cocolog:84446917
金谷 治 訳注『韓非子』を読んだ。酷薄だが「論理的」と評されるが、私は韓非子の議論も一面的な観方に過ぎないと思う。老子の議論を踏まえているのは読んでみてはじめて知って意外に思った。 (JRF 8336)
JRF 2016年1月23日 (土)
サッカー元日本代表の中田英寿が『韓非子』を読んでいると言って話題になったことを覚えている。それが彼にとってプラスになったかマイナスになったかは、わからない。
JRF2016/1/230585
というのも『韓非子』は指導者が「参考にした」というには微妙な書物だからだ。韓非子は法家に分類される。人治よりも法治を大切にしたといったところだが、性悪説的に人をあんまり信用しないという面は確かにあり、そのすすめる統治法は実際にやられると苛烈にうつるだろう。
JRF2016/1/239236
韓非子は、賞罰をキッチリすることを求め、さらに賞罰の権を君主がしっかり握っていることを求める。誰か「賢臣」を雇ってそれにまかせたりすることは嫌う。でも、すべてを君主が見ることはできないのだから、どこかで任せる論理が必要な気がするが、それが見当たらない。法があればいい、という論理になっている。
JRF2016/1/232129
韓非子は、党を作られることも嫌う。私なんかは勉強会みたいなところから党派政治が起こるのは当然だと思うので、そのあたりも引っかかる。日本の政治の派閥政治とかも、それが金銭的支配の道具に堕するのはよくないと思うが、派閥そのものを悪とは私は思えない。ここも私は韓非子と意見が違うところ。
JRF2016/1/235537
>およそ政治がうまく行なわれているときは、下々ではそれが分からないものである。<(第一冊 p.136) というが、うまい政治として、臣下の言葉と実績とをつきあわせてその一致を求める「形名参同」(第一冊 p.136)を韓非子は求める。不言実行で言ってることよりも業績がいいというのも「ダメ」なのだ。有言実行あるのみなのである。これも厳しいなと私が思うところ。ただ、人を管理する側に立つとこの論は支えとなり正しいと感じるのかもしれない。
JRF2016/1/234378
>君主はその意見によってそれに見あう仕事を与え、その仕事によってそれに応じた実績を要求する。<(第一冊 p.88) の実績主義または結果主義は、↓で書いた議論を思い出す。課題を与えるという時点で評価がすでに入っているというのが私の議論だったが、自分で目標を言わせるというのは、別の能力を見ているような気がする。人を評価する方法としては取り逃がしが多く不十分ではないかと思う。
《「結果」の平等、「機会」の平等》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/02/post_2.html
keyword: 結果主義
JRF2016/1/232909
具体的な統治法としては、秦の商君(公孫鞅)の>十軒組・五軒組の隣保制を行なわせ、犯罪を密告させる告坐の罰則<(第一冊 p.251)を定めることを善しとする。日本も江戸時代に五人組とかやったそうだが、その苛烈さは聞き知るところ。怨みが上に届くのか、商君もヒドい刑で死んでいる。ただ>そもそも厳刑重罰というものは、民衆の嫌いなものであるが、しかし国家はそれによってよく治まるのである。<(第一冊 p.271) とあり、また、法家は嫌われがちだとも書いているので、その辺りは覚悟の上での説なのかもしれない。
JRF2016/1/238192
厳罰主義も特徴的で、軽い刑を恐れる者は重い刑も恐れるが逆はそうではないといった論を持ち出して、それを正当化する。>学者の意見では、みな「刑罰を軽くせよ」と言うが、これこそ国を滅ぼす方法である。<(第四冊 p.103)…と述べる。
私は「学者」と同じく刑を軽くするほうが良いと思う。重い刑だと善人の官僚ほど刑が課されるのをためらうようになるし、冤罪(特に政治的なものについて)というのは必ずあり、冤罪がそもそもダメでそんなことを考えていたら刑などできないというかもしれないが、それも考えておくべきだから。
JRF2016/1/234032
私は以前、厳罰で一罰百戒みたくなるよりは罪を犯せば必ず捕まるという全罰主義みたいなのがいいと [aboutme:95835] で述べている。また、↓では厳罰を主張する者を皮肉っており、
《今日、今さらだが構造改革に絶対必要な法律があるなと思った》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2006/04/post_12.html
↓では、厳罰化にいろいろな論拠から反対している。
《時効延長絶対反対》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2010/03/post.html
JRF2016/1/233840
……。
韓非子は老子の道教の影響も受けていると説く向きもあるようで驚いた。が、第一冊を読むかぎり、君主論に限られていて、そのような印象とは少し違う。
JRF2016/1/237629
>「君主が好き嫌いを外に出さないでいると、臣下の方ではありのままの生地[きじ]をあらわし、君主が知恵の働きを外に出さないでいると、臣下の方では自分で慎重にふるまうようになる」とも言われる。<(第一冊 p.80)
この部分は、君主が「無為」的であることで臣下が「自然」になるのを称揚しているという読み方もできようが、ただ、その動機は性悪説的なところに根ざしていて、老家の思想とはずいぶん違う印象を受ける。
JRF2016/1/233315
>(…)無為でいて、万事を治めてゆくのだ。君主が何かを好むと、それにつけこむ事業が多くなり、君主が何かを憎むと、それに応じて怨みごとが起こる。だから君主は好みや憎しみの心をなくして虚心になり、根源の道がそこに宿るようにするのだ。<(第一冊 p.133)
JRF2016/1/231055
えらく抽象的だが、賞罰の基準の法は別にあり、法に責任があるのは君主となるはずだが、あまりそこは問わないということにすると、こういう抽象的なものしか君主に求めることはできなくなるという面はあるのではないか。デモクラシーが最高かどうかは別として、法も変わるもので、法そのものにある種の主体性みたいなものを見ていくと、それを定める権利があるとされる者の性格は、時代や地域によって無為とは違う何か別の形を理想としうるのではないか…と漠然とだが思う。
JRF2016/1/234368
ただ、第二冊には、解老篇、喩老篇があって、韓非子が老子を論じるという章がある。法家は不遇になりがちだと第一冊にはあったので、不遇のなぐさめとして老子を学ぶことがあったのだろうか?
JRF2016/1/231809
>道法 -- 下文に「道に因りて法を全くす」とある。下の愛悪と対して客観的な法則であるが、道家的な自然の道と結合した法として、特殊な概念である。<(第二冊 p.229)
「道法」とは特殊な概念だね。人が造るに過ぎない法に「道」をなぞらえるのは違和感がある。知的財産権に関する法などはその最たるもの。韓非子には「自然法」みたいな考え方もあってこう主張しているんだろうか。
JRF2016/1/237905
……。
……。
あとは細々と私が引っかかった点について。
JRF2016/1/236216
……。
>「兵とは凶器なり -- 武器とは不吉な道具だ --」と言われているとおりで、それを用いるには慎重でなければなりません。<(第一冊 p.48)
このあたりは常識的なところ。外国の影響を受けて国を動かすことも論じられたりするが、否定的な言辞が多く、常識的なところに留まっている。
JRF2016/1/233497
……。
言う人によって、同じ言葉でも受け取られ方が違う。そういったところから次のように韓非子は言う。
>真実を知ることが難しいのではなくて、知ったことにどう対応するかが難しいのである。<(第一冊 p.241)
JRF2016/1/233235
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』([cocolog:8417439])に、>正義や真実は幼い子供が主張しても、正義や真実であることから、彼らの力になる。<といった論があったが、真実を知るのが易しいとは私は思わないが、人が取り扱いに困るがゆえに人から真実を知るのが難しくなっているときはあるのかな…と思った。
JRF2016/1/230632
でも、「優しい嘘」は、統治の妨げとなるから、直言を好む法家の嫌いなところだろう。ここは少し論理的一貫性を欠くところかもしれない。が、つまり『韓非子』にかぶれた上司を頂くものにとっては避難所になれるところかもしれない。「知ったことへの対応を今考えている」…などと言って。
JRF2016/1/232875
……。
第一冊では、
>政治のわからぬ者は、きまって「古いことは変えてはいけない。なれたことは改めてはいけない」というが、聖人は変えるとか変えないとかには耳を貸さず、ただ安定した治国を目ざすばかりである。(…)そもそも古いことを変更しないというのは、乱れた情況でもそのままに受け継ぐことであるし、民衆の心に合わせるというのは、邪悪な行動でも自由に放任することである。<(第一冊 p.331-332)
JRF2016/1/234495
…と述べ、法を改めることの重要性を指摘しながら、第二冊では、解老篇ではあるが、
>(…)道をわきまえた君主は静かにすることを尊んで、法を改めることは重んじない。<(第二冊 p.38-39)
…と法をみだりにかえるのをいましめる。なされていないが、なすべき新法というものが韓非子の中にあったのかな。
JRF2016/1/238628
……。
>徐馮が言うには「(…)知者は固定的なきまったことはしないものだ。(…)どうしてまた書物を背負って旅をされえるのか。」そこで、王寿はそのまま持ってきた書物を焼きはらって喜んで舞い踊った。(…)そこで、老子も「勉学しないことを学びとして、大衆のゆき過ぎをもとにひき戻す」と言うのである。<(第二冊 p.94)
秦がやった有名な焚書坑儒、その根は以外にも老子にあったといったところか。意外だなぁ。
JRF2016/1/239778
……。
>「まっ直ぐな行動をとる者は、その望みはとげられない」と言われる。<(第二冊 p.160)
まぁ、これは真だと思うが、臣下には賞罰にまっ直[す]ぐ従うことを求める韓非子にしては、これを認めるのにはためらいがあるべきのように思う。
JRF2016/1/230901
……。
>兼官の責め -- 官職をいくとも兼任する責任。個人の能力が分散するのと臣下の権力が増大するのとの理由で、韓非は兼官に反対した。<(p.206)
私は作業所通いと介護の初任者研修を同時にすすめようとしている。これも能力が分散するという意味では「兼官」にあたるのだろうか。でも、資格を取るのを奨励する企業はある。それはまた別なのか、関連してれば資格をとるのも職のうちということなのか。私の場合、どちらも福祉ということで「兼官」の害は避けられるとできないか…。
JRF2016/1/238123
……。
>そもそも、身分の低い者でも高い者を批判し、下級の者でも上位の者と是非を争うというようにさせないで、必ず権勢の均衡を条件としてそのうえで互いに批判させようとしたのでは、これは君主の耳目をふさぐ臣下をますます育てるというものである。<(第二冊 p.257)
私は、大学のサークル活動で、自分に責任が集中することを避けるために二人で一つの職に就くみたいなことをしたことがあった。あれは、上の人にとってみれば、いやな行動だったということなのかな。私はそういうの気付かなかった。
JRF2016/1/237979
……。
太公望は、二人の賢者が、天子の臣下ともならず、諸侯の友ともならず…でいるために捕えて殺させた。
>「(…)自分では世の中の賢人だと考えていても、君主のために働かず、行動もきわめて立派でも君に仕えないというのでは、これは賢明な君主なら臣下とはしないもので、やはり左にも右にも向けられない名馬と同じです。こういうわけで二人を死刑にしたのです」。<(第三冊 p.153)
私は「賢者」ではないが扱いにくい人物だった。それは改まった。それはいいことではあったのかな…。そう思いたい。
JRF2016/1/239794
……。
>そもそも鹿に似た馬は[名馬とされて]千金もの値段をつけられる。<(第三冊 p.157)
「馬鹿」の語源って確か漢文だよな…と Wikipedia を見たら、サンスクリット語から来たという説が最初に書いてあった。けれども『史記』の>指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)<も載っていた。鹿のような馬が名馬とされていたというのは私には初耳だった。
JRF2016/1/234697
……。
第三冊の「難篇」四章は、故事を出したあと、それを論駁する形で「或曰」と文が続く。その論難の部分は、どちらかというと私は納得しかねるものが多かったが、結論に納得するものもあった。
JRF2016/1/237318
その中で「矛盾」の出典となる p.256 付近は、納得しかねるところ。舜が民の悪弊を一年がかりで手本になって改めさせたということがあった。それを難じて…
>舜はぐずぐずして、お触れを出すことを尭に説いて民を従わせることをせず、かえって自分で実行したのである。なんと術のないことではないか。<(第三冊 p.256)
JRF2016/1/238844
私は率先垂範はある程度はやったほうがいいという意見。部下にまかせたり法にしたりというのも大切だけど、自分でなぜダメなのかを調べながらやったという「実績」も、上に立つものには欲しいと思う。もちろん、上に昇りつめてもずっと下のことばかり気にしているというのはいかがなものかとは思うが。
キャリア官僚の在り方というのは、ノンキャリにとっては納得の行かない部分もあるのだろうが、私はそれなりに合理的だと考えるタイプ。
JRF2016/1/233870
まぁ、しかし、私は、そういうのとはいくばくも関係のない人生になってしまったことよのぉ…。
JRF2016/1/236339
……。
韓子という人が、ある人を罰して切ろうとしたとき、郤子という人がそれを止めようと急いだが間に合わなかった。郤子はここに致って、その罪がないことを示そうとするのではなく、見せしめにすることを唱えた。
韓非子は、もし罪があったのなら救うべきでないものを救おうとしたのであり、もし罪がなかったのなら、無実の罪を倍して民が怨みを起こすもととなるのである。>理解できない。<(第三冊 p.280)…という。
JRF2016/1/236679
keyword: 一罰百戒
昔…というか時代劇で、罪で何者かを捕まえたら、お上の権威を守るために、罪がなくても罪があるとさせた…または、罪人が捕まらないよりも捕まったほうが権威と安心感が高まるので、無罪とわかっても罪をきせた…というようなことがあった記憶がある。
これらは法の権威が傷つくのをおそれるあり方と言え、「法家」である韓非子はこちらのむしろ虚勢を守るほうかと思っていたら、そうではなかった。この点は、韓非子、偉いと思う。
JRF2016/1/238272
……。
孔子が三人の君主に政治のかなめをたずねられたところ、三人三様の答えをした。それを韓非子は論難し、ただ一つの政治のかなめを語る。それは…
>「下々を知れ」<(第三冊 p.336)
…という一言である。最近でも首相が下々の生活を知らないと批判にさらされることがあったが、昔からある考え方なんだね。
でも、私は、人ってのは細かく知れば知るほどそれぞれいろいろあるから、そう簡単に「下々」を知ることなんてできない。…これも一つの理想論に過ぎないように思う。
JRF2016/1/231797
……。
>法ははっきり明らかなのがよいが、術は外にあらわれることを望まない。<(第三冊 p.350)
これまで治政には「法」と「術」を使えと書かれていたが、「術」は隠すべきだとはやっとここで知った。
「知らしむべからず依らしむべし」という考え方…、↓によると『論語』はそういう意味ではないということだけど、「術」を使うのはそういう考え方も踏まえてやるということなんだろうな。
《民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず - 故事ことわざ辞典》
http://kotowaza-allguide.com/ta/yorashimubeshi.html
JRF2016/1/233809
……。
>聖人とか知者といわれる者が集まって勝手な言葉を並べたて、上[かみ]に対して不法な態度をとるのに、上ではそれを禁止せず、逆に追いかけて尊んでいる。これでは、お上に従わず法を守らないようにと、下々に教えているのだ。<(第四冊 p.88)
>働かないでも暮らしは十分、宮仕えしなくても名誉があがるというのは、これは私的な利益である。学問を禁止して法度を明らかにし、私的な利益をおし止[とど]めて功労に集中させる、これが公けの利益である。<(第四冊 p.122)
焚書坑儒の「坑儒」の部分だろうね。現代だと文化系学部の縮小なんかがその考え方にあたる部分か。
JRF2016/1/231048
私はプログラムとかブログとかで、食える「知識人」またはベンチャー企業家になりたかった。だから、私はもっと「食客」を広く認めるような社会になって欲しいと思う。でも、それは統治のほうから見れば無理があるんだろうな…。
JRF2016/1/230397
……。
>親の方は、厚い愛情によって、子の生活を安らかで快適なものにしようとしていても、その言いつけは聞かれないのに、君の方では、愛情もなくて、ただ民が死力をつくして働くことを要求しているのに、その命令が守られる。賢明な君主にはそれがわかっている。だから、恩愛の心を養ったりせずに、威厳を備えた権勢を増大するのである。<(第四冊 p.100)
仁愛よりも、権勢をバックにした法術というのが韓非子の主張。でも、国家のなりたちを考えると先に仁愛がないといけないのではないかと私などは思う。ただ、韓非子もそこのところを踏まえながらの主張ではあるようだ。
JRF2016/1/231268
尭や舜が統治したころは公共事業(治水)が大事だったりしたし、その前は住居を作ることをはじめた者や火を使いはじめた者が王となった。人が少なく相対的に物も豊かだったから禅譲もあった。が、韓非子の時代はもはやそんな時代ではない…という。
>天子の位をやすやすと退いたのは、人格が高潔だからではない。天子の権勢がわずかであったからである。(…)罰は軽くてもそれを慈愛であるとはいえず、刑が厳しくてもそれを残酷であるとはいえない。世間の動向にあわせて行なったものだからである。だから、事は時代に従って変わり、対策はその事に合わせて立てるべきである。<(第四冊 p.172)
JRF2016/1/237314
公共事業は一種の仁愛ととらえられているようだが、↓の枠組では「分業」にあたる部分で、それ以外の仁愛はおおむね「保険」にあたり、法術は「信用」の部分にあたると思う。時代とともに強調点が変わることがあってもそれらは「国家」に全部同時に必要なものだと私は思う。韓非子の法術一辺倒は偏りがヒドイと思う。
《なぜ人を殺してはいけないのか》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/12/post.html
JRF2016/1/235262
秦の始皇帝の覇業が成ろうとする時代には、法術の極端な強調も必要だったのかなぁ…。
JRF2016/1/235814
……。
>「剛気な人」<(第四冊 p.116)
私は豪快で気前のよい様を「ごうきだなぁ…」と感嘆する口ぐせがあった。最初は誰かのマネをしたものと思うが、「出典」はもうわからない。そのとき「ごうき」に充てるべき漢字としては「豪気」がもっともふさわしいと自分の中では思っていたのだが、昔、辞書を調べるとそんな言葉はなく、かわりにあったのが「剛毅」だった。しかし、漢文の専門家が「剛気」という言葉を使うのだから、それはありで、おそらく「豪気」もありなのだろう。(今、辞書を調べると「豪気・剛気」もあるようだ。私の勘違いだったのかな。)
JRF2016/1/239917
……。
……。
買ってあった本の中で、そう言えば読んでなかったなぁ…と手に取ったのが今回の『韓非子』。最初に書いたように読むことそのものが微妙な評価につながるという先入観が少しあって読むのをためらっていたのかもしれない。
JRF2016/1/232449
この先、私が「(労働者)社会の一員」になれるかはわからない。私の(ある意味)正直さでは「面接でアウト」になる可能性が高い。が、しかし、うまく「社会の一員」になってこういう本を読む機会もなくなれば、この時点で支配者の論理と目される本を読み終えておくのも何か意味があったと振り返ったりするのかな?未来の夢として、そういう妄想をしてしまう。
JRF2016/1/230152
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『韓非子 (全四冊)』(金谷 治 訳注, 岩波文庫, 1994年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4003321014
http://7net.omni7.jp/detail/1101163409
JRF2016/1/239753