cocolog:78151677
移殖医療について少し考えた。哲学的なカッチリした思考ではなく、ボンヤリしてるときにふと頭に浮かんだ程度のとりとめのない話なんで、重く受けとらないで欲しい…。 (JRF 8162)
JRF 2013年11月12日 (火)
「結果、生きる価値で判断してる」ことを避けるには、ある程度の価値判断を先に許容するしかないのではないか。でも、それが「恵まれない人」に渡すならいいとすると、そのときだけ「恵まれない」ような抜け道が出てくる。
JRF2013年11月12日9289
金銭的ではなくそして抜け道ができやすい社会的なものでもなく、生物的な価値尺度として「自分より年少なものにのみ渡す」というのに限定してはどうだろう?こうすると、高齢者も自分より高齢なものからしか受け取れないので、他の高齢者の健康を伸ばすインセンティブがつき平均余命を伸ばす効果がないだろうか?(お手軽過ぎるから罠もありそうだが。)
JRF2013年11月12日9671
あと、「心のある臓器」…心臓や脳、場合によっては肝臓の移殖はやめたほうがいいのではないか?というのは、A の臓器を B に移殖することを、A という本体に B の体を移殖するという文脈にすれば、上のような移殖方向の規制がやすやすと抜けられてしまう。心のある臓器が一つでも含まれている「体」を「移殖する臓器」としては使えないようにしておくということ。
JRF2013年11月12日0883
ただ、そうやって規制すると「血に霊があるからダメ」というのとの線引きが難しく、そうとなると移殖(輸血も!)がそもそもダメになる。ただまぁ、それも、科学の発展という観点からはマイナスかもしれないが、人工臓器が可能ならばそのほうがいいというところへの投資を招くにはそういう考え方を保持するところがあるのもいいのかもしれない。
一方で、命を救うための技術の蓄積も必要で、実績を見せて「できる」ということは伝えないと投資もそもそも起きないかもしれない。「自由」な国もあったほうがいいのだろう。
そういう世界の地域ごとに規制の濃淡をつけるための一つの基準としては、上のような規制は意味があるのではないか?
JRF2013年11月12日9879
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受信: 2015-06-28 14:26:54 (JST)
生きる価値のない人間はいない…とは言え、自分が生きるよりは他の人が生きたほうが、そこに厚みを付けたほうが、資源面でマシかな…と思うことはある。
それでリアル・アンパンマンな感じで「オラの命を使ってくれ」とばかりに臓器移殖に関して考えるが、問題は臓器を受け取る側の「価値」なんだよな。生きる価値なんか関係ないと言いながらも、もらう側が価値に敏感で、「オレ様に渡せ」ふうなのは、要は、人間農場みたいな考え方に票を投じるようで避けたい。
JRF2013年11月12日8168