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近況。本を乱読している。昔買って読んでなかった新書とか文庫、Amazon のウィッシュリストに入れてずっと買ってなかった本を買ったりして読んでいる。 (JRF 0600)

JRF 2014年8月 9日 (土)

最近、岩波文庫で出た↓も読んだ。

『ヨブ記講演』(内村 鑑三 著, 岩波文庫, 2014年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4003815114
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106408623

JRF2014/8/95489

19章を、キリスト以前の仲保者たるキリストの確信と見て、そこをクライマックスとしていた。

私の印象に残ったのは聖書の登場人物たる「義人」は決して自殺をしないということ。私は、いろいろ行き詰まってて今は「迷い」のうちにあると言っていい。「乱読」したところで、目的もなく読むだけだから、得るところも少ない。信仰を持てば…、神を光として持つことができれば、「楽」なのかな…と思った。

JRF2014/8/91680

私は決して「義人」ではなく罪がある。

JRF2014/8/96449

……。

美を捨てねばならないという法があるとき、それに従うべきだろうか?安易に従ってはならないからこそ、P2P 等を認めるんだという哲学が私にはあった。

《無コピーの占有デジタルコピーの譲渡の自由:記録保全主義 [ JRF の私見:税・経済・法 ]》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2007/11/post_3.html
>国に謂われて消すものがいよう。人を信じて消すものがいよう。違う。あなた方が消してはならなかったのだ。どこかで引き継ぐものが必要だからこそ、あなた方のようではない人々も求めるのである。<

JRF2014/8/97700

ならば、その罪を罰の可能性とともに負い続けるべきなのだろうか。しかし、その実態は連帯などといったカッコいいものではなく、単に美に物としての執着があるだけだ。長い一生を考えればいつかは捨ててしまうもののようにも思う。それを今捨てて何の問題があろうか。

年齢を重ねて骨董品に目ざめるような美との関わりは収入のあてのない私にはできないだろう。私には美との関わりを諦めていく行き方しかないようにも思う。

JRF2014/8/99001

少しずつ諦めていく…というのでも許されうるか…許され得ないだろう。それが社会だ。他のことと併せ、いつか指弾される日が来るのかもしれない。

そのときに光あることを願う。

JRF2014/8/95980

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