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ヨブ記に関して(私にとっては)新しい知見を得た。 (JRF 9931)

JRF 2014年8月 1日 (金)

読んだのは↓。

『一神教の誕生』(加藤 隆 著, 講談社現代新書, 2002年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4061496093
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101867915

JRF2014/8/15871

論旨を私なりにまとめると…、

はじめ、戦争での勝利などのご利益を望んでの神の崇拝だったため、他の神との併存などが避けられなかった。それが、王国が北と南にわかれ北王国が先に滅亡することで、それは北王国が神との契約における義を果たしていない罪の状態にあったからだという神学が隆盛となったため、一神教が強固なものとなった。

JRF2014/8/15885

南王国も滅亡し、バビロン捕囚からさらにペルシアの緩い支配に変わったとき、ペルシア帝国の命令で律法を作ったため、それを以降変えることが難しくなる。しかし、律法はそのはじめから矛盾を含む複雑なものだったため、全てにおいて正しい在り方というのはそもそもできない。そこに「知恵文学」が成立する。

JRF2014/8/14678

人が知恵を付けたことで、自分がずっと正しいことをしてきたと思える人が出てきた。しかし、神の前で何が正しいかは神の問題であって、いかに自分の知恵のおよぶところで正しくとも、神に正しいと認めてもらえると考えるのは、神に自分の掟を押し付ける行為にすぎない。神にとって人が優位に立つ「神の前での自己正当化」の問題が起きた。

…といった論だった。そして…、

JRF2014/8/12932

ヨブ記において、苦しむヨブに友人達が>義と罪に関する何らかの判断基準を提示して、それに従ってヨブも自分の不幸について判断するようヨブに勧めている。ヨブはこれらの議論をすべて拒否する。(…)そして最後に神の顕現があって、ヨブは神の前で平伏する。<(p.100)

ヨブ記の神の顕現に私が抱いた印象に「神は人の掟から自由である」という言葉はうまく重なる。

JRF2014/8/19471

もちろん、自由に見えるそれが確かにヨブへの応答であるとわかる人もあるのだろうし、わかろうとすることを諦めてはならないのだろうが、私にはわかり得ない部分が多くて当然なのだともわかる。

JRF2014/8/16149

……。

ただ、この本、キリスト教の成立のあたりになると、「イエスの神格化」という言葉を用いて、その神性を相対化して論じるため、三位一体的な議論がうまく展開できてないように思う。神学の本を昔読んでいたからキリスト教についてこう感じるのだとすれば、上のユダヤ教についても、前から詳しく知っていればもっと違和感があったかもしれない。

JRF2014/8/10582

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