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cocolog:82257257

エリアーデ著『世界宗教史 5・6』を読んだ。シャーマニズムとキリスト教異端に関する叙述に興味をひかれた。一方、イスラム教にも関心を持って読んでいたが、そちらは「主流派」についてもあまりよくわからなかったという印象。 (JRF 8274)

JRF 2015年4月17日 (金)

キリスト教は、「主流」の歴史よりも異端のほうに目をよく配った記述だというのが私にもわかった。もしかすると、イスラム教についてもそんなふうな記述だったのかもしれない。イスラム教について他で読んだ知識も一応私は持っているが、仏教・キリスト教と比べて全々理解が足りないなと痛感した。

JRF2015/4/170400

『世界宗教史 全8巻』(ミルチア・エリアーデ 著, 鶴岡 賀雄 他 訳, 荒木 美智雄 監修, ちくま学芸文庫, 2000年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480085653 (5巻)
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101679925 (5巻)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480085661 (6巻)
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101690459 (6巻)

JRF2015/4/171655

買ってなかった 5, 6, 7, 8 巻を、幸運にも中古であわせて5千円以内で買えた。

1巻と2巻については [cocolog:81897781] で、3巻と4巻については [cocolog:82088382] でひとことしている。

JRF2015/4/171001

……。

……。

第31章 古代ユーラシア大陸の宗教 -- トルコ・モンゴル人、フィン・ウゴール人、バルト・スラヴ人

JRF2015/4/178193

……。

北アジアや中央アジアのシャーマンに関する信仰に関して、天と地と地下(死の領域)をシャーマンが移動する。それが語られる中で…、

JRF2015/4/176402

>死の国に棲む存在たちも目に見えるものとなり、相貌をもち、その性格[パーソナリティ]や来歴にも関心が向けられるようになる。死者の国への認識が徐々に可能になり、死それ自体もまた、霊的な存在状態への通過儀礼として価値が与えられるようになる。結局、シャーマンのエクスタシーの旅の物語は、死者の世界に魅惑的な形象、造形を与え、豊かなものにすることで、死後の世界を「霊的、精神的なものにする」ことに寄与したのである。<(5巻p.52)

JRF2015/4/174449

つまり「幽霊」みたいなものが先にあると(私を含む)日本人とかは思いがちだけど、世界(構造)神話みたいなのが先にあって、そこへのシャーマンの旅ができ、それが語られることで「幽霊」みたいな認識が浮かび上がってくるという順序もありえる…というのがエリアーデの主張なのだと思う。私には驚くべきことだ。

JRF2015/4/179310

……。

>鷲は最高神アジ(「創造者」)、ないしアジ・トジョン(「光の創造者」)と同じ名で呼ばれている。アジの子供たちは精霊=鳥で、世界樹の枝々にとまった姿で表象されている。そのいちばん上に双頭の鷲が君臨し、これがおそらくアジ・トジョン自身をあらわしている。<(5巻p.45)

JRF2015/4/172639

《双頭の鷲 - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E9%A0%AD%E3%81%AE%E9%B7%B2
>主に東ローマ帝国や神聖ローマ帝国と、関連したヨーロッパの国家や貴族などに使用された。現在でもセルビア、アルバニア、ドイツ、ロシアなどの国章や、ギリシャ正教会などで使用されている。<

JRF2015/4/173369

……。

>シャーマンが動物の形をとるのは、悪霊と戦うためなのである。類似した信仰が、17世紀のリトアニアで記録されている。ある老人が狼憑きだとして訴えられた。彼の告白によると、自分はたしかに狼男[ルー・ガルー]で、聖ルシリアの日、聖霊降臨日[ペンテコステ]、聖ヨハネの日[夏至]の晩に仲間と一諸に狼に変身し、歩いて「海のほとり」(すなわち地獄)にまで行って、悪魔とその手下の魔法使いの一団に戦いを挑むのだという。<(5巻p.62)

JRF2015/4/177979

おお、ゲーム『ヴァンパイア・ハンター』か『ヴァンパイア・セイヴァー』を思い出す。あの狼男のガロンは使えないバージョンがあったりしたんだよね。

《ヴァンパイア (ゲーム) - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%A2_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)

JRF2015/4/170403

……。

……。

第32章 聖像破壊運動(8-9世紀)までのキリスト教会

JRF2015/4/178152

……。

アウグスティヌスの『告白録』より

>「私はまだ恋をしていませんでしたが、恋に恋していました……。私は恋におちる機会を求め始めました。恋という観念に狂おしいほど恋していたからです(III:1:1)という名高い一文を人々が引くようになるのは、もっぱらペトラルカ以降のことである。<(5巻p.294 原注)

JRF2015/4/171689

「恋に恋してた」の出典って聖アウグスティヌスのよりにもよって「告白」録か!『告白録』を白いカバーの本にして「恋に恋した」の原典と帯に書いて売って、何人だませるか試してみたい!(っていうかもう誰かがやってるんだろうな…。)

JRF2015/4/174793

……。

東方教会の偽ディオニュシオス・アレオパギテスは、

>「神的闇の超本質的光」、「光の彼方なる闇」といった考えを導入する。そして、神についていっさいの属性を拒否する。「なぜならば、神は生命であり善であると言ってみても、それは、神は空気や石である、と言った以上に真であるわけではないからである」。こうしてディオニュシオスは、否定神学(ないし離言[アポファンティク]神学の基礎を据えた。<(5巻p.106)

JRF2015/4/179659

現代の(記号)論理学で「否定の否定は肯定である」という排中律は真である。それを偽とする直観主義論理というものもあるが、一般的ではない。それに「否定を証明できない」ものは「肯定」であるとは限らないとは排中律が成り立つ中でも言える。

「イコンは神の偶像ではない」ことはないと言うのにためらいがあっても、「イコンは神の偶像ではない」ことは証明できないと言うのなら、偶像性を肯定したことにはならないとは言えるのかもしれない。

JRF2015/4/174962

……。

東方教会のイコン否定派の神学として、

>聖像破壊運動の第二回目の主教会議は815年に開催され、キリスト論にもとづいて聖像崇拝を排撃している。すなわち、キリストの像を描く以上、そこではキリストの神性を絵に描いていると考える(これは涜神である)か、あるいは人性のみを描こうとして不可分の両性[神性と人性]を分離させる(これは異端である)かのいずれかしかありえない、というのである。<(5巻p.109)

JRF2015/4/174110

イコン擁護派の神学として、

>グノーシスの徒の説くところでは、キリストの肉体は物質的なものではなく天上的なものである。受肉によって神の似姿は目に見えるようになり、こうして神の像を刻んではならぬとの旧約聖書の禁止は廃棄された。したがって、イコンによってキリストがあらわされることを否定する者は、暗黙のうちに受肉の実現性を否定しているのだ。こうグノーシス主義者たちは説いていたというのである。<(5巻p.109)

JRF2015/4/171825

まさに受肉したから聖像を書いてもいいと私は解釈していた。私はグノーシス派の烙印を押されるところだった。

JRF2015/4/175977

>しかしながら、われわれの二人の神学者[ダマスオスのヨアンネスとストゥディオスのテオドロス]は、聖像はそのモデルと、本質においても実体においても同一ではないと明言している。聖像はひとつの似姿を形づくるが、それはそのモデルをたしかに写しだしつつも、モデルとの区別は保持している。<(5巻p.109-110)

これは、「内部」の歴史をかなり詳しく知らないと言えない論法だな…。私はこういう「異端」と判断されてきたようなことを、これまで知らずにたくさん書いてきてるんだろうな…。orz

JRF2015/4/173659

……。

>キリスト単性説とは、イエス・キリストは(神性と人性)という「二つの本性から」なってはいるが、彼においては両性が合一した唯一の本性しか存在しない、したがって「受肉した御言葉は独一[ユニーク]なものである」、と主張する立場をいう。<(5巻p.295 原注)

誤解してた。単性説は、キリストは人性ではなく神性のみを持つという説かと思ってた。

JRF2015/4/177698

……。

……。

第33章 ムハンマドとイスラームの展開

JRF2015/4/178307

……。

イスラム教のコーランの第53章20節以下ではムハンマド自身による「訂正」があった。

>このできごとは二つの面で興味深い。まず、これは預言者[ムハンマド]の正直さを示している。神的霊感が教えるとおりの言葉を誦えていながら、実は悪魔に欺かれていたことを彼は認めているのである。第二に、彼は二つの節の廃棄を、神の全能と絶対の自由によるものとして正当化している。たしかに、神的啓示による章句を廃棄する自由を認めている聖典は、コーランをおいてはない。<(5巻p.122-123)

JRF2015/4/170960

ただし、預言者の最後性(参:[cocolog:80804001])という主張がとおると、その「自由」も今や意味がなくなる(はずだが…)。

JRF2015/4/174693

……。

メディナ(ヤスリブ)へのヒジュラのあと

JRF2015/4/173820

>628年4月、新たな啓示(48:27)が下って、ムハンマドは信徒のカァバ神殿巡礼の試みを承認した。(…)結局メッカに入ることはできなかったが、預言者[ムハンマド]はこの半ば失敗した試みを勝利へと変容させてしまった。つまり、彼は信徒たちに、神の直接の代弁者たる彼自身への絶対の忠誠を誓わせたのである(48:10)。彼はそのような宣誓を、実は必要としていた。というのも、ほどなくして、彼はメッカ側と、屈辱的とも思える休戦協定を結ぶのである。しかしそのおかげで、翌年にはカァバ神殿への巡礼が実現しているし、のみならずクライシュ族はムスリムに対し、以後10年間の平和共存を保証したのであった。

JRF2015/4/173747

(…)
実際、629年には預言者[ムハンマド]自身が、一時は多神教徒に追われて棄てざるをえなかったこの町に2000名の信徒を伴って入城し、巡礼の行を献げることができた。イスラームの勝利が間近に迫っていることは、もはやあきらかであった。
<(5巻p.132)

JRF2015/4/171289

[cocolog:81722226]で「ヒジュラ」にチラッと言及したが、「過激派組織IS」の動向とかイエメン情勢とかで、この本ではシーア派諸派やスンニー派がいりくむ様子を宗教面から見てとれるような記述も多い。今後、どう推移するのやら…。

JRF2015/4/171796

……。

……。

第34章 シャルルマーニュからフィオーレのヨアキムまでの西欧カトリシズム

JRF2015/4/178025

……。

>西欧と東欧の分離が決定的な形をとるのは、ピレンヌによれば八世紀のことであり、その原因はイスラームの侵入なのである。こうして地中海文明の中心から孤立し、絶えざる異民族の侵入と内乱によって荒廃した西欧は、「野蛮状態」のなかに没していく。そしてこの廃墟のなかから立ちあがるべき新たな社会は、農村の自給経済を基盤としたものであり、それは封建制という形をとって現われてくるはずである。この新たなる世界 -- これが中世である -- を築きあげるのに成功したのが、シャルルマーニュなのであった。<(5巻p.148-149)

JRF2015/4/170139

経済(地中海貿易)がうまくいってるうちは、異民族の侵入を防げていたということだろうか?今よくいわれるところの「帰農」が中世の姿だったと?そういうことだと、日本の封建制の成立とはかなり事情が違うようにも思える。それとも日本の場合も、中朝との輸出入がうまくいかなくなったことが背景にあったりしたんだろうか?

JRF2015/4/173033

……。

>成立当初、中世社会は一種の開拓者共同体であった。ベネディクト会の修道院が、ある意味でモデルを提供していた。<(5巻p.149)

修道士のゲリラみたいなのが中世の前の教父時代にはみられたみたいだけど、それとあわせて考えると、屯田兵みたいな役割を修道会が担っていたのかな?それは私にはなかった視点だ。

JRF2015/4/174293

……。

ゲルマン民族の神ウォーダン。ゲルマン民族をキリスト教の信仰に組み入れるため、

>ウォーダンはノアの息子で、方舟の中で生まれたとされたり、聖母マリアの従弟の子孫とされたりしている。<(5巻p.154)

このあたりは、↓の「カインの末裔のトリック」と同じ感じの発想だね。

《「ヨブ記」を読む》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2015/03/post.html

JRF2015/4/173602

……。

>十字軍が政略の一環となってしまってからも、この集団的運動は最後まで終末論的構造をもち続けた。この点をとりわけよく示すのが、1212年、北フランスとドイツで突然湧き起こった子供十字軍である。<(5巻p.162)

子供十字軍については他で読んだ記憶があるが…どの本だったか忘れてしまった。orz

JRF2015/4/175518

……。

>ここでは、トルバドゥールの作品やその宮廷風恋愛の教説について詳述するつもりはない。ただ、そこでもたらされた根本的な革新、とりわけ貴婦人[ダーム]の、また婚姻関係外の恋愛の称揚は、単に文化史上の一関心事にとどまるものではないことは注意しておきたい。<(5巻p.168)

>そこでは一種の恋愛法廷まで開かれており、この類例をみない裁判所については、用いられていた法規やいくつかの判例までが知られている。<(5巻p.169)

JRF2015/4/176128

結婚制度というのも宗教には必要な要素のように思えなくもないが、エリアーデはあまり言及しない。これは例外的記述。(財産制度と見てるのかな?)

JRF2015/4/170094

……。

>ダンテは『神曲』を、全人類の救済のために書いた。理論の力に頼るのでなく、地獄や天国のヴィジョンで読者を畏怖させ、また魅惑することで、人類の変容をもたらそうとしたのである。芸術、とくに詩は、形而上学や神学を人々に伝えるための、またそればかりでなく、人々を目覚めさせ、救済するためのひときわすぐれた手段であるとする伝統的な考え方を、ダンテは、彼だけがというわけではないが、ひとつの模範的な形で実践してみせたのである。<(5巻p.172)

「預言者」とは違って、すでにある概念に人々を近付けて「救済」する…そういう考え方もあるんだね。

JRF2015/4/172254

……。

……。

第35章 イスラームの神学と神秘主義

JRF2015/4/179164

……。

イスラム教のシーア派にはグノーシスやイラン系の思想がとりこまれているように見えるが、それはスーフィズムやカバラー、キリスト教の歴史にも言えることで…

>これらの場合を通じて見てとるべきなのは、単なる歴史事実、とくに外部からの霊的方法論や思想の流入といった事実だけではなく、それらが別の体系中に同化されていく過程でどのように再解釈され、再構築されていったかである。<(5巻p.195)

シーア派の場合にはイマームの制度が大きな寄与をしているということらしい。

JRF2015/4/179652

……。

スーフィズムについてはスンニー派でも、

>時代が進むと、多少の例外はあるものの、ウラマーからの圧迫は完全になくなった。もっとも強硬だった迫害者たちも、イスラームの拡大と霊的更新のためにスーフィーがはたした比類のない寄与を認めざるをえなくなったのである。<(5巻p.204)

JRF2015/4/173279

>スーフィズムを正統神学にとって受容可能なものにするのに成功したのは、かの有名な神学者ガザーリーその人であり、その威信によるものであった。(…)ガザーリーはバグダードに帰ってきた。わずかの期間、再び教授職にもたずさわったが、しかしとうとう弟子たちを伴って自分の生まれた町に引きこもり、そこに一種の学校(マドラサ)とスーフィーのための「修道所」を建てた。<(5巻p.215)

JRF2015/4/172877

ただ、現代のニュース(や紀行番組)においては、スーフィーたちのことをあまり聴かない。どう現代に適応しているのだろう…。

JRF2015/4/172284

《ターリバーン - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3
>「ターリバーン」という語はアラビア語で「学生」を意味する「ターリブ」(…)のパシュトー語における複数形<

JRF2015/4/173676

「修行者」スーフィーよりは「学校」がどうも大きな勢力を生んでいるという印象がある。この本を読んでいると、本来、イスラム教は「異端」に寛容なように思えるが、それがなぜか「清教徒」というのがイスラム教にもあるかのように潔癖になっているように感じる。ナショナリズムがそうさせているのだろうか?日本のマスコミのフィルタがそう見せているのか?どうも私は陰謀論に考えが及んでしまう。

JRF2015/4/177604

……。

>ルーマニアの農民たちは、民話を儀礼的に(つまり夜中に)物語ることは家を悪魔や悪霊から護る力があると考えている。そればかりか、そうした物語は神の臨在をもたらすものともされているのである。<(5巻p.232)

怪談の百物語とは逆だね。語ることで安心できるほうが健全ではある。

ちなみに、ルーマニアは著者エリアーデの故郷。

JRF2015/4/174715

……。

……。

第36章 バル・コホバの乱からハシディズムまでのユダヤ教

JRF2015/4/171846

……。

>1275年あるいはその後ほどなくして『セーフェル・ゾーハル』すなわち『光輝の書』が刊行された(。…)正典[カノン]に属するとみなされた唯一のカバラー文書として、この書は何世紀ものあいだ聖書とタルムードに並ぶ地位を与えられてきた。<。

おお、『ゾーハル』。名前は聴いたことがある。昔は読んでみたいと思ったものだった。一応、「正典」の地位が与えられていたのか。それは知らなかった。

JRF2015/4/171442

……。

>ゴーレムへの最初の言及は、ウォルムスのエレアザルの著作中に見られる。この魔術的[ruby:人造人間:ホムンクルス]は、製作者がエクスタシー状態にあるあいだだけ生きて活動することができる。<(5巻p.318 原注)

ゴーレムは、私は『ドラゴンクエスト』の印象が強い。

JRF2015/4/170022

……。

……。

第37章 ヨーロッパの宗教運動 -- 中世後期から宗教改革前夜まで

JRF2015/4/174343

……。

ブルガリアで発生したボゴミール派というキリスト教異端の影響と見られるカタリ派が西欧に広まった。そのカタリ派に対し、

>ついに1207年、イノケンティウス三世は、(…)アルヴィジョワ十字軍の召集を宣言した。<(6巻p.20)

戦いは長引き、

>フランスにカタリ派の教会が存在しなくなるのは、よううやく1330年頃のことである。<(6巻p.20)

JRF2015/4/179389

>この忌わしき「アルビジョワ十字軍」は、いくつかの点でたいへん重要である。まず、歴史の皮肉というほかないが、これは成功した唯一の十字軍であった。また、政治、文化、宗教の各方面での帰結も大きなものがあった。フランス王国の統一と拡大はそのひとつであり、同時にそれは南仏文化の没落でもあった(…「恋愛法廷」など…)。宗教方面の結果としてもっとも重要なのは、「異端審問所」の権力が強まり、その脅威がしだいに増大していったことである。<(6巻p.20-21)

JRF2015/4/176419

……。

フランシスコ修道会は、フランチェスコの死後、ローマ教会と会則の変更について争ったが、結局、修道会側が折れる形で決着した。

JRF2015/4/176346

>たしかに、ローマ教会側の勝利によって会の当初の情熱は緩和され、使徒の厳格さに帰って教会を改革するという希望は力を削がれた。しかしまた、フランシスコ修道会が存続しえたのはこの妥協のためでもあった。倣うべき唯一の模範が、イエスや使徒たちや聖フランチェスコの日々の生き方、すなわち清貧と愛徳と手仕事であることに違いはない。しかし修道僧にとっては、教会がもつ至上の教導権への従順こそが、あくまでも第一の義務である -- そしてこれが、もっとも困難な義務なのである。<(6巻p.26)

JRF2015/4/176831

有島武郎の『クララの出家』([cocolog:82116314])でも、ちょっとフランチェスコの生き方に縁を感じた。この「第一の困難な義務」という「理想主義を追いながらの現実主義」にも共感を覚える。[cocolog:80874515] で修道院への関心を持ってるとも書いたが、フランシスコ会が今後私が知るべき方向なのかな…。

JRF2015/4/171089

《フランシスコ会 - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E4%BC%9A

JRF2015/4/172396

>ローマ教皇庁もまた、托鉢修道会が一所定住の掟をやぶり、過激な福音主義を説く点では、異端に近い要素をかかえていたことを承知しながらも、このような動きをうまく利用することで、異端の消滅と市民の教導という当時教会がかかえていた最も重要な懸案をともに解決することが可能であるとみて、これを承認し、ときには支援したと理解される。実際上も、フランシスコ会は、ドミニコ会同様、異端審問官として活動することにより、異端に対する強力な防波堤となったのであった。<

JRF2015/4/174573

でも、ちょっと Wikipedia を見るとここまでの「清貧」は私には厳しすぎて難しい。省エネという面では現代的に共感する余地もないではないがそれ以上ではない。それに上の引用のような懸念もある。むしろ最晩年の隠修士としての生活に学ぶべきか…。(それともすでに異端審問官的な働きを私はしてしまっている?)

JRF2015/4/170224

……。

>つけ加えておくと、神への上昇のこの三段階 -- われわれの外に、内に、上に・超えて、 -- は、そのそれぞれが内在的と超越的と言ってもよい二つの位相を含んでいる。したがって、計六つの段階があることになり、これが、聖フランチェスコを抱擁して聖痕を残したセラフィムの六つの翼で象徴される。<(6巻p.158 原注)

JRF2015/4/170144

……。

>オッカムの宗教思想の深さと独創性は、とりわけ彼の神概念に見てとることができる。神は絶対に自由にして全能であるのだから、神にはいっさいが可能であり、自己矛盾を冒すことさえできる。(…)たしかに信仰箇条は、神は人間の本性をとり給うたことをわれわれに教えている。しかし神は、驢馬や石や木の形[形相]のもとに(すなわちそれらの本性をとって)顕現することも可能であったはずである。

JRF2015/4/171165

(…)
神の自由にかかわるこうした逆説的な説明は、続く諸世紀の神学的想像力を刺激することなく終わった。しかし、18世紀以降 -- すなわち「未開人」の発見以後 -- であれば、オッカムの神学は、「野蛮人の偶像崇拝」とよばれてきたものをより適切に理解させてくれたかもしれない。
<(6巻p.34)

JRF2015/4/170050

地理上に表われた形而上学的歴史としての神の顕現…といったところか。[cocolog:81647290] の>進化論が成り立つように見えるように神は創造を行ったのだから、進化論にも意味を見出すべきだという主張の仕方もある。<という主張の地理版で、そのように「人の歴史」を地理上に(神が)配置したと読む。そうすれば、それは神の「像」の受肉が人間であることの真理性を否定せずに、「野蛮人の偶像崇拝」を取り込めるかな?どうだろう?まずは進化論を先に取り込めないと、この大胆な説は取り込めないだろう。進化論の説と同じく「外道」の説として歩むしかないのかな?

JRF2015/4/179063

アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の ED『ハレ晴レユカイ』の歌詞「ナゾナゾみたいに地球儀を解き明かしたら、みんなでどこまでも行けるね」を思い出す。

JRF2015/4/177626

……。

>否定の途に従うことによってクザーヌスは、多神教の諸儀礼と真の一神崇敬とのあいだにある非連続性ばかりでなく、両者の連続性をもあきらかにしている。なぜなら多神教の信者たちは、「あらゆる神々において唯一の神性を崇拝している」のだから。<(6巻p.54)

>この魅惑的な、また大胆な書物はほとんど完全に忘れられていた。ペリカンが指摘するように、『信仰の平和について』はようやく18世紀の末に、レッシングによって再発見される。<(6巻p.55)

JRF2015/4/171608

キリスト教でさえ難しいのに、多神教と他の一神教との「和解」はさらに難しいんだろうな…。もちろん、現実には折り合いを付けてきたこともイラク情勢とかに含まれる宗教のことを聞くとわかるんだけど。

JRF2015/4/170672

……。

……。

第38章 宗教改革前後における宗教、魔術、ヘルメス主義の伝統

JRF2015/4/177011

……。

>マクガイアとラッタンシが示したように、ニュートンははじめ次のように信じていた。「神は何人かの特別な人間に、宗教と自然哲学の秘密を教え伝えた。この知識はやがて失われてしまったが、しかし後に回復され、今度は寓話や神話的思考形式のうちに組みこまれた。しかし、これはイニシエーションを受けていない者には依然として隠されていた。だが今日では、この知識は実験によって、それもいっそう厳密な形で再発見することが可能である」。<(6巻p.120)

JRF2015/4/173344

どうやって「後に回復」されたんだろう?私は、ニュートンについては少しぐらいちゃんと調べないとダメかな。

《アイザック・ニュートン - Wikipedia》
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3

JRF2015/4/176013

……。

……。

第39章 チベットの諸宗教

JRF2015/4/179599

……。

チベットの土俗の宗教…

>この「人間の宗教」 -- チュ[チュク](またはチュー)「慣習」とよばれる -- については知るための重要な源泉は、「民譚」、すなわち宇宙やさまざまな事物の起源に関する神話である。<(6巻p.125)

JRF2015/4/170898

>(…)世界は何十万年にもわたって堕落し続けた。しかしながら、人間たちの一部は今日でも、チュを実践しながら「無信仰者どもの時代」の到来を待っている。この時代のあとにようやく新しい世界が出現し、神々は地上に戻り、死者たちが甦る時が訪れるのである。<(6巻p.126)

「無信仰者」というのはイスラム教では一番嫌われる存在。「そのとき」を待つとはどういうことなのだろう?

JRF2015/4/173984

……。

>ポン教徒独持の徴である毛織の頭巾[ターバン]は、伝承によると、ポン教の伝説上の開祖シェンラブ・ミボの驢馬耳を覆うためのものであった(これは貴重な細部[ディティール]である。というのも、ここには西洋起源の要素が読みとれるからである。たしかにこれは、ミダス王のテーマにほかならない)。<(6巻p.132-133)

JRF2015/4/174316

《ミダス王の話》
http://members.jcom.home.ne.jp/a-tkms/newpage34.htm
>「王様の耳はロバの耳!ミダス王の耳はロバの耳!」<

こんなところに「王様の耳はロバの耳」の出典が。Wikipedia によるとミダス王は紀元前8世紀のプリュギアの王らしい。

JRF2015/4/177605

……。

>ナーガールジュナによれば、真理には二つの種類がある。相対的、便宜的真理(サンヴァリッティ[世俗諦])と、絶対的真理(パラマールタ[勝義諦])である。相対的真理の視点に立つならば、現象世界は、存在論的には非実在であっても、普通の人間の経験のなかでは完全な説得力をもって実在する。一方、絶対的真理の視点に立てば、実在するように見えるいっさいの非実在性に精神は気づくのであるが、しかしこの真実は、言葉をもって言いあらわすことはできない。しかもこうした二つの真理 -- 絶対的真理と便宜的真理 -- の区別によって、一般信徒の道徳的行為や宗教活動の価値を保つことができる。<(6巻p.141)

JRF2015/4/178454

方便は説得の段階では(どこかにあるかもしれない)実在と変わらず、悟りは真相を見やぶるのであるが、それは方便で護られるものを壊そうとはしない。悟りには「序列」があり、宗教の組織統制はそれで可能になる。…といったところか。

JRF2015/4/171812

……。

>『[ruby:死者の書:バルド・テドル]』は、あきらかに西洋世界でもっともよく知られたチベットの宗教文書である。1928年に英訳、刊行されたこの書は、とくに1960年以降、たいへん多くの若者たちにとての一種の枕頭の書となった。<(6巻p.150)

チベットへの欧米の関心の高さはこのあたりにあるのかな?そして、1960年からはもう50年も経っていて、ダライ・ラマの高齢ともからみ、この先どうなるかが問われているのだろう。

JRF2015/4/174626

……。

……。

今回も長々と引用してしまった。これでも少し削ってるんだけど…。

前回と同じく、自分が知ってたこととかは引用しないので、他者にはあまり役に立たない引用集になってしまったと思う。ただ、一章に一つは引用したのに合わせ、章番号と章題を書いたのはちょっとは役に立つかな?

今回の読書は、イスラム教に関しては時事とのからみで、キリスト教に関しては修道院への関心から多く学ぶことがあった。

JRF2015/4/177094

typo 「若者たちにとて」→「若者たちにとって」。

JRF2015/4/175450

……。

追記。

上で>結婚制度というのも宗教には必要な要素のように思えなくもないが、エリアーデはあまり言及しない。<と書いたが、エリアーデは「オルギー」についてはよく言及している。

「オルギー」祭儀は本来はいろいろな意味があるようだがエリアーデが使うときは、つまり性的放縦…「放縦」とまではいかなくとも性的な何かを含む祭儀という含みがあるようだ。エリアーデは「結婚」よりも結婚状態を一時的に破棄することを正当化する「何か」のほうに宗教性を見ていたのかもしれない。

JRF2015/4/206896

そういえば上の部分も「結婚」ではなく婚外交渉を「正当化」する枠組と言える。そういう意味では「例外的」な記述というよりはエリアーデ「らしい」記述といえるのかもしれない。

JRF2015/4/207868

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