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シナイスキー指揮『シュミット:交響曲 第1番 他』。ブラームスやブルックナーというよりは、シューマン。シューマンからチャイコフスキーへの流れを、ドイツ・オーストリアに取り戻そうとしたという印象。 (JRF 7982)

JRF 2013年1月19日 (土)

もちろん、例えば、明白にブルックナー的な響きからブラームス的響きを導き出してるようなところがあったり、曲のはじまりに爆発的主題を置くのは、ベートーヴェンの『運命』のようでもある。こう書くと「折衷的」と批判してるように読めるかもしれないが、それはむしろ指揮者がそこを強調している…といったら語弊があるが、「ブルックナー的感情」「ブラームス的感情」をワーグナー的ライトモチーフとして呈示しているのだろう。

JRF2013年1月19日5609

ベートーヴェンの交響曲の革新性というのも、もしかすると、その当時の指揮者にとってはこんなふうに見えたのではなかろうか?とも思う。曲としては「保守的」に理解できるのに、全体は別の何かになっている。この曲も時代が下り、ブルックナー的響き・感情というのが彼の名を感じさせずに響くようになったとき、そこにはベートーヴェン的な「強固な意思」が見えるのかもしれない。

JRF2013年1月19日0755

音楽の歴史はマーラーからシェーベルクへといたり、私がよくいう「わけのわからない現代音楽」の時代になる。しかし、「本来の本流」となるべきはこのシュミットの流れであったのではないか?これであれば「大衆」も、保守的な感覚からある種の満足を得ることもできる。「映画音楽」的でない立派さにひたれる。

クラシック音楽界の自己が奇抜さに流れざるを得なかったところから、補助金付きの官僚主義の上に立つ幻想を守るという方向ではなく、官僚主義的な流れのただ中にいながら、振り返ったときに確かに革新があったとわかる。…そういう道もあったのだと思う。

JRF2013年1月19日5724

世界で CD が売れなくなり、テレビが緩やかにメインストリームから外れていく中、「ポピュラー音楽」が転換点を迎えている。新しさをわからないものが非常識とできた時代が一端は終る中、シュミットの曲に注目する者もあるのだろう。この CD はずいぶん前に HMV の店員オススメの CD として買ったものだった。

JRF2013年1月19日2478

シナイスキー指揮マルメ交響楽団『シュミット:交響曲 第1番 他』(録音: 2007年 スウェーデン, 発売: NAXOS 2009年)

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3570488
http://www.amazon.co.jp/dp/B001QUL72I

JRF2013年1月19日8136

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