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cocolog:84645108

金谷 治 訳注『荀子』を読んだ。「性悪説」は思ったほど厳しくはなく、易・占いの「合理的」解釈が印象に残った。 (JRF 1429)

JRF 2016年2月23日 (火)

『韓非子』([cocolog:84446917])などを読んで、意外に『荀子』への言及が多いところから、「性悪説」で有名な『荀子』に興味を持った。

JRF2016/2/230003

『荀子 (全二冊)』(金谷 治 訳注, 岩波文庫, 1961年-1962年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4003320816
http://7net.omni7.jp/detail/1100350742

JRF2016/2/231230

漢文の白文が載っておらず、注が節ごとではなく最後にまとまって置かれる形式だった。また、かなり前の版のはずなのに、印刷ミスが目についた。

JRF2016/2/230091

……。

まずは下巻「解題」より、

>孔子にはじまった儒家思想は、一方で孟子にうけつがれるとともに、他方では荀子によって継承発展された。他方でというのは、荀子の思想は孟子とは甚だ趣きが違っているからである。その相違の著るしいことは、孟子の主観主義に対する客観的形式主義ということであろう。

JRF2016/2/234918

(…)

荀子の思想は、まさしく孔子の思想の一面をうけたものに相違はなかったが、その後の儒教の歴史からすれば異端である。天論篇において人間道徳の基礎としての天の権威を追放し、性悪篇で人の本性を悪だとしたことなどは、概して彼の評判を悪いものにした。(…)しかし、そこに見られる迷信の打破、人間の主体的努力の強調、そして人間性の弱点の率直な指摘などは、かえってまたわれわれの共感をよぶに十分である。

JRF2016/2/237530

(…)

禁欲や寡欲を説くのは政治的無策にひとしいとした荀子は、人間の多欲を率直に認めたうえで、節倹主義を説くよりは生産の進展に応じた欲望の充足を目ざすのが、正しい方向であるとしたのである(…)。
<(下巻, p.427-430)

JRF2016/2/238191

……。

>青はこれを藍より取れども藍より青く(…)<(上巻, p.9)

いわゆる「出藍の誉れ」の出典。『荀子』のしかもはじまりのはじまりに置かれている言葉なんだね。意外だけど、性よりも育ちを強調するのは『荀子』の基調とも合っているのかな?

JRF2016/2/234714

……。

>高い所に登って招けば手が長くなるわけではないのに遠くの人にも見える。(…)君子とても生まれつきすぐれているわけではなくてよく他物を借りて利用するのである。<(上巻, p.12)

君子は孤独に修身だけしているというイメージは間違いで、他をうまく利用してこそ成り立つのだという。これは孤独にやってきた私には辛い考え方だった。

JRF2016/2/232562

……。

>君子の精神修養には誠によるのが最上である。(…)まごころから仁を守ればそれがおのずからにはっきりとした形として外にあらわれ、微妙な働きをし、やがて一般の道徳的同化をもたらすことができる。<(上巻, p.45-46)

「誠」の強調は、直近に読んだ『中庸』([cocolog:84588927])を思い出す。誠が超自然的に働くと考えるところまで行ってるようなのが、儒家の特徴なのか。

JRF2016/2/235940

……。

>性質や知能は君子も小人もひとしい。<(上巻, p.60)

>尭・禹なる者も生まれながらにして具わる者に非ず。(…)人の生まれつきは固より小人なり(…)。<(上巻, p.62)

人の生まれの平等を説き、後天的教育の大事さを説く。後に出てくる性悪説も重点はむしろ教育にあるんだろうね。

JRF2016/2/232203

……。

>(…贅沢な消費…)を欲しないのではないが、思慮をめぐらして後々のことを心配し、いつまでもそれを継続してはゆけないであろうことを恐れる(…)。

(…)

かの聖王はもとより天下のために大いに憂慮した人物で、世界中の民衆のために思慮をめぐらし後々のことを心配して万代の後世までも安らかにしようとしたのである。<(上巻, p.68)

JRF2016/2/238310

「無為自然」とは大きく異なる聖王観。これが儒教の聖王観なんだね。今、原油とか資源が本当に未来まで使えるのかと考えると心配になるけど、そこを考えて礼を導くのが君子のあり方なんだろうね。でも、そこを考えていると世界では生き残ってゆけない、財政的にうまくいけないというのが現在の世界経済なのではないだろうか。私は恐れる。

JRF2016/2/236167

……。

>自分が善いと思ったことは他人にも伝えたいと思うのは誰しものことであるが、それは特に君子において甚だしい。だから人に言を贈ればそれは金石珠玉の宝物より貴重であ(…る。…)そこで君子は言説して倦むことがないのである。しかし野人はこの反対で徒らに質実を好んで文飾を顧みない。<(上巻, p.82)

君子は美辞麗句を好む…と。むしろ朴訥なのがいいというのが孔子の立場で、それゆえに顔回への孔子の評価が高いのだと私は思っていたのだけれど…。

JRF2016/2/237808

……。

>おおよそ古代の聖王に法[のっ]とってはいるがその中心を知らず、見たところゆったりとはしているが資質ははげしくて大望を抱き聞見も雑然とひろく、古い昔のことを考えて自説を作りあげそれを五行と名づけているが、とても邪僻[よこしま]で規範性がなく、幽玄にひそみ深く閉して明晰な解説をしない。それでいてその言辞を修飾してそれをうやうやしくし、これこそ真の先君子孔子の言だと主張する。(…)これこそは子思と孟軻との罪である。<(上巻, p.91)

JRF2016/2/236369

孟子批判。ただ、何を批判しているのかがわかりにくい。論理的明晰さがないのが欠点だということだろうか。荀子は儒家ではあるが、孟子の弟子筋ではないんだね。

JRF2016/2/236594

……。

>詩は聖人の心志をいい、書は聖人の事業をいい、礼は聖人の行為をいい、楽は聖人の調和をいい、春秋は聖人の隠された意図をのべたものである。<(上巻, p.128)

五経(六経)について。春秋は歴史の書だと私は思っていたが、「隠された意図をのべたもの」とするのは、旧約聖書が歴史を書いていてそれを神の意志の開示と考えるのと似ているように思った。(が、ここは訳し方の問題かな?)

JRF2016/2/237064

……。

>書経(呂刑篇)に「平等は不平等にもとづく。」とある(…)。<(上巻, p.150)

荀子は、性悪の生まれつきの平等を認めながら、後天的な学習などによるものか分業による不平等は認める。教育資本の違いみたいなものの不平等をなくそうなどという主張もない。戦国の世を生きた彼には、下克上の平等観みたいなものがあって、そういったところの不平等に目を向けることはなかったんだろうか。または、墨家の兼愛などは早過ぎる主張で20世紀になってやっと目が向けられるようになったに過ぎないということなのか。

JRF2016/2/238449

……。

>(…)いかに有能者でも一人で多くの技術を身につけることはできず、どんな人でも一人で多くの官職を治めることはできないから、人間はばらばらに生活して他人と助けあわないでおれば困窮し、[どうしても群集して社会生活を行わなければならないが、]群集して互いの分界がなければ争うことになる。<(上巻, p.181)

JRF2016/2/236565

↓の「分業」の部分だね。こういうのは私にとっては一面的な観方ということになる。まぁ、他のところで、他の部分は言及されているのかもしれないが、それは私が馬鹿なのでわからないところ。

《なぜ人を殺してはいけないのか》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/12/post.html

JRF2016/2/234377

……。

>真に墨子の術が行われるなら、天下は倹約を重んじながらますます貧しくなり、闘争を否定しながら毎日争い、努力困苦をつづけながらいよいよ効果がなく、顔色を変えてくよくよ心配し音楽を廃止して毎日親和しないことになるであろう。<(上巻, p.197-198)

JRF2016/2/233039

墨家への反論。この辺は消費の効用など現代の経済学者の主張にも通ずるところなんだろうね。ただ、現代の下々の世論で「トリクルダウン」は否定されるが「フォーディズム」は肯定されるというところに詭弁の余地があるけど、まぁ、中産階級の厚みの問題なのかな。その辺、私にはほぼ関係のない議論になってしまった。私は今をどう未来に延長しても妻子を養うような境遇にはならないだろうからね。

『荀子』には墨子への反論が多く載っている。当面の論敵だったのだろう。

JRF2016/2/233926

……。

>過ぎたるは猶お及ばざるがごとく<(上巻, p.241)

過ぎたるは及ばざるがごとし、…の出典の一つとしていいんだろうか?

JRF2016/2/235332

……。

>君主とは、一人の宰相を選び一つの法を施行し一つの主旨を明瞭にして、それによって世界中をあわせ包容して照明しその成功を観察する者である。<(上巻, p.243)

>然るべき人物を求めることに努力すれば(…)うまくいけば王者、そうでなくとも覇者にはなれる。しかし、然るべき人物を得ることにつとめないで勢力を得ようと努力していれば(…)きっと危うくなる。<(上巻, p.252)

JRF2016/2/234680

一人の宰相にまかせきることで、君主が放逐される例があるというのが韓非子([cocolog:84446917])の論難だった。

一方、「勢」を重視する韓非子に対し、「勢」を軽視するのは荀子の特徴と言える。ここが儒家と法家の違いといったところか。

JRF2016/2/234964

……。

孫卿子(荀子のこと)はいう。

>仁者の軍隊に対して奇計を用いることはできません。<(上巻, p.308)

儒家の兵法は、民心の統一をまず第一とするようだ。そして上の主張。とても現実的ではないように思うが、こういうのも「受けた」のだろう。漢[おとこ]らしいとは思うけどね…。

JRF2016/2/239891

荀子は、大儒・聖王の治める国には、他国も帰順してきて併合できるとも説く。それは、他国では教育は十分でないのに大儒の徳を理解できるということで、性悪説とは整合性が取れない議論ではないかと私は思うのだが、そこに絶妙なバランス感覚を見出す者もいるのかもしれない。

JRF2016/2/233973

……。

>その行為はこまかい点まで立派であり、その養生はどこまでも適切であって、生命を傷害しないようにしてそれ以上のことを求まない。そもそもこういうのを天を知るというのである。だから、すぐれた細工師は[何もかも作るというのではなくて]手がけないことを残しているところに真価があり、すぐれた知者は考えないことを残しているところに真価がある。<(下巻, p.34)

JRF2016/2/234863

ソフトウェアでも、MOD が作れるように幅のある作り方をし、改造しやすいようソースのある種の読みやすさをちょっとだけ追及しておく…というのは、ある。でも、私の場合は個人で作り過ぎて、「手がけないところ」はただの「中途半端」になってしまっているように思う。私はダメだ。

JRF2016/2/233578

……。

>つまらない小人は自分自身の分内の問題をすてて高遠なことを追求する。君子は自分自身の分内の問題を慎重に処理してそれ以上のことは求めない、だからこそ日々に進歩していくのである。<(下巻 p.37)

私は結果主義で、一つ一つ完成と言えるところに持っていくことを重視し、簡単なシステムでヨシとした。でも簡単過ぎて他の人の興味を引き出すことができず、結果、使われずに自分の進歩にもつながっていない気がする。「高遠なこと」を求め過ぎるというか、「あさっての方向」を求め過ぎたという面はあるかもしれない。

JRF2016/2/236669

……。

>日蝕や月蝕になってそれを除こうとつとめ、旱魃[かんばつ]になって雨乞いの祈りをし、卜筮してそのうえで大事をきめるというのは、それによって望むことが得られると考えるからではなく、それによって[荘重な儀礼としての]装飾を加えるのである。そこで、君子は装飾だと思っているが一般民衆は神通力があると思っている。装飾だと思っていればよいが、神通力があると考えれば[社会的に]害がある。<(下巻 p.40)

JRF2016/2/233182

易や占いを「合理的」に解釈すると「装飾」になるんだね。すごい考え方。確かに易でどうとでもとれるような言葉で占っても、やらねばならないことはやっているとすると、易の言葉は飾りとして記憶されるのみとなるのかもしれない。

JRF2016/2/239414

……。

桀・紂を湯・武が除いたことについて

>暴国の君を誅すること独夫を誅するが若[ごと]し。<(下巻 p.50)

孟子に似た論があると井筒俊彦『意識と本質』([cocolog:83187076])で読んだ。

>例えば、孟子の論が出てくる。すなわち、周の武王が殷の紂王を討ったことにつき、仁を害する紂は「賊」で、「王」の名をもつにふさわしくない「匹夫」だから、決して君主を殺したわけではない…みたいな論も出てくるとのこと。<

JRF2016/2/236840

……。

>世俗の論者は尭と舜は禅譲したというが、これは正しくない。<(下巻 p.64)

荀子はこういってるが、注によると「ユニイク」な論らしい。

>中国における王朝交替の型は平和的なこの禅譲と武力による放伐との二形式がある。尭舜説話に託してこの理想を説いたのは、多くの儒者であったが、そもそもの発生は墨家によるものであったともいわれる。この節は荀子がその禅譲説に反対したもので、極めてユニイクである。<(下巻 注, p.360)

JRF2016/2/231417

……。

>何を均衡の標準というのであろうか。それは道である。だから心に道を知らなければならない。<(下巻, p.144)

「道」は「道家」のいう「道」とほぼ同じもののようだが、詳しくは読んでいってもよくわからない。「道路」というよりは「在り方」の意の「道」のようだが。

JRF2016/2/232777

……。

>人の性は悪にして其の善なる者は偽(作為)なり。<(下巻, p.189)

>いま人間の本性を考えてみるのに、腹がへると腹一杯に食べたいと思(…)うのは人間自然の性情である。ところがいまある人が腹のへっているときに食べ物を見ても先きに食べようとしないのは誰かに譲ろうとするからである。(…子供が父親に譲る。これは…)生まれつきの本性にそむき自然な人情にもとったものである。しかもそれこそ孝子としての道であり、礼義(…)の条理(…)なのである。<(下巻 p.194)

JRF2016/2/239687

人の本性が善か悪かというのは難しい。赤ちゃんなどでも、自分がやりたいことというのは世の事情とは独立にあるもので、世に反感を持つことが多いとしても何ら不思議はない。赤ちゃんが悪いことをしないのは、彼らにその実力がないからだけかもしれない。

しかし、エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』([cocolog:84174394])のところで読んだ>正義や真実は幼い子供が主張しても、正義や真実であることから、彼らの力になる。<というのは本当で、正義や真実を好む傾向が誰しもにもあるのも事実だと思う。

JRF2016/2/239891

思うままにならない世を、ある程度の納得・調和を持って思いのままと見る方法が「礼」なのかなと思う。礼を導くところは、究極的には善を求める心に依ってるように私は思うが…。

JRF2016/2/236556

>生まれつきの本性が善いものだとすれば、聖王は不必要になって礼義も無用になるが、本性が悪いものだとすれば、聖王に従って礼義を尊重することになる。<(下巻 p.202)

善い思いがあるからといって、善い結果が必ず現れるとは限らない。必ずしも望まれていない結果が目の前にあったとしても、その思いは善であったと認めることができれば、人がおさまることがあると思う。本性が善だとしても礼は必要ということになると思う。

JRF2016/2/236649

……。

>礼は人の自然な心情に従うのが根本である。だから礼の経典にきまりのないことでも、人の自然な心情に従うものはみな礼である。<(下巻 p.253)

上で、後世まで安らかにしようとしているのが聖王ということで、そのために定めたものが礼であるということだった。ならば、今まで礼と見られていなかったものでも、後の時代の変化により「後世まで安らかにしよう」とする方向で、礼が新たに作られ、認められるということはあるのかもしれない。でも、普通の人は、そういうことがわからないから、ある礼が廃れたら悲しまずにはおれないといったところか。

JRF2016/2/239307

……。

>太学を立て<(下巻, p.265)

『大学・中庸』([cocolog:84588927])を読んだとき、>「大学」は、董仲舒によって(…)設置されたものであるらしい<と書いたが、『荀子』の成立の時代を考えるともっと前から大学というシステムはあったということなんだろうね。

JRF2016/2/231653

……。

>詩経(…)に「切るようにし瑳[けず]るようにし、琢[みが]くようにし磨[す]るようにする。」とあるのは。<(下巻, p.278)

『大学・中庸』([cocolog:84588927])を読んだときは「切磋琢磨」は『大学』が出典と読めるように書いてしまったが、実際は詩経が出典なんだね。([cocolog:84588927] に追記しておいた。)

JRF2016/2/234703

……。

>来たらんと欲する者は距[こば]まず、去らんと欲する者は止めず。<(下巻, p.322)

「来る者は拒まず、去る者は追わず」の出典なのかな? ググると、『春秋公羊伝』や『孟子』が出典として挙がっていた。

JRF2016/2/239925

……。

……。

「性悪説」に身構えて読んだが、むしろ学習の大切さが主眼のようで、人の本性の悪に関して突っ込んだ議論はほぼないと言ってよく、その辺はひょうし抜けした。

オカルト的要素が他の諸家に比べても少ないと言っていいらしく、その辺りは安心して読めた。

JRF2016/2/230267

……。

関係ないけど、少し近況を述べると、前に受けると言っていた介護職員初任者研修を今、週一で受けているのだけど、コミュニケーションの授業とかで「引きこもり」だった自分を表現しなければならないようなことが多く辟易している。周りは、介護の研修を受けにくるぐらいの社会人だから、性善説的な雰囲気なんだけど、私は「引きこもり」で後ろ暗いところがあるため、余計に辛い。

コミュニケーションの授業を思い出すたびにダメな私が痛感されて辛くなる。精神科の医師とも相談して、作業所に行くといっていたのは取りやめ、研修に集中することにしたのだが、その判断は正しかった。

JRF2016/2/234366

……。

……。

追記。

君子は、美辞麗句を述べるより朴訥なのがいいというのが孔子の立場と書いたところ、『論語』の有名な句では、「巧言令色、鮮[すく]なし仁」とか、あるね。『論語』を再読してやっと思い出した。

JRF2016/2/249639

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受信: 2016-03-29 17:04:42 (JST)

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金谷 治 訳注『論語』を読んだ。再読のはずだが、ほとんど覚えていなかった。高校や大学の授業でやった分については見覚えがあったが、他はサッパリ。今回読んだ分もすぐに忘れるのだろう。... 続きを読む

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