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『世界の名著 41 ラスキン, モリス』を読んだ。ラスキンの経済学批判は今の私には関心が薄かった。モリスの『ユートピアだより』は SF 的で面白かった。 (JRF 2084)

JRF 2015年8月26日 (水)

『世界の名著 41 ラスキン, モリス』(ラスキン & モリス 著, 五島 茂 責任編集, 中央公論社, 1971年)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9C0PA
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1100291811 (中公バックス版)

JRF2015/8/266770

ラスキン、モリス共に「左派」と呼ぶべき人だが、(実在の)共産主義とは少し距離のあった人。ラスキンは、ミルやリカードウに対論を挑む立場であったが、「社会主義」すなわちすべての財産の共有には反対していた。モリスは、マルクス主義に共鳴し、「社会主義」を標榜する雑誌を出したり講演してりしていたが、自らの資本家としての立場を捨てず、政治的な「主流」からは外れていった。

JRF2015/8/264816

……。

……。

まず、ラスキンの『この最後の者にも』について。

JRF2015/8/267795

これはミルやリカードウの「経済学」に反発して書かれた本と言っていいと思う。

私はちょっと前までは経済学にも「一家言」を持っていたつもりだったのだが、↓を書いて以来、興味を失いつつある。そこでやりきったという思いがほんの少しある反面、はっきり言って、「経済学」なんていう大上段のものを振り回す資格が自分にはないということを痛感しているというのも、興味を失なっている理由の一つかもしれない。

《外作用的簡易経済シミュレーションのアイデアと Perl による実装》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2011/01/post.html

JRF2015/8/265991

……。

私は古典派経済学をキレイにした効用を使った論理に慣れてしまっているため、ラスキンの論は「頭が固い」ようにしか思えなかった。

JRF2015/8/262049

私は、職人が二人いて、供給を争えば需要が一定なら価格が下がるのが当然とみてしまうのに対し、そんな場合でも一定の賃金が守られることが重要で、

>虚偽、不自然かつ破壊的な制度は、へたな職人が半分の価格でその仕事を提供して、じょうずな職人にとってかわり、あるいは競争によってじょうずな職人を余儀なくふじゅうぶんな金額で働かせることが許されるばあいにおこなわれるのである。<(p.70)

…という。ミクロ・マクロの問題でもなく、マクロに見てそういうことが起こっていてはダメだという論ではあるのだと思う。

JRF2015/8/265710

……。

商業は、市場の自動調節機能に頼るために機能してればいいものではなく、

>商業は、人に説教し、あるいは人をころす職業以上に、紳士が日々従事する必要のある職業であるということ、そして真の商業においては、真の説教あるいは真の戦闘におけると同様、ときにはみずから進んで損失をこうむるという観念をいれることが必要であること -- つまり義務感のもとでは、生命を失うのとおなじように六ペンスを失わなければならないこと<

…を説く。

JRF2015/8/263218

ただ、この点に関しては、むしろ六ペンスの犠牲を払ってもらったような例を私自身は最近持っている。貧しい(汚い)なり格好で行くとパンを安く買えてしまったり、(父の)車がパンクして持ち合わせがないときにギリギリの額に負けてもらったりといった「幸運」に思い当たる。

つまり、ラスキンのいうような商人道徳は生きているということでいいのだと思う。もちろん、損を負わせるほどのことではなかったかもしれないが、困っている相手を(微力でも)助けるということは現実にはそこここで起きているのだと思う。

JRF2015/8/263468

……。

富をいろいろに定義し、一つの定義では

>諸君が財布のなかにもっっているギニー貨の力は、まったく諸君の隣人の財布にギニー貨が不足していることによるのである。<(p.80)

プラスサムになるように見えるのは「まやかし」に近いことがあると警告する。

JRF2015/8/266629

他の富の定義では

>富というのは「勇敢な人による価値あるものの所有」<(p.126)

…として、それ以外は、水が渦を巻いて滞留しているようなものなどに過ぎないという。

JRF2015/8/266314

また、

>生以外に富は存在しない。<(p.144)

…ともいい、人口または消費につながっているものこそ富だという。このあたりは資本しか富と見ないことへの批判なのだろう。

JRF2015/8/263587

ラスキンは、兵器産業のようなものを批判する視点を持っている。誰もそれを望まないのにそれができるのは、結局、資本家がそれを望むからそういう産業ができると極言されるという(参:p.145 注)。マイナスの価値を生むものといってもそれが補償すべき金額に引当金を積むというわけにもいかず、この点は今も問題があるところだと思う。

JRF2015/8/268506

……。

少し戻るが、一方で、序論では次のような過激な意見も述べていた。本論にはその片鱗もなかったが…。

JRF2015/8/260598

>第三に、いかなる男女、少年少女も、職を失ったばあいには最寄りの政府の学校に収容し、試験のうえかれらに適している仕事につかせ、毎年改定する一定率の賃金を払うこと -- かれらが無知で仕事することができないことがわかれば教授してやり、あるいはまた病気で仕事をすることができなければ手当てをしてやる。しかし、いやがって仕事をしないことがわかれば、最も厳しく下等なもの、とくに鉱山その他の危険な場所(…)の労役につかせること。<(p.58)

JRF2015/8/267165

ひえぇ~。私は報酬はもらってなくとも「仕事」してると見なされるだろうか、それとも「病気」か、まさかの「老後」か…やっぱそれらは甘いのかな? せいぜい「遊んでいる」といったところか…。これが働く人々のそうでない人々を見る「本音」ってやつなのかな?

日本の「原発震災」って外からは別の時代からはそう見られてるんじゃないか…という恐れがふと浮かんだ。

JRF2015/8/263398

……。

……。

ラスキンの『ごまとゆり』については特に感想はない。ラスキンは、永続を目指した書物を読むことを推奨したということ。そして、女性に関しては、当人の女性経験(の失敗)からもくるのだろう女性の「神学」への傾倒に反対していた。

JRF2015/8/269732

結婚において宗教というのは見逃せない要素ということなのだろう。日本だとというか、私の母の態度だと、女性の側が男性の側の宗教に合わせるのが当然という観方をしている。が、それも仏教の(またはキリスト教の、つまり、「変な新興宗教」でない)範囲でなのかもしれず、やはりそこが合わないとダメという女性も多いのだろうと思う。

JRF2015/8/261491

……。

……。

モリスの『ユートピアだより』について。

JRF2015/8/264112

作者(モリス)とみられる19世紀のイギリスに生きる男性が、ある朝、突然、21世紀のイギリスに目覚めた。そこは「共産主義革命」が終ったあとの「平和な世界」だった。…という作品。SF 的設定だが、いってしまうと結局は夢オチでしかなく、SF的科学等に重点はおいてないようで、共産主義の「ヴィジョン」を説明するために、そういった作品形式をとっているようだった。普通のSFではない…とは言え、SF的で私には楽しめた。

ネタバレ的に要約を書いていく。

JRF2015/8/267227

……。

「共産主義」といっても「アナーキズム(無政府主義)」に近く、宗教は積極的な役割は書かれていないが、認められている。「自由市場」はなく手に入れようと思ったものは「無料で」もらえる世界。

JRF2015/8/260602

働くのは義務ではなく趣味的になっている。労働の報酬は「ない」が、創造の喜びがあるという(p.376)。しかし、仕事をしないという者はいない。そういう者は、「怠惰」という病に(遺伝的に)かかっていると見られ、投薬治療も行われる(p.315)。

JRF2015/8/268978

牢獄というものもないという(p.321)。罪を犯せば仲間はずれにすることはあるようだ(p.460)が、財産に関する争いはなくなり、犯罪者は自ら反省するものだという。そうでない者は、やはり「病気」ということになるようだ。(p.366)

JRF2015/8/265452

議会はなくなり、直接民主主義ふうの常会[モート]で橋の架け換えなどを議決するようになっている(p.372)。

JRF2015/8/263210

……。

世界の市場などという「見せかけ」はすでにやめ、中央集権は抑制され、貧民窟などというものはなくなっている(p.349)。>以前製造業の中心であった煙でかすんだ大都市は、煉瓦と漆喰の砂漠ロンドンと同様消えてなくなりました。それらは、ただ『製造業』というだけで、賭博場としてのほかにはなんの役目もはたしていなかったので<…とのこと。

JRF2015/8/268246

おそらく、作者の趣味がかなり反映した形で、中世に逆戻りしたかのような風俗が描かれる。機械の使用は少なくなって大部分が手工芸に戻っているが、すべてではなく蒸気機関の代わりに「圧力乗物」という詳細不明な未来技術はあるようだ。ただ、>いまは発明の時代じゃないんですよ。<(p.464)

JRF2015/8/268837

競争がなくなったことにつき不信感を唱えるものもいるが、>折々われわれが、ある部分の仕事があまりに不愉快だとかめんどうだとかわかったばあい、われわれはその仕事はやめて、その仕事によって生産されたものはいっさいなしですませてきました。<(p.382)だから例えば>またグラス類は古雅で趣きがあり、かたちもきわめて多様であったが、十九世紀の商業主義的製品にくらべると、幾分気泡があり、きめもざらざらしていた。ホールの調度も一般家具類も(…)商業主義的な「仕上げ」といったものはなかった。<(p.387)

JRF2015/8/264652

>不平等の時代には、金持ちの人たちが自分の生活を飾るために必要なものを、自分でつくろうとしないで、かれらが、窮迫したきたならしい生活をむりにさせている者たちに、それをつくることを強制しようとし、だから当然の結果として、そういう荒廃した生活のきたならしい窮迫した醜いつまらなさといったものが、金持ちの生活を飾るもののなかにつくりあげられ、そこで人々の間に芸術が死にたえてしまった<(p.391)…と分析する。

JRF2015/8/261304

……。

学校[スクール]という言葉すらなくなり、ルソーの『エミール』(参:[cocolog:81316691])的に自然に子供は大人の職業などを見て学んでいくという形をとっているようだ(p.303)。ラスキンと違って読書に大きな価値を見出すのでもない(p.305)。

JRF2015/8/262055

恋愛についてはより自由・自然になった。結婚に関する裁判でやっていたのは結局は財産をどうするかでしかなく、財産に意味のない世界では、そういう民事裁判もなくなったという。でも、離婚や子との離別等はあるが、財産の心配のない社会では、それでも何がしかの救いがすぐにあるということなのだろう。

JRF2015/8/260892

>男女間の自然で健康な恋愛から生まれた子供は、上品ぶった商業主義的結婚のベッドやかの制度のもとであくせく働く人の物憂い絶望から生まれた子供よりあらゆる点で、とくに肉体的な美しさにおいて、より良いものを生み出すようだ<(p.342)とのことで、会う人がみな美しく年齢より若くみえるようだ。この点は、遺伝子操作によるデザイナーズベイビーとはまた違うが似た未来像なのが興味深い。

JRF2015/8/265217

19世紀(そしてそこにつながる私達の現代)…>実際その時代には、生活というものを楽しむというより、むしろ耐え忍ぶものとみるのが詩的で想像力に富んでいると考えられていたのである。<(p.307-308)…とのこと。

JRF2015/8/262987

……。

作者は、1887年11月13日のトラファルガー広場での血の日曜日事件を念頭に、(ハモンド老人の口を借りて)社会がまず国家社会主義になり、共産主義者が当局と対立をすすめるなかついに内戦にまでいたり、結局、共産主義が勝利するという「歴史」を紹介する。

JRF2015/8/267203

かつて政府は、行政府にバックアップされた諸法廷でしかなく、金持ちでさえも訴訟は、たとえ勝ったとしても恐ろしい災難で、金持ちを貧乏人から、強者を弱者から保護する以外に存在目的はなかった…という(p.359)。国家もまたしかり。国の金持ちたちは国民を殺す兵器を互いに売り合っていただけで、労働者を守ってなんかいなかった…という(p.360)。

JRF2015/8/262951

このあたりの私の所感は↓が近いか。私はアナーキストの論には乗らない。

[aboutme:118456]
>夜警国家論の問題は、例えば、税務や障碍者支援を民間でやるとしてもその管理を警察がやるのか、プライバシーは秘密だから軍がやればいいのか…と考えると、すぐ無理があるのがわかる。さもなければ国家を果てしなく肥大させるという意味での「ファシズム」になる。

「軍」を核に国家をなしたのが事実だとしても、工人や外交などを軍が管理したかというとそうではない。夜警に慎むのが国家理念の欠かせない一面としても、それだけあるのが「自由」だとするのはあまりにもナイーブだ。

JRF2015/8/260942

一方、世界市場は、真の必需品を生産する労苦から自分自身を解放しなかったのに、いんちきな人為的な必需品…売るためだけの商品を作って、それを植民地などにバラまくだけだった…という。(p.378)

JRF2015/8/264717

この点も私は、機械化・IT化は不必要な需要を強引に作り出している側面は否定できないにせよ、省力化には役立っていると考えている。ただ、それを「創造的な余暇」にまわせないでいるという観方をとるかな。その「創造的な余暇」を親のお金で強制的に受け取ったのが「ニート」の私ということになるか。orz

JRF2015/8/268539

19世紀の…>そういう書物には、冒険心というものがありまさあ。現在のわしらの文書は、なくしてしまったような、悪から善をひきだす能力といったものの徴候<(p.440)…すなわち「競争」など。

JRF2015/8/266934

「創造的な余暇」でいろいろソフト等を作ってみて、「競争」が大事とはあまり感じなかったというのが正直なところ。それよりは、承認・関心・反応が欲しかった。私にはそれが得られなかったが、それは SNS 等それを得るための仕組みを私がうまく使えなかったからだという面は認めねばならない。

「オープンソース」は完成度も競争で上がるというよりは、関心度で上がると見たほうがいいだろう。(関心度の競争まで考えるとどうかはわからないが。でも、その「競争」というのはネットでは「炎上」に近くそれは開発にはマイナスでしかないという印象がある。)

JRF2015/8/268335

このあたり↓で述べるのを忘れて…

《英米法と大陸法》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/02/post_1.html

↓で述べたことを思い出す。

《海外ダウンロード購入にまつわる私のトラブルに関する法的検討》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2011/07/post.html

JRF2015/8/269934

>「法の下の平等」のところで「試験による有資格者のみに試供的に販売する」のは是認されるだろうと書いたが、それと「反知性主義」は、試験で知識をみるよりも、後者は失敗の可能性を認めて学ぶ経験を重視するという点で、対極にある考え方であると言える。約因論に立つと、意思があっても約因がないばかりに「失敗」が起こることが当然ある。意思表示論にも外観法理があるが、なかなか「失敗」まで求めるには致らない。<

JRF2015/8/260982

この辺は「悪から善をひきだす能力といったものの徴候」だろうと思う。

JRF2015/8/261194

……。

>想像の作品を生みだすのはわれわれのうちの子供らしい部分なのだ。子供のころは時間のたつのがとてものろのろなので、なんでもする時間があるように思えるのだ<(p.388)。そういう「第二の幼年時代」が彼らの時代なのだという。私は「幼年時代」を今に続けてしまっているのだろうか…。

JRF2015/8/265408

……。

……。

この本を中古で買ったのは、「ラスキン」という名の人物があるマンガ(八房龍之助のジャック&ジュネ シリーズ↓)に出て来て気になったから。舞台はイギリスだが、もちろん、このラスキンとは関係ないと思う。

『仙木の果実』(八房 龍之助 著, 電撃コミックス EX, 1999年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4840208891
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101643249
(発行年は間違ってるかも。手元ではなくネットで確認してるから。)

JRF2015/8/269514

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