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プリーシヴィン『巡礼ロシア』を読んだ。詩的な紀行文・ルポルタージュ…ロシアの土俗宗教を描いた民俗学の書といったところなんだけど、今は見なくなった「冒険小説」の雰囲気も伝えてくれていると思う。 (JRF 0259)

JRF 2015年9月18日 (金)

『巡礼ロシア』(ミハイル・プリーシヴィン 著, 太田 正一 訳, 平凡社, 1994年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4582452140

原著は2冊、「第一部 ソローフキ詣で -- 魔法の丸パンを追いかけて」は、1908年の作品の後半部分(ノルウェイ行き)を削ったもの、「第二部 キーテジ -- 湖底の鐘の音」は、1909年の作品。

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……。

前回読んだニコリスキー『ロシア教会史』([cocolog:83381239])が、上からロシアの宗教を眺めた作品とすれば、この『巡礼ロシア』は、下からロシアの宗教を見つめた作品といった体[てい]になると思う。

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作者は、「無信心」(p.302)であるというが、宗派を聞かれたときの「いつもの決まり文句」として>われわれんとこじゃ(…)みなそれぞれ違った信仰を持ってるんでね<(p.410)と答える。読んでる印象では、アニミズムというと語弊があるが、自然の背後にある神の存在は信じているように感じた。

この本では、ロシアの分離派などをたずねながら、軽い対話をしていく。そこにコチコチの正教信者ではつとまらない話合わせの柔軟性が求められるが、作者はそれを持っている。また、狩猟も楽しむその冒険心が、読む者の心をわくわくさせてくれる。

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……。

第一部では、渡し守をする漁師の会話に引き込まれる。彼らが持っている信仰は「迷信」に近いものだが、素朴な感情だ。

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大波に出会わないように…また、出会ったときは…

>「だから、そこでわしらは誓いを立て、何かを、まあ、このさい獣の肉でもお金でも、とにかく約束するのさ。すると、なんだかちょっくら雲行きが変わってくるような気がする(…)」<(p.110)

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漁師は、危機に陥ったときの話もしてくれる。船で乗り出して、天候の変化で、氷に舟を囲まれてしまうことがあった。通信機器もない時代、神にただ祈るだけ。神に「ソローフキ詣でをする人の渡し守をする」と誓ったのがもとで、今、そういう仕事もしているのだという。

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ソローフキすなわちソロヴェーツキイ修道院に着くと、修道士との対話が待つ。宗教臭い会話はそこそこに、彼らが前は荷馬車の御者、給仕、店主、漁師といったいろいろな職業を持っていたことを聞き出し、人が密集して一触即発な緊張感があることが語られる。

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ソローフキを出てラップランドに向かう。ラップランドに「自由に暮らす民族」はやがて消えるだろうと予想しながら(p.209)、白夜の太陽に感動し、氷原を狩猟して楽しむのだ。

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……。

第二部では、>キリスト教の仇敵たるタタール=モンゴル軍の襲来に際していわゆる《神隠し》にあった城市が存在する<(p.444)それが一年のある時期、スヴェートロエ湖に現れるという、それが「キーテジ」。もちろん、それは「迷信」に近いものだが、それを信じて、または、そこに論争を挑もうと人々が集まってくる。その人々の話を聞いていく。

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スヴェートロエ湖に行く途中にも様々な人に会う。壊れそうな木造教会に集う人々。あるとき森の奧にやってきて、住民の支援を受けながら30年近く祈り続ける「隠者」ピョートルシコ。宗教寛容令によって鐘を作ることが許された古儀式派の人々とその堂々たる司祭。それをまがまがしく見ている正教の神父。

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スヴェートロエ湖では、いろいろな宗派の人が行きかっている。昼の喧騒が過ぎ、夕方近くに行ってみると、老婆がいた。老婆は、キーテジの鐘の音が、義人たちの声が聞こえているかのように「歓びのマリア」を唱える。老婆は木の根のあたりの小さな裂け目に、小銭と鶏の卵を落とした。作者も見えざる町に小銭を落としてやった…。

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スヴェートロエ湖からの帰り道、イコン破壊主義者の「旧教徒」非祈祷派に同道する。彼の「教義」というもの、それは>宗教的探求などでは全然なくて、聖書の《読み替え》、要するに、文化や教養によってきちんと裏打ちされていない脳細胞の遊び、ただの頭の体操にすぎないのではないのか?<(p.383)と疑問を持つ。

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イコン破壊主義者の仲間と合流したのち、その地を訪れたバプチストの者と論争になった。また、イコン破壊主義者は、最近そのような主義を持ち出したらしく、その経緯[いきさつ]が語られる。でも、彼らはカエザルのものはカエザルにすることを受け容れる。つまり、兵役も税も受け容れる。一方で、古儀式派が嫌っているはずの、茶などは平気で飲んでいる。

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……。

おとぎ話を導入部にして、文章が詩的で、こういう文を書いてみたいなと思った。「民俗学」については、正教というか古儀式派の影響が強すぎ、それを除いては成立しているとは言い難いようにも思う。ただ、それがロシアの「民俗学」だというならそうなのかもしれない。作者は、「学問」にこだわっているふうでもない。

私は旅はしない人だけど、旅をする人が読んだら、もっと楽しめ、得るところも多かったのではないかと思った。

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蛇足。

↓という記事を読んだ。

《仕事が遅い人の共通項 | Decent Point》
http://tirrano.com/?p=1543

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>まとめると、仕事が遅い人というのは

1. 素直でない、言われたとおりにやることができない
2. すぐにやれない。今すべきことが分かっていない
3. 人に聞くことができない。状況を伝えることができない。コミュニケーションできてない。

仕事が遅い人の本質は何か?(…)それは、「自己愛が強い」ということです。変にプライドが高いのです。なんでも、自分が思うところを大切にしたがるのです。

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私のことだと思った。私が漂流しているのは、「我[が]」が強いせいなんだろうなと思った。わがままなのだ。でも、だからといって今どうにもできないと思う。それも我の強さだと言われるのだろうが、どうしていいのかわからない…。

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