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『世界の名著 36 コント, スペンサー』を読んだ。 (JRF 6424)
JRF 2015年1月12日 (月)
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『世界の名著』シリーズは、作家の紹介となる「解説」が最初についている。この本では、清水幾太郎がコントとスペンサーの解説をしている。
解説者は、スペンサーよりもコントに思い入れが強いらしく、コントのほうに比重を置いた解説になっていた。
JRF2015/1/123641
コントの「解説」によるその思想として、三段階の法則の紹介がまずあった。それは、>人間の精神は、神学的、形而上学的、実証的という三つの段階を経て進歩する<(p.16)というもので、神学的段階はそれ自身、汎神論的なものから多神教的なものへさらには一神教に移行するという考え方をするようだ。実証的段階が観察科学に相当するもので、形而上学的段階は神学的段階と実証的段階の中間に位置する折衷的段階で批判的性格を持つものとして説明される。
JRF2015/1/124976
また、コントは、諸科学を六個の基礎科学に独持の分類をする。すなわち、数学、天文学、物理学、化学、生物学、社会学で、この順序でそれぞれが徐々に神学的段階から実証的段階に移っていきていて、今や生物学も実証的段階に入り、社会学に実証的段階が拓かれつつあるというのが、コントの時代認識だったようだ。
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コントの論文としては、「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」「実証精神論」「社会静学と社会動学」の三章がこの本に含まれている。このうち「社会静学と社会動学」は『実証哲学講義』第四巻から第50講と第51講を選びとったものである。
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「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」と「実証精神論」は読むのにすごい時間がかかった。何度も同じページを読むこともしばしばあり、一日かけて 30 ページか 40 ページぐらいしか読み進めなかった。
内容も、解説にある三段階、六分野説が遠々と続くだけかと思った。コント自身が形而上学を振りかざし、別の作家の読者にとり入ろうとしているだけかとしか私には読めなかった。
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そんな拙[つたな]い読書で、「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」で印象に残ったのは学者による支配を説いている部分だった。「実証精神論」では、そこから立場を変えたのか、実証派は各専門分野に分散してしまい支持を集められないことから、思索家階級によるプロレタリアへの教育を通じた結びつきを説いていた。後の共産主義につながる部分なのだろう。
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「社会静学と社会動学」でやっと読むスピードがアップした。議論が「形而上学的」でなくなり、より具体的になったからだと思う。コントとしては、これで具体的というより実証的になったという自負があるのだろうが、コンピュータシミュレーションの時代に生きる私には、まだ、抽象的な議論過ぎるように思えた。
『実証哲学講義』第50講「社会静学、すなわち人間社会の自然的秩序に関する一般理論の予備的考察」では、ガルという人の大脳の解析結果を通じて、哲学をするという現代でも地雷チックなことをやっていた。
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>自分を少しも愛さないような人間が、どうやって、どのような点で他人を愛することができようか。<(p.247)と書き、「知的活動」も「社会的本能」も人間にとっては元来弱いものだが、それらが互いを強めあって、社会に協力を育[はぐく]んでいるといった論を展開していた。
社会は、個人というより家族を単位として構成されていることを論証する部分は、ジェンダー的に今日ではポリティカルにアウトなところだろう。
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『実証哲学講義』第51講「社会動学の根本法則、すなわち人類の自然的進歩の一般理論」では、三度[みた]び三段階六分類説が詳しく紹介されていた。
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何でも説明がないと安心できない、または、動かし得ないものを動かせると思いたいといったところに「想像」があり、それを厳密な「観察」によって法則を見出し、神のような絶対的存在の介入による説明から、法則による相対的な説明を活かすようになる。これが、神学的段階から実証的段階に致る文明の一方通行というのがコントの理屈のようだ。
その際、神学は、思索家階級を経済的に支える役目も負うことが論じられるが、これにより、形而上学階級などが経済的に思索家階級を支えていることを暗に示していた。
JRF2015/1/120304
世俗面でも、軍事的段階が産業的段階に移るのが、ちょうど神学的段階が実証的段階に移るのに相当すると説く。形而上学的段階に相当するのは、法律家による支配であるとする。一見、軍事的段階と神学的段階は目的を異にするように思われるが、共に(古代的奴隷制によって)産業的段階を準備するなどの点で共通の利益があり、両者が支え合う形になっていた…という。
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実証的段階の「聖職者」的地位にあるのは科学だが、軍事と神学が対立していたと見えるように、科学は、産業に>知的であると同時に道徳的な深い反感がある。それは、産業の仕事が元来、科学に従属するものであるのに、富という点ではどうしても産業のほうが上にならざるを得ないことから来ている。<(p.328)また、産業の側も、科学が当然のように持つ傲慢さを本能的に嫌悪している。…と説く。
JRF2015/1/122673
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スペンサーの部分に入ろう。
スペンサーの「解説」では、明治期の日本の自由民権運動家達に翻訳がよく読まれたらしいことが書いてあった。ただ、この本には「教育論 第一部」の「知識の価値」以外、「社会平権論」のような広く読まれたらしいものは含まれていなかった。
JRF2015/1/120544
ウィキペディアによると、スペンサーは、社会進化論という概念を作ったらしく、「適者生存」は彼による造語らしい。
《ハーバート・スペンサー - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC
JRF2015/1/121789
スペンサーの論文としては、「科学の起源」「進歩について」そして上記の「知識の価値」の三章がこの本には含まれていた。
JRF2015/1/124413
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「科学の起源」では、最初、>未発達の科学とは質的予見であり、発達した科学とは量的予見である<(p.340)、つまり、物が動いて落ちることは常識的にもわかるが、それが放物線を描いてどこに落ちるかまでわかるようになってはじめて発達した科学…ということが語られる。
JRF2015/1/123764
その後、幾人かの先達の仕事を批判していくのだが、その中にコントも含まれ、ケプラーの法則はティコ・ブラーエの観測によっているが、ティコ・ブラーエが観測に用いた改良された装置は、物理学や化学が相当進歩した後でようやく可能となった…ことなど、コントの六分野が徐々に発達したという説を細かい例をいくつも挙げて、その説を批判していた。
JRF2015/1/122910
それはそうだろうと思いつつ読んでいくと、コントが、数学-天文学、物理学-化学、生物学-社会学という組で考えたほうがいいかもしれないと書いてたことを思い出し、むしろ、コントは、その背後にある資本的・社会的つながりを示唆したかったのかなと逆に気付かされた。
JRF2015/1/126282
スペンサーは、長さとか重さとかのいろいろな単位が、昔は有機物、人の手の長さとか穀物の重さとかから量的尺度を得ていた中で、時の尺度である「一日」は地球の自転という天体による他と比べれば厳密な尺度を使っていたことを指摘し、天体観測が、その正確な尺度によって様々な予見を行えたことに注意を促した。そして、ヒッパルコスが離心円、周転円の理論を求めるのに三角法を用いた例をひき、数学の進歩が天文学の進歩によって決定されたことがあることを示した(p.381)。
JRF2015/1/126886
一方で、化学の発達が遅れたこと…>鉄の酸化は食の回帰よりも単純な現象であり、炭酸の発見は歳差運動の発見より困難ではない<(p.383)といった例を挙げ、その発達にはそれらの物質がレディメイドで何がしかの蓄積をまず必要としたことに注意を促した。スケールとして似たところにある物理の実験よりも化学の実験のほうが、資本の蓄積を必要とし、実際、錬金術の蓄積があったのに、それがなかなか実を結ばなかったことを思うと、コントの洞察の深さをむしろ私は感じる。
JRF2015/1/128853
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コントの単純化を否定しておいて、スペンサー自身はどういう統合を行ったかというのが、次の論文「進歩について」が示す、というのが監修者の眼目なのだろう。
JRF2015/1/122863
コントが「百科全書」的と呼んだところの科学的博識をスペンサーは示していく。それがスペンサーの論文に共通のスタイルらしい。1850年当時の科学知識の到達点がわかって興味深い。星雲から太陽系が生まれ、凝縮して惑星や衛星ができ、地球では温度が低下して徐々に地形ができてくるというところまではわかっているが、大陸移動説までには達していなかったり、「科学の起源」では蒸発を斥力で説明するような明らかな誤り(だよね?)も二三、目につくにせよ興味深い。
JRF2015/1/124094
「進歩について」での統合は、>能動的な力はすべて一つ以上の変化を生じ--原因はすべて一つ以上の結果を生ずる<(p.421)と説くところにある。それをよく「分化」という言葉で表している。星雲から惑星が生じたのも分化だし、宗教や王制が階層を生んでいくのも分化だし、分業も分化、メロディーからフーガそしてハーモニーに移るのも分化らしい。
単純な「エントロピー増大則」とは違い、そこに微妙に[google:人間原理]をからませているように思える。
JRF2015/1/122535
ただ、分化によって全てがカテゴライズされるというのではなく、>唯物論者と唯心論者の論争は単なる言葉の争いにすぎず、論争者はどちらも滑稽で(…)彼の研究は、どの方向においても、結局、彼を不可知なものに直面させる。<(p.442)という結論になっている。
keyword: 負のエントロピー
JRF2015/1/120133
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「知識の価値」では、人生の諸活動を重要順に分類し、>(1)自己保存に直接役立つ活動 (2)生活必需品の確保により自己保存に間接的に役立つ活動 (3)子供を育て鍛えるための活動 (4)然るべき社会的政治的関係を維持するための活動 (5)趣味と感情の満足に当てるレジャーを満たす種々の活動<(p.451)と分け、それぞれに重要な教育として(1)に科学、(2)に科学…(5)にも科学とすべてに科学の重視を説く。
JRF2015/1/128261
ちなみに (3) の親になるための教育には、母親になるための教育を特に批判して、生理学や心理学の基礎的な知識を教えよと説いている。
JRF2015/1/120577
一方で、科学はそれ自体、詩的であるとも説き、>科学的教養は想像力の作用や美しきものへの愛にとって必ず邪魔になる、というのは正しくない。科学は非科学的な人間にとって一切が空白であるところに詩の領域を拓く。<(p.478)と説く。
JRF2015/1/128843
そして>科学の持つさらに宗教的な側面をつけ加えておく。<(p.484)>真の科学者のみが、「自然」「生命」「思考」として現われる宇宙的力は人間の知識、人間の思考の彼岸にあることを正しく知り得る。<(p.485)という。
ただ、前論文とこの論分の宗教面をあえて私は強調して抜き出してはみたが、スペンサー自身が神への信仰をどのように考えていたかまでは、本からはわからないというのが正直なところ。
JRF2015/1/125643
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今回は、(私自身の)後学のために要約を書いておいたといったところ。コントの『実証哲学講義』やスペンサーの『社会平権論』まわりには興味が少しわいたが、この本自体を再び読むことはなさそう。
JRF2015/1/126893
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ジェイムズ&ソープ『古代文明の謎はどこまで解けたか (全3巻)』を読んだ。 続きを読む
受信: 2015-03-29 13:06:45 (JST)
『世界の名著 36 コント, スペンサー』(コント & スペンサー 著, 清水 幾太郎 責任編集, 霧生 和夫 & 清水 禮子 訳, 中央公論社, 1970年)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9C0PK
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1100298502 (中公バックス版)
中公バックス版では『世界の名著 46』となっている。私は中古ケースなしで初版を買った。
JRF2015/1/126440