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cocolog:84773813

小林 勝人 訳注『孟子』を読んだ。性善説は「性が善でも不善でもない」説の否定の上に成り立っているようで今一つ納得できなかった。易姓革命は、その論理を神様にまで適用しているのは徹底してるなと思った。 (JRF 8240)

JRF 2016年3月14日 (月)

『大学・中庸』([cocolog:84588927])を読んだときに>『孟子』はいまいち読む気力がわかないが、この先、読書が暇になりそうなら読むかもしれない。<と書いたが、三月の小遣いで『孟子』を買って読んでみた。

JRF2016/3/143898

『孟子 (全二冊)』(小林 勝人 訳注, 岩波文庫, 1968年-1972年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4003320417 (上巻)
http://7net.omni7.jp/detail/1100350746 (上巻)

JRF2016/3/144102

「易姓革命」の概念が、天皇制の日本には不遜きわまりなく、『孟子』を持ち込もうとした船は、日本に着く前に沈没するという伝説もあったという。(参:Wikipedia ↓)。今回読んだ本には、この説は全く載っておらず、訳者は信用できない言い伝えと判断しているのかもしれない。

《孟子 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E5%AD%90
>俗に「『孟子』を乗せた船は、日本に着く前に沈没する」とも言われていたと伝わる(…)。<

JRF2016/3/145707

別にそういうので忌避していたわけではないが、「四書」の中の一冊とはいえ論語などに比べて重要性が劣る印象があり、最近、岩波文庫の中国(古代)思想書をいろいろ読んできた中でも、後回しにしてしまった。

JRF2016/3/148278

……。

この本は、『孟子』を現在の姿にするのに大きな役割を果たしたとみられる趙岐、その『孟子題辞』を最初に載せている。

『孟子題辞』はいう。

>孟子の書はこの論語に範をとり、倣[なら]って作ったのである。<(孟子題辞, p.24)

孟子は後述するが自分を孔子のようにありたいとしていた。その思いから、死後、比較的早くに弟子達によって作られたのがこの『孟子』らしい。(趙岐は孟子自撰説をとるらしい。)

JRF2016/3/148074

>(…)秦の王室になってから、さらに経学の書を焚[や]きほろぼし、儒者を坑[あな]埋めにして殺したので、孟子の学徒はすっかり尽きはててしまったが、ただこの孟子の書は経学の書ではなくて、諸子と名づけられていたために幸いにも滅びずにすんだのである。<(孟子題辞, p.26)

JRF2016/3/143710

諸子と名づけられたものは焚書から見過ごされたというのは初耳。この本のここの注にあるように>医薬・卜筮・種樹の書<は焚書から見逃されたというのはどこかで読んだが、そういう書があまり遺[のこ]っていないわりに『韓非子』とか『孟子』とかが遺っているのはなぜだろうと不思議に思っていたが、その疑問の一部はこれで説明された。(この説明が現代の時代考証として正しいかどうかは疑問が残るが。)

JRF2016/3/143412

……。

>五十歩を以て百歩を笑わば、則ち何如[いかん]。<(梁恵王章句上, p.39)

「五十歩百歩」の出典。

JRF2016/3/144893

……。

>諺[ことわざ]にある『仁者に敵なし』とは、つまりこのことをいったものです。王様、どうか私の申すことをお疑いなさいますな。<(梁恵王章句上, p.47)

『荀子』([cocolog:84645108])で>仁者の軍隊に対して奇計を用いることはできません。<のところで批判したところ。「仁者に敵なし」はさらに古くからあることわざのよう。

JRF2016/3/148280

滕文公章句下 p.240-245 で、湯王と武王が王政によって天下を自分達に従えたと述べているが、勝てば官軍の大本営発表とはいわないが、天下を取ったものが後の歴史に自分達をいいように(敵を悪いように)言ったという面も考えられないわけではない。それを仁者の王道政治のためだと信じるのはあまりに純情が過ぎるように私は思ってしまう。

JRF2016/3/148799

……。

>斉の宣王問いて曰く、斉桓・晋文の事、聞くこと得べきか。孟子 対[こた]えて曰く、仲尼の徒、桓・文の事を道[い]う者無し。<(梁恵王章句上, p.50)

『荀子』([cocolog:84645108])は覇道も王道に次ぐものとして一定の評価を与えていたのに対し、孟子は覇道をまったく評価しないようだ。

JRF2016/3/140985

……。

>木に縁りて魚を求む(…)これについて末広恭雄博士は「(…)熱帯地方のアナバス(Anabas)という魚は、しばしば水より出でて陸に上り、鰓蓋[えらぶた]の刺[とげ]を巧に使って木(専ら椰子の木)に登るといわれている(…)」(…)。<(梁恵王章句上, p.61)

「木に縁りて魚を求む」の出典。アナバスでググってもいい情報が得られないが他でググると以下の情報を得た。

《キノボリウオ - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%AA

JRF2016/3/141786

>キノボリウオ(木登り魚、Anabas testudineus)(…)。キノボリウオという名が付いているが、実際は木に登ることはなく、実際には、雨天時などに地面を這い回る程度である。 このような名が付いたのは、鳥に捕まって木の上まで運ばれ、生きているのを目撃した人が、木に登ったと勘違いしたためである。このように地上に進出できるのは、同じ仲間のベタやグラミーと同様に、エラブタの中に上鰓器官(ラビリンス器官)を持ち、これを利用して空気呼吸ができることと、他の仲間と異なり、這い回りやすい体型のためである。<

JRF2016/3/147929

……。

>民の若[ごと]きは則ち恒産無ければ、因りて恒心無し。<(梁恵王章句上, p.64)

>恒産なき者は恒心なし。<(滕文公章句上, p.193)

「恒産なければ恒心なし」の出典。

JRF2016/3/140730

……。

>曰く、臣にして其の君を弑[しい]す、可ならんや。曰く、仁を賊[そこの]う者之を賊と謂[い]い、義を賊[そこの]う者之を残[ざん]と謂う。残賊の人は、之を一夫と謂う。一夫紂を誅せるを聞けるも、未だ[其の]君を弑せるを聞かざるなり。<(梁恵王章句下, p.91)

君臣の忠を大事にするはずの儒者が、「易姓革命」を是[ぜ]とする根拠。井筒俊彦『意識と本質』([cocolog:83187076])のひとことで引いた部分だろう。(あちらでは「一夫」ではなく「匹夫」となっていたが。)

JRF2016/3/147918

……。

>(…孟子に公孫丑が尋ね…)然らば則ち夫子は既に聖なるか。曰く、悪[ああ]、是れ何の言ぞや。(…)子貢[之をきき]学びて厭[いと]わざるは智なり、教えて倦[う]まざるは仁なり、仁にして且つ智ならば、夫子は既に聖なりといえりとぞ。(…)乃[すなわ]ち願う所は則ち孔子を学ばん。<(公孫丑章句上, p.126-127)

『論語』([cocolog:84664128])のところで『孟子』にある部分として引いたところ。孟子が弟子から直接「あなたは聖ではないか」と言われて、おそらく、てれながら「違う、とんでもない」と述べる部分なんだね。

JRF2016/3/149889

>そもそも、人に財物をやることを恵[けい]といい、人に善を教えることを忠といい、天下のために立派な人材を得ることを仁といい、<(滕文公章句上, p.215)

『論語』のところで仁を「日本じゃあ二番目だ」(by 快傑ズバット)にかこつけて私は解釈したが、孟子のある解釈によると「仁」とは「立派な人材を得ること」なんだね。

JRF2016/3/145518

>孟子曰く、人を愛して親しまれずんば、其の仁に反[かえ]れ<(離婁章句上, p.17)

『孟子』の「仁」は、『論語』の「仁」と少しズレがあるように思う。『孟子』のは仁愛を意味するほうにズレているように思う。

JRF2016/3/147231

ひるがえって『論語』を読んでいるときは、「自分は聖人ではない」としながら「自分は仁ではあるかもしれない」と思いつつ、仁かと問われたら自分はまだそれに致らないと言うのが礼のように私は感じていた。それが『孟子』では「仁」は誰でも自分がそれを持っていると肯定しうるもののようにあって、「聖」が自分にあると言われたらそれに致らないと言うのが礼とするだけのように感じる。

JRF2016/3/144119

……。

>人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以[ゆえん]の者は、今、人 乍[にわか](猝)に孺子(幼児)の将[まさ]に井[いど]に入[お](墜)ちんとするを見れば、皆(…じゅってき…)惻隠の心有り、交[まじわり]を孺子の父母に内[むす](結)ばんとする所以に非ず、誉[ほまれ]を郷党朋友に要[もと](求)むる所以にも非ず、其の声[な](名)を悪[にく]みて然るにも非ざるなり。

JRF2016/3/147610

(…)

是れに由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。羞悪[しゅうお]の心無きは、人に非ざるなり。辞譲の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隠の心は、仁の端[はじめ]なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。
<(公孫丑章句上, p.139-140)

JRF2016/3/140764

この部分…幼児が井戸に落ちようとしているところを助ける「おもいやりの心」は誰しもある…という部分は、性善説の説明としてどこかで読んだことがある。ここではまだ「性善説」という言葉は出て来ないが。

JRF2016/3/141982

……。

>孟子曰く、天の時は地の利に如[し]かず、地の利は人の和に如かず(…)。(…)故に君子は戦わざるを有[たっと](貴)ぶも、戦えば必ず勝つ。<(公孫丑章句下, p.149)

まるで兵法家のようなカッコイイ一言だが、ここも上に挙げた「仁者に敵なし」の考え方。

JRF2016/3/149685

……。

許行の言ったことを受売りする陳相という者が、孟子に会いに来て、滕の文公の政治について意見した。

>まことの賢者とは、自分から鋤[すき]・鍬[くわ]をとって人民といっしょになって田畑を耕して暮らしをたて、朝な夕な自炊しながら政治をとるものなのです。<(滕文公章句上, p.209)

JRF2016/3/143060

それに孟子は反対し、

>すべての仕事にはそれぞれ分担があって、人の上に立って政治をする[人君や役人のような]大人の仕事もあれば、人の下にあっていろいろな物をつくる[農工商のような]小人の仕事もあるのだ。<(滕文公章句上, p.210)

と分業を説いた。

JRF2016/3/147030

私はこの部分をはじめ読んで、天子が(今の天皇のように)祭祀として農業を営むのは、この社会の成り立ちを記念する上で大事なことなんじゃないかと思った。もちろん、「工」「商」のやることまですべて天子が行う必要はなく、天子が作ったものを売ったりするのはもっての他だと思うが、趣味で特定の工(芸術)を楽しむのは是認されていいようにも思う。孟子自身、梁恵王章句下 p.77 で民衆と楽しむのは良いこととしているが、その延長にあると思う。まぁ、その辺、難しさがあるのもわかるが、「分業」が大事だから領域を侵してはならないのとは違う論理が祭事・礼にはあるだろうと思う。

JRF2016/3/147963

ただ、この章を最後まで読んでいくと、質問者の陳相は私が言ったのとはかなり違う政治的意図があったことがわかる。

JRF2016/3/146456

>[だが、陳相はくいさがっていった。]「[そんなに許子を非難しないでください。]もし許子の説に従えば、市場[いちば]のいろいろな物の価格は一定して掛値がなく、国中にごまかしがなくな(…る。…)」すると孟子は[即座に]いわれた。「いや、それはいけない。(…)もしも粗末な履[くつ]と上等な履と値段を同じにしたら、誰も苦心して上等な履を造るものはあるまい。(…)<(滕文公章句上, p.220-221)

JRF2016/3/141558

一物一価の共産主義的理想を語る者に、資本主義的考えを語る孟子という図になる。「一物一価」で最近思い出すのは、「同一労働同一賃金」。生活給の考え方とか複雑な議論が必要なのはわかるが、あれも結局、同じことではないのかなぁ…。

JRF2016/3/140605

なお、さらに『孟子』を読んでいくと、祭事として農に従事するのは、礼として当然のことと考えていたらしい部分があった。

>礼の本にも『諸侯は[籍田[せきでん]の礼といって]自ら耒[すき]をとって籍田(祭田)を耕し、[あとは庶民が助け耕して]その収穫を宗廟[そせん]の祭の供物[くもつ]にあて、夫人は自ら養蚕[ようさん]して糸くりをし、[あとは女官に織らせて]国君の祭服をつくる』とあるが(…)。<(滕文公章句下, p.235-236)

JRF2016/3/143141

……。

>曰く、然らば則ち子は志に食[は]ましむるに非ざるなり、功[いさおし]に食ましむるなり。<(滕文公章句下, p.238)

ここの訳は、

>すると孟子はいわれた。「それなら、報酬は目的に対してあげるのではなくて、やはり成果に対してあげるというものだ。」<(滕文公章句下, p.240)

JRF2016/3/148081

同じ努力をした者に対して同じ結果を保証しようという「結果の平等」に対し、運であろうとも出た結果によって判断すべきという「機会の平等」について記事を書いたことがある(↓)。孟子は結果の平等という考え方に行き着かなかったというか、まぁ、自分に厳しい成功者だったんだね。

《「結果」の平等、「機会」の平等》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/02/post_2.html

JRF2016/3/145617

……。

>禹・周公・孔子の三聖人の志をうけ継ぎたいものと思っておる。<(滕文公章句下, p.260)

この三者を特別に理想とするんだね。時代の変遷とともに聖人の意味が変わったことを表す三者で、孟子自身も、孔子とはまた少し違う形で、時代の変遷にともなった聖人の在り方を追う仁の人という自認があったんだろうね。

JRF2016/3/148445

……。

>公輸子、(…)魯の国の人ゆえ魯般とも呼ばれ、細工の名人で、楚王のために城を攻める雲梯[うんてい]という大きな梯子を造り、墨子と論争攻守したので名高い。<(離婁章句上, p.9)

遊具の「うんてい」。鉄の梯子を上に道のようにあげて、その下をぶらさがって行き来したりした。公園や小学校の校庭で遊んだ記憶がある。最近見ないのはそういうところに私が行ってないだけのことかな。

JRF2016/3/146508

……。

>孟子曰く、人恒の言あり。皆天下国家を曰う。天下の本は国に在り、国の本は家に在り、家の本は身に在り。<(離婁章句上, p.19)

>山陽はいう、一篇の大学[の書]は[孟子の]此の章に注疏しただけである。<(離婁章句上, p.19)

『大学』([cocolog:84588927])は修身を国のもといに据えていた。その「ひとこと」で書いたようにあまり私はその考え方が好きではない。

JRF2016/3/143088

……。

>[書経の]太甲篇にも、『天の降した(自然におこった)災難はどうにか避けられもしようが、自分の招いた災難はとても遁れられない』<(離婁章句上, p.26)

落語「天災」を思い出す。天災はむしろ避けられないもので、だから諦めねばならぬもの。自分の招いた災難は、というか多くの場合、災難は自分が招いた部分もあるとして、反省せねばならないと思う。

《天災 (落語) - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%81%BD_(%E8%90%BD%E8%AA%9E)

JRF2016/3/146459

……。

>むかし、鄭の名宰相子産が国の政治を執っていたときのこと、寒い冬に川の中を人民が徒渉[かちわたり]しているのを見て憐れに思い、自分の乗物で(…川を…)渡してやったという話がある。孟子はこれを批判していわれた。「(…橋を渡せばよい。…)政治を執る者は大局をこそ見るべきで、一人一人を満足させようとしたら、毎日毎日かかったとて、[仕事が多すぎて]とても日数が足りはせぬ。」<(離婁章句下, p.63-64)

私は一期一会は大切だと思う。昔、オバマ大統領やアフガン情勢を想像しながら次のようなことを書いた。

JRF2016/3/144013

[aboutme:129789]
>人は周りの状況が自分がやったことを知る者だが、そのとき自分と出会った者の何げない一言で自らの罪を知って改める場合は、その影響が実際に作用した狭さを以って「小さな偽善」。そうでない場合、その背後でなされる悪の大きさに相対して「小さな善」となる。<

JRF2016/3/142877

自分の前に現れた者の訴えには為政者は注意しないといけない。何げなく出会ったことに意味があるかもしれないと考えることが大切だなどと私は思う。だから、子産が後に橋を渡すべきと考えたかどうかは別として、今、そこで困っている人を助けたということに、何かの怨みの解消があり見えにくいけど大きな意味があったかもしれないと思う。

JRF2016/3/145690

……。

>私[ひそ]かに諸[これ]を人に淑[よ]くするなり。(…)「私淑」という孰語はこれから生まれたのである。<(離婁章句下, p.87)

「私淑」の出典。

JRF2016/3/147378

……。

>死んでもよく、死ななくともよい時には、死なない方がよい。<(離婁章句下, p.88)

この文脈は、死なないほうが「勇」だという文脈で、「死なない方がよい」で一端結んでくれているのは訳者の恩情のようなもの。この訳のおかげで、私の人生「迷い」に入ってるけど、やっぱり、死なない方がよいのかなぁ…とか軽く思った。

JRF2016/3/140367

……。

>君子は道理にかなった方法でなら、だまされもする(…。)<(万章章句上, p.127)

『論語』雍也篇に孔子の語として「君子は欺くべきも罔[し](誣)うべからず」とあるとこの本は注しているが、『論語』でそこを読んでも意味がわからなかったのが、ここだと意味がわかりやすい。

JRF2016/3/149239

君子は、智恵者だから何でもお見通しの気がするが、スーパーマンではないので、道理にかなったふうを装えばコロッとだますことができる(道理に外れていればだまされない)。…ということらしい。そういう(ちょっと悪い意味での)「人の良さ」みたいなものも君子の性質ということだろう。そういうところが人を感化したりするんだろう。

JRF2016/3/143299

……。

>万章曰く、尭、天下を以て舜に与うと。諸[これ]ありや。孟子曰く、否、天下は天下を以て人に与うること能わず。(…)天之を与う。(…)天は言[ものい]わず、行[おこない]と事[こと]とを以て之を示すのみ。<(万章章句上, p.141)

尭が舜に譲ったのも、天の意志があったからで、天の意志は人民や自然の動きにあらわれるということらしい。「易姓革命」の孟子らしい部分。

JRF2016/3/143242

……。

>万章が(…)たずねた。「今の諸侯が人民から搾取するのは、まるで追剥ぎも同然です。それなのに、彼らが交際の礼儀を尽くして贈り物をしてくれば、[先生のような]君子でもそれを受けとられるとは、これはいったいどういうわけなのでしょうか。(…)」孟子はこたえられた。「(…今の諸侯のような乱暴はすぐに処刑するか…)一度は教戒を加えてみて、それでも改心しない時にのみはじめて処刑するだろうか。(…後者である…。)」<(万章章句下, p.197)

孟子は、節はあったようだが、けっこういろいろな贈り物を受けている。(ほとんど)何も報酬が得られない私とはえらい違いだ。

JRF2016/3/149157

……。

>孟子はこたえられた。「王さまと同姓の卿は[国家[くに]と運命をともにするものです。だから]君主に重大な過失があればお諌め申し、いくど繰り返してお諌めしても聴き入れられなければ、やむなくその君主を廃して別に一族の中から選んで君主の地位につけます。」(…)「異姓の卿は(…)立ち去るまでのことです。」<(万章章句下, p.217)

「易姓革命」の「易姓」は姓を易[か]えるだが、ここでは悪政に対し、卿が同姓の場合のみ君主を「放伐」し、そうでなければ立ち去るのみということを述べている。

JRF2016/3/149070

……。

>告子曰く、(…)人の性の善不善を分つことなきは、猶[なお]水の東西を分つことなきがごとし。孟子曰く、(…)人の性の善なるは、猶水の下[ひく]きに就くがごとし。<(告子章句上, p.220)

>公都子曰く、告子は性は善もなく、不善もなしといい、或ひとは性は以て善を為すべく、以て不善を為すべし。(…)[また]或ひとは性善なるひとあり、性不善なるひとあり。<(告子章句上, p.231)

JRF2016/3/144978

孟子のとき、「性善説」の前に立ちふさがったのは、性悪説じゃなく、「性は善でも不善でもない」説だったんだね。私は『荀子』([cocolog:84645108])の性悪説のところで、人は産まれながらというか赤ん坊のときのスリコミも含めて、性に善なる傾向、悪なる傾向どちらもあるように書いたが、それは、孟子にとってみれば、「性は善でも不善でもない」説になるんだろうね。

JRF2016/3/145087

『孟子』全体を通じて、性善なる性は皆同じく持っていて聖人も匹夫も元は同じだというように孟子は説いているが、それが長じるとどうして聖人と匹夫とで違うようになるのか、そこを説明しようとしている文もあるが私は納得できなかった。ひとこと、性善には産まれたときから強い弱いがあって、それが偶然によってか、天命によってか成長して聖人と匹夫の差になるとでも書いてあれば、そういう説だとして納得もできただろうが、そうではなかった。

JRF2016/3/141503

……。

>[孟子はいわれた]。「では、羽の白いのを白いというのは、雪の白いのを白いというのと同じであり、雪の白いというのは、玉の白いのを白いというのとみな同じだ、といってもよいのか。」告子がまたいった。「その通りだ。」[すると孟子はいわれた]。「それでは、犬の性は牛の性と同じであり、牛の性は人の性と同じ[で、さらに区別がない]ということになるが、それでよいのか。」<(告子章句上, p.223)

JRF2016/3/145168

>(…孟子はいわれた、…)「(…)なるほど、馬の白いのを見て白いというのは、人が色白いのを見て白いというのと、なんら違いはない。だが、老いぼれ馬を見てずいぶん年をとっているなあと思う気持ちと、老人を見て年長者として尊敬する気持ちとでは、果[はた]して違いはないものだろうか。(…)」<(告子章句上, p.226)

JRF2016/3/143046

「白馬は馬にあらず」は韓非子などにも出てくる有名な詭弁だが、その元はここにあったのかな…と思う。

羽の白いのも雪の白いのも白いのでは同じではないかと思うが、羽が遺伝子の情報によって白くなる仕組みと雪が透明なところから構造を持つことで乱反射して白くなる仕組みは違うとは言える。でも、孟子はそういうことが言いたかったのではなかろうと思う。「性」について、なんとも言えない観念が孟子の内にあったのではないか。

JRF2016/3/144213

……。

>天が重大な任務をある人に与えようとするときには、必ずまずその人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、その行動[することなすこと]を失敗ばかりさせて、そのしようとする意図と食い違うようにせせるものだ。<(告子章句下, p.316)

こういう部分を読むと、私が苦しんでいるのはひょっとして天が重大な任務を与えようとしているのではないか…と妄想する。しかし、私はむしろ怠けているのであり、他の普通の人はもっと苦労していることを私は認めねばならない。私はダメだった。

JRF2016/3/142780

……。

>孟子がいわれた。「してはならぬことはしない。望んではならぬことは望まない。君子の道はそれだけのことである。」<(尽心章句上, p.336)

想像の罪…「望んではならぬことは望まない」とは厳しいな。キリスト教では、マタイ 5:28 などを根拠として、想像するだけでも姦淫なのだという議論がある(参:[aboutme:116119])。それを思い出した。

JRF2016/3/148559

……。

>人間は五十ともなれば、絹物でないと身体[からだ]が暖まらないし、七十ともなれば、肉食でないと満足はしない。<(尽心章句上, p.346)

私の父は歯が悪くて肉が食べづらいというのはあるようだけど、それさえなければ、老人は肉を摂ったほうがいいのだろうか? よくテレビとかでは肉を食べるのを「健康のひけつ」であるかのごとくいう老人を観るけど…。

JRF2016/3/147418

……。

>しかしあくまでも中道ということだけにとらわれてしまって、臨機応変の処置[はからい]がなかったら、これまた楊朱や墨(…てき…)のようにただ一つの立場だけを固執して、他を忘れてしまうのと全く同じだ。<(尽心章句上, p.353)

囲碁で(攻守の)間を取るような手があることはあるが、常には最善手を打っていって「間を取る」ようなことは少ない。「中をとる」が不利な場合があるとは [aboutme:119891] とかで私は論じたことがあった。公明党などの中道政党・派閥の党略を想像しながら、そうした批判の心が沸くことが多い。

JRF2016/3/145197

……。

>公孫丑がたずねた。「先生、詩経に『何の功績[てがら]もないのに禄[ろく]を食[は]んではならぬ』とありますが、君子たるもの(暗に孟子を指す)が耕作もせず[仕官もせず]に、ただ君主から禄をもらって生活しているのは、どういうわけでしょうか。」<(尽心章句上, p.360)

上では孟子を「成功者」だと言ったが、孟子自身はそう考えていなかったのかもしれない。兄と話して「誰か人生の成功者というものがいるか」というようなことを言われたが、皆、「人生に失敗したなぁ」という思いをどこかに抱いているものなんだろうか。(でも、それにしても私は…ともまだ思うけど。)

JRF2016/3/142300

……。

>孟子がこたえられた。「梁の恵王は土地が欲しさに人民に血みどろの戦争[いくさ]をさせて、そのあげく大敗してしまった。ところが、これに懲[こ]りもせず、今度こそぜひ復讐しようと企てたが、勝ち味のないことを心配して、遂には自分の最愛の肉親たちまでも戦場に駆り出して、とうとう太子申その他を犠牲にしてしまった。(…)」<(尽心章句下, p.384)

JRF2016/3/142865

孟子は批判するけど、自分の子を責任者として差し出してまで奮起を促すというのはそれほど非難できる策だとは私は思わないけど…。当然、それなりの軍備もしただろうし。(もちろん、戦争自体反対なのは私も同じだけど、でも、それはおいといての議論だから…。)

JRF2016/3/148688

……。

>もし諸侯が無道で、社稷[くに]を危くするならば、その君を廃してあらためて賢君を選んで立てる。(…)また、社稷の祭に供える犠牲[いけにえ]が十分に肥えふとり、供え物の穀物も申し分なく清浄[きよらか]で、時期をあやまらず祭ったにもかかわらず、なお旱魃[かんばつ](ひでり)や洪水があったりすれば、[社稷の神の責任であるから]その[罪を責め]祭壇をこわして新たに造りかえる。<(尽心章句下 p.398-399)

すごいな。さすが「易姓革命」の孟子。神様にも容赦ないんだね。雨乞いの儀礼として祭壇を建て替えるとかいうのとは違うんだね。

JRF2016/3/149292

……。

>(…)孔子の学派を儒または儒者と呼ぶのは、孟子の書(…)にはじめて見えることで、孟子以前のものには見当らない。<(尽心章句下, p.416)

『漢字源』によると「儒」は武骨者の反対の意とかあるが、それが原意なのだろうか。謙遜の意を含んでいるような気もするが。

JRF2016/3/144541

……。

>布縷の征と粟米の征と力役の征あり。<(尽心章句下, p.418)

それぞれ調・租・庸ということらしい。租庸調の「現代的意味」については [aboutme:127251] に引いた部分とか、あとは沿革的に地租が法人税になったとか…。

JRF2016/3/149927

……。

>往[さ](去)る者は追わず、来[きた]る者は距[こば](拒)まず。<(尽心章句下 p.421)

「去る者は追わず、来る者は拒まず」の出典。『荀子』([cocolog:84645108])にも似た表現があった。

JRF2016/3/142257

……。

>死[者]を哭[こく]して哀しむは、生者[せいしゃ]の為にあらざるなり。(…)君子は法[度]を行いて以て[天]命を俟[ま]つのみ。<(尽心章句下, p.427)

お経は周りで聞いている生きている者のために唱える…と考えるのは「利」を観ているに過ぎないのかな。私はそう考えてた。「義」を重視する孟子はそうじゃないんだね。

JRF2016/3/143792

……。

>彼らは『この世に生まれたら、この世の人らしく暮らし、世間の人から評判さえよければ、それで結構[よい]ではないか』といって、自分の本心を掩[おお]いかくしてひたすら世間にこびへつらう者、それがつまり郷原なのだ。(…)『(…)世に媚びる郷原をにくむのは、真の徳ある人にまぎらわしいからおそれるのである』<(尽心章句下, p.439)

郷原は「徳の賊」なのだという。小心者ということだろうか。厳しいな。そうやって忍んで暮らせるのは悪いことではないと、四十歳を過ぎた私は思うんだが。

JRF2016/3/141749

……。

>いったい襄の字は哀の字と古い形が似ているから誤られやすい。老子第六十九章に「抗兵相加哀者勝矣」とある哀者は襄者の誤りで譲るものの意味だといわれているが、(…。)<(孟子について, p.448)

この部分、2008年の蜂屋 邦夫 訳注『老子』によると、そのような注はなく「哀しい」と読み、「哀しむ者は勝つ」と訓じている。

JRF2016/3/146010

……。

以上。

なお、「孟母三遷の教え」は、『孟子』には載ってなかった。ググると、他の書を皆、出典として挙げている。

「易姓革命」も、その概念は載っているとできるのだろうが、「易姓革命」という言葉は『孟子』には出て来なかった。ググると、『史記』を出典とするものもあったが、明らかでない。

JRF2016/3/147461

……。

……。

近況ということになるが、ちょっと調子が悪い…具体的には、ここ数日めまいがして、これまでになかったことなのでとまどっている。そんな中、『孟子』を読んでいたので、なかなか読み進めなかった。

寝過ぎなのか、腹が痛いのが血を使って貧血ぎみになってるのか、脳の病気か、とか悪く考えればいくらでも悪く考えられる。まぁ、最初のめまいがひどかった日より、だいぶマシにはなっているので、年齢が最大の要因なのかと思う。

JRF2016/3/142884

『孟子』は最近の読書としてはいつも通り、右から入って左から出る、頭に残らない読書となってしまった。性善説もいまいち飲み込めなかった。「易姓革命」にちょっと構えていたが、そこは軽くいなされたという感じ。が、他の中国思想書に比べて、まとまりがあって読みやすかったとは言えるように思う。

JRF2016/3/149149

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