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グリュミオー&ハスキル『モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ集』。K.304(第28番)、モーツァルトの短調にはずれなし… (JRF 0051)

JRF 2012年8月 4日 (土)

…というか、長調の曲にはキャッチーでわかりやすいものがある一方、(私のような素人には)サラッと流れて終るように聴こえるものもあるが、短調の曲はとっかかりがあって、少なくともそこはわかる(気がする)。

曲想としてシンプルでも、感情的に何か考えてるふうだから、「教養主義」的聴き方だと良い曲と思うということなのかもしれない。

JRF 2012年8月4日 5231

CD 全体として、最初、最近聴いてるステレオとは違うステレオ、「普通のテレビ」よりのバランスで聴いたのだけれど、すると、グリュミオーのヴァイオリンの「かそけき音」というか、メロディ部分はむしろ弱く、弦や弓の毛羽立ちに自然な音を載せるのが「上品」ということなのか、その天使の羽音を壊さずに、それをメロディとしてかすかに着地させている…という表現で伝えられるかわからないが…、そこにハスキルのピアノは低音の踏み込みの意外さで応えているように感じた。

JRF 2012年8月4日 0309

ただ、いつものステレオで聴きなおすと、メロディはそれほど「奇跡的」というふうでもなく、モーツァルトらしい普通に良いメロディだった。初めて聴くという体験が特別だったのか、いつもと違うステレオということで耳が緊張でもしていたのか…。

JRF 2012年8月4日 3961

解説に、ヴァイオリン・ソナタとして成熟しているのは K.526(第42番) で、それ以前は少しずつ改善があるといったふうだったが、確かに、若い番号のほうがわかりやすいというか、あえて簡単な響きに押し込めたようなところで、わかった気になれるところが多かった。

JRF 2012年8月4日 9540

K.526 は、むしろ「メロディ」がない感じで、曲のそこのつながりは、もう少し何かできそう…というモヤモヤ感が続く。でも、ヴァイオリン・ソナタは「恋人どうしの単純な対話」ではなく、そこに神的なものの関与を描き出すことを至上とするなら、そういったモヤモヤした自分の中の理想ともまた、ヴァイオリンとピアノが響き合うべきなのかもしれず、その辺り、自分の音楽的素養のなさが、十分な評価を妨げてるのではないかという疑いをむしろ私は抱くのだった…。

JRF 2012年8月4日 2937

グリュミオー&ハスキル『モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ集 K.378, K.304, K.376, K.301, K.454, K.526』(2CD。録音: 1956年, 1958年, 一部モノラル。発売: DECCA 2012年)
http://www.amazon.co.jp/dp/B007RFON4K
http://www.hmv.co.jp/product/detail/5020943

JRF 2012年8月4日 8579

……。

[cocolog:72819965]と[cocolog:72819965]で「静かな曲、ゆっくりした曲」を求めている流れがまだ続いている。ただ、最近は、ピアノ曲よりも渋そうなヴァイオリンの曲を探っている。チェロの雄弁さは少し違うという思いがあり、渋くても明るさがある曲ということで、辿りついたのがこのモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集だった。複雑になっていく過程を収めたこのソナタ集は、ヴァイオリン・ソナタはモーツァルトがベーシックなものなのかなと感じさせる。

JRF 2012年8月4日 5894

この CD に致るまでに、クライスラーの『愛奏曲集』、ルジェーロ・リッチの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集、クレーメルのシューベルトのソナチネ集…とたてつづけに封を切って聴いた。

JRF 2012年8月4日 2722

クライスラーの CD は録音が1920 年代と古くてノイズが多く、モノラルに慣れたつもりの私も大きな音にして聴くのに耐ええなかった。それで響きの深みのようなところをうまく聴きとれてないらしく、有名なユモレスクなどでも今ひとつ歌が感じられず、むしろ、ファリャなどの「スペイン風の明るい曲」が印象に残った。

クライスラー『愛奏曲集』(録音: 1927年, 1928年, モノラル。発売: RCA 2002年)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000068R8G

JRF 2012年8月4日 2943

リッチのはバッハが、どうも私はカザルスのチェロでの印象に囚われてるのか、演奏以前にヴァイオリンでバッハのメロディが弾かれることへの違和感を感じた。(本来はチェロのほうが後代のものなんだろうけど。)[aboutme:129792] のシェリングやヒラリー・ハーンの演奏のときは、そう感じなかったので、カップリングのバルトークのソナタとの対比が私にバッハの単純さを意識させるのかもしれない。むしろ、複雑な響きのバルトークは CD 2 に入れ、短いメロディをわざと展開させないヒンデミットをバッハと並べてくれたほうが良かった。

JRF 2012年8月4日 1366

リッチ『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集』(2CD。録音: 1953年, 1957年, 1960年。発売: DECCA ELOQUENCE 2010年)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3770281

JRF 2012年8月4日 1544

クレーメルのシューベルトのソナチネ集は、2番と3番とロンドが、CD では初めて聴いた曲。解説によると、上のモーツァルトで言えば、K.526 に相当するのがロンドといった感じのようだが、上のモーツァルトと同じくノリが悪いというか、ユーモアが生きてないように感じた。ただ、このあたりの「ヴィルトゥオジテ」は録音ではなくライヴで聴いてくれということなのかもしれない。ソナチネを聴いていると、シューベルトよりもむしろブラームスを感じるが、これは、ソナチネ1番を初めて聴いたスーク&パネンカの CD の印象が強いのかもしれない。

JRF 2012年8月4日 7662

クレーメル&マイセンベルク,アファナシエフ『シューベルト:ソナチネ集、ロンド』(録音: 1990年, 1991年。発売: DG 2004年)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00024Z8NI
http://www.hmv.co.jp/product/detail/21171 (全集海外盤)

スーク&パネンカ『ブラームス:ヴァイオリンソナタ集』(録音: 1962年, 発売: DENON 2006年)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000JVS3RW
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1215876

JRF 2012年8月4日 6160

……。

ところで、最初の「教養主義」うんぬんは↓を読んで。

《渡邊芳之先生@ynabe39の「日本におけるクラシック音楽が「ハイカルチャーではない」というのはその通りで、むしろその市場を支えていたのは「貧乏人の教養主義」である。」 - Togetter》
http://togetter.com/li/260192

>日本のクラシックファンやジャズファンが音楽ではなく「物語」を聴いている、ということは例えばクラシックについては五味康祐が深く自省していたことだ。ジャズやクラシックは「語られるもの」であった。<

JRF 2012年8月4日 0953

このあたりは↓の私の言ってることに近い。クラシックは一曲が長く、素人ほどその間にいろいろ考える時間ができる。当然、クラシックを聴いてる自省も何度か訪れる。クラシックファンはこのあたり自覚的だと思う。

[aboutme:113943]
>曲を聴かなければ買おうとすることはないというドグマは間違っている。それはクラシック・ファンには自明のこと。評論等の興味から曲を聴こうとするのが普通で、知ってる曲の違いを楽しむのも普通だから。<

JRF 2012年8月4日 6507

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