cocolog:81846914
ヘロドトス著『歴史』を読んだ。ギザのピラミッドの記述でギリシア語風の王名ケオプス・ケプレン・ミュケリノスがクフ・カフラー・メンカウラーだと気付いたとき、「ヘロドトスの時代にまでこんなに生き生きと話が伝わってるんだ」とワクワクした。 (JRF 5873)
JRF 2015年2月19日 (木)
上の日本語訳は、上巻・中巻・下巻の3巻だが、アレクサンドリア時代に巻分けされたのに従って「章立て」のように巻1から巻9まで分けられている。それに節番号がついていて、引用するときはページ数ではなく聖書のように「巻数:節番号」という形式で(例えば「巻2:124」などとして)引用箇所を表すこととする。
上中下の巻末に目次として巻の要約のようなものがあるので、要約的なものは述べず自分が興味を引かれた部分のみ適宜、抜き出してゆく。
JRF2015/2/197354
……。
>ペルシア側の学者の説では、争いの因を成したのはフェニキア人であったという。<(巻1:1)
フェニキア人がアラビア湾側にもともといてその後シドン・テュロスに移り住んで遠洋航海に乗りだしたという伝承があって、そこだけでもフェニキア人は西へ西へと向かっていたことを思わせ、新大陸にまで向かっていたのではないかというロマンがある。
JRF2015/2/190247
争いは、フェニキア人がギリシアで女性をさらったとされ、ギリシア人がそれをテュロスから奪い返すといったことがあって、そこからエスカレートして、軍事はまずギリシア人が先に動かしたとされる。最初は、さらったのではなく自分の意志でついていった(逆に言えば「反対」はあったのに行った)という伝承もあるようだ。
JRF2015/2/198350
>そもそも女を掠奪するというのは悪人の所業であるに相違いないが、女が掠奪されたことに対して本気になって報復しようとするなどというのは愚か者のすることであり、(…)女の方にもその気がなければ、掠奪されるはずのないことは明白<(巻1:4)
というアジア側に対し、
>ギリシア人はスパルタ女の為に大軍を集め、アジアに進攻してプリアモスの国を亡ぼしてしまった。<(巻1:4)
それによりアジアはギリシアを敵と見るようになったという。
JRF2015/2/198740
ただ、この「発端」は、読み進んで詳述される気配がなく、フェニキア人と新進のギリシア人の地中海支配権をかけた撃突を伝える伝説的な部分なのだと思う。フェニキア人の朝貢外交・物々交換的な「それまでのやり方」に都市内市場の権利を独占しようとする「都市国家の論理」を確立しようとしてギリシア人が兵まで出すようになったというのが時代の趨勢ということなのだろう。
JRF2015/2/190668
ミュケーナイ文化が持っていたとされる「闇」がもっとも価値が高い商品を人に定めたところから、独占的市場を導き出したのに対し、新しいギリシアは女や男色を秘密に結び付けて市民権を高く売ることを考えたということかもしれない。
そのギリシアの「自由」は、攻城戦争による「独占」理由の公開を最大の公共事業とするアジアの考え方に対し、城塞都市を開け渡してでも対抗を可能にせしめたというのが歴史の評価になるのだろうか?
JRF2015/2/199628
女性の噂話がメディアの時代、女性の人質が問題になった。YouTube 時代の現代ではそれに対し、ジャーナリスト個人が人質になっている。その「自由」を実際にコントロールしているのは Google の資本とされる。Google や Amazon は物流と人の流れに革命をもたらそうとしている。それは本当に可能でこれまでより低コストに…人の価値を減じることなく…維持可能なのかが問われているのかもしれない。
JRF2015/2/191749
少なくとも日本の人口動態を見れば、「それは可能ではない」を答えとすべきと私は考えるが…。アイドル(になるの)が「身近」になり、リンやレンといったボーカロイドの名を持つ子が増えているのを奇貨とすべきなのか?3D プリンタで女性器を出力させた「アーティスト」に警察が動くのが義[ただ]しさになるまで、人は、地球を支配する種族として増えるべきとされ、滅びることなく進めるのだろうか?
JRF2015/2/196520
……。
……。
『歴史』の(ほぼ)最初に登場する国が、金銀の貨幤を最初に作った(巻1:94)というリュディアというのは何かの因縁かもしれない。
JRF2015/2/199608
>リュディアの国には、(…)記述に足るような珍しいことは、他の国ほどには見当らない。しかしただ一つ、(…)他に比類のない巨大な建造物がある。(…)アリュアッテスの陵墓がそれで(…ある。…)これを造営したのは、商人や職人、それに婬をひさぐ娘たちであった。(…)それぞれの団体が果した仕事の量が、それに刻み記してあった。(…)娘たちの果した仕事の量が明らかに大きかった。というのは、リュディアの国では、娘たちがみな身を売り、嫁入りするまで自分の持参金を稼ぐのである。<(巻1:93)
JRF2015/2/193119
ということはそこからも「税」を集め、人足に充てたということだろう。
ただ、性の乱れがあったというのとはまた違うようで、ペルシアに滅ぼされたリュディアの王クロイソスの王家が、その前のリュディアの王家と交替したのは、妃の肌を夫が戯れに別の男に見せたのが原因となっている。(巻1:8あたり)
JRF2015/2/198165
>小売制度を創めたのも彼らであった。<(巻1:94)
「小売」というのは「市場」とはまた違うのだろう。買いに来る人は時によって変わっていくが、必要とされるのは同じという商品が、ある場所にあったということか。化粧品と衣装…前者に流行はほぼなく後者は流行に左右される…いや逆かな?
JRF2015/2/195245
>またリュディア人自らのいうところでは、今日リュディアとギリシアに普及している遊戯は、自分たちが発明したものだという。(…ある時、)リュディア全土に激しい飢饉が起った。(…)気持ちをまぎらす手段を求めて、みんながいろいろ工夫したという。そしてこの時、ダイス(キュポイ)、骨さいころ、毬[まり]遊びなど、あらゆる種類の遊戯が考案されたというのである。<(巻1:94)
JRF2015/2/197906
私は、東日本大震災のあとで、「易双六」を作った。男が稼げなかった、ということではないか?昔の貨幤制度で言えばインフレが常態とすべきところだが、創ってすぐだからまじめにやろうとしすぎて、貨幤供給が足りず、デフレになっていたのかも。
《易双六 Youscout ~ a Tarot Solitaire》
http://jrf.cocolog-nifty.com/archive/youscout/
JRF2015/2/198374
上に続く本文の部分、不況は「ワークシェアリング」では解決せず、街の分割・植民という強引な公共事業で、やっと女たちも納得するような再分配が可能になったということだろうか。この植民のために船を作るという動きが、ノアの箱舟の伝説のたぐいが必要とされた部分なのかなとちょっと思った。
JRF2015/2/190962
……。
>クロイソスがペルシアに出兵すれば、大帝国を亡ぼすことになろう<(巻1:53)
リュディア王のクロイソスは、どの神託が信用できるかをしらみつぶしに試したあと、デルポイとアンピアラオスの神託を伺うと、上のようなものを得た。そして、リュディア王のクロイソスは、ペルシア王のキュロスを攻めようとするが、逆に亡ぼされる結果となる。「大帝国」とはペルシアのことではなくクロイソス自身のリュディアのことだったのだ。
これを「真実[アレイティア]」の一例として、たしか田島正樹氏の本で読んだことがあった。
JRF2015/2/192822
……。
クロイソスはキュロスにつかまり、処刑されそうになったところを「奇跡」によって救われる。それがデルポイの御加護というにはヒドい話だが、それ以降、クロイソスはキュロスの相談役になる。キュロスがリュディア国民を奴隷にしようかとクロイソスに問うと、彼は答えて、
JRF2015/2/197184
>「(…)使いをお差し向けになって彼らに武器の所持を禁止なされ、また外衣の下に肌衣を着ること、高足駄[コトルノス]をはくことをお命じ下さい。そして子供には七絃琴やほかの絃楽器の演奏と商売を教えるようにお触れになれば、王よ、彼らはたちまち男子変じて女子となり、もはや脅威ともならず謀反もいたさぬようになることは、御自身の眼でお確かめになれましょう。」<(巻1:155)
JRF2015/2/190279
これはどういうことなのだろう?男が「吟遊詩人」になるよう願ったということだろうか?でも、衣装の指定の意味がよくわからない。肌衣を求めたのは、各地を移動する商人のようになれということだろうか。
JRF2015/2/192109
……。
……。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』で日本ことジパングが「黄金の国」とされてるのは有名だが、「人食い」についても書かれているらしい。そういう事実があったのかもしれないが、そこに行こうとするなという警告の意味もあったのではないかと思う。
この書には、結構「人食い」に関する記述が見られる。やはり同じような意図による誇張があるのではないかとも思うが、祭祀として強力な意味を持っていたのも事実なのだろう。
JRF2015/2/191240
メディアという国がペルシアのキュロスにとって変わられるときも、親が知らず子を食わされ、それに怒った親が反逆するのが発端になるという記述があったりする。これを遠く見ればメディア人は人食いだったということになるかもしれず、また、その祭祀的意味も強力だったということになろう。
JRF2015/2/190542
また、藤子・F・不二雄の作品の題にもなってる『カンビュセスの籤』の話は、巻3:25 に出てくる。
《カンビュセスの籤 - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%BB%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%B1%A4
JRF2015/2/197601
……。
……。
>翼のある蛇<(巻2:75)・>有翼の蛇<(巻3:107)は「コブラ」なんじゃないかと思うのだが、訳注によると諸説あるらしい。
[aboutme:78849]
>バネの偽来歴。「竜が飛んでるのを見たよ」「それはない。蛇がジャンプしたのを見誤ったんだよ」「蛇がジャンプするほうがおかしいだろ」「跳ぶよ。こうトグロ巻いてるところからぴょーん、と」「そんなので跳べるか」「跳べるさ、リロン的には。模型でも作って見せるよ」といって発明されたのがバネ。<
JRF2015/2/199175
……。
>無数にいる蚊の対策として、エジプト人は次のような工夫をしている。沼沢地帯より上方(南方)に住むエジプト人は、「塔」を利用し、ここへ登って眠る。(…)これに対して沼沢地の住民は(…)誰でも投網をもっており、昼はこれで魚をとるが、夜間の使い道は、自分の寝床の周りにこの網を立て廻し、その中へもぐり込んで眠るのである。<(巻2:95)
要するに蚊帳なんだけど、日本が援助としてアフリカに蚊帳を送ったことがあったように記憶しているが、元からあると言えばあったんだね。
JRF2015/2/195680
……。
エジプト王セソストリス(おそらくラムセス二世と訳注にある。)について、
JRF2015/2/195139
>祭司たちの語るところでは、この王はエジプト人ひとりひとりに同面積の方形の土地を与えて、国土を全エジプト人に分配し、これによって毎年年貢を納める義務を課し、国の財源を確保したという。河の出水によって所有地の一部を失う者があった場合は、当人が王の許へ出頭して、そのことを報告することになっていた。すると王は検証のために人を遣わして、土地の減少分を測量させ、爾後は始め査定された納税率で(残余の土地について)年貢を納めさせるようにしたのである。私の思うには、幾何学[ゲオーメトリアー]はこのような動機で発明され、後にギリシアへ招来されたものであろう。<(巻2:109)
JRF2015/2/194681
天文学が数のはじめで、納税が幾何学のはじめというのはおもしろい。
JRF2015/2/193428
……。
ピラミッドに関してはメンカウラー王の逸話がおもしろい。
エジプト王ランプシニトス(おそらくラムセス三世と訳注にある。)の時代、「怪盗」が蔵から宝を盗んだが、その大胆不敵さに王は舌を巻きほめそやしたという。(巻2:121)
JRF2015/2/194306
そして、ランプシニトス王の時代までは申し分のない政治が行われていたが、後のケオプスの時代になって、国民を世にも非惨な状態に陥れたと作者は話を進める。ケオプスとはクフ王のことで、すなわち、ピラミッドの建造である。ピラミッドの中は今も秘密があるようだが、そもそもピラミッドはさすがに盗めない。
JRF2015/2/196916
次のケプレンすなわちカフラー王も苛烈な政治を行ったというが、その次のミュケリノスすなわちメンカウラー王は、国民を解放して「善政」を行ったという。
しかし、メンカウラー王には不幸が続いた。
JRF2015/2/193178
>
娘の死に続いて、第二の不幸がこの王の身に起ったという。ブトの町から、王の寿命はあと六年で、七年目には死ぬという託宣が届いたのである。王は怒って神託所へ使者を送り、神を責めた。自分の父と叔父は神殿を閉鎖し神々を顧みなかったのみならず、人民を虐待したにもかかわらず、長寿を保った。然るに信仰の念の厚い自分がかくも早逝せねばならぬというのは納得できない、というのである。
JRF2015/2/197248
(…)
すると神託所から再び彼の許へ託宣が届けられ、それなればこそ彼は自分の寿命を縮めることになるのだ、というのがその答えであった。つまりミュケリノスは己れのすべきことをしていない。というわけはエジプトは百五十年にわたって惨苦を嘗めねばならぬ定めになっているから(…。)
<(巻2:133)
JRF2015/2/199938
しかし、メンカウラー王も前二者より小さいながらもピラミッドを残している。クフ王の娘がカフラー王のピラミッドの石を提供したという話も載っているので、似たような事情で、それほど苛政を施かなくても造れたのかもしれない。
JRF2015/2/190831
……。
>これまでの本書の記述は、一般のエジプト人および祭司たちの語ったところに従ったものであるが、それによって明らかになったことは、初代の王から最後に王位に就いたヘパイストスの祭司に至るまで、341世代を数え、その間祭司長と王とがそれぞれ世代と同じ数だけいたということである。ところで三世代が百年であるから(…)合計11340年となるが、この間神が人間の姿をとって現れたことは一度もないという。<(巻2:142)
JRF2015/2/199422
>ヘラクレスはむしろエジプトでは古い神なのである。エジプト人が自らいっているところによれば、ヘラクレスの属するとされる十二神が八神から生れた時以来、アマシス王の時代まで実に17000年が経過しているのである。<(巻2:43)
JRF2015/2/190741
12000年とか17000年はいくらなんでも多すぎる数値のようで、↓によれば、12000年でやっとエジプトに定住がみられ、原始王朝は紀元前4200年頃とされている。
《古代エジプト - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
JRF2015/2/195543
>神が人間の姿をとって現れたことは一度もない<(巻2:142)からこそ、「神が人になった」という後のキリスト教の主張がエジプトでも一定のインパクトがあったのだろう。
一方、とはいいながら、神々の時代はあったとされるようだ。
>祭司たちは、像のあらわしている者たちはすべてみな普通の人間で、神とはほど遠いものであることを明言したのであったが、この人々に先立つ時代にはエジプトを支配していたのは神々で、この神々は人間とともに住み、常に神々のひとりが主権を掌握していたのであるという。<(巻2:144)
JRF2015/2/191456
……。
……。
キュロスを継いだカンビュセスがエジプトを攻めたのは、アマシスの子プサンメニトスの時代。ただ、カンビュセスは多少常軌を逸したところのある人物だったようで…。
JRF2015/2/199365
>カンビュセスは(…)アマシスの宮殿に入ると早速、葬室からアマシスの遺体を運び出せと命じた。命令どおりに行われると、今度はその遺体に鞭打ち、毛髪をむしりとり、針を刺すなどあらゆる方法で凌辱を加えさせた。しかし遺体はミイラになっているので、何をされてもビクともせず、一向に砕ける様子もないので、それにかかった者たちがやがて疲れてしまうと、最後にカンビュセスは遺体を焼けと命じた。ペルシア人は火を神と考えているのであるから、この命令は神を蔑[ないがし]ろにするものであった。<(巻3:16)
JRF2015/2/196729
カンビュセスはエジプトの後、さらにエチオピアを狙い、まず「スパイ」を送った。
>(…カンビュセスの…)使者は王がパンを常食としている旨を答えて、小麦がどのようなものかを説明し、ペルシアでは八十年が最高の寿命であるといった。するとエチオピア王がいうには、糞便を常食していては寿命が短いのも驚くには当らない(…といった。)<(巻3:22)
JRF2015/2/192351
私は朝はパン食で、特に茶色く固いクルミとレーズンのパンを食べることが多いのだが…粉にしたものをこねて発酵させて焼く…いやぁ、まぁ、そういうことなのかなぁ…とそのパンを見ながらしばし考えた。
JRF2015/2/196049
カンビュセスは使者が戻ったあとエチオピアに向かうが、それはカンビュセスが思った以上に遠くあり、糧食がつきて『カンビュセスの籤』の悲劇となり、エチオピア遠征は結局諦めたようである。
JRF2015/2/196688
……。
カンビュセスがエジプトで死んだあと、謀略があって後にダレイオスが王位につく。そのとき、7人が協力していたため、次の体制をどうするかで議論があった。ダレイオスは、民主制、寡頭制、独裁制のうち、結局は独裁制に落ち付くと解いて結果自分が王位につくことになった。(巻3:82)
こういう議論はギリシア哲学者がやってるものと思っていたが、ここに説かれているのが意外だった。
JRF2015/2/197935
……。
……。
>イッセドネス人の風習は次のようなものであるという。(…)この国では女子も男子と同等の権利をもっている。<(巻4:26)
『古代文明の謎はどこまで解けたか』([cocolog:81779338])に、女だけのアマゾン族がどこにいたかという話題が載っていて、それで、元はアマゾン川のある南米ではなく、スキュタイ人の近くという地理位置を挙げていた。ただ、その著者らが「これぞアマゾン族」と挙げたのは、むしろイッセドネス人に該当するのではないかとチラと思った。
JRF2015/2/194378
一応、原典として、巻4:110-117 に女だけのアマゾン族と、スキュタイ人とアマゾン族が混血してできたというサウロマタイ人の話が載っている。これは『古代文明の謎はどこまで解けたか』で読んだ話だった。
JRF2015/2/190067
……。
フェニキア人の時計回りでのアフリカ一周は『古代文明の謎はどこまで解けたか』にも書いてたように、『歴史』に載っていて巻4:42 に記述がある。詳細は『古代文明の謎はどこまで解けたか』のほうを読んだほうがよくわかる。
JRF2015/2/198970
……。
>スキュティアの王が病むと、最も高名の占師を三人呼びよせ(…)占うのである。彼らのいうことはたいていの場合きまっていて、この国の誰それが(…)王室のかまどにかけて偽誓をしたためだというのである。スキュティアでは最も重大な誓言をするときには、たいていの場合王家のかまどにかけて誓うのが風習になっているからである。<(巻4:68)
JRF2015/2/196525
そして、占いが「失敗」とわかると占師たちは処刑される。
>車に薪を満載しこれに牛をつけた後(…)占師たちを薪の中に押しこみ、薪に火をつけた上で牛を怯えさせて走らせるのである。<(巻4:69)
JRF2015/2/193474
これ、妖怪でこういうのいなかった?[google:火 牛車]で画像検索しても一枚しか出て来ないな…。『犬夜叉』あたりの絵の印象かな…。
《妖怪火牛車の画像: お絵描きソフトでの描き方練習中》
http://drawingdayo.seesaa.net/article/367853811.html
JRF2015/2/192471
……。
>ゲタイ人が霊魂の不滅を信ずる仕方はこうである。彼らは自分たちが死滅するとは考えず、死亡した者は神霊サルモクシスの許へゆくものと信じている。(…)彼らは自分たちの信ずる神以外に神のあることを認めぬのである。<(巻4:94)
JRF2015/2/191161
>
ギリシア人から聞いた話によれば、このサルモクシスというのは人間で(…奴隷として…)ピュタゴラスに仕えた者であるという。その後自由の身になってから大いに産を成し、長者になって国へ帰った。(…)その彼が接待用の部屋を造り、ここに町の有力者を招いて饗応しながら、自分をはじめ客たちやその代々の子孫たちも死滅することはなく、将来は永遠の生を亨けてあらゆる善福に浴すことのできる場所へゆくのである、という教えを説いたという。
JRF2015/2/192554
(…)
彼は(…)そのような教えを説いている一方、地下に一室を造らせた。その部屋が完成すると、彼はトラキア人の間から姿を消し、地下の部屋に降りて籠[こも]り、ここで三年間暮らした。トラキア人たちは彼が死んだものと思い、その死を惜しみ悲しんでいた。四年目になって彼はトラキア人たちに姿を現し、こうしてトラキア人はサルモクシスの説いていた教えを信ずるようになった。
<(巻4:95)
JRF2015/2/199129
まるでイエス・キリストの復活みたい。
finalvent さんがときおり北方に行ったキリスト教の異端の景教(ネストリウス派)のほうが本家じゃないかと示唆するのをたしか見たことがあるが、それはこのあたりの記述も踏まえているのかな?
JRF2015/2/192880
……。
>ネウロイ人はみな年に一度だけ数日にわたって狼に身を変じ、それからまた元の姿に還るという。<(巻4:105)
おお、狼男!
JRF2015/2/197125
……。
>ダレイオスはできる限り純粋に精錬した金で貨幤を鋳造させたのであるが、アリュアンデスはエジプト統治中にこれと同様な銀貨を造った。事実今でもアリュアンデス銀貨(アリュアンディコン)は最も純粋な銀貨である。ダレイオスは彼の行為を知ると、反乱を企てたという別の罪を着せて彼を殺した。<(巻4:166)
カネの話は怖いねぇ。
JRF2015/2/195113
……。
>ガラマンテス族は四頭立馬車で穴居エチオピア人(トログロデュタイ・アイティオペス)狩をする。<(巻4:183)
これって、原人や猿人の生き残りじゃないのか?…と思って訳注を見ると、
>おそらく現在もいるティブー族の祖先を指すのであろうという。彼らは今でもなお一部は穴居しており駿足で、その言語はシュシュといった音が多いという。<(中巻p.308)
JRF2015/2/195809
……。
>リビアの西部(…)には、巨大な蛇やライオンがおり、また象、熊、毒蛇、角のある驢馬、犬頭人、それに--少なくともリビア人のいうところでは--胸に眼のある無頭人、野生の男女、その他右のように架空でないさまざまな動物が棲息している。<(巻4:191)
巻4:192 にも続くが、こういう UMA (Unidentified Mysterious Animal)的「驚異」に関する記述は意外に少なかった。
JRF2015/2/190199
……。
なお、ダレイオスは巻4を通じて紹介されるスキュティア遠征に失敗するが生きてペルシアに帰った。
JRF2015/2/190420
……。
……。
巻5:4-6 にトラキア人の特殊な風俗が挙げられていて宗教学的に興味深いが、次のは一部の「モンゴル人」の話としてたしか聞いたもののことだった。
>未婚の女は放任して、好きな男と関係することを許しているが、既婚の女は厳しく監視する。彼らは妻をその両親から多額の代価を払って買うのである。<(巻5:6)
言語の教育などに有利だからかな…とか私は考えたものだった。
JRF2015/2/190941
……。
>カドモスとともに渡来したフェニキア人たちは(…)この地方に定住して、ギリシア人にいろいろな知識をもたらした。中でも文字の伝来は最も重要なもので、(…)「フェニキア文字」と呼んでこれを使用したのである。<(巻5:58)
これは高校とかで習ったな…。今も正しい知識なんだろうか?
JRF2015/2/192535
……。
>アリスタゴラスが(…ギリシアをペルシアと戦争させようとして…)スパルタのクレオメネスひとりをだますことができなかったのに、三万のアテナイ人を相手にしてそれに成功したことを思えば、一人を欺くよりも多数の人間をだます方が容易であるとみえる。<(巻5:97)
[aboutme:106363] の高額預金の金利が高いのは資産家の人数が少なくて「騙す」コストが低いからかも…というのとはちょうど反対だね。政治の世界はマスコミの世界でこういう面が出てくるのかな?
JRF2015/2/190077
……。
>(…マウソロス…)の案というのは、カリア軍はマイアンドロス河を背にして戦うべしというもので、こうすればカリア軍は退却の道を止まる外はなく、もって生れた以上の勇気を出すに相違いないというのであった。しかしこの意見は通らず、むしろペルシア軍がマイアンドロス河を背にするようにしむける方が良いということになった。つまりペルシア軍が敗れて退却する場合、河に落ちて生還できまいというのである。<(巻5:118)
「背水の陣」はやらなかった…と。ペルシア人は、よく言及されるように、泳げないが、自分達は泳げるというのもあったかもしれないな。
JRF2015/2/195817
……。
……。
>ペロポネソス諸国間では、捕虜釈放の身代金は一人当り2ムナという規定になっている。<(巻6:79)
それをもらっていると言いつつ、スパルタのクレオメネスはアルゴス兵を一人ずつ誘い出しては殺したわけだが。
ところで、こういう規定があったというのはすごいな。
JRF2015/2/199067
……。
クレイステネスという人が、娘の婿を決めるため競技会などをひらいた。そしてヒッポクレイデスという者にそれが決まりかけてたとき、ヒッポクレイデスは調子に乗って「けったいな踊り」を踊って自慢した。それを見てクレイステネスが翻意したのだが…
>「ヒッポクレイデス(ほどの者)は気にせぬぞ。」といった。<(巻6:129)
これも、田島正樹氏の書いた物で読んだことがあった。ただ、続きとして、ヒッポクレイデスの代わりに婿となったメガクレスの子孫に有名なペリクレスが出たと書いてあった。(巻6:131)
JRF2015/2/191310
……。
イオニアの反乱はうまくいかず、また、はじめのペルシア軍のギリシア遠征もアテナイにまでは届かなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2#mediaviewer/File:Map_Greco-Persian_Wars-en.svg
JRF2015/2/193136
……。
……。
>「レムノス附近の島々は海中に没すべし」という託宣<(巻7:6)
訳中によると、この島の附近で火山活動による新島が出現し、また海中に没した事実はあったらしい。でも、「アトランティス」ではないよな。→『古代文明の謎はどこまで解けたか』([cocolog:81779338])。
JRF2015/2/195861
……。
>クセルクセスはまず、先の遠征軍がアトス山を廻航して損害を蒙ったので(…)運河を掘ったのである。(…)私の推測するところでは、クセルクセスがこのような運河の開鑿を命じたのは一種の見栄によるもので、彼はこれによって自分の力を誇示するとともに後世の語り草となるものを残したかったのであろう。というのも船団は曳いて地峡を渡すことも容易なことであったのに、彼は二隻の三段橈船が橈を使いながら並んで通過できるだけの広さの運河を海代りに掘ることを命じたからである。(巻7:22-24)
JRF2015/2/198530
地理を見ると、アトス半島だけ運河を作ってもしょうがない。最初は他の半島も運河を作る気だったんではないだろうか?だとすればとてつもない計画。
《ハルキディキ県 - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AD%E5%8D%8A%E5%B3%B6
JRF2015/2/199015
……。
クセルクセスは、ヘレスポントス(現ダーダネルス)海峡に架橋もした。
>ところが架橋が終り通路が出来上った直後、猛烈な嵐が起って完成したばかりの橋をことごとく破壊しバラバラにしてしまった。その知らせをうけたクセルクセスは、ヘレスポントスに対して大いに怒り、家臣に命じて海に三百の鞭打の刑を加え、また足枷一対を海中に投ぜしめた。<(巻7:34-35)
これもどこかでクセルクセスのような大帝国の王の「小ささ」を示すものとして読んだことがある。
JRF2015/2/196841
ただ、これには続きがあって
>黄金の大杯で海中に献酒を灌[そそ]ぎ太陽に祈願し(…)、祈り終るとその大杯と金の混酒器一個およびペルシア語でアキーナケースというペルシア風の短剣を海中に投じた。ただこれらの品を太陽神への奉納品として海中に沈めたのか、あるいは先にヘレスポントスを鞭打たせたことを悔み、その罪の贖いとしてそれらの品を海に捧げたのか、私にも確かな判断を下すことができない。<(巻7:54)
鞭打ちはユニークだが、大杯を捧げるのはありがちな神事のようにも思う。ありがちな神事だけに終らせないところに大帝国の秘訣みたいなものがあったのだろうか?
JRF2015/2/191272
……。
>全軍が渡り終え進軍にかかろうとしている折しも、一大前兆が現れた。(…)馬が兎を生んだのである。この前兆の意味するところは容易に察せられるもので、すなわちクセルクセスははじめは意気も高らかに威風堂々とギリシアへ兵を進めるが、やがて生命[いのち]からがら元の場所へ逃げ帰るということだったのである。実は彼がまだサルディスにいた時にも別の前兆が現われたのであった。騾馬が仔を産んだところ、生れた騾馬は男女両性の陰部を具えており、しかも男性の陰部が上になっていたのである。<(巻7:57)
JRF2015/2/199843
ペルシアでは男が女に劣ると言われるのが一番の侮辱だったようなので、かなり嫌味な前兆だったのだろう。
>ペルシアでは、女にも劣るといわれることが最大の恥辱とされている。<(巻9:107)
JRF2015/2/190794
……。
>ペルシア人を(…)ペルシア人自身はアルタイオイ人と称し、彼らの隣国のものもそう呼んでいた。(…)メディア人は昔は誰からもアリオイ人の呼称で呼ばれていた<。(巻7:61-62)
ペルシア語は、アルタイ語族ではなくインド・ヨーロッパ語族。訳注によると、アリオイ人とはあの「アーリア人」のことらしく、本来はメディア人のみならずイラン高原一帯に住む同系の民族の通称であったそうな。
JRF2015/2/192647
……。
>この民族をギリシアではシリア人と呼んでいたが、ギリシア以外ではアッシリア人と呼ばれていた。<(巻7:63)
上巻p.396の訳注で、
>シリア人(…)は、アッシリア人(…)の略と見られ、現に同義に使われている。<
…とあるが、読んでてどうも違いがあるように思えてならない。
JRF2015/2/198744
《シリアとアッシリアは関係ありますか?世界史に出てくる。載ってるペー... - Yahoo!知恵袋》
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11107195381
>アッシリアはメソポタニア北部(イラク北部)の民族なので、シリアとは直接的な関係はありません。<
JRF2015/2/197252
《「シリア」の国名は「アッシリア」から、その「アッシリア」は「アジア」の語源となった「アッス」から 布施温ブログ/ウェブリブログ》
http://20990738.at.webry.info/201203/article_15.html
JRF2015/2/191612
>
同じくアッシリアの碑文に、"Erb"「日が没する地方」があり、"Europa"の語源となったという。この"Europe"はギリシャ神話では"Europa"となる。
(…)
ところで「シリア」には現在の「シリア」のほかに「歴史的シリア」がある。昔のアッシリアほど広範囲ではないが、それでも、今のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルを含んでいたからかなり広い。
(…)
「シリア」の正式名称は、「シリア・アラブ共和国」だ。これをアラビア語で表記すると、共和国・アラブの・シリアの語順になる。その「シリアの」の部分は「アッスリーア」で「スリーア」はまさに「シリア」なのだ。
<
JRF2015/2/196619
……。
>このフェニキア人は、彼ら自ら伝えることによれば、古くは「紅海」辺に住んでいたが、その地からシリアに移り、シリアの海岸地帯に住むようになったという。シリアのこの地域およびエジプトに至るまでの一帯はパレスティナ(パライスティネ)と呼ばれている。<(巻7:89)
最初のほうに書いたこと。この訳本でカッコ書きの「紅海」はアラビア湾なども含む広い範囲の呼称とのこと。
この部分、もしかしてモーゼの出エジプトも意味してるんだろうか?
JRF2015/2/194789
……。
>女の身でありながらギリシア遠征に参加し私の讃嘆おく能わざるアルテミシアには触れなければならない。この女性は夫の死後自ら独裁権を握り、すでに青年期に達した息子もあり、また万止むを得ぬ事情があったというのでもなかったのに、もって生れた豪気勇武の気象から遠征に加わったのであった。(…)父方の血筋からいえばハリカルナッソス人、母方からはクレタ人であった。アルテミシアの支配はハリカルナッソスからコス、ニシュロス、カリュムノスの諸島に及び、供出した船は五隻であった。全艦隊を通じ、シドンの船についてはアルテミシアの出した船が最も評判が高かった<。(巻7:99)
JRF2015/2/198092
ちなみに、著者ヘロドトスはハリカルナッソス出身。さらに、ちなみに『機動戦士ガンダム』のセイラさんの実の名はアルテイシア、これ関係ないか?(^^;
JRF2015/2/196664
……。
>ペルシア軍はこの土地が「九路」と呼ばれていることを知ると、土着民の男児女児おのおの九人をこの地で生きながら土中に埋めた。(…)人間を生き埋めにするのはペルシアの風習なのであろう。<(巻7:114)
ここは文脈的にちょっと不思議なところ。神託か何かあったんだろうか。
JRF2015/2/196137
……。
>このあたりを行進中、ライオンの群が食糧輸送の駱駝部隊を襲撃してきた。<(巻7:125)
訳注によると、この時代にはライオンがギリシアにもいたらしい。ただ、紀元後には絶滅したとのこと。
JRF2015/2/199663
……。
>さてむかしテッサリア地方は、今あるように四方を高山で囲まれた湖水であったという言い伝えがある。(…)テッサリアの住民自身のいうところでは、ペネイオスの流れているかの峡谷は、神ポセイドンの作られたものであるというが、もっともな言い分である。というのは地震を起すのがポセイドンで、地震による亀裂をこの神の仕業と信ずる者ならば、かの峡谷を見れば当然ポセイドンが作られたものであるというはず<。(巻7:129)
JRF2015/2/197588
《テッサリア - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%82%A2
>テッサリアには古くからの人の営みがあり、紀元前2500年頃の新石器時代の遺跡がある。<
まぁ、地震は「神々の時代」のものということだろう。
JRF2015/2/190643
……。
巻7:49 でアルタバノスがその危険性を指摘したように、船が多過ぎ港に入り切らず嵐に弱いという問題が実際ペルシア軍を襲った。
>アテナイ人は神の啓示を受けて「北風」の援助を乞うた、という話が行われている。<(巻7:189)
元寇のときの「神風」に相当するものだろうか。
JRF2015/2/197444
……。
>かくてクセルクセス麾下のペルシア軍が前進すれば、一方レオニダスの率いるギリシア軍は、死出の旅路に立つ覚悟を定めて、今や当初の頃よりも遥か前方の、道幅の拡がっている地点まで出撃した。<(巻7:223)
映画『300』のまさにその舞台となった部分。燃える~アツイ!
JRF2015/2/191162
映画『300』
http://www.amazon.co.jp/dp/B001AHAH14
http://ja.wikipedia.org/wiki/300_%E3%80%88%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%80%89
JRF2015/2/192279
……。
……。
アテナイが占領されたあと…
>テオキュデスの子ディカイオスなるアテナイ人(…は…)スパルタ人のデマラトスとともにトリア平野にいたという。そのとき彼は、およそ三万の群衆から発したと思われるほどの砂煙がエレウシスの方面からあがるのを見、二人は一体この砂煙をあげているのは何者たちであろうかと訝[いぶか]った。するとたちまちまた声の響くのが聞こえたが、ディカイオスにはこの声が例の密儀におけるイアッコスの叫びのように思われた。<(巻8:65)
密儀をやるぐらいなので、何かアテナイ人は知ってる仕掛けでもあったのだろうか?
JRF2015/2/190461
……。
ペルシア軍劣勢の中、アルテミシアの戦いぶりを見て
>「わが軍の男はみな女となり、女が男になったのじゃな。」右のようにクセルクセスはいったと伝えられる。<(巻8:89)
上で紹介した「前兆」の実現をここに見ているのかな。
JRF2015/2/198865
……。
アテナイの水軍を指導する立場にあったテミストクレスは、結構、狡猾で、レオニダスとかとは対称的で読んでておもしろい。
JRF2015/2/194042
>
テミストクレスはこの多数の者たちを説得してヘレスポントスに向わせることのできぬことを看てとると、態度をかえてアテナイの将士に向って次のように説いた(…)。「(…)戦いに敗れて窮地に追いつめられた人間は、ふたたび戦いを試みて先の失敗をとりもどすことがあるものなのだ。(…)敵を追うのはやめようではないか。(…)」
JRF2015/2/192923
(…)
アテナイ人たちを説得し終えるとすぐにテミストクレスは、(…)内容を漏らす恐れはない、と信頼していた数人のものを小舟に乗せて(…クセルクセスに…)派遣した。(…使者は…)次のようにいった。「(…)アテナイ人テミストクレスはあなたのお役に立ちたいとの念願から、貴国の艦隊を追撃し、ヘレスポントスの船橋を破壊せんと望むギリシア軍を制止した、とお伝えするために参りました。されば今や心安く御帰国下さい。」
<(巻8:109-110)
JRF2015/2/195965
ペルシア王に恩を売ったわけだが、実際、紀元前480年頃、テミストクレスは陶片追放にあい、遍歴の末、ペルシア王を継いだアルタクセルクセスの庇護にすがることになった…と訳注にある。
JRF2015/2/192291
……。
クセルクセスが引いたあともマルドニオスが30万の兵士とともに残ってギリシアを攻略しようとしていた。ギリシア語を話せるあるペルシア人は、マルドニオスの敗北を(正しくも)予想していた。
JRF2015/2/197209
>「異国の方よ、神意によって起るべき運命にあることは、人間の手でその進路をそらせる方策はない。信ずべきことを口にしても、誰ひとり耳をかそうとはせぬ。ペルシア人の中にも、いま私が申したようなことを認識しているものは決して少なくはない。しかしわれわれはみな『必然[アナンケー]』の力に金縛りにされ、成行きに従っているにすぎぬのだ。この世でなにが悲しいといって、自分がいろいろのことを知りながら、無力のためにそれをどうにもできぬことほど悲しいことはない。」<(巻9:16)
JRF2015/2/198232
……。
プラタイアの戦いでスパルタ・アテナイが共闘するギリシア軍とマルドニオスのペルシア軍が撃突する。
JRF2015/2/198445
>
異国軍の中で最も勇敢に戦ったのは、歩兵ではペルシア人部隊、騎兵ではサカイ人部隊であったが、個人ではマルドニオスであったと伝えられる。ギリシア側では、テゲア軍とアテナイ軍がいずれもよく戦ったが、抜群の武勇を示したのはスパルタ軍であった。(…)また私の見解によれば、個人として抜群の武功のあったのはアリストダモスで、彼こそテルモピュライの戦いで300名中ただ一人生き残り、恥辱と汚名を蒙っていた人である。彼につぐ功を樹てたのはポセイドニオス(…)らのスパルタ人であった。
JRF2015/2/191208
(…)
もっとも、右のうち誰が最大の勇者であったかについて議論が行なわれたとき、戦闘に参加していたスパルタ人の判定によれば、アリストダモスはわが身に負っている非難を免れるために、明らかに死を望んでおり、狂乱の状態で戦列からとび出して大功を樹てたのであるが、ポセイドニオスは自ら死を望まずに見事な働きをしたのであるから、その意味でポセイドニオスの方が優れている、というものであった。
<(巻9:71)
このあたりイスラム教の「ジハード」の議論と似たものを感じる。
JRF2015/2/197453
……。
>一人の女がペルシア陣営からギリシア軍に脱走してきた。(…)「スパルタの王様(…)憐れな捕われの身からお救い下さい。(…)私はコス島の生れの女で(…)元はといえばあのペルシア人めが、無理矢理に私をコスから連れ出して手許においたのでございます。」<(巻9:76)
そもそものペルシア戦争の発端とされたのは、ギリシアの女がペルシアに連れて行かれたことだった。
JRF2015/2/194050
……。
アポロニアでエウエニオスという人が、神聖な家畜(訳注では羊)の夜の番をしているとき、ふと眠ってしまったところを、狼がその家畜60頭を殺すという事件があった。エウエニオスは裁判で、視力を奪う刑を受けたが、その後、アポロニアで災厄が続き、神託に訊ねると、狼は神がさし向けたものだから、エウエニオスに罪がなかったのに刑を執行したからだという託宣を得た。また、エウエニオスが自ら正当と認めた償いを彼らが果たす必要があるとのことだった。エウエニオスにそれとなく聞いて補償したところ…。
JRF2015/2/197269
>エウエニオスはその言葉をきき、そこで始めてことの次第を知り、さてはだまされたかと憤慨したのであったが(…)それからすぐ後に、彼は神与の預言力を具えるようになり、かくしてその名を知られるようになったのである。<(巻9:94)
この時代、占いが結構重要視されていたのが、ふしぶしで読み取れる。
《『新約聖書』ひろい読み - 神殿とハト》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/08/post.html
障害をえてなお人に役立てるようになったというのがうらやましい。
JRF2015/2/196945
……。
>海戦に備えて橋板その他必要な装備を整えてミュカレに向ったのである。<(巻9:97)
訳注によると「橋板」とは「敵船に乗り移るための梯子状の板」のことらしいが、これってポエニ戦争で使われたと習った「カラス」とは別物なのかな?カラスは「新兵器」と教わったように覚えてるけど…、梯子にとどまらない工夫があったのかな?
JRF2015/2/195448
……。
>古来から過度のアテナイ贔屓を非難された作者であるが、盲目的なアテナイ一辺倒ではなかったのである。<(下巻p.349,訳注)
私は読んでて「アテナイ贔屓」とは感じなかった。読みが浅いということか。orz
JRF2015/2/198706
……。
>平生異民族に接し、彼自身混血であったとも考えられるヘロドトスが、民族的排他心をもたなかったのは当然とも考えられるが(…)本土のギリシア人の多くにとって、このおような態度はむしろ異様で不謹慎とすら感ぜられたかも知れない。<(下巻p.381, 解説)
JRF2015/2/190848
このような態度は私も心掛けてるつもりだが、なかなかできないこと。
[cocolog:81267315]
>レイシズム的なものまたは差別感情というのは、私の心の奥にあることは知っている。表には決して出さないようにはしているが、なぜだか知らないが、差別的感情が心の奥に沸きあがるのを感じることがある。<
JRF2015/2/196125
……。
全巻の終りは、キュロスの言葉を思い出して記録する。キュロスは、アジアを支配することになったのだからもっと良い土地に住もうという建言に対し、
JRF2015/2/197048
>キュロスはそれを聞いて、その建言には別に驚かず、そうするがよかろうといったが、ただそのようにする場合には、自分たちがもはや支配者とはなれず他の支配を蒙ることを覚悟しておけ、と注意した。柔らかい土地からは柔らかい人間が出るのが通例で、見事な作物と戦争に強い男子とは、同じ土地から生ずるわけにはゆかぬ、というのである。かくしてペルシア人たちは、(…)キュロスの前を引き下り、平坦な土地を耕して他国に隷属するよりも、貧しい土地に住んで他を支配する道の方を選んだのであった。<(巻9:122)
JRF2015/2/194197
《悪地になった魔法の実、冬を守る者のためのたとえ》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2006/04/post_14.html
私はすっかり「ふにゃふにゃな人間」になってしまった。テロにはただ恐怖するばかり。情けない。
JRF2015/2/199337
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受信: 2015-03-29 13:12:51 (JST)
『歴史 (全3巻)』(ヘロドトス 著, 松平 千秋 訳, 岩波文庫, 1971年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4003340515 (上巻)
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1100353099 (上巻)
JRF2015/2/193969