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レイコフ&ジョンソン著『肉中の哲学』を読んだ。2005年に途中まで読んだ形跡がある(メモがはさんであった。)が、読み切らずに他のことに移った記憶がある。それを今回は読み切った。 (JRF 7664)

JRF 2014年12月26日 (金)

数式などはないに等しいが、それでも理解が難しくてちゃんと読めたという気はしない。2005年に読んでいれば、もっといろいろ感想が抱けただろうな…インスピレーションを得ただろうな…という部分もあった。今は、下に書くぐらいの印象。いつかもう一度読むことになるのかもしれない。

JRF2014/12/268165

『肉中の哲学』(ジョージ・レイコフ & マーク・ジョンソン 著, 計見 一雄 訳, 哲学書房, 2004年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4886790860
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102143300

JRF2014/12/265685

内容としては、認知科学の「第二世代」の成果を取り入れた哲学ということで、第一世代が、「非身体化されたマインド」を臆断[おくだん]し、形式論理などの成果を(ムリヤリ)取り入れようとしたのに対し、第二世代は、認知的無意識を認め、概念のベーシックレヴェルなどをメタフォリカルに使った「推論」を分析する…というものらしい。

JRF2014/12/260228

……。

例えば「時間」を哲学しようとすると、絶対的な時間などというものがあるのか、時計や天文学の知識などがない状態でも時を感ずるのか…とか思い浮かぶ。

しかし、本書では運動が時間を学ばせ、「動く時間」メタファーと「動く観察者」メタファーと「時間は資源である」というメタファーがなければ、その表現すらあやしいと説く。しかも「動く時間」と「動く観察者」は図と地が逆転するような例もあり、マッピングを単純に定義することはできないという。

JRF2014/12/264347

そういった説明が「時間」「出来事と原因」「マインド」「自己」、「道徳性」と章続いて、これは『デザイン・パターン』(↓)みたいな網羅性を狙ってるのかな?とふと考えたのだが、そうではなく、その後は各哲学者(達)への反論のような形の章が続いた。

JRF2014/12/266906

『オブジェクト指向における再利用のためのデザイン・パターン』(ガンマ 他 著, 木位田 真一 他 訳, ソフトバンク, 1995年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4890527974
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101605781 (改訂版)

(この本はパラパラと見ただけで、ちゃんと読んだことはない。)

JRF2014/12/268970

《デザインパターン (ソフトウェア) - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3_(%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2)

JRF2014/12/261995

……。

著者らは、ペトリネットとかパーセプトロンのようなニューラル・コンピューティングをモデルとしているようだが、学生のころの私の印象では、それらに十分な計算力はなく、どうにもそこに推論構造が作れるとは思えない。一方で、推論を担うべき「出来事と原因」の章の中のナラヤナンが発見した>身体の運動のための全てのニューラル・コントロール・システムを支配するような単一の一般構造<は、複雑過ぎてそれにニューラルな座がありうるのかと問いたくなる。

JRF2014/12/261305

……。

他の哲学者への対論を書いた章では、デカルトの「非身体化されたマインド」とカントの道徳律が、槍玉[やりだま]に挙がって、どうもそれが本書で著者達のやりたかったことなのではないかと思った。

「デカルトと啓蒙期のマインド」の第19章で能力[ファカルティー]分担心理学…知覚・イマジネーション・感覚・意志・理解・記憶・理性の「ファカルティー群」に基づく分析を批判するのだが、批判的な目で見ているためか、逆に能力分担がわかりやすかった。

JRF2014/12/268960

知覚は感覚印象を受け取り、イマジネーションは外的世界のイメージを構成し、感情は無規律に意志に強く影響しようとし、理解はイマジネーションから判断を構成し、理性はクールになすべきことを決め、記憶は様々な心的動きを貯蔵し、意志は理性の命令と感情のプレッシャーや懇願を受けて行動を導く。…といった感じ。

JRF2014/12/263522

かつて私は十二縁起で、そういうモデルを提示したことがあるけど、わかりやすさ(説明力?)では、上のやつのほうが優れていると思う。著者らは、認知的無意識などの実証に合わないと言ってしりぞけているんだけど。

《仏教への教義:十二縁起と八正道》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2009/02/post-1.html

JRF2014/12/261795

……。

「分析哲学」への批判の章では形式論理を非身体化されたマインドの本質とするような考え方を批判していたが、むしろ、私は私がかつて専門にした形式論理の哲学側の展開をはじめて知ることになり、興味深かった。

JRF2014/12/260200

「意味のホーリズム」については誤解があるように思う。一階述語論理の集合論上に数値なり文字列なり構造体なりを定義して、そこから「公理」としたいものを「定理」として導けるなら、その公理を使った集合論的推論は集合論に対して無矛盾に展開できる。その実質が集合そのものでなかったと自分が認識していたとしても、である。

JRF2014/12/266912

私は専門としてα同値に注目していたのだが、それは、そういう使い方をするときには、名前の保持が重要で、集合論上では同じ意味だからといって、名前をコンピューテーションしやすいように変化させてはならないというのが大事だという面があったからだ。

「α同値」というのは、(名前の重なりには注意して)理論全部に渡って名前だけ替えたり、または局所的に使われてる名前を全部替えたって、理論にとっては何も変わらないという同値性のこと。α同値を(オブジェクト指向の考え方をとりいれながら)制御して何かできないかというのが私の「メインテーマ」だった。

JRF2014/12/264554

最近の私の「α同値に注目」して得た成果は、↓の jrf_semaphore.pl の中の JRF::MyOO と JRF::Figure で使っているクラス変数に対する Hooker がそれにあたるという認識が私にある。

《JRF Flag Semaphore for NES Emulators》
http://jrf.cocolog-nifty.com/archive/nes_semaphore/jrf_semaphore.html

JRF2014/12/260667

[cocolog:72947619] でα同値で使う名前をデバッグのタイミングでいかすことに言及しているけど、同じようにクラス変数への代入時に外部フロントエンドがフック(介入)して、次の処理をキューに積むとかすれば、おもしろいんじゃないかとか考えていた。

JRF2014/12/261398

……。

ただ、著者らも他の哲学者達を批判するだけでなく次のように述べている。

>哲学者たちは、彼らの文化が骨の髄まで知りきっていることを綺麗に調律するただの[ruby:論理刻み屋:ロジック・チョッパー]ではない。彼らはシステマティックな思考の詩人なのだ。<(p.608, 第24章)

JRF2014/12/269695

……。

最後の章ではスピリチュアルなものとの関係へも言及がある。それは、認知的無意識がしかたなくスピリチュアルなものを残してしまうという示唆もありながら、>魂が根本的に身体化されている -- 身体によって重要なやり方で形作られ、永久に身体の一部に所在し、その存在が続いて行くことを肉体に負っている、このような霊的伝統は想像可能であろう。かかる種類の魂の存在を、本書全部を通じて論じてきたマインドに関する議論の結果は、決して排除するものではない。<(p.631, 第25章)

JRF2014/12/261288

私に言わせれば身体に魂が密着しているからといって、それが魂の不滅を否定するものとはならない。

《魂の座》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_10.html

JRF2014/12/265201

2008年12月4日のひとことで次のように言及している。
>《魂の座》の記事で注目して欲しいのは実は「説2」。説1の神の記憶モデルは自然法則の自動性を死後にまでつきつめると容易に導かれ、説1だけを真理とするのはカトリックとかでは実は異端なのだと思う。

それに対し説2は神の介入をやたらと認めるようで「日本人」は稚拙とみなすかもしれないが、ロジカルには、これもまた反駁できない説明であることに気付いて欲しい。いちいち神が登場して魂を「霊的肉体」に移すんだというイメージを含らませれば、自らの存在への見方は変わってくると思う。

JRF2014/12/262242

親は子供が産まれたとき、その親からすれば想像もできないこともやってくれているものである。まして、神が、その霊に臨むにおいてや…。

JRF2014/12/261934

……。

訳者は、精神科医らしい。最近、私は過去の精神科医にお世話になることが続いていて、医療というのは肉体のデバッグモードなわけで、ちょっと因縁というかシンクロニシティみたいなものを感じる。

JRF2014/12/267890

『肉中の哲学』という書の存在自体が、ある種のシナプスの賦活[ふかつ]みたいなものなのかもしれない。私のこのサイト自体も言ってしまえば人工知能の考え方に影響を受けていて、《ひとこと》内での再言及などは賦活&シナプティック・リンクみたいな考えもちょっとある。昔は、人工知能の[google:コーパス]が足りないみたいなことが言われていて、その提供ができたらみたいな思いもチラとあった。

JRF2014/12/262342

私が自殺防止のために AdWords の広告を使っているのは裏を返せば、もし本当に自殺防止の効果があるなら、Google に自殺の制御権を与えてるようなもの。これがこのサイトを統合するタナトスみたいな何かとも言えなくもない。そして、必死にネットに人格を残そうとしているリアルな私はエロースみたいなものか…(えっ?ただのエロオヤジだって?orz)。

《タナトス(Thanatos)》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_12.html

JRF2014/12/264413

typo 「章続いて」→「章として続いて」。

JRF2014/12/266733

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