cocolog:74417070
個体が、被操作的でないことを示すには、「自分」を優先できなければならない。のみんだらず、「自分達」と思えるものを(「自分」を殺してでも)優先できないといけないのではないか? (JRF 7442)
JRF 2012年10月18日 (木)
これはブクマしてしまった↓について軽く考えたこと。
はてなブックマーク - 《人間の脳と120万画素のカメラを組み合わせた軍用監視システム | スラッシュドット・ジャパン サイエンス》
http://science.slashdot.jp/story/12/09/21/1018255
jrf:>長じて「強調表示」をむしろ選ばなかったのが今の人類なのでは。薬による感覚増強は体調の自己調節を阻碍しがちとすれば、逆に無意識の過度の意識化は平時の感覚鈍麻を呼び、人という種を被操作的にするのでは?<2012/09/25
JRF 2012年10月18日 1459
この「人という種を被操作的にする」という部分、この頃やっていたアニメの影響も受けている。
《じんるいは あきらめたんです? 『人類は衰退しました』アニメ面白かったね。 - たまごまごごはん》
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20120926/1348599869
>世界が衰退し、ロストテクノロジーとして現実の文明があった。彼女には、たくさんのさみしさや辛さがあり、旧人類は終わりをむかえていく。しかし視野が広がり、現人類である「妖精さん」との交流ができたことで、斜に構えた視線が開けていく。今は、冷静に賢く、距離を保って、依存とかは特になく、暮らしている。<
JRF 2012年10月18日 4896
そして「自分達」うんぬんの「哲学」は、↓の「ひとこと」からつながっていると言えるだろう。
[aboutme:125348]
>我思うゆえにありうるのは我々までであって、我が自立して存在するとまではいえない。しかし、常に我々と思えないほど人は絶望的に孤独であり、そこに多くとも「我」しかない。孤独ということは、私を我々と思うのを Imaginary に留めねば、生物として危ういということである。<
JRF 2012年10月18日 0320
「新しい支配種の登場による人類の衰退」に似たテーマは、学生のころ書いた小説で取り上げたことがある。
《昔書いた短編小説 [ JRF の私見:雑記 ]》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2007/08/post.html
>
『兎の結婚式』
これを「ラブコメ SF」だと紹介したところ、一人は読みはじめてもくれませんでした。今だったら「ラブコメ」と言わず「ラブ鬱」と紹介するところです。「本当は怖いグリム童話」のSF版と言ったところを意識しました。
<
JRF 2012年10月18日 1385
いちおう、最初のブクマは、その前の二つのブクマ(↓)の流れを受けている。
はてなブックマーク - 《第三の新人が日本の実存主義だった: 極東ブログ》
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/09/post-ab27.html
jrf:>>定式化され様式化された深層にある、個人の生の剥き出しの無意味感<。今、私はとても時間のかかるシミュレーション RPG をやっている。finalvent 氏は自身「ゲーマー」という存在についてどう考えているのだろう?< 2012/09/25
JRF 2012年10月18日 9630
はてなブックマーク - 《Naughty Dogがチャレンジするリアリズムとは? 『The Last of Us(ラスト・オブ・アス)』インタビュー - ファミ通.com》
http://www.famitsu.com/news/201209/25021778.html
jrf:>ゲームで鍛えられるものがあるとすれば、何かに出会ったときの「自分」。しかし、その体験は所詮、自室の安心感をベースとするものでしかない。自己を含めたゲーム性という次元こそ存在にとってのリアリティでは?< 2012/09/25
JRF 2012年10月18日 1922
↑のブクマは、ナショナルヘルスというものをゲーム体験から考えていた([cocolog:74412782] )のと同じく、『太閤立志伝V』([cocolog:74331100])をやりながらの感想でもあった。
JRF 2012年10月18日 8633
typo 「のみんだらず」→「のみならず」。
JRF 2012年10月18日 6221
もちろん、間違ったものを「自分達」と誤認させようとするものも出るだろうが、そこには何らかの利益の供与、「彼ら」が「自分達」に被操作される瞬間もあるはずで、そこには緊張感がある。その集りが世代を超えていくなら、それは本当に「自分達」というものになっているのだろうし、そうなればそこには予定された死もあるのだろう。
JRF 2012年10月18日 3130