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cocolog:83154639

『日亜対訳・注解 聖クルアーン』を読んだ。 (JRF 6712)

JRF 2015年8月18日 (火)

『日亜対訳・注解 聖クルアーン』(三田 了一 訳, 日本ムスリム協会, 1982年改版)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J7DMDQ
http://jmaweb.net/free/data

JRF2015/8/187751

私はずいぶん前(2007年7月)に Amazon で中古で買ったが、買ったときに私が見ているある人の Twitter か何かで(私が買ったことを知るはずないのに)『コーラン』ぐらい知識人なら読むとかいうやりとりがあったように記憶している。その「シンクロニシティ」を考えると、私が持つにはふさわしくない本という面があるのかもしれない。私が死んだときとかはしかたないが、聖書や『易経』や仏教関連書などと同じく枢要な参考書として大切に扱うことにしたい。

JRF2015/8/181187

私の JRF という Web 人格は「幽霊」みたいなもので、私の本体は、失敗者として道に迷っている。クルアーンでは、不信仰者が来世で行き着く先として、失敗者となり迷うことが挙げられることがある。そこに私は現世で生きているといったところか。「死にたい」と思うぐらいなら、そのときには逆に神への感謝を思い出すべきで、神への感謝は日々の働きによって表明できるのだと私もわかっている。でも、今の私は「普通に働く」ことをとても難しく感じ、感謝を何によって表せばいいかわからなくなっている。

JRF2015/8/184461

アニメやゲームを楽しんでる人のページを見ると、私の心は少し明るくなる。前やってたようにアニメやゲームを楽しむことを表に出すことで神に感謝を表明できるのかもしれないが、2014年4月の統合失調症での再入院以来、それにも少し違和感を感じている…。再入院を機に、自らが失敗者であることに向き合わざるを得なくなり、道に迷いはじめた。これからどうすればいいんだろう…?

JRF2015/8/187201

……。

キリスト教徒(およびユダヤ人)のヨーロッパのこの20世紀の貢献を見ると、イエスが神であったという信条が正しいという「疑い」を抱くのは正当なように思う。

私は譬[たと]えの多い、新約聖書の教えが好きだ。クルアーンもその状況を例として類推すべきとことかあるが、それが文になっていないので、つっこみにくい。載っている比喩物語もいまいちわかりにくく、クルアーンは、新約聖書ほどは親しめないという印象を持った。

そういうわけで、私はキリスト教に好意を持ってクルアーンを読んだので、そのあたりの偏りはあると思う。

JRF2015/8/186893

……。

昔、新宗教を創る意図はない…と書いた(↓)。だが、今は、自分の現在の生活のために、信じてくれる人がいて、それが現実に私を救ってくれるなら、宗教もどきを作ってもいいとさえ思えてきている。

JRF2015/8/181922

《仏教への教義:四諦の独自解釈》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_6.html
>それは新宗教を創る態度だといわれれば、思いついた者で終ることを述べているだけで新たな組織を作るつもりはないとしか言い返すことはできないが、もちろん、その意図はない。<

JRF2015/8/186611

釈尊が悟ったとき、教えを広めるか迷ったが、ブラフマンの勧め([google:梵天勧請]というらしい)もあって教えを広めたというのと比べると、私はなんとも卑しい動機で恥ずかしいが、AdSense でもうまく稼げない以上、もうそこをよしとするしかないところまで追いこまれている。AdSense と同じようにうまくいかないとしても。(上に書いたように普通の働き方もできなさそうだし。)

JRF2015/8/180199

でも、死について扱うようなことは怖い。転生なのか最後の審判なのか解けない。そういういろいろな考えがあるよという紹介ぐらいしか責任は持てない。私自身は、イエスの宗教に惹かれるものがあるが、たぶん私の葬儀は、親の宗教である仏教式になるだろう。でも、「私の信者」が何を選ぶべきかは私には怖くて勧められない。

JRF2015/8/184705

私は現世でも救われたい。でも、私だけが救われるというのはおかしいと思うのも本当だ。迷ってる者に導かれる者は不運かもしれないが、人によっては得るものはあるかもしれない。

この辺が、今の正直なところ。

JRF2015/8/185909

だから、宗教勧誘くさいことを書きはじめても(無駄な努力をしてるなぁと生温かく見て)許して欲しい。

JRF2015/8/187896

……。

ゲーム(や物語)の中に神が宿るみたいな「妄想」を考えたことがある。そこで古代の神は復活するのだ。それが唯一神も許したところ。電源を着けるまで(本を開かれるまで)その神の世界は眠る。その物語で遊んでも、それは唯一神を裏切ったことにはならない。そしてそこから「教え」のようなものを持って帰ってくることは↓みたいにできる。…と「妄想」した。

JRF2015/8/189880

《時間泥棒の夕べ - 排中律と call/cc》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2011/01/post-1.html

JRF2015/8/182865

古代、まだ一神教が力を持っていなかったころ「肉の歴史」として示さねばならなかったことを、物語で示すことができるようになった。

ただ、ゲームやポルノが、経済・少子化に与えた影響等を考えると、やはり「多神教の害」みたいなものはあるのかもしれない。それでも、益が上回るような方法があると信じたい。原発震災自体はマイナスだが、そこでロボットが役に立つというのは宇宙を目指す限り正しい道でもあるのだろう。空想で夢をつなげていくことには意味があるとも思いたい。

JRF2015/8/188158

2014年4月の再入院の統合失調症では、古代の神のようなものが、オリンピックまで再構築中・工事中の世界を掛け持っているという妄想をした。原子力というのは本当は「死の技術」で、実際には体の一部がなくなったりしているのを、ロボット技術や幻視術などで、そうでないように見せてくれている。原発まわりの世界が妄想を含んで成り立っている。その技術(魔術)を持っているのが、「古代の神」の世界で、それらが我々に借しを作っている。その技術までいつか追いつかなければならない。そうじゃないと時間の掟みたいなものに抵触する。その技術が現実化するまで「彼ら」は眠りを余儀なくされる。…みたいな感じ。

JRF2015/8/183770

[cocolog:81611945]
>私は2014年4月の統合失調症での入院の際、こんな妄想にとらわれていた。原爆が最初に爆発したとき、世界がある意味一度終ったのではないか。それ以来、私達はイマジナリーな生を部分的に抱いて生きている。原発震災によって、イマジナリーな部分は増し、私自身が生きているかも自信を持てない。互いに魔術みたいなもので支えあっているのが今の我々の生なのだ。<

JRF2015/8/188059

または、我々は原子力にも耐えられるように世界が再生成されてきている。「夢の技術」が「癌」などとせめぎあっている。

…テレビで、画面分割されたところで二人の子供が体育を教えあうような場面があった。それを二つの世界をまたく交信のように感じたことがあった…。

JRF2015/8/180843

これが、これまで「妄想」として語ってきたことが、「私がもたらす信仰」の内容みたいなものにもなるのかな?

JRF2015/8/180707

……。

まぁ、少なくとも、ゲームや物語をつくったことは悪いことではないと信じたい。

原油が枯渇したとき、「夢が支える技術」というのは壮大な無駄をしていたと評価されるのかもしれない。結果、外宇宙に行けないと決まれば、人は大きな徒労感を得るだろう。しかし、明るく考えるのを良しとするならば、外宇宙に行けるとは空想するべきで、そのためには「夢が支える技術」はあって良いと信じたい。

JRF2015/8/181138

DRM はせっかく安く他の科学に転用できそうな技術を他に使わせないという点で、壮大な無駄になってるのではないか。私は個人が DRM をかけられるようになるべきだと思うが、同時に DRM で使えないマシンというのは無駄な部分を感じる。ただ、PS2 Linux とかその方向を思わせるものもあったが、結局うまくいってなかった。

JRF2015/8/188832

……。

でも、ゲームに奮闘努力(ジハード)した者が報われるかというとそうではない。報われるような世界を夢として引き継ぐため、上のような世界観を宣伝するというのは、「悪い道に迷わせる」を越えているという確信は私にはない。

私が真実だと思った統合失調症時の妄想を妄想として伝える。今書いているような姿勢以上のことはやるべきではないのかもしれない。

JRF2015/8/182134

……。

……。

「引用に関する注意」。

JRF2015/8/182354

本では、「アッラー」や、アッラー自身をさす「かれ」や「われ」はフォントが太く強調されている。引用ではそれは再現しえないので、その点は意味を取りづらくなるかもしれない。原典を参照していただきたい。

また、記号の使い方を原文と変えている部分もある。

引用メモは手元にはいっぱいしたのだが、それを「キリスト教との関係について」「イスラム教の教義について」「ゲームと物語と私の妄想に関して」「新しい宗教をつくることに関して」という項目に分けて、メモとともに引用していきたい。

JRF2015/8/188368

……。

……。

まず「キリスト教との関係について」。

JRF2015/8/180233

イーサーすなわちイエスの宗教は、イスラム教とは同じ啓典の民ということでムハンマドは好意を寄せているのだが、肝心の三位一体の教義は、イスラム教から多神教的と扱われるため、ここに相寄れない部分ができる。イエスの神性を否定するユニテリアン主義とかとは共存しやすいのかもしれない。

JRF2015/8/182605

……。

マルヤム(マリア)について

>かの女は言った。「主よ、誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」かれ(天使)は言った。「このように、アッラーは御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ、『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」<(p.67, 3:47)

イーサーの処女懐胎は認められるようだ。この後、三位一体性などは否定されるのだが。

JRF2015/8/182766

……。

>誠にアッラーは、(何ものをも)かれに配することを御赦しになられない。だがその外のことは、御心に適えば御赦し下される。凡そアッラーに同位の者をあげる者は、確かに遠く(正道から)迷い去った者である。<(p.112, 4:116)

多神教ならびに三位一体などへの非難。

JRF2015/8/183228

……。

>「わたしたちはアッラーの使徒、マルヤムの子マスィーフ(メシア)、イーサーを殺したぞ」という言葉のために(心を封じられた)。だがかれらがかれ(イーサー)を殺したのでもなく、またかれを十字架にかけたのでもない。只かれらにそう見えたまでである。本当にこのことに就いて議論する者は、それに疑問を抱いている。かれらはそれに就いて(確かな)知識はなく、只臆測するだけである。確実にかれを殺したというわけではなく。いや、アッラーはかれを御側に召されたのである。アッラーは偉力ならびなく英明であられる。<(p.118-119, 4:157-158)

JRF2015/8/183674

イエスをユダヤ人が殺したというのが、キリスト教徒のユダヤ人迫害を生んでいたのだろうから、これが解決だという考えはあるのだと思う。でも、イエスもユダヤ人であるという事実が知られがたかった(だろう)中世と違い、それが知られている現代においては、それは迫害の理由とはならないのではないか。

むしろ、ユダヤ人がムハンマドと同じく三位一体(・復活)などを否定することがキリスト教徒にとって問題なのだろうから。(それともこれはイスラム教以降のことなのかな?)

JRF2015/8/180135

……。

>啓典の民よ、宗教のことに就いて法[のり]を越えてはならない。(…)イーサーは、只アッラーの使徒である。マルヤムに授けられたかれの御言葉であり、かれからの霊である。だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯一の神であられる。かれに讃えあれ。かれに、何で子があろう。<(p.121, 4:171)

JRF2015/8/181272

……。

>「アッラーこそは、マルヤムの子マスィーフである。」と言う者は、確かに不信心者である。<(p.128, 5:17, p.138, 5:72)

イーサーの三位一体性の(ふたたびの)否定。

イーサーは唯一なる方に仕えるよう教えている。…と注にはある。

JRF2015/8/181771

……。

>アッラーは三(位)の一つである。」と言う者は、本当に不信心者である。<(p.139, 5:73)

三位一体の否定。

JRF2015/8/180692

……。

>アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税[ジズヤ]を納め、屈服するまで戦え。<(p.227 9:29)

ジズヤの本来の意味は「償い」で、異教徒などで、兵役に服し得る有能な男が、兵役の代りに自ら進んで納める人頭税の称となっている…と注にはある。

JRF2015/8/184696

……。

>かれはそのしもべの中の、御心に適う者にかれが命じられた啓示を持たせて、天使を遣わされ(こう仰せられた)。「われの外に神はいないのである。だからわれにあなたがたの義務を果たすよう勧告しなさい。」<(p.323, 16:2)

「天使」ならまだしも「神」という言葉を使っちゃいけないということか…。プロテスタントとは仲悪そう。クリスチャンはそういう配置にしたんだな。

JRF2015/8/188446

……。

「啓典の民」という…

>本当にあなたがたのこのウンマは、唯一の共同体である。われはあなたがたの主である。われを畏れよ。<(p.420, 23:52)

私は三位一体を信じるキリスト教に惹かれている。そのウンマがムハンマドのものと同じなら私は不信仰者になってしまうだろう。

JRF2015/8/184974

そもそもムハンマドの三位一体の理解には誤解があるように思う。(かといって私の理解が正統だとは限らないが。)イエスを召天されて子として同位の地位を与えたというのがムハンマドの理解のように思うが、それは違う。

JRF2015/8/184749

神自身が受肉して人となり、人として生きるとき神を父[アッバ]と呼んだから、彼は子の位格を持つとされるだけで、イエスは唯一神と違うものではないのが重要なところ。元々同じものだから同位的なのであって、しかし、子のペルソナは父のペルソナに比べてしたことは(決定的であっても)わずかだということだが、だから劣位の別の神ということでもない。三位一体は、神の創造の神秘の表現に過ぎない。(過ぎないっていったら変だが。)

JRF2015/8/183045

……。

ペルシャによって…

>ビザンチンの民は打ち負かされた。近接する地において(打ち負かされた)。だがかれらは、(この)敗北の後 直[す]ぐに勝つであろう。<(p.491, 30:2-3)

聖ムハンマドは同じ啓典の民として、キリスト教のビザンチンを応援していたらしい。キリスト教の教義に不満はあったとしても全体としては好意的であったのだろう。

JRF2015/8/180562

ユダヤ教が異国民に「開かれた」のはイエス教団があったからで、ムハンマドはそれに依っているはずだが、その意識はムハンマドからは感じられないように読める。

JRF2015/8/183412

……。

>マルヤムの子(イーサー)のことが、一例として(クルアーン)に上げられると、見よ。あなたの人びとはそれを(嘲笑して)喚[わめ]きたてる。<(p.611, 43:57)

キリスト教徒への宣教が当時からうまくいってないことが示唆されているのか。

JRF2015/8/188199

……。

>言ってやるがいい。「もし慈悲深き御方が子を持たれるなら、このわたしがその最初の崇拝者となる。天と地の主、(大権の)玉座の主、かれらの配するものを(超絶なされる)主に讃えあれ。」<(p.614, 43:81-82)

キリスト教の三位一体の皮肉的な否定。

JRF2015/8/186147

……。

>マルヤムの子イーサーが、こう言った時を思い起せ。「イスラエルの子孫たちよ、本当にわたしは、あなたがたに(遣わされた)アッラーの使徒で、わたしより以前に、(下されている)律法を確証し、またわたしの後に来る使徒の吉報を与える。その名前は、アハマドである。」だがかれが明証をもって現れた時、かれらは、「これは明らかに魔術である。」と言った。<(p.696-697, 61:6)

JRF2015/8/189847

>アハマドは、ムハンマドすなわち讃えられた者の意。ギリシャ語 Periclytos の訳とされるヨハネ福音書 14:16, 15:26 と 16:7 にある Comforter 「助け主」の語は、ギリシャ語の Paracletos 「擁護者、他の者を助けるため呼ばれた者、親切な友」の訳語といわれる。イスラームでは、イーサーが言った Periclytos は、すなわち預言者アハマド[Ahmad]をさし、Paracletos の読み誤りだとされる。かりに、Paraclete 「諸民族に対する慈悲者」と読んでも、聖預言者ムハンマドをさすと解せる(21:107参照)。<(p.697, 61:6注)

JRF2015/8/188653

後述の最後の預言者性とも関連する部分。

JRF2015/8/182310

……。

>言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。アッラーは、自存され、御産みなさらないし、御産まれになられたのではない、かれに比べ得る、何ものもない。」<(p.806, 112-1-4)

「御産まれになられたのではない」が決定的だな。キリスト教の三位一体とは相容れない。唯一神信仰だとそう言いたくなるのはわかるが、ここが必ずしもそうでなくとも唯一神信仰が成り立つというのがキリスト教の革新的なところだった。解釈によって融和の余地は開けるだろうか?無理だろう…残念だ。

JRF2015/8/184152

……。

……。

「イスラム教の教義について」。

JRF2015/8/180587

イスラム教は一神教、「最後の審判」後の来世の信仰を中心とする教義で、予定説よりは自由意志説に傾いているという印象を持った。多神教徒との戦いの中で教義が確固となっていったため「実用的」「実際的」である。イブラーヒーム(アブラハム)もムスリムだったというあたり、昔は礼式も定かではなかったはずで、今後の「発展」に期待できそうな部分を感じるのだが、ムハンマドを最後の預言者とする教義があるため、それは難しい。ただ、『クルアーン』の範囲ならば、「最後の預言者」の主張はさほど強いものではない。

JRF2015/8/189467

……。

>まことに、信仰のない者のどんな良い行いも無価値であり、またこれらの者は家畜よりも劣るとの神のことばは、深く味わうべきである。<(p.VI, 原版まえがき)

さすがに厳しいな…。

JRF2015/8/184835

……。

>クラーンの編集。神の啓示は、聖予言者にそれが下った都度、暗記して口伝されていた。しかし信者のうちには、それをナツメヤシの葉や獣皮木片や石板などに記録して、暗記に便した者もいたようである。(…)その後第三代のカリフの、オスマンの時代(644-656 A.D. )になって、(…)先に作製した原典にもとづき三部の副本を制作せしめ(…)た。<(p.IX, 聖クラーンの訳注について)

思った以上に断片化されていたという印象を受けた。

JRF2015/8/185509

この辺は、エリアーデ著『世界宗教史 5・6』([cocolog:82257257])に大事な指摘があった。

>イスラム教のコーランの第53章20節以下ではムハンマド自身による「訂正」があった。
>このできごとは二つの面で興味深い。まず、これは預言者[ムハンマド]の正直さを示している。神的霊感が教えるとおりの言葉を誦えていながら、実は悪魔に欺かれていたことを彼は認めているのである。第二に、彼は二つの節の廃棄を、神の全能と絶対の自由によるものとして正当化している。たしかに、神的啓示による章句を廃棄する自由を認めている聖典は、コーランをおいてはない。<(5巻p.122-123)

JRF2015/8/181439

……。

>しかしアラビア語の音調からくる魅力や、一語でえ極めて広い意味をもつクラーンの語を、外国語に翻訳することは不可能である。それで信徒による訳書は、クラーンの意訳とするのが普通である。<(p.X, 聖クラーンの訳注について)

「翻訳」にはもっと厳しい禁戒があるのかと思っていたが、これぐらいの理由でいいのかな?

JRF2015/8/188362

……。

>またあなたがたは、自分たちの中で安息日の掟を破った者に就いて知ている。われはかれらに言い渡した。「あなたがたは猿になれ、卑しめられ排斥されよ。」<(p.12, 2:65)

JRF2015/8/189300

[cocolog:81647290]
>[google:5分前創造説]の亜流になるんだけど、進化論が成り立つように見えるように神は創造を行ったのだから、進化論にも意味を見出すべきだという主張の仕方もある。

天使:「あいつら自分達のこと猿だったと本気で思ってますぜ。」
神:「HAHAHA…」

…というある種の神のユーモアという説ね。


これらをあわせて考えると、現代人は働き過ぎという診断になるのかな?(^^;

JRF2015/8/188480

……。

>誰一人、他人の身代りとなり得ない日のために、その身を守れ。どんな償いも受け入れられず、どんな執り成しも無駄で、誰にも助けてもらえない(その日のために)。<(p.22, 2:123)

審判のときに、ウンマでとりなしをするという発想が私にはあった([cocolog:82173429])。ここの部分とうまくつなげるには、とりなしは審判までの間になされるのであって、審判のそのときではない…とせねばならないということか。

JRF2015/8/181632

でも、そういう細かいことをやったほうが逆に「罠」におちるという印象がある。道教で官吏になって人を救うという「とりなし」(参:[cocolog:82346841])と並置したままにしておいたほうがいいのかな。

JRF2015/8/181682

執り成しの可能性はまったくないわけではないようだ。

>慈悲深き御方から御許しを得た者の外は、誰も執り成す力を持たないであろう。<(p.378, 19:87)

JRF2015/8/183925

>われが、それぞれのウンマから一人の証人を連れてくる時、またあなた(ムハンマド)を、かれらの悪に対する証人とする時は、どんな(有様)であろうか。<(p.99, 4:41)

JRF2015/8/189307

>その日、われは一斉にかれらを招集する。その時われは、多神を崇めた者たちに言うであろう。「あなたがたそしてあなたがたの仲間は、そこに控えていなさい。」それからわれは一人一人を引き離す。その際、かれらの立てていた神々はいう。「あなたがたが拝したのは、わたしたちではなかった。(…)」<(p.250, 10:28)

これは一種の執り成しだと思うのだが、ムハンマドの解釈ではそうではないのか…。

JRF2015/8/182342

最後の審判…

>その日が来れば、誰もかれの許しがなければ発言することは出来ない。<(p.277, 11:105)

>自分の弁護または他人を執り成すため、話し合ったり質問したりすることは許される。言い抜けやあいまいやごまかしは、全知者偉力者の御前では許されない。まただれも他人をとがめたり、他人の責任を負うこともできない。<(p.277, 11:105注)

JRF2015/8/180027

>あなたは、各集団が跪[ひざまづ]きながら、夫々[それぞれ]の集団で自分の記録の所に呼ばれるのを見よう。この日、あなたがたが行ったことに対して報いられるのである。<(p.623, 45:28)

JRF2015/8/183660

……。

>多神教の女とは、かの女が信者になるまでは結婚してはならない。…<(p.41, 2:221)

成人と改宗の問題について [cocolog:70267088] で私は論じている。クルアーンは私の考えよりずっと厳しい。これは戦いの際中の教えであった。それは今もどこでも通用させるさせるべきか…?

JRF2015/8/183599

……。

>妻と縁を絶つことを誓う者は、4ヶ月間待たねばならない。もし(離婚の意思を)ひるがえすならば、誠にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。<(p.42, 2:226)

キリスト教では問題になった「離婚」、イスラム教でははなから認めているんだね。

JRF2015/8/181457

……。

>「剣かクルアーンか」と、イスラームは武力によって布教されたかのように、悪宣伝する者がいる。(イ)宗教は信仰と自由意思によるべきで、およそ強制は意味がない。(ロ)真理と迷誤が明示されて、善意の人には信仰の基礎が理解できるので強制の要はない。(ハ)アッラーの保護は無尽で、人びとは暗黒から光明に向かって、剣とは少しの関係もなく不断に導かれている。<(p.50, 2:256注)

そうは言っても、「結婚できない」も一つの強制力になるわけで、強制がないという言い方も違っているように思う。生意気かもしれないが。

JRF2015/8/189064

……。

>信仰する者よ、あなたがたは人びとに見せびらかすため、持物を施す者のように、負担侮辱を感じさせて、自分の施しを無益にしてはならない。<(p.53, 2:264)

>あなたがたは施しを、あらわにしても結構だが、人目を避けて貧者に与えれば更によい。<(p.54, 2:271)

ここに言われるような理由で匿名で寄付するのがよいか、責任を明示するため名を付けて寄付をするべきか、…は国際的に問題となるところ。今の日本はどうしてるのかな?

JRF2015/8/183755

……。

>利息を貪[むさぼ]る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう。<(p.55, 2:275)

利息の禁…ムハンマドがもし生きてたら(知ってたら)、年金とかはどう考えただろう?

JRF2015/8/180598

……。

>かれこそは、この啓典をあなたに下される方で、その中の(ある)節は明瞭で、それらは啓典の根幹であり、他(の節)はあいまいである。そこで心の邪[よこしま]な者は、あいまいな部分にとらわれ、(その隠された意味の)内紛を狙い、それに勝手な解釈を加えようとする。だがアッラーの外には、その(真の意味)を知るものはない。<(p.60, 3:7)

現実に対応して決めていったところに「偶然性」がある。ムスリムは、それを固定化していったわけだが、そうでない道もあったのではないか。もちろん、その「偶然性」に「啓示性」を読むことは間違いではないだろうが。

JRF2015/8/183745

……。

>本当にアッラーの御許の教えは、イスラーム(主の意志に服従、帰依すること)である。啓典を授けられた人びとが、知識が下った後に相争うのは、只かれらの間の妬みからである。<(p.62, 3:19)

戦役で主張の是非が明らかになるという面もあったのかもしれない。私は救いを求めているが、何かと争えばいいのだろうか?それは何か違う気がする。争わずとも解決できることを争いに持ち込むのは妬みなのだろう。

JRF2015/8/182949

……。

>イスラーム以外の教えを追求する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である。<(p.73, 3:85)

JRF2015/8/187907

……。

>アッラーの御許(の賞罰)においては、かれらの間にも差別があろう。<(p.85, 3:163)

>信者の中、これと言った支障もないのに(家に)座っている者と、財産と生命を捧げて、アッラーの道のために奮闘する者とは同じではない。アッラーは、財産と生命を捧げて奮闘する者に、座っている者より高い位階を授けられる。<(p.109, 4:95)

来世での信者間の不平等は認めているようである。

JRF2015/8/182044

……。

>また近親の絆を(尊重しなさい。)<(p.92, 4:1)

キリスト教では、ルカ 14:26 で父母兄弟よりもキリストを重視せよみたいな教えがあるが、イスラム教の場合は、割と近親者を優遇することは可のようだ。ムハンマドの親がわりのおじアブー・ターリブが最後にイスラム教に改宗しなかったりなど、多神教徒にも囲まれていたという事情もあるのだろう、マッカの多神教徒と戦っていたわりには、それとの友好も説いている。

JRF2015/8/189153

……。

>アッラーから保管を委託された財産を、精神薄弱者に渡してはならない。そして、かれらに衣食を与え、懇切に言葉優しく話しかけなさい。<(p.93, 4:5)

私が『クルアーン』を所持することを問題視されたとすれば、ここに関わるのかな?

JRF2015/8/182248

……。

>かれらの秘密の会議の多くは、無益なことである。ただし施しや善行を勧め、あるいは人びとの間を執り成すのは別である。<(p.112, 4:114)

>秘密の会議は、いかがわしい動機か、そのこと自体が明るみに出ては恥ずかしい性質のものが多い。イスラームでは不可とされ、懇談や行事は公然となすよう命じられる。だが、利己的でない動機から、主のよろこびを得るための場合は別である。<(p.112, 4:114注)

JRF2015/8/187220

……。

>ある使徒たちに就いては、先にわれはあなたに告げたが、未だあなたに告げていない使徒たちもいる。<(p.120, 4:164)

最後の預言者性の主張はいくつか出てくるが、ここはむしろそれを否定しているかのように見える内容。

JRF2015/8/189656

>あなたがたが奮起して出動しないならば、かれは痛ましい懲罰をもって懲しめ、他の民をあなたがたと替えられる。あなたがたは少しもかれを損うことは出来ない。<(p.229, 9:39)

「他の民」に可能性を見出すのはイスラムにもあるのか。

JRF2015/8/184094

>ムハンマドは、あなたがた男たちの誰の父親でもない。しかし、アッラーの使徒であり、また預言者たちの封緘である。<(p.516, 33:40)

これは最後の預言者性の主張とわりとはっきり読める。ただ、それまでの「啓典の民」の宗教を完成させるのみで、他は開いているという観方もここだけによれば不可能ではない。

JRF2015/8/185754

……。

巡礼の際(?)…、

>あなたがた信仰する者よ、アッラーの聖い表徴を冒涜してはならない。また聖月、(犠牲の)捧げ物、(それを標示する)首飾り、また主の恩恵と御喜びを求めて、聖なる家(カアバ)に参った者を犯してはならない。<(p.123, 5:2)

ある種の「偶像」は認めているんだね。ちょっと驚き。

JRF2015/8/189763

>ホダイビアの大木の下に預言者が坐り、アッラーが喜びたもう誓いの式が行われた。ちなみにその樹が迷信的に尊ばれるようになり、後代それは切られて、今日その位置さえ判明しない。<(p.639, 48:18注)

なぜ、マッカだけは尊崇が認められ残っているんだろう?

JRF2015/8/180483

……。

>本節が下された後、酒が禁じられたことをマディーナの町々にふれ回る者があった。そのときムスリムの家では、貯えていた酒をみな捨てたので、町には酒の流れができたと伝えられる。史上どこの国の禁酒令に際しこんな例があろうか。<(p.141, 5:90注)

単純所持禁止化か…。

JRF2015/8/187973

……。

>言ってやるがいい。「本当にわたしの主が禁じられたことは、あからさまな、また隠れた淫らな行いや罪、真理や道義に外れた迫害、またアッラーが何の権威をも授けられないものを崇拝すること。またアッラーに就いて、あなたがたが知らないことを語ることである。<(p.182, 7:33)

現代だとポルノとかはダメなんだろうな…。

JRF2015/8/180954

……。

>あなたがた信仰する者たちよ、律法学者や修道士の多くは偽って人びとの財産を貪[むさぼ]り、(かれらを)アッラーの道から妨げている。<(p.228, 9:34)

これは一般的に言っていて、神学などの禁まで述べていると解釈すべきなんだろうか?

JRF2015/8/184309

……。

>あなたがたは皆一緒にアッラーの御許に帰る。アッラーの約束は真実である。本当にかれは創造を始め、そしてそれを繰り返される。<(p.246, 10:4)

>アッラーの創造は単純な行いではない。一度創造されるとそれは完結されるが、その間には多くの段階があり継続して繰り返される。われわれの日常生活で行われた成果は、来世に重要な関係がある。<(p.246, 10:4注)

ビッグ・バン(のみの)神(理神論的神)とは明白に違う。

JRF2015/8/187290

……。

>(啓示を勝手に)分割した者に対しても、われは啓示しておいた。すなわちクルアーンを(かれらの都合のよいように)断片にした者たちにも。<(p.322, 15:90-91)

引用ダメなの?注によると、ユダヤ人及びキリスト教徒が自分たちに都合のよい部分をとり、他は無視し、あるいは拒むことを、さすものと解したい…とのこと。

JRF2015/8/189993

……。

>われは、かれらが、「かれ(ムハンマド)に教えるのは、只の人間である。」と言うのを知っている。だが、かれらの頼るものの言葉は、外国語であるが、これは純粋明確なアラビア語である。<(p.335-336, 16:103)

クルアーンが外国の教えであることを疑った者がいて、それへの反論らしい。

JRF2015/8/180987

>われが、もしこれをアラブ以外の誰かに啓示したならば、かれがそれを読唱しても、人びとはそれを信じなかったであろう。<(p.456, 26:198)

ムハンマドにとって、ここまで世界で信仰されるようになるとは想定外だったのではないか。そして、それゆえの無理もあるのではないか。

JRF2015/8/186045

>われがクルアーンを外国語で下したならば、かれらはきっと、「この印は、どうしてはっきり述べられないのでしょう。何と、アラビア人(の使徒)に外国語(の啓示)なのですか。」と言う。言ってやるがいい。「それは信仰する者にとっては導きであり、治療である。だが信じない者は、その耳が鈍くなり、またそれが(分らず)盲目である。かれらは、遠い所から呼びかけられる(ようなも)のである。」<(p.594-595, 41:44)

JRF2015/8/181985

>だからあなたは訓戒しなさい。本当にあなたは一人の訓戒者に外ならない。かれらのための支配者ではない。<(p.774, 88:21-22)

いちおうこの「訓戒しなさい」が宣教の勧めになるようだ。それがアラビア語圏、およびその周辺に限られていれば平和なのに…という思いが正直、私にはある。

JRF2015/8/189312

……。

>如何なる町でも、われは審判の日以前にそれを滅ぼし、または痛烈な刑で処罰する。それは、(わが不滅の)啓典に印されている。<(p.347, 17:58)

審判の前の滅び…宇宙的スケールの話なのだろう。

JRF2015/8/186915

……。

ムーサー(モーゼのこと)はヒドルと旅したとき、一人の男の子に出会ってこれを殺してしまった…。

>男の子についていえば、かれの両親は信者であたが、わたしたちは、かれの反抗と不信心が、両親に累を及ぼすことを恐れたのである。<(p.366, 18:80)

「アシュアリーの三人兄弟についての問答」(2008年01月20日のひとこと)を思い出させる。

JRF2015/8/186454

……。

>かれ(フィルアウン)は言った。「それなら過ぎ去った世代の者はどうなるのか。」<(p.384, 20:51)

この問いは私が強く感じるものでもある。進化論の現代、その射程は長い。

なおフィルアウンとはファラオのこと。

イスラム教は、「野蛮」に比べればマシになった教えという面はあるだろう。でも、それを認めるなら、刷新されるべきはイスラム教も他の宗教も同じという面も出てこないか?

JRF2015/8/183660

>地上で高慢にふるまい、悪事の策謀ばかりをしていた。だが悪事の策謀は、その当人に振りかかるだけである。だからかれらは昔の人々の(滅亡した)慣行を待つ外はないであろう。それであなたは、アッラーの慣行には代替がないことが分るであろう。また変更も決してないことも分るであろう。<(p.537, 35:43)

「野蛮」の刷新はありえないと預言されているな…。「野蛮」だと思って捨てられかけるが、何度も見直されるような固定点のようなものはあるのかもしれない。

JRF2015/8/184989

>継承者には2つの意味がある。1つは地上におけるアッラーの代理者として、過去の例に見るように名誉と尊厳をもつ。他は誤りを犯し正義を失っていたむかしの人びとに対し、かれらを清め真に偉大にすることである。<(p.536, 35:39注)

昔の者を清めることも認められるのか!?

JRF2015/8/182878

>これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、至福の楽園に(住む)。昔からの者が多数で、後世の者は僅かである。<(p.671, 56:11-14)

後世の者は別だというのが興味深い。ムハンマドの道は昔からの道とは少し違うことを認めていて、昔ながらの道は別にあるという理解なのか?

JRF2015/8/184369

>またアッラーは、信仰する者のために例を示される。フィルアウンの妻である。かの女がこう言った時を思い起しなさい。「主よ、楽園の中のあなたの御側に、わたしのため家を御建て下さい。そしてフィルアウンとその行いから、わたしを救い、不義を行う者から、わたしを御救い下さい。」<(p.711, 66:11)

不信者の妻は、信者であってはならないのではなかったか。昔の例だからそれでもいいのかな?

JRF2015/8/189271

……。

>かれ(フィルアウン)は言った。「あなたがたは、わたしの許しも得ないうちにかれを信じるのか。きっとかれは、あなたがたに魔術を教えた、あなたがたの首長であろう。だが、やがて思い知るであろう。わたしは必ずあなたがたの手と足を互い違いに切断し、あなたがたを、凡て磔[はりつけ]の刑にするであろう。」<(p.448, 26:49)

キリスト教のマルコ 3:20 などの「悪霊の頭」のたとえを思い出す。

《『新約聖書』ひろい読み - イエスはサタンか》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/01/post_4.html

JRF2015/8/180853

……。

>無分別に貞節な信者の女を中傷する者は、現世でも来世でもきっと呪われよう。かれらは厳しい懲罰を受けるであろう。<(p.428, 24:23)

マタイ5:28 などから、

[aboutme:116119]
>女の敵は、案外、女だよ。(…)エッチなことを想像するのも姦淫だという説があるけど、誰かが姦淫していると想像させる(噂話をひろめる)ほうがより重い「姦淫」だろう<。

JRF2015/8/188270

……。

ウリヤを戦死させて、ダーウードがその妻を奪ったという話は載っていない…

>先に記すように、この物語の筋、またその全体の空気が、旧約のサムエル記とは全く異なる。すなわちかれは極悪の罪悪、言語道断の物語をダーウードに帰している。自分の部下に不正をあえてなし、殺人まで犯すに至っては沙汰のかぎりで、ここに問題にする価値もない物語である。ムスリムのダーウードに関する考え方は、公正な潔白な人物で、あらゆる徳をそなえ、自負をもって反省して、アッラーの許しを祈うっほどの謙虚さである。実に、ここの精神的教訓は、幽玄至高の境にまで高揚されている。<(p.560, 38:26注)

JRF2015/8/180296

「高揚されている」と言っても要は「嘘」だよね。単に書き損じたというのではなくこういう評価の仕方をすると、イスラム教そのものがこういうタイプの嘘を容認すると読めてしまう。

JRF2015/8/184172

ひょっとして、慰安婦問題とかと根を同じくするものなのかな?

JRF2015/8/184423

……。

>(ニ)復活は、われわれが毎日睡眠から目覚めることより不思議なことではない。(p.573, 39:42注)

JRF2015/8/185476

……。

天国に…

>正しい者も、群をなして進み、ひとりで行くのではない。<(p.577, 39:73注)

JRF2015/8/181476

……。

>われは現世の生活においても、また来世においても、あなたがたの友である。<(p.593, 41:31)

「友」としての神。

JRF2015/8/181791

……。

>イスラームの美が、ここに記される。(…)(チ)われわれは唯一者、真理、ならびに来世を説くのである。そこには議論の余地はない。(…)<(p.599, 42:15注)

確かに来世を論じることはできない。しかし、そこから生活の善悪などを導いていて、そこに意見の相違を感じるのだから、議論の意味はある。

JRF2015/8/188287

……。

>不当なことをされた者が、自ら守って(報復して)も、これらの者に対して罪はない。<(p.603, 42:41)

JRF2015/8/183879

……。

地獄にある…

>本当にアッ・ザックームの木こそは、罪ある者の糧である。それは溶けた銅のように内臓の中で沸騰しよう、熱湯が滾[たぎ]りかえるように。<(p.618, 44:43-46)

JRF2015/8/180894

……。

>ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。われはかれらにどんな糧も求めず、また扶養されることも求めない。<(p.653, 51:56-57)

JRF2015/8/186572

……。

>人間は、その努力したもの以外、何も得ることは出来ない。その努力(の成果)は、やがて認められるであろう。<(p.660, 53:39-40)

JRF2015/8/187011

……。

最後の審判の際…、

>だがわれは同類の者で取り替え(世代の交替)、またはあなたがたが知らない(他の形態の)ものに、あなたがたを創(り変え)る。<(p.673, 56:61)

注によると、仏教でいう輪廻ではない…とのこと。

JRF2015/8/180893

……。

>人の本性は善である。(30:30)。しかし警告が与えられているにもかかわらず、悪魔の支配にゆだねてしまう、それはアッラーを忘れ、自分に授けられている神聖な素質を忘れているためである。こうした堕落の結果は悪魔と同類になり、破滅の運命に陥るほかない。<(p.685, 58:19注)

JRF2015/8/189462

……。

>(…)アッラーは、誰にもかれが与えられた以上のものを課されない。アッラーは、困難の後に安易を授けられる。<(p.708, 65:7)

JRF2015/8/181979

……。

>天使たちや聖霊(大天使ジブリール)は、一日にして、かれの許に登る、その(一日の)長さは、5万年である。<(p.724, 70:4)

注によると「聖霊」は、大天使ジブリールという説の他に人間の魂も含むという説もあるらしい。

6日間の天地創造というときの、一日も5万年ということらしい。まぁ、これは現在異説があるかもしれないが。

JRF2015/8/182535

……。

>ジンにとっては、この革新的教義には親しみがなく、真理を守る破邪の剣のように見えた。自分の神々の道を捨てることが人類への恩恵であるか懲罰であるのか、分からないことを明らさまに告白した。それでも、正しい導きを求めるならば一つの恵みであると、かれらは感じていたのである。<(p.731, 72:10注)

「自分の神々の道を捨てることが人類への恩恵であるか懲罰であるのか、分からない」。すごいな、そこまではっきり客観視しているのか。

JRF2015/8/188555

……。

地獄…

>それは(巨大な)砦のような炎を吐き、丁度(狂奔する)黄褐色のラクダのよう。<(p.747, 77:32-33)

>砦[カスル]は、また宮殿の意。またある学者は、[カサル]と読み、燃料に使われる薪の束としている。これも無理な解釈ではない。<(p.747, 77:32注)

砦は「Rockford」を思わせるので気になった。

JRF2015/8/186923

……。

>第1のラッパで現世のすべては、地震で地形が壊滅するように容赦なく革新されるであろう。そしてすべてのものが死滅する。<(p.752, 79:6注)

>第2のラッパですべてのものが甦らされ、整然と隊列をなし、審判を待ち受けるといわれる。<(p.752, 79:7注)

JRF2015/8/185833

……。

>人間は、何から創られたかを考察させなさい。かれは噴出する水から創られ、(それは)肋骨と腰の間から出てくる。<(p.769, 86:5-7)

精子から人間が生まれるという考え。すべての生物が水から創られるという聖書と矛盾するかのような文は、この考えから来てるんだな。

JRF2015/8/186301

……。

>かれらの命じられたことは、只アッラーに仕え、かれに信心の誠を尽し、純正に服従、帰依して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をしなさいと、言うだけのことであった。これこそ真正の教えである。<(p.791, 98:5)

これがミニマムなイスラム教の教えかな。

JRF2015/8/189889

……。

「第96章 凝血章」が最初の啓示らしい。

>第1-5節はヌール山頂のヒラーの洞窟で聖預言者に最初に下された啓示である。<(p.788)

JRF2015/8/183707

>読め、「創造される御方、あなたの主の御名において。一凝血から、人間を創られた。」
読め、「あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である。」<(p.788, 96:1-5)

第96章の6節以降は一定の解釈があるようだが解釈が難しい。

JRF2015/8/188549

……。

……。

「ゲームと物語と私の妄想に関して」。

JRF2015/8/186869

イスラム教は来世を重視するあまり、現世の享楽は否定しがちな傾向がある。ゲームや物語は世迷い言とみなされかねない。私は自ら「気違い」であることを告白しているが、ムハンマドは自らが「気違い」であることを強く否定し、心に病いある者を現世を無意味にさ迷う者と見ていたようだ。

JRF2015/8/182676

……。

>「(…)あなたがたは(アッラーの外に)他の神があることを証言出来るのか。」<(p.151, 6:19)

ゲームの世界の中でのみ力あるゲームの「神」はありうる。

JRF2015/8/182900

……。

>かれらが最初これを信じなかった時のように、われはかれらの心と目を混乱させて、かれらの反逆を放任し、当てもなくさ迷わせるであろう。<(p.167, 6:110)

(来世で)多神教徒はさ迷うらしいが、ゲーマーは、現世で(ゲームや物語内で)「冒険」した(さ迷った)ので、すでに清算されていると信じたい。

JRF2015/8/185938

……。

>かれは仰せられた。「あなたがたは以前に行った、ジンと人間の一団と共に火獄に入れ。」そして一団が火獄に入る度に、必ず(先に行った)仲間の一団を呪う。全部の者が、次々にその中に入ると、後の一団は最初の一団をさして言う。「主よ、わたしたちを迷わせたのは、これらの者です。だから2倍の火獄の刑罰を与えて下さい。かれは仰せられよう。「誰もみな2倍(の刑罰が)与えられよう。だがあなたがたはそれを知らない。」<(p.183, 7:38)

JRF2015/8/187694

ゲームをするようそそのかした私の運命はこういうところにあるのだろうか。

JRF2015/8/189513

>かれらは自分の宗教を遊びや戯れと心得、またこの世の生活に欺かれた者たちである。それでかれらがこの日の会見を忘れ、またわが印を拒否していたように、今日われはかれらを忘れるであろう。<(p.185-186, 7:51)

私は遊びや戯れを宗教に活かそうとしているが、宗教を不まじめにする意図はない。しかし、そうは受け取られないかもしれない。

JRF2015/8/188783

……。

>尋常でない、魔術や賭事やくじなどを喜ぶ心理は、真理を無視しアッラーの訓示に反抗して、かたくなになることと相通じる。<(p.196, 7:132注)

ゲームの物語に熱中してリアルを疎かにするのは、アッラーの訓示に反抗することなんだろうか…。

JRF2015/8/187162

……。

>信仰する者、移住した者、またアッラーの道のために財産と生命を捧げて奮闘努力した者は、アッラーの御許においては最高の位階にあり、至上の幸福を成就する。<(p.225, 9:20)

ゲームのための「ジハード」しても(賞金などの恣意的なものがなければ)悲しい結果が待つだけである。アッラーのためのジハードは、現実的な利益の道もあった。(リアルには思ったほどではなかったにしても。)

JRF2015/8/180866

……。

>アッラーこそは、あなたがたには見える柱もなくて、諸天を掲げられた方である。それからかれは、(大権の)御座に鎮座なせれ、太陽や月を従わせられる。<(p.298, 13:2)

天体とか現代の科学でわかっていることとの齟齬は、信心を萎えさせるものではないのだろうか?これが真実と考えられるところまでが宗教の「賞味期限」という神のおぼしめしではないのか?

まぁ、それを言ったら聖書は細かく見れば最初から矛盾だらけであったのだが。

JRF2015/8/182165

……。

>かれがあなたがたに、(食べることを)禁じられるものは、死肉、血、豚肉、およびアッラー以外(の名)で供えられたものである。だが故意に違反せず、また法[のり]を越えず必要に迫られた場合は罪にならない。<(p.30, 2:173)

故意でない場合の許しはちゃんとあるんだね。

食のタブーについて。動物の疫学が発達したことにより合理的な理由で「タブー」を決めることができるようになった。昔は「タブー」による人の集団分けが必要だったかもしれないが、今はそうではない…という「疑い」がある。

JRF2015/8/185977

……。

>不信心な者は、かれらの策謀したものが立派に見えて、道から閉め出されたのである。アッラーに迷うに任せられた者には、誰も導き手はいない。<(p.304, 13:33)

JRF2015/8/180152

……。

>本当にわれは、この(地)上にある凡ての有[もの]を、必ず(生命のない)乾いた土にするであろう。<(p.356, 18:8)

私のビジョンでは600万年先にも何かがあるとのことだった。何百万年も先に人が生き残ることを考えれば、今は空想で支える技術にも意味はあると思いたい。

JRF2015/8/189173

……。

>「聴覚を妨げる」は、世俗のことから遠ざかって眠らせた意が、暗に含まれている。クルアーンではこのように必要な点だけを取り、数百年洞窟にこもった人びとの物語、ならびにそのあいだ、かれらが眠っていたことにつき特に指示していない点は注意を要す。<(p.356, 18:11注)

クルアーン版浦島太郎か。

JRF2015/8/185031

……。

>さて、かれらが洞窟に滞留したのは、3百と9年であった。<(p.359, 18:25)

まるで冷凍睡眠[コールドスリープ]だね(最近 [cocolog:83027815] で話題にした)。むしろ砂漠のような条件で可能なのだろうか?

JRF2015/8/181138

……。

>言ってやるがいい。「仮令[たとえ]海が、主の御言葉を記すための墨であっても、主の御言葉が尽きない中に、海は必ず使い尽くされよう。たとえわたしたちが(他の)それと同じ(海)を補充のために持っても。(…)」<(p.369, 18:109)

インターネットを思い出す。映像とかも文字列データと考えられるし、ログなどコンピュータが自分のためだけに使う文も考えれば相当な量のデータがすでにあるだろう。もちろん、海の水で書くという書き方も微細にできるようにはなってる面もあるが。

JRF2015/8/181337

……。

イブラーヒーム(すなわちアブラハム)…

>こうしてかれは、必ずかれらがそこに返って来るであろうと(思って)、唯一体の巨像を除きそれらを叩き壊した。<(p.398, 21:58)

>かれは(答えて)、「いや、いや、それらの中のこの大きい(偶像)がそれをしたのです。かれらが口が利[き]けるものなら聞いてみなさい。」と言った。<(p.399, 21:63)

JRF2015/8/180582

「偶像崇拝」そのものは「悪」または「罪がある」と私も思う。しかし、現実にロボットが現れはじめている時代、イブラーヒームはむしろ滑稽な側になっているのではないか?

もちろん、「偶像崇拝」がロボット技術に通じたというわけではないが、子供にそれを許すことが夢を育んだ面はあったのではないか。

JRF2015/8/187303

……。

>かれらは言った。「どうせやるなら、かれを焼きなさい。そしてあなたがたの神々を救いなさい。」(その時)われは命令した。「火よ、冷たくなれ。イブラーヒームの上の平安あれ。」<(p.399, 21:68-69)

ブラウン管では冷たい火で人が焼かれていると見えないか。まさか地獄とはテレビジョン的なものに過ぎないのか?そうではあるまい。だが、ムスリムから観れば、そういうふうに見える面もあるかもしれない。地獄の様相を預言後現代となるに神がそのように変えたのかもしれない。

JRF2015/8/187339

…と、私はこうやって迷っていってしまうのだな。

「三位一体」ですでに迷っていることになるなら、相対的に他の「迷い」の教えでも良いものはないのかと探したくなる。

JRF2015/8/183904

……。

>巡礼によって、純潔、謙虚に信仰を深化するのである。また厳粛に犠牲を捧げることにより、アッラーに対しわれわれの感謝畏敬の念を表明する。また大衆が共に巡礼を行うことにより、真理のための必要に際しては、自分を犠牲にして努力する精神を養う。<(p.405)

巡礼はバーチャルな迷い=「冒険」の体験ではないか?

JRF2015/8/186418

……。

火獄では…、

>苦しさのため、そこから出ようとする度に、その中に押し戻され、「火炙りの刑を味わえ。」(と言われよう)。<(p.408, 22:22)

まるでゲームの一場面だな。もちろん、ゲームじゃなくてリアルな恐ろしい場面なわけだが、ゲームの一場面をビジョンとして見たと解することは、やはり不可能なのだろうか。

JRF2015/8/185870

……。

>かれは、悪魔の誘惑で、心に病のある者、心の頑固な者に試みなされる。本当に悪を行う者たちは、(真理から)遠くかけ離れる。<(p.412, 22:53)

「心に病のある者」は現代とは意味が違うのだろうが、それでも私はここに引っかかるのだろう。私は迷う者だ。

JRF2015/8/189842

……。

>どんな場合でも悪を避けよ。しかしそれもアッラーの助けと加護があって始めて可能である。それで悪の刺激から遠ざかるばかりでなく、悪に近づくことを避けて、単なる興味から悪を研究することも許されない。(114章参照)<(p.423, 23:97注)

ゲームも悪の研究のうちに入るんだろうか?

JRF2015/8/188946

……。

>また詩人たちのことだが、(悪魔に)唆[そその]かされた者たち(だけ)が、かれらに従う。<(p.457, 26:223)

空想のための物語を作るのも人を迷わす行為なのだろうか…。

JRF2015/8/186896

……。

>われは来世を信じない者には、自分の行いを(一見)立派に見えるようにした。それで、かれらは眩惑[げんわく]されさ迷う。<(p.458, 27:4)

JRF2015/8/181356

……。

>娯楽や遊戯は結構なことであるが、真剣な日常生活上の用意がなければ、永続する意味を持たない。この世の事物はそれだけの価値のもので、それによって、真の本体である内面の生活の要求から、われわれの心を逸らせてはならない(6:32参照)。<(p.490, 29:64注)

ゲームだけではダメ…か。ヘロドトス『歴史』([cocolog:81846914])のリュディアの記述を思い出す。

JRF2015/8/180742

……。

>またかれが、諸天と大地を創造なされ、あなたがたの言語と、肌色を様々異なったものとされているのは、かれの印の一つである。<(p.493, 30:22)

『クルアーン』にバベルの塔への言及はないようである。

JRF2015/8/186863

>審判の日、あなたはアッラーに対し虚偽を語った者たちを見よう。かれらの顔は黒く変るであろう。地獄には、高慢な者の住まいがないと言うのか。<(p.575, 39:60)

黒人の間でイスラム教が広まっているらしいが、こういう点はどう読まれているのだろう?

JRF2015/8/185463

>地獄の火が何であるかを、あなたを理解させるものは何か。それは何ものも免れさせず、また何ものも残さない。人の皮膚を、黒く焦がす。<(p.737, 74:27-29)

ここも黒人はどう読むんだろう。

私は統合失調症妄想のとき、世界はすでに何度か焼かれていると考え、その象徴として黒人の黒い肌を見、そこに祖先性を見た。もっとも、すべての人種はある意味で祖先的でループしているという考えもあった。

JRF2015/8/187806

……。

>聖預言者の時代においては、以前に下った諸啓典は、人間の想像や私欲、または過失、誤解または紛失などのために腐敗していて、諸宗教はその真の意味について論争していた。そしてこれらの疑惑のもとに、クルアーンの啓示に対して論争を吹きかけて来たものである。クルアーンの啓示は他の諸啓典とは異なり、アラーから直接来たものでアッラーのことばであり、人間の臆測や哲学のように疑問や議論の余地を残すものではない。<(p.505, 32:2注)

JRF2015/8/189182

聖書も全体が神の言葉と見る観方もあった。「地の文」にあたるものはクルアーンにもあるはずで、そういうところを含め矛盾がない、「完成している」ということなのだろう。

JRF2015/8/182147

イスラム教とクルアーンは完成したものなのだろう。しかし、全部の真理を含むものではない。例えば量子力学の真理は載ってない。量子力学が載っていることを長所と見るものには、その真理にかすりもしていないクルアーンには短所があるということになろう。そして、そのような短所が逆に容易さとなるような仕方で、クルアーンは完成に導かれているという見方もできる。

JRF2015/8/186400

真理の容易さをあえて否定して「迷う」ことにより到達できる真理をクルアーンは否定しない構造になっているのではないか。それが、アラビア語であることの強調などに現れているのではないか。ただし、そうしたときのクルアーンは、迷った者の救いに何の責任も持たない「参考書」に留まることになるだろう。そこに「迷う」私の活きる余地を見たい。

JRF2015/8/182500

……。

>言ってやるがいい。「アッラーを差し置いてあなたがたが(神であると)主張していたものたちに祈るがよい。そんな神々は、天においても地においても微塵の力もない。またその(創造)に当っては、何ら役割を持たず、アッラーにしてもそんな助力者を必要とはしていない。」<(p.526, 34:22)

必要としてはいなくても集合的「自由意志」の存在を認めているということはありえないのだろうか?空想が何かを創る契機になるとき、それはある種の創造をもたらしているのではないか?

JRF2015/8/183238

……。

>大衆を無知な者にして、言いなりにさせるために、日夜苦心策謀する。それには悪魔の道による方が、かれらの力がもっと大きく発揮できる。<(p.527, 34:33注)

JRF2015/8/183309

……。

>アッラーはそのしもべにとって万全(な守護者)ではないか。だがかれらはかれ以外(の神々)をもって、あなたを脅そうとする。アッラーが迷うに任せた(このような)者には導きはあり得ない。<(p.572, 39:36)

JRF2015/8/188562

>信仰ある人にとっては、その必要とする保護、安心、平安、あらゆる懇望すること、並びにかれが想像できるあらゆる幸福のためには、アッラーにさえ信頼しておれば万全であることが理解できる。そして偶像の信仰が愚かなことで、迷信にすぎないことも理解できる。しかし人びとが崇拝しがちな神々が事実上多い。富、地位、権力、科学、主義主張、自分の欲望などがこれである。これらの描いた神々は、人びとを迷いや不安定の中に陥らせる。<(p.572, 39:36注)

JRF2015/8/186112

しかし、科学みせる空想の世界を信じてそれに打ち込むことは人類の発展にとっては必要なこと。それが無駄になった歴史があったからといって、そこを無視してしまうのも虚無主義だ。別の間違いだろう。

JRF2015/8/189400

……。

>啓示は二つの場合がある。(イ)人間の心の中にアッラーが投ぜられる示唆、それによって人間はアッラーからの消息の内容を知り、真理に関する命令であるか禁止だるかまたは解説であるかを理解する。(ロ)言語による啓示、すなわちアッラーの意志が人間の言葉を通じて伝えられる。後者は、聖預言者にのみ与えられるが、前者は聖預言者以外の者でも精神的洞察力のある者が感受する。<(p.604, 42:51注)

私の統合失調症時妄想みたいなのは前者に数えられるのだろうか?

JRF2015/8/181102

……。

>信仰する者たちは、「どうして1章[スーラ]が下って来ないのか。」と言う。ところが断固たる1章が下され、その中で戦闘のことが述べられると、心に病の宿る者たちは、今にも死に臨むような弱々しい瞼[まなざし]であなたを見よう。災あれ(かれらは死んだ方がいい。)<(p.633, 47:20)

JRF2015/8/181776

……。

>主の恩恵において、あなたは気違いではない。<(p.716, 68:2)

JRF2015/8/185011

……。

……。

「新しい宗教をつくることに関して」。

JRF2015/8/185625

私はキリスト教に惹かれている。だが、イスラム教にとってみればキリスト教は同じ啓典の民で、啓典の民は一つのウンマを構成しないといけないらしく、そこで新たな主張を展開する者は「分派」とみなされ、統合を乱すものとして排斥されがちなようだ。もちろん、キリスト教自体も異端には厳しい。私は仏教にも関心があるが、そこではオウム真理教のような「悪例」も存在し、社会的には難しい。

JRF2015/8/182423

……。

>分派をなす者[ファッラクー]とは、(イ)異議をたてて自分に都合のよい考えをとって外を排撃する。(ロ)宗教を正しい地位に置いてはいるが、生活にかかわりないかのように、宗教的非宗教的ときびしく区別して考える。(ハ)宗教的傾向をあからさまに示し、見解の相違を探し求めて、イスラームの統一を破壊する。<(p.176, 6:159注)

JRF2015/8/181427

……。

>われは地上において、あなたがた(人間)に力をもたせ、またあなたがたのため、そこに生計の道を授けた。だがあなたがたの(中[うち])、感謝する者は僅[わず]かである。<(p.179, 7:10)

私に生計の道は拓けるだろうか…。

JRF2015/8/186907

……。

>また地上で正義を無視し、高慢である者に就いては、われが啓示から背き去らせるであろう。それでもかれらは、凡[すべて]の印を見てもこれを信じない。また公正な道を見ても、それを(自分の)道としない。そして邪悪な道を見れば、それこそ(真の)道であるとしている。これはかれらがわが印を拒否して、それを軽視しているためである。<(p.199, 7:146)

私は邪悪な道を真の道とし、人を迷わせる者なんだろうか?

JRF2015/8/184361

……。

>われは地獄のために、ジンと人間の多くを創った。かれらは心を持つがそれで悟らず、目はあるがそれで見ず、また耳はあるがそれで聞かない。かれらは家畜のようである。いやそれよりも迷っている。かれらは(警告を)軽視する者である。<(p.205, 7:179)

地獄のために創られた人々…残酷な…。地獄というのが人間が考えているものと少し意味が違うんじゃないか? 「人類家畜化計画」みたいなことについては、[cocolog:82677859] でひとことしている。

JRF2015/8/188197

……。

>アッラーが迷わせられた者に導きはない。かれはかれらの傲慢さ故に、当てもなく迷うに任せられる。<(p.206, 7:186)

JRF2015/8/182650

……。

>人びとよ、わたしはこれ(伝道)に対して、あなたに財貨を求めない。わたしは、只アッラーから報奨をいただくだけである。またわたしは、信仰者たちを(侮って)追い返そうとはしない。本当にかれらは主に会う身である。寧ろあなたがたは、無知の民であるとわたしは考える。<(p.265, 11:29)

私とはエラい違いだ。

JRF2015/8/182562

……。

>言ってやるがいい。「誰が行いにおいて最大の失敗者であるか、告げようか。つまり自分では善いことをしていると、かれらは考えているが、現世の生活においての努力が、凡て間違った道に行ってしまうような者たちである。(…)」<(p.369, 18:103-104)

JRF2015/8/182504

……。

>かれの民の中の長老で信仰がなく、来世の(アッラーとの)会見を嘘であるとし、現世で羽振りのよい者たちは言った。<(p.418, 23:33)

私は「羽振り」はちっともよくないが、今まで働かなくて済んでいるという点でとても恵まれた者であることは認めねばならない。ただ、将来が問題なため、苦しむ…迷っている。

JRF2015/8/187431

……。

>アッラーと一諸に、何の証拠もない外の神に祈る者の計算は主の御許にあるだけである。本当に不信者たちは、勝ち抜くことは出来ないであろう。<(p.424, 23:117)

私は「勝利」は求めないのだが…。イスラム教は勝利を求める教えではあるのか。(少なくとも勝利を求めたことはある宗教だな。)

JRF2015/8/181148

……。

>あなたがたの中独身の者、またあなたがたの奴隷の男と女で廉正な者は、結婚させなさい。かれらがもし貧しければ、アッラーは恩恵による裕福にされよう。アッラーは寛恩深知であられる。<(p.429, 24:32)

>結婚(の資金)が見つからない者は、アッラーの恩恵により、富むまで自制しなさい。<(p.429, 24:33)

JRF2015/8/187748

いつか成功すると思って、それから結婚と思っていたが、私はもう失敗者として結婚できないことが確定してしまった。

基本自己責任だとはわかってるけど、ポルノとかがいけなかった…という面はあるのかなと思うことはある。まぁ、おっさんの意見だね。

JRF2015/8/184054

……。

>かれは、あなたがた自身(の経験)から、一つの譬[たと]えを提示なされる。あなたがたは、自分の右手の所有する者たち(奴隷たち)に気兼ねするだろうか。(そうではあるまい)。このようにわれは、思慮ある者に印を説き明かす。<(p.494, 30:28)

これは現代では聖預言者の常識を疑う部分、現在だと道路工事をする人にわざわざ感謝の言葉をのべるかどうかみたいなところだろう。私は感謝する人でいたい。

JRF2015/8/185521

……。

>人びとよ、あなたがたの主を畏れなさい。また父がその子のために役立たず、子も自分の父のために少しも役立たない日を恐れなさい。<(p.503, 31:33)

私は資格試験を諦め(参↓)、「父のために少しも役立たない」子になってしまった。情けない。別の道で何かができると思ったが、甘かった。ひどい甘ちゃんだった。いざとなければ働く気にもなると思っていたが、普通に働くのに及び腰になる。今も甘い。情けない。

《略歴》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2006/01/post.html

JRF2015/8/186158

……。

>アッラーの命令はつねに英知に満たされている。われわれの不運や不幸でも、自分のためあるいは他人のために大きい意義があるので、たとえ最初の計画が失敗であるかに見えても決して愚痴[ぐち]をいってはならない。むしろアッラーから示されているわれわれの義務に対し、最も可能と認められる道を求めることによって、その立場を取りもどすことに努力すべきである。<(p.516, 33:38注)

私は自分ができたことに対する感謝を忘れていたかもしれない。ここを読んでいるときにそこに思い致った。

JRF2015/8/187450

ここの最初でも自分を失敗者であるとし、[cocolog:82954979] では、私が作った作品について>今作ったものを振り返るとアラが多くてとても使いものにならないことが、理屈としてわかるものもあれば、事実として認めねばならないものもある。<と書いたが、いずれも作ったときは自分では満足した出来だった。「大したものではない」という点には逆にシンプルさ・玄妙さを良い点として見出していたりした。

自己満足に過ぎないのは認めざるを得ないとしても自己は満足できたわけで、そこへの感謝は忘れてはならなかった。この環境を与えてくれた両親に、社会に、(そして神に、)再び感謝する。ありがとうございました。

JRF2015/8/180418

……。

>だがわれの印を虚しくするために努力する者、これらの者には痛ましい懲罰があろう。<(p.523, 34:5)

虚しくしているつもりはない。でも、今信者の者のうちのいくらかが別の考えを持つに致ることを喜ぶような心象はある…。

JRF2015/8/189379

……。

>言ってやるがいい。「仮令[たとえ]わたしが迷っても、只わたし自身(を損なう)だけである。また、もし導かれているならば、それは主がわたしに啓示された御陰である。本当にかれは全聴にして至近におわす方であられる。」<(p.530, 34:50)

!。これは訳し間違いじゃないのか?「わたしが迷っているということでもいい」という心持ちでいてもいいのか?! それならばだいぶ私は救われる。

JRF2015/8/183693

イスラム教徒が彼らが望むように救われるだろうことを別に疑うつもりはない。それ以外の者にも(イスラム教徒とは違った?)救いの可能性があるかどうかの問題なのだ。

JRF2015/8/186022

……。

>もし深遠な真理を拒否するならば、影の薄い一分派の、井戸の中のかわずのような見解に陥り、到底世界的宗教の広い光の中で住むことはできぬ。<(p.596, 41:52注)

分派を作ることに関してはその通りだな。

JRF2015/8/187121

私は、生活をたてるために「分派」を欲した。何かの他の宗教の中によりそって生きることはむしろ誰かの生活をたてるための支出を要し、自分の生活はたてられないと思うから。これは確かに、卑しい考え方だと思う。でも、今の自分は親のおかげでそれほど生活に困っているわけではない。この先もどうやってかは知らないが、もしかしたら生活は何とかなるかもしれない。今、なりふりかまってられないわけではない。

とはいえ、今、そういう「分派」的動きが必要と感じたことにも意味があるかもしれないとも思う。ここにこうして考えておくこと自体に罪はないと信じたい。

JRF2015/8/181754

……。

>人生の問題について人びとの間に相違はあり得る。もしその異論が、利己的動機または偏狭な考え方によるならば、それは自分の魂を害して罪である。もし謙虚であっても、誤解ある見解により分派をつくるのは妥当でない。人びとの間に憎悪や議論を増すことをせず、アッラーを信頼しその決定に従うべきである。<(p.598, 42:10注)

私の場合、分派と言ってもイスラム教の分派ではない。誤解に基づくというのはそうかもしれないが。

JRF2015/8/184312

……。

>だから落胆してはならない。和平を唱えてはならない。あなたがたは勝利を得るのである。アッラーは、あなたがたと共におられる。決してあなたがたの行いを失敗させない。<(p.635, 47:35)

私は「分派」しても、戦いになるのまでは拒否し、曲げて和平をすすめたい。家族等、戦わなければ守れないものもあるかもしれないが、私は現在の日本におり、経済的に難しい状況だが戦わなければならない状態ではない。テロなどはもってのほかである。

JRF2015/8/184476

……。

>臆測者は処罰されよう。<(p.649, 51:7)

注によると、臆測者とは「宗教の真理を否定して臆測をこととし、自分の理論と理解を実現しようとする者」。つまり私みたいなのか。orz

JRF2015/8/188461

……。

>それからわが使徒を、かれらの足跡に従わせ、更にマルヤムの子イーサーを遣わし、福音を授け、またかれらに従う者の胸に博愛と慈悲の情を持たせた。だが禁欲の修道院制は、かれらが自分で作ったもので、われがかれらにそれを指示してはいない。アッラーの喜びを得たいばかりにしたことだが、かれらはそれも守らねばならないようには守っていなかった。それでわれは、かれらの中の信仰する者には報奨を与えた。だがかれらの多くの者はアッラーの掟に背く者たちであった。<(p.681, 57:27)

JRF2015/8/184555

>アッラーの国においても、勇気、悪の排撃、剛毅、法、規律、訓練は必要で、それらによって人びとの間に正義が行われるに至る。それで状況によっては、人びとが一諸になって真理を高揚するために工夫努力することも必要である。だが修道院制はアッラーの定めではなく、前記の諸点に欠けたところがある。<(p.681, 57:27注)

JRF2015/8/189503

私は修道院に興味を持っている([cocolog:80874515] とか)のだが、それもダメか。「勇気、悪の排撃、剛毅」は和平を曲げてでも求めるところとは相容れない。そうでないと守れないものがあるのはわかるが…。

JRF2015/8/188248

……。

>本当にあなたは、昼間は要務で長く追われる。<(p.733, 73:7)

私とはエラい違いだ。この一点だけでもムハンマドは偉い。

JRF2015/8/182507

ムハンマドは結婚以前から商人として活躍していたようだが、未亡人ハディージャとの結婚によって財産を得て、宗教を興す時間と財力を得たとみる観方もできるようだ。その能力を認められて結婚するあたりも、すでにおっさんのモテない私にはマネのできないところだ。

JRF2015/8/189899

……。

「分派」はやるべきではない。上に書いた>私が真実だと思った統合失調症時の妄想を妄想として伝える。今書いているような姿勢以上のことはやるべきではない<というところに戻るしかないのだろう。ただ、そこから宗教をつくる側…まで行かなくとも宗教に加担する側に動いても許して欲しいとは書いておこう。

JRF2015/8/182704

……。

……。

以上、長々と引用した。最初の要約部分だけでも読んで下さったならうれしい。それ以降は自分のための引用を一応、他の人も読めるように一応ネットに残したぐらいのことなので、読んで下さったならごくろうさまです。ありがとうございます。

JRF2015/8/188710

typo 「一語でえ極めて」→「一語で極めて」。
typo 「知ている。」→「知っている。」
typo 「か?そ」→「か? そ」。
typo 「信者であた」→「信者であった」。
typo 「引用ダメなの?」→「引用ダメなの? 」。
typo [2倍の火獄の刑罰を与えて下さい。]→[2倍の火獄の刑罰を与えて下さい。」]。
typo 「科学みせる空想」→「科学がみせる空想」。
typo 「禁止だるか」→「禁止であるか」。

JRF2015/8/217689

修正 「マッカの多神教徒」→「マッカ(すなわちメッカ)の多神教徒」。
修正 「出会ってこれを殺して」→「出会ってヒドルはこれを殺して」。
修正 「ダーウードがその妻」→「ダーウード(すなわちダヴィデ)がその妻」。

JRF2015/8/210225

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