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cocolog:82677859

確か黄帝だったか神農だったか、それ以外の皇帝だったかで、皇帝の健康のために、医療のために、「実験動物」的に人口を増やすといった中国神話があったように記憶していたのだが、ググっても見つからない。記憶違いだったのかもしれない。 (JRF 2689)

JRF 2015年6月16日 (火)

これと、[cocolog:82616563] の「飼人の道」(↓)は別物だが、どちらも極論から正論に致ろうという思考実験としては大きな意味があると私は考えている。「医」の理論については、少しあとで「妄想」を述べるとして、まずは「飼人」としての「介護」に関心を向ける。

>[google:人類家畜化計画]みたいな陰謀論があるが、家畜として扱ってよいなら救える命があるというのも反面の事実であると思う。<

JRF2015/6/168705

「家畜」という言葉からは、当然、次のような考え方も出てこよう。

《クッキー☆おばあちゃん(3D)- 2015/6/15》
https://twitter.com/oskimura/status/610414623771103232
>有事の食糧自給率、食人を許可すれば100%まかなえるのでは?<

JRF2015/6/165250

[cocolog:82346841] までで読んでいた『世界宗教史 全8巻』の中には、食人を儀礼的に行うような文化もあるとあった。が、もちろん、私はそこまでするべきだとは思ってないし、そこまでしてはいけないのは当然と考えている。

JRF2015/6/164508

一方で、[cocolog:78151677] では移殖医療(これも極論的考え方によっては「食人」なわけで…)について、>生物的な価値尺度として「自分より年少なものにのみ渡す」というのに限定してはどうだろう?< 逆に言えば自分より年長のものからしか移殖を受けれないようにしてはどうだろうと考えていた。移殖に輸血も含めるかどうかは考え方しだいで、それも含めこの価値尺度内ではいろいろな濃淡を認めて、その基準を大まかに守るようにしたらどうかと考えてた。

JRF2015/6/168586

……。

「家畜」にはもう一つの方向性として「ペット」がある。ペットが受ける愛情のようなものをただ、人間の仲間というだけで強制するのは、それはそれで何かが違うのではないかという思いもある。ペットがもたらす文化的生活の代わりに、「家畜」として生きることで何がしかの文化に貢献できることはないか…という思いは私にはある。

JRF2015/6/164295

「家畜」的状態で、そんなに複雑なことはできない。でも、優秀な「家畜」もいる中、宝を後の人々が発見できるようにそれとなく埋め、発見者が得る価値を高めるみたいなことはできるのかもしれない…と、ネットの「ゴミのような」文章塊(私のものも含めて)を見てて思う。

JRF2015/6/163089

……。

……。

「飼人」ではなく「実験動物」としての人の考え方、もちろん、薬を与えたりするのを想像しがちだが、本来それは「外科」の考え方ではないか?

前に考えていたことで、「ひとこと」に書いていなかったことをこの際だから書いてしまおう。

JRF2015/6/162560

……。

例えば、青酸カリとかものすごい微量で死にいたるわけだが、でも、それがそこにあるということは、地球という「生命体」はそれを内包しても死なないわけだ。

たとえば、宇宙放射線もある種の粒子(量子)であるということだが、それが人体を突き抜けてたりするのは、ほとんど影響がないという。一方、それは「スケールの問題」となるのだが、でも、じゃあ、青酸カリは、ちょうど人のスケールに合ってるということなのか?

JRF2015/6/168409

人が飲み食いして排泄されるまでに、影響があるものとないものがある。でも、そこで影響があっても、自然界に排泄されたあとは影響はほとんど考えなくていいというのは、多くの場合「スケールの問題」でいいのだろう。

JRF2015/6/167118

しかし、人がどこから「それ」を持ってくるかと言えば、自然界なのであって、影響があるところまで「それ」のスケールをあげたのは多くの場合、人間ということになる。人がそれを選んでいるわけだ。「宗教」はこの際わきにおいて、じゃあ、その「人」を選んだのは何者かというとやはり「人」となる。人が、人が人を生むという流れを生みだしている。それは、人というものが「無い」ところからスケールを上げて成人にしていくという流れが連綿と続いているということ。

JRF2015/6/160057

そこと「それ」のスケールが一致するというのは、個人においてその効果が終るという長さ短さなのであって、微生物等と共に生きる人という種の長さとは合っていないということなのか。

JRF2015/6/166882

……。

こういう「毒」で人が死ぬことがある。一方で、腹が減りすぎると人は死ぬ。空気がないところでは生きられない。欠乏が死をもたらす何かがある。

こう「毒」と「欠乏」で二分したとき、しかし、大気汚染というのは「毒」なのだろうか。つまり、「正常な空気」の「欠乏」と言えやしないか。食べる毒というのも、正常な食事の欠乏という観方もできやしないか。

JRF2015/6/168545

こういった場合、欠乏しているのは「状態」で、物の欠乏とは違うというかもしれない。しかし、毒まんじゅうと普通のまんじゅうがあって、そうラベルがしてあれば、普通のまんじゅうを選ぶわけだ。この場合、ないのはラベルという物という言い方もできる。この「ラベル」が匂いや、味であったなら、そういう匂いや味を消したから毒だとなるものも出てくるわけだ。例えば、何かと化合していれば無毒なものを、その何かという「ラベル」をはずしたから毒となるということもありえるわけだ。

JRF2015/6/163496

毒は危ない。だから管理する人がいる。この人が、ラベルだ。そして悪人に渡らないようにする。欠乏させるわけだ。すると社会が健康になる。しかし、そもそも人が毒を集めたということは、自然界の正常な流れを切り欠乏を生んでいる可能性がある。すると個人の健康が損なわれているのは、そもそも毒の流れを曲げたところにあるからかもしれない。個人にとって多少毒となるかもしれないが、ラベルを付けてその流れに戻せば、いずれ戻ってくるやもしれない。それを見て追ってくる者がいるなら、毒とは言え、それをそこに流せば、もしかすると個人が健康になることが増えるのかもしれない。

JRF2015/6/166863

これが内科(内卦)なのだろう。

そういう関係が個人を健康にすることが続けば、もとは毒であったのにそれが欠乏することを困る者が出てくる。依存症の問題だ。医者という人間が依存させるのではなく、人という種がもともと依存していたというなら、そこで諦めるべきなのかもしれないが、そうしなかったのが、近代の医学でもあるのだろう。

JRF2015/6/163873

……。

一方の外科(外卦)の理屈は、「生きるための必要」と「見られるための必要」を診るものか。「見られるための必要」というの性淘汰的な話だけではない。なんで生物は成ったのかというものに対する世界を観測するためという人間原理みたいな解答も含む。

外科手術は、つまり普段見えないところを見る。そして、見ばえを犠牲にしてきたのが、伝統的な外科であるし、逆に、入れ墨等、見ばえをよくする整形外科もあった。

JRF2015/6/165904

見られないことにすることが、負担を減らすこともあれば、見られるようにすることが生きようとする力を増すこともある。

鉄は曲げれば脆くなるが固くなる。そういうふうに筋肉が強くなることもあれば、美が増すこともあるのかもしれない。(これは人の体を五行の金と見る観方なのかもしれないね。)

診立てがあって、治験にのぞむもの。人の体の中でも、すべての物質が完全に連絡しているなんてことはありえないのだから、何がしかの抽象があって管理しているだろう。そこを理解すれば、何かができるとは考えたいものだ。

JRF2015/6/163107

……。

痔瘻の瘻はカタル性滲出液が排出されたりする瘻孔の瘻らしい。『サレルノ養生訓』によると現代では少ないが、瘻孔というものが体内器官の膿を直接廃出するために人体にはできることがあるそうだ。

自然界の動物だと、そこを通じた治癒みたいなことも起こるのだろうか。他の者または自分で舐めて治すというときは、その味覚からさまざまな情報を得る面もあっておかしくない。

JRF2015/6/167842

実は「外科」というものの本来の姿は、瘻孔とのつきあいにあるのではないか?つきつめれば、現代の外科というものは、瘻孔を通じた治癒の時間間隔を縮める技法であるという側面があるのではないか?瘻孔の機構の解明というのが、実は「裏の課題」としてあるのではないか?

JRF2015/6/167641

……。

易医は、そのまじめなところを現代にもってくれば、疫学か精神医学になるのだろうが、もう少し、違った捉え方…「道」もあるのかもしれないと考えている。

…まぁ、精神病持ちたる私の妄想だけどね。

JRF2015/6/162622

……。

『サレルノ養生訓』(佐々木 巌 著, 柴田書店, 2001年)
http://www.amazon.co.jp/dp/438835306X
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101781528

JRF2015/6/163456

……。

ほんとはもうちょっといろいろ続きがあるんだけど、より妄想度が強く意味不明になっていくので、今回はここまでで。

JRF2015/6/161105

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