日 0058

ちなみに、この議論のもともとは、シミュレーションをしている「神」がいると思わせるもの。しかし、よくよく考えてみると、それが「唯一神」であるという必要はないと気づく。

>そのようなシミュレータのうちいずれかが、我々の心のシミュレーションを作ることに興味を見出したとしましょう。我々にとってシミュレーションとしか思えないことを「彼ら」がやりそうになったとき、高位の存在がそれをブロックしてくれていれば、我々は仮にシミュレーションからはじまったとしても「自分達はコンピュータ・シミュレーションにある意識ではない」と信じていても問題はないわけです。<

JRF 2012年7月4日 3774

じゃあ、「天使」か?「天使」や「ゴースト」を否定する流派もあるが、どうする…。

>最後に思い返すと、これは「高位の存在」による必要はなく、同列な存在であっても互いのシミュレーションを妨害しあえれば十分です。また、その変種として自制や隠蔽もありえます。<

JRF 2012年7月4日 3034

……。

一方で、(多神教的に)神はいると思っている者が「神を試す」とき、よく知っている「神」の像を与えようとしてしまうということもあろう。

しかし、それこそ自分という意思ができる範囲の想像に留まることになり、想像すら越える全能たる「神の機能」すら失うことになる。↓の脳は身体のあとを追うとか、承認を与えているだけというのはその一面。それだけじゃないけど。

《[書評]意識は傍観者である: 脳の知られざる営み(デイヴィッド・イーグルマン): 極東ブログ》
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/04/post-a5e0.html

JRF 2012年7月4日 9289

↑の刑罰の記事に関連して。

私は「死に値しない罪はない」みたいな考え方を信じてしまっていると言っていい。もちろん、人にとって社会にとって、殺人よりも盗みの刑が軽くないといけないし、なんでも死刑にするわけにはいけないから、「神にとって」とでもいうべきなのだろうが。

例えば、店にある水か何かを盗んだことが、誰かが買う機会を奪うことで、その者を死に追いやるという形もある。その者の近親者が、それを盗んだ者に死を望むことはありえない話ではない。そういうことでは必ずしもないが、「死に値しない罪はない」とはそういうことでもある。

JRF 2012年7月4日 7154

「神」という視点を使っていいなら、神にとってはある罪から死の害をもたらす距離ってのは誤差の範囲みたいなもので、それを罪と気付く者が出たとき、どこかに予定された死があるとさえ言えるのではないか。

JRF 2012年7月4日 2523

keyword: 罪価計算

[cocolog:71708993] で結果責任分の刑を1年から3年とか言ってるが、ちょうど、それは経済犯の「軽い」刑期や時効(あと、共謀罪の国際組織犯罪防止条約が求める 4年)に相当する…。

それって…、「自由民」は普通、経営もやっていて自由なんだからあやしいこともやっていて、結果責任を負わせたいときは、「神のご加護」でもないかぎり、経済犯にひっかかる。「結果責任刑」がないのは、実は、現在のサラリーマンみたいなのは刑法的には奴隷で、奴隷は原因ではありえないのだから結果責任などというものはない…というところから来ていたりして。

JRF 2012年7月4日 6155

すると、ゲルマン法とかローマ法とかにさかのぼれたりするのか?

JRF 2012年7月4日 7051

……。

[aboutme:122258]
>死刑を事件の幕引きのために使う「最終刑」としての死刑は、実際の計画犯・実行犯以外であっても組織の責任を負うことができ、そうして負った責任の補償がその組織で追及されるべきだという考え方でも背景にあるのだろうか。でも、それは「罪」を死人の数で価値換算して計るようなもので、それは工場のノルマとして人を殺させるような「虐殺」の論理ではないか。<

JRF 2012年7月4日 7693

[aboutme:129789]

私はどちらかと言えば、この世に偽善以外の善はなく、だから(善に意味がないとするのではなく、)たとえ偽善であると感じようとも、大善をなそうとして小悪を気にしないよりは、小さな善を厭わない道を意識として持つべきだと思うようになった。

その小さな(偽)善を成すことに社会の偏見を感じることがあるのだから、犠牲を厭わない心が「正義」に必要なことは多々あるのかもしれない。でも、「大きな犠牲がなければ大望は実現しない」と考えるのは、まさに「人間の論理」でしかない。

JRF 2012年7月4日 1305

(…)

シンプルな命題は美しく分析にとって善かもしれないが、現実の状況から導かれる前提は常に多義的であり、そのときその者が最善と思ったならば、それを正義とするしかなく、むしろその状況を受けたすべての人のその後の人生において正義が構成されていくのだ…といった答えができる。(「勝てば官軍」もその虚しい一例かもしれない。)

JRF 2012年7月4日 7091

(…)
「正義」が試される状況があって、その後の人生においてあの状況で何を正義とすべきであったかを人が実践しうるシンプルな命題にし、その命題の正義が実現できるよう努力し、支える。これが、どんなに大きな組織に関する命題でも「小さな(偽)善」だろう。同じような状況が再び現れたそのとき、信じたことを正義とできるかはわからないけれども。

JRF 2012年7月4日 1790

(…)

なぜ「大きな組織に関する命題でも小さな(偽)善」になるのか。

まず、「正義」と信じてなそうとするのは善意とするしかなく、それでも命題をシンプルにする時点で、そこから漏れる現実を察しつつなされるから「偽善」である。

次に「小ささ」であるが、人は周りの状況が自分がやったことを知る者だが、そのとき自分と出会った者の何げない一言で自らの罪を知って改める場合は、その影響が実際に作用した狭さを以って「小さな偽善」。そうでない場合、その背後でなされる悪の大きさに相対して「小さな善」となる。


JRF 2012年7月4日 4048

[aboutme:125348]
>単純には、経済が悪くなるとき、物が手に入りにくくなり栄養状態・健康状態・治安の悪化があって、さらに医療や司法へのアクセスに困難が生じたりして、間接的に多くの人が「殺される」ことになると言える。<

経済制裁をすると、その影でたくさんの人が死ぬ。原発事故でも、のちのちにそれが遠因となって死ぬ人は数として相当出てくる。でも、現実において、そういったことは人が裁ける範疇[はんちゅう]にはないのかもしれない。

JRF 2012年7月4日 5492

[cocolog:72927296]
>が、「問う」とはどうやって?人民裁判が開かれるわけでもなく、むしろ「懸賞金」ならぬ論功行賞的な強引な立法によって、後の社会の混乱を醸成するかのような形によって「問う」ている。<

もしかすると、それが「自由」ということの本当の意義なのかもしれない。

JRF 2012年7月4日 7105

……。

脱線から少し戻って、最近に「神を試す罪」という言葉を使っていた。

[cocolog:72927296]
>しかし、「上位の者」が「神」的な部分に達することを結果的に求めていれば、それは「神を試す」罪に近くなるのだろう。他者が知るはずがない空間を護る責務を担うことが、自由人という存在を作るのかもしれない。<

JRF 2012年7月4日 2419

「神を試す」という言葉は、「広告」している記事の一節にもある。

《救いの無力さ》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2007/05/post_1.html

「救いにおいて神は無力だ。」

「(…)礎石を無力というなかれ。生きて考えられることは礎石である。お前は力ある者だ。」
(…)
「かつて奇跡があったという。それを見た者がどれほど特別だったというのか。」

「神の住まうところは人の住まうところと異なる。神も試みる。自らをも試みる。しかし、偽りとしない。お前も神を責め、「私はあれであった」と告げることを求めるのか。」

JRF 2012年7月4日 9096

あまり関係ないが、直前の [cocolog:73081879] では「別人であることの証明」を話題にしている。

ちなみに、旧約聖書で「神を試す罪」というと次の一連がまず思い浮かぶ。

JRF 2012年7月4日 1568

…モーセはエジプト王に奇跡をさんざん示して「神」の証明をした上で、出エジプトを果たす。だが、「新たな民」の前には信仰を試すような困難ばかりがあった。

JRF 2012年7月4日 4221

出エジプト記17章
>主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し(…)宿営したが、そこには民の飲み水がなかった。民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」 <

JRF 2012年7月4日 5501

そしてモーセが、ホレブの岩を(杖で)打つと水がほとばしる。モーセはその地をマサとメリバと名付ける。(なおモーセとマサの s は字が違う。)しかし、そののち、カナンの地に攻め入らんとするところ、尻ごむ民に主の怒りが爆発する。

JRF 2012年7月4日 4765

民数記14章
>主は言われた。「(…)わたしがエジプトと荒れ地で行ったしるしを見ながら、十度もわたしを試み、わたしの声に記き従わなかった者はだれ一人としてそれを見ることはない。(…)今はアマレク人とカナン人とがあの平野に住んでいるから、向きを変え、明日、葦の海の道を通って、荒れ野に向けて出発しなさい。(…)お前たちは、子供たちが奪われると言ったが、わたしは彼らを導き入れ、彼らは、お前たちの拒んだ土地を知るようになる。しかし、お前たちは死体となってこの荒れ野で倒れる。お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。<

JRF 2012年7月4日 8773

「ただし、ヨシュアとカレブ、(神に従った)お前たちは別だ」ともある。

そして十戒に続く律法としてモーセが遺す言葉。

申命記6章
>あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。 <

JRF 2012年7月4日 7233

「神を試す」で自分の記事を検索すると…関連かな → [aboutme:75920]。私には珍しく他者と対話している。

JRF 2012年7月4日 3621

くろねこ:>ブログの「自動人形」のエントリが面白かったです。この前提だと「他人」が人間か自動人形かは悪の犠牲になってみるまで判定できないわけですが、「自分」の魂の有無はわかるのでしょうか。わかるとしたら、魂を自覚できる人は銃弾の飛び交う戦場において無傷でいられるな、と思ったものですから。<

JRF 2012年7月4日 3798

JRF:>まず、普通の「信仰者」には「神を試してはならない」で済む話なのかもしれませんが…。

「魂があるから心配するな、もし、魂があると信じて死んだ仲間がいるとしたら、本当の肉体は別の次元に飛んでいって生きていて、瞬間、自動人形に入れ替わってるんだ」とか言えそうですね。だから魂を自覚したあなたは、結局生き残っている、と。魂があると「確信」させる方法はありそうですし。

それでも無数の血を流す「自動人形」、「私」の形をした「自動人形」が転がっている。
魂を確信した「私」は、それらに魂がないことを確信できる…でしょうか?多くの魂ある人間は、そんなに器用でしょうか。

JRF 2012年7月4日 2242

(…)

…と教えた場合、自分に魂がある、と思う人間のほうが多くなるでしょう。一方、自分を機械だと思う人間は、ことによったら、とても献身的な働きをするかもしれません。

試してみますか?

ご質問への私の答えは、このコンテクストにおいて「魂の有無がわかるという人はいるだろう」です。答えになっていなければ恐縮です。

JRF 2012年7月4日 4129

くろねこ:>バトルロイヤルでもしてくれたら、最後に残ったのが神だとわかるのだけれど。<

JRF 2012年7月4日 2924

JRF:>ただ、その唯一神がバトルロイヤルをして勝つかと言えば、ビミョーなんですけどね。某唯一神はヤコブ(人間)に負けてるぐらいだし。超人が複数いて見分ける手段があると言った場合もどうしても人は騙されてしまうでしょうね。

見分ける手段があるとしても、人はきっと見分けないんですよ。ナンテネ。

JRF 2012年7月4日 3598

……。

小説『1984年』([aboutme:123256])では、エピローグで、すでにその「世界」が終っている。性質上、いつはじまったかもしれないものは、本当はほんの少しの間しか「誰かの頭に」存在していただけのものかもしれない。

《「お年寄りを見殺そう」という第三極の政治勢力: やまもといちろうBLOG(ブログ)》
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/06/post-a064.html

JRF 2012年7月4日 5976

↑だけじゃないけど、もはや「彼ら」は「トリクルダウン」さえ言わなくなった。マルチのセオリーからいって、次に来るのは「大洪水」といったところか。

「彼ら」の頭の中の「信じたい自分」の「箱船」に、どうオリーブの枝を返してあげればよいのか…。

コンパクトシティとか一極への投資は、まさに↓に書いた話。そこの地価だけあげて(自分が老人になったとき)どうするの?貯めるの?という話。

[cocolog:72609069]
>働ける人の割合が少なくなるんだから、働ける人を一ヶ所に集める、で、東京一極集中ですか?そして働ける人と同じ家賃で老人が中央に暮らすの?<

JRF 2012年7月4日 7706

ただ、最近、路線価とか発表になって、被災者から見て驚くほど地価が下落していないとか新聞で見たが、長期震動や原発事故で被害にあっているはずと外からは見られてるであろう東京近辺で、短期的には「もう一声」をかけづらいから、いろいろ窮地に立ってる者もあるのかもしれない。

この段階で、国債引き受けでなくぜひ他の債券引き受けを増やして欲しいという勢力もあるのかな。「次」が日本で起こらないとすれば、確かにそのほうが合理的でいいのだろうね。さしずめ「大洪水」とは、インフレというより「貨幣価値の切り下げ」といったところか。

JRF 2012年7月4日 1229

《404 Blog Not Found:キャピタルゲイン税率10%を延長したかったら》
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51808116.html
>しかし、もしそれが「全ての貧困を、生まれる前に消し去りたい」という戦略をトリクルダウンを通じて実現するための戦術なのだとしたら、失敗はすでに明らかになっている。トリクルダウンなんて存在しなかったのだから。<

JRF 2012年7月4日 7146

絶望の次はたいていさらなる絶望、「ただ死ぬよりも、社会に富を残したほうがいい」という鉱夫の論理かな?「鳴かぬなら、死ぬまで待とうホトトギス」[google:炭鉱カナリア]といったところを支えるメンタリティー。実際働いてるときにそういう論理かは知らないが、そこに参与するにあたり、そういう論理で自分を納得させる場面があると思う。まぁ、ネットでブログをつけるのもある意味そんな感じなんだけど。

JRF 2012年7月4日 9101

http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2012/07/post.html

趣味を楽しむことは、生きる喜び、「神」への感謝の表現(の一部)という思いは今もあります。しかし、「神のものは神のものにカエサルのものにはカエサルのものに」といいますが、子をなすことを拒絶しつづけながらなされるそれは、「社会」への感謝に欠けたもので、年齢をここまで過ぎると、結果、「神」への感謝の表現ですらもなくなっているのかもしれません。

JRF 2012年7月4日 5327

(…)
鉱山で命を金に変えて「感謝」を遺そうとはしなくても、ネットに情報を残すことが鉱脈を残すことになる…という幻想も、客観視すればありえないことですから、誰でも生きる権利があるべきだから生きはしても、節電してエネルギーという具体的な形で次代に託すこと、個人会社設立で私が税金を払うこと、それらが感謝のせめてもの分配になるなら本望です。

JRF 2012年7月4日 7403

Gifted なアイデアをパブリックに実現したりして「神のものは神のものに」するだけでは不十分で、やっぱり、国から受益したんだということにちゃんと税金でそれを返すというのをしないと、国が、宗教みたい(に道徳を押しつけてくるよう)になっちゃう。それは「自由」な集団として生きにくいよ…。

死ななきゃ治らないことというか、人間はその時代時代に肉体をもって生きているんだから、身体性によって解決せねばならんこともあるわな…。

JRF 2012年7月4日 4283

2008年06月02日から06日の「ひとこと」。ヨブ記に関するものとそのあと。

ここからの三人とヨブとの問答は、ヨブへの「地獄往き」のすすめが、それを下じきにしながら、(…)自分達の罪の記憶というものに焦点がうつっていく(…)。

金山でどういう労働がされているだろうか。銅の製錬がおこなわれている村の周辺に病はなかっただろうか。「工場」ではどういう人々が働いていたのか。街のほんのはずれにスラムのようなものがなかっただろうか。

JRF 2012年7月4日 5762

(…)
知っているということが罪と向き合う鍵のようなものだったかもしれない。黙っていることが労[いたわ]りとは、実感として持つものがいただろう。

「私はそうではないが、逆らったからといって不幸になるわけではない。お互いそういう生き方がある…でやってきたではないか」というのがヨブのツォファルに対するとりあえずの答えではないか。

JRF 2012年7月4日 6711

(…)

自信が備わっているようになることは良いことだとは思う。…私なんかは「神を疑っても良いのか」という議論を思い出すが、「自分」というものに関しては身体性があることから、少し違った結論があるようにも思う。ひょっとすると「神を疑って…」のほうに逆にそれを援用すべきなのかもしれない。
(…)
神学をちょっとカジったことがあるものからすると、神は疑って良いというところから入る(「彼ら」はそれでも結局は信じるようになるという態度をとる)んだが、ググるとどうもそうでない言説のほうが多そうだ。

JRF 2012年7月4日 0673

(…)
「それでも結局…」は、まぁ、そういう学問に手を出すのは、そういうのが好きだったり、手を出せるような人は、人生の終局においてはそういうのに頼るようになる…ということなのかもしれない。


JRF 2012年7月4日 8662

今は穏やかな作用のいい薬がいっぱいあって、「身体性によって解決」という必要性は薄くなってはいても、個々の瞬間には、責められないことが出てくるのが集団というものだろう…。

JRF 2012年7月4日 2652

[cocolog:72224721]で、>案外、「石油」は「原発」で製造してたりして。燃料は「生命」。<と書いたけど、炭鉱も金鉱も鉱山労働…いや、近代でいう「労働」なんて、昔からそんな感じだったんだろうな。

今、ブログ書いてるのがそんな感じというのは、「一周」しちゃった感はある。

JRF 2012年7月4日 5623

はてなブックマーク - 《「僕らは評価経済の高度成長期に入った」 週刊東洋経済インタビュー ノーカット版掲載! - 岡田斗司夫公式ブログ》
http://blog.freeex.jp/archives/51322180.html
jrf:>>明治時代の小説(…)、旦那さんが1人働いて、15~20人が周りで食えていた。 サザエさんは、(…)2人が働いて、7~8人が食えていた。豊かな社会。クレヨンしんちゃんは、2人が働いて1人が食べている。<<

JRF 2012年7月4日 8207

クレヨンしんちゃんの「ひまわり」ちゃんをカウントしてないというコメントがあるけど、それは、漫画家という職業が常識として書いていいコードに沿い続けるかぎり、「妹を食わしていく」というもうその段階で、漫画家ですら自分のリアリティを維持できなかったということなんじゃないか?

JRF 2012年7月4日 2261

[cocolog:70322491]
>>うーん、しかし、未来の人はここ前後30年ほどの日本の人口動態のグラフを見て何を思うのだろうか。現れるべき山が現れる気配すらない…って、どんな「暴力」があったのか、と。(…でも、)人口動態に関しては、世界的に見ても時代を先取りしていたという評価になっちゃうかもしれないからな。<<

なんかな。「原発事故」はいったいいつ起きていたんだ…と。上で書いた「子供のころの時間感覚なら偶然で済ませるだろうことも、大人の自分にとってそれは単純な偶然でないとわかる」…じゃないが。

JRF 2012年7月4日 2076

やりすぎじゃね?

「観測が現象に影響を与える」という「理論」は、そういう目から見れば、原発の理論ができていく時代に重なる。わかりやすい現実問題では、胎児診断にもとづく中絶とかの話になるけど、そうやって得た直感が「神」からのものだと確信する構図がどうして生まれるのか?

ここまでの「罪」をやって裁かれないのは「神がいないから」?違うな。バトルロイヤルやって裁かれないのは「自ら以外に神はいないから」?そう見せておいて「あなたの頭の中だけの神が勝手に判断した」と?

JRF 2012年7月4日 5451

その時代は、「原発」だけでなくたてつづけにいろいろな発見があった時代で、人口も爆発的に増えた。理性的な疑いは、心を試すことがあったかもしれないが、結果として愛を殺そうとはしていなかった。

それとも私やあなたという人間も含め、その人口は偽りだったとするつもりなのか?例えば、「鉱山」の残土など存在しなかった、と?

JRF 2012年7月4日 3655

プルサーマル?いや、そういうことじゃなく。放射性物質は長期残ると同時に発見されやすい、というか発見が探知されやすいということだった。生まれる前の観測で生まれたあとのことを予測するのは難しい。しかし、その観測がむしろ操作と呼ぶべきものに近いなら、生まれたあとのことを確実に予測しうる特別な何かがあって不思議ではない。そして予測しうるものだけ生まれさせることもできる。

JRF 2012年7月4日 0918

放射性物質が探知されやすかったのは、それが探知されやすいよう操作されたものだったからで、それにより「正常な放射」が阻害されている、または、そうでない「有害な放射」はむしろその周辺で発生しているのに、探知によって予測しやすくなった成功確率をもとに「事前の母数」を減らす操作をしてしまっているとかないのだろうか?

JRF 2012年7月4日 8649

[aboutme:113999]

同じ時代に生きる男女の数はほぼ同数である。昔、鉱山などで働く男が結婚もせず死んでいっていたのなら、それに対応する女性はどこに生きていたのだろう。
(…)
身請けの可能性があるというのは、売春を納得させる構図そのものではないか。
(…)
監視者からみて、自分が探す珍宝と同じ珍宝を検索しているらしき人間がいる。それでも「彼女」は月に帰るべきなのだ。もし、そこから現実に対応することを選ぶなら、「彼女」が介入すべきなのは、朝比奈さん(大)のように「珍宝」を誘おうとする努力をおのれの努力により無効化する方向ではないだろうか。

JRF 2012年7月4日 4801

……。

「観測が現象に影響を与える」…神を理性で観測することは頭の中の神の認識だけでなく「神自身」の姿を変えるのだろうか?そこで変わらない強い神こそが神なのか?神をただ信じるのみというのは、神を疑うより、ことによったら罪なのではないか?

JRF 2012年7月4日 6059

《時効延長絶対反対》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2010/03/post.html

旧約聖書の創世記 9:25 で、ノアは孫に「呪い」をかける。

JRF 2012年7月4日 3912

人には寿命がある。寿命があれば知らないことが出てくるのは自明である。仮に永遠の生があったとしても、早く知ったところでわからないことがあろう。酒のように熟成される知識がある。知るよりも先に大地に生活を建てることが求められれば、裸を売るような倫理の倒錯に致る者もあろう。

罪がないだろう動物をも殺しその肉を食い、その皮を着物にして生きる人間は、罪のある「悪」に当然死を求めるだろう。いや、それは逆なのかもしれない。「あなた」も私も「悪」の死を願ったことがあり、力がないから殺せなかっただけではなかったか。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。

JRF 2012年7月4日 8566

(…)
老いを知っていくのは人。緩慢に死に近づけば「奴隷」のように仕える人を欲っしてしまうのかもしれない。歯が抜けるにしろ過去の自分の発言がトゲになるにしろ、言いたいことが伝わらない。物言わずして察するという「超能力」まで人に科学に求めてしまうときもあるのではないか。

悪は確かに実在する。もっとも、「あなた」は、悪がこれらに限るわけではないことを見ているに違いないけれども。

とはいえ、カナンはノアの末の息子の子、すなわち、末の孫。「奴隷の奴隷」という表現を使いながら、案外もとは孫を手元にずっとおいておきたい、という微笑[ほほ]えましさ、愛であったと見ることもできる。

JRF 2012年7月4日 7919

人の心を試す者にも、長い時間がかかるかもしれないが、人は愛を見出すことができる。少なくとも、私は若輩者でこれからの時代もニートを続けたいとするほど十分に愚かだから、人はそう生きてきたと信じれる。

JRF 2012年7月4日 3577

typo 「明暸」→「明瞭」。

JRF2014/7/251020

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