cocolog:80804001
以前、[cocolog:70267088] で>改宗という具体的手続きは「命懸け」ってのは、どんな宗教であっても「信仰」であればそういうものだろう。<と書いた。かなりヤバめの話だが、思い切って書いてみる。 (JRF 9143)
JRF 2014年10月 7日 (火)
でも、私の乏しい知識からすると、「秘密結社」の密儀で、黄泉からの帰還のようなイニシエーションが確かあったが、これは、実は、上のような目的のためにも作られた教義なのではないか?時代としては、「レコンキスタ」よりずっと以前、中世以前の、対象とする宗教もイスラム教(イスラーム)と違うころからありえたものだとは思う。改宗者に厳しい宗教や結社は昔もあっただろうから(忍者とか?)。
JRF2014/10/72231
イニシエーション後の改宗の自由という枠組だと、改宗後すぐに本当に改宗したいものへの改宗が起こるはずなので、実質「信者」は存在せず、儀式は、知識ある者がペルソナをもってとり行えばいい。成人儀式(イニシエーション)にこのようなのが知られているところに、再洗礼の意味があったとか?
JRF2014/10/79370
いちおうレコンキスタ後の改宗については↓を参照した。基本的には、住んでる土地が違うから、死刑にされない(逆に言えばイスラム支配地域に旅行して公然と改宗したとは言えなかった)ということなのだろうと思う。
《モリスコ - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%B3
JRF2014/10/77327
女子修道会はあったが、女子秘密結社はあまり聴いたことがない。なぜなのか?もし、改宗に必要ならあっておかしくはない。教育は、父が与える乳母がになうためだろうか?「女性結社」ができなかったことが、魔女狩りを生んだとかありうるだろうか?戦争(十字軍とか)等で「捕虜」になることがなく、イスラム教の名誉殺人がたまに問題になるが、あれを実は、魔女狩りで代替してたとか?改宗は名誉の問題でしかなかった?
でも、Wikipedia で見ると魔女狩りの時期はレコンキスタのあと。むしろ、「医は算術」であることと関係がある?
JRF2014/10/78448
……。
「死刑」にしなければ共同体(ウンマ)の「罪」が問われるというなら、「配偶者」ではなく「0親等以内」または、「同体」という言葉で(自己)相続を表し、その税を実際に取ることが、ある種の解決をもたらすことがないだろうか。(子供(1親等)の相続だと自動的に宗教が決まってしまうことがあるが、0親等だとそこは違った問題になるのではないか?)
JRF2014/10/77285
「死刑」そのものが意味がなくなる恐れがあるが、死刑はなくていいという議論もあり、「外形しか問わない主義」と許しの問題でクリアできないか?
JRF2014/10/75565
「死刑」が形式的に認められても、子には伝わらず、信心深い子の場合、改宗を無効と見なし家族間でいさかいが起こることもあるように思う。よって、その後の親の「生命の闘い」が子に和解を導いてこそ、刑法の権威と親が守ろうとした名誉とが衡平を保てるとしたらどうだろう?税を執行できる支配に対する抵抗…ある種のテロリズム、ただし、子には和解が成り立つ程度のテロに留めねばならない。あえて「死刑」の可能性のある地に何年かに一度「巡礼」するとか、抗議の違法アップロードをするとか、その程度のこと。
JRF2014/10/78708
そして本人の「魂の改宗」も実は「子」の和解の成立によってはじめてなりたつ(参:[aboutme:102772])とする。…とか。
JRF2014/10/77223
……。
キリスト教を含むといいながら、その神性は認めない。最後の預言者性が限定的意味しか持たないまたは部分否定できるなら、そのような限定承認を別の宗教側が行って死刑を回避しながら、教典を包含するような道も拓けるのではないか?
ある者が最後の預言者であるという主張は、それを超える権威(ある言葉)を認めないということになるのだが…、
JRF2014/10/75959
神と争うものを預言者とした場合、最後の預言者はイスラエルなのかもしれない。
神を見せるものを預言者とした場合、最後の預言者はイエスであろう。
神の言葉を聞かせるものを預言者とした場合、最後の預言者はムハンマドであろう。
JRF2014/10/70782
…としていくと、そうでない形の預「言」者というのがありうるような解釈もできる。キリスト教ならこの辺りは「聖霊の働き」になるのだろうが、この解釈からすると、ニュートンとかアインシュタインとか「真理を発見」した者がそういう種類の「預言者」といった見方もできるかもしれない。
習慣からの発見か何かで、temporal な改宗自由宗教みたいなのができないか?
JRF2014/10/77558
……。
訪問者を丁寧に扱う義務は、砂漠の厳しさから出ているというが、赤貧でないのならば、隣人でもかなりの節度を持って訪ねねばならないというのが、訪問者を丁寧に扱う義務の逆にあるのではないか?日本は、いずれにせよ厳しさに欠けている。
偶像であっても人の物を壊せば「罪」だが、同時に「偶像がない状態」が普通であるのを壊すのもまた「罪」なのかもしれない。今後、必要性が増えるかもしれない民間レベルのイスラム教と日本の「土着宗教」との和解…混交はそれでもかなり難しいのかな…。
JRF2014/10/72934
……。
なお、この「ひとこと」を書いている途中、刑法93条1項の私戦予備罪・私戦陰謀罪の疑いで大学生が捜査を受けたというニュースがあった。天の示唆として「書け」ということなのか「書くな」ということなのか…はかりかねたが、目立たない場所だし書くことにした。
《日本人イスラム国兵士志願問題が微妙に面白い: 極東ブログ》
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/10/post-f1cc.html
JRF2014/10/72068
……。
追記。
日本語版『Newsweek 2014/09/09 号』を読んで、ヤジディ教徒のことを知る。
《ヤズィーディー - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%BA%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC
>改宗を禁じ(…)他の宗教の信者がヤズィーディーに入信することも拒む。周辺のイスラム教徒やキリスト教徒と結婚することも禁じられている。<
それでもその宗教が続いているというのがすごい。「改宗」はやはり上みたいな生半可な理屈の通じる話ではないのかな…。
JRF2014/10/101545
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受信: 2015-03-29 13:38:00 (JST)
エリアーデ著『世界宗教史 5・6』を読んだ。シャーマニズムとキリスト教異端に関する叙述に興味をひかれた。一方、イスラム教にも関心を持って読んでいたが、そちらは「主流派」についてもあまりよくわからなかったという印象。... 続きを読む
受信: 2015-06-28 14:29:19 (JST)
『ガンダム G のレコンギスタ』のもとのレコンキスタで思い出したが…。当然、そのときに大量の改宗者の問題が出てきたはず。それを「神学的」というか宗教的にどう対応したんだろう?
聖餐式の受肉が奇跡であるように、もしも、死から復活する奇跡という教義を持ち、それでいてそこからの改宗が自由な宗教があれば、「改宗すれば死刑」というところからも逃れられるのではないか。新約聖書だと、「ヤイロの娘」とか思い出すが…。
JRF2014/10/73997