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cocolog:84912421

『旧約聖書』を『旧約聖書略解』とともに読んでいる。モーセ五書(トーラー)まで読んだ。 (JRF 8889)

JRF 2016年4月 5日 (火)

これらも前回([cocolog:84842079])の『新約聖書』『新約聖書略解』と同じく何度目かの読書になる。右から入って左から抜ける式の頭に入らない読書というのは今回も同じ。なさけない。

JRF2016/4/56306

『聖書 新共同訳 - 旧約聖書 旧約聖書続編つき』
http://www.amazon.co.jp/dp/4820213091 (ジッパーつき・ミニ判黒)
http://7net.omni7.jp/detail/1101626553 (クロス装厚表紙)

私が持っている『旧約聖書 続編つき』は、古いミニ版。

『新共同訳 旧約聖書略解』(木田 献一 監修, 日本基督教団出版局, 2001年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4818403997
http://7net.omni7.jp/detail/1101749411

JRF2016/4/59275

……。

前回、キリスト教について思うところを、いろいろ書いたが、それはそちらを参照してもらうことにして、いくつか引っ掛かったところを少しだけ言及したい。

JRF2016/4/57002

……。

前回書いた多神教的キリスト教というかゲームなどでの「神々の復活」について…。

>主ひとりのほか、神々に犠牲をささげる者は断ち滅ぼされる。<(出 22:29)

「神々」が問題となるのは、ここだけでなく、十戒の第一戒(出 20:3)から>あなたは鋳造の神々を造ってはならない<(出 34:17)とかいろいろあるのだが、今回、私は特にこの部分に引っ掛かった。

JRF2016/4/57898

ゲームで、「神々」からおつかいを頼まれて何かを捧げるようなこともあるかもしれないが、私が問題にしたいのは、それではなく、ゲームをやるというそのこと自体、ゲームをする時間はつまり「無駄」に過ごす時間で、それ自体が犠牲をささげることなのではないかというそのことである。

「無駄」でなければいいか、例えば、YouTube でプレイ動画を公開したりして「仕事」にしていたらいいのかというと、むしろ、逆で、それらは人を「無駄なゲーム」という儀式に誘っているとされるのではないか。

JRF2016/4/59633

「遊び」は「犠牲をささげる」とは違う…とは言えると思うのだが、精神的「犠牲」ということまで考えた場合、引っ掛かる物がある。

JRF2016/4/56567

私の論調は「だからダメだ」というのではなく、「だから新しい考え方」つまり「多神教的キリスト教」を認めて欲しいということになる。それは(時代の変化などによって)許されるようになったんだということ。仮想現実での行為は、現実の犠牲などとは区別するということ。バーチャルな犠牲はどう見えても時間の犠牲のみでそれは「労働」に近いこと。そこに意義を見出してゲームで「労働」ができる人が現れるのは喜ぶべきこととしたい。

JRF2016/4/57647

キリスト教にとって、動物を殺す犠牲は、縁遠いものとなり、残酷であるばかりか、神が不必要なものを必要としているように見せるという点で、ある種「偶像崇拝」的にすら感じられる。動物の犠牲を焼いた効果は「宥めの香り」ということになろうが、それが人を誘いえたように、ゲームもゲーム内の特定のイベントというよりは、ゲームが可能となるその文化の香りによって人々を文化と平和に誘うということに意義があるとできないか。

テロという(人の)犠牲を安易に求める行為の対極に位置するものとしても積極的に意義付けができないだろうか。

JRF2016/4/52620

……。

初子の奉献について。

>初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。(…)あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて、贖[あがな]わねばならない。<(出 13:12-13)

>見よ、わたしはイスラエルの人々の中からレビ人を取って、イスラエルの人々のうちで初めに胎を開くすべての初子の身代わりとする。レビ人はわたしのものである。<(民 3:12)

>イスラエルの人々の長子の数は、レビ人の数を273人超過している。この人数分の贖い金が必要である。<民 3:46)

JRF2016/4/52523

中東には長子を神に捧げ殺す文化があったのは有名で、私は小説『水竜狩り』を書いたときに、長子を捧げる代わりとして決死の従軍を求めるという筋を持ち出した。今回の読書では、出エジプト記の段階で長子の贖いが具体的に示されないところで、いろいろ贖い方があったのではないかと思った。それが民数記でやっと「贖い」とはレビ人のことで、それが前提であるが金銭での贖いも認めるようになったとあった。その間に「歴史」があるのではないかと今回(も)、私は想った。

JRF2016/4/57618

↓ではイエスの時代、「長子は医者にならなければならなかったのかもしれない。」という自説を展開している。

《『新約聖書』ひろい読み --- 豚に真珠》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/01/post_3.html

JRF2016/4/52978

……。

聖書の類推解釈について。

>最後の《子山羊をその母の乳で煮てはならない》(…)は、ヤアン(…カナン?…)のバアル宗教で行われていた儀礼であり、その風習の侵入を拒否することを命じたものである。<(略解 出 23:19b)

JRF2016/4/52239

この部分、[cocolog:77514629]・[cocolog:82853495]・[cocolog:84060491]で紹介した。finalvent 氏などはいっしょに煮ないのは「かわいそうだから」ではなく、「神がそう命じたから」煮ないと解釈することを勧めていたが、私は「かわいそうだから」と類推してもいいのではないかと考えていた。が、略解を見ると、どうも finalvent 氏の意見が正しそうだ。

JRF2016/4/56156

ただ、私が今回「正しい」と思ったのは、「神がそう命じたから」という記述を見てではなく、「バアル宗教の侵入を拒否する」という態度が、旧約聖書らしいと類推したからであるが。

JRF2016/4/58856

バアル宗教が反面教師的に「それはかわいそう」という概念を教えたという解釈に未だ立つことも可能ではある。

JRF2016/4/55844

……。

雑種の禁について。

>あなたたちはわたしの掟を守りなさい。二種の家畜を交配させたり、一つの畑に二種の種を蒔[ま]いてはならない。また二種の糸で織った衣服を身に着けてはならない。<(レビ 19:19)

JRF2016/4/50682

同種の家畜ならばより良い家畜を得るために交配して良いが、異種間でそういう試みをしてはならないということだろうか。これ、現代のユダヤ教徒は遺伝子操作とかどう考えてるんだろう。

JRF2016/4/59739

偶像崇拝が禁止されているのに、蛇の毒に対抗するために「青銅の蛇」が造られたことがあった(民 21章)。王下 18:4 によると後のヒゼキヤはそれもダメだとしたらしいが略解によるとその後も《救い》のしるしとして人々に受け容れられたという。

医療(や科学)に関することは特別で、交配なども許されると解釈すべきなんだろうか?

JRF2016/4/53580

……。

「サタン」について。

>《妨げる者》ヘブライ語サタンは後代には悪魔の固有名詞として用いられるが、もともとは「地方を巡る検察官」の意(…)。<(略解 民 22:22)

JRF2016/4/54799

私は「サタン」という語の原義は↓だと思ってた。「地方を巡る検察官」とまで固定された意味を持ってるというのはビックリ。

>サタン:悪魔と同じ意味。元の意味は「中傷する者「訴える者」。(…)<(旧約聖書 用語解説)

JRF2016/4/56242

……。

「神を試みてはならない」について。

>あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。<(申 6:16)

JRF2016/4/52614

[cocolog:73267390] で「神を試みてはならない」について論じている。これは十戒に続くものだが、モーセの感慨から出た言葉(律法)という理解を私はしている。[cocolog:73267390] は確か dankogai さんにからんで述べたことのように覚えていた。

JRF2016/4/58352

……。

唯一神の「暴君」性について。

>あなたが正しいので、あなたの神、主がこの良い土地を与え、それを得させてくださるのではないことをわきまえなさい。あなたはかたくなな民である。<(申 9:6)

JRF2016/4/52326

旧約聖書の神は、人に、自分の子を食う「人肉食」に致らせるという呪い(申 28章)すらする。残酷で、そんな呪いをしない神のほうが「慈悲の神」らしいと思うが、そんな呪いをして、それが実現するほうが、「生存者バイアス」というと語弊があるが、信仰が強化されたということなのだろう。この神がキリスト教の唯一神だとなった。「暴君」としての神の一面だろう。

JRF2016/4/52179

《神は至善か、暴君か》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_8.html

JRF2016/4/58212

そのように唯一神は歴史に顕現してきたが、福音が世界(地球全土)に届いた今、同時に考古学もすすみ、逆に、多神教を唯一神がなぜ許したかという点も問わねばならなくなってきたと私は信じたい。多神教の「神々」も唯一神にとって意味があったはずで、そのわかりやすい記念として、ゲームの中に「神々」がいて、本物の多神教も完全に消えたわけではない世界が顕現していいと私は思いたい。

JRF2016/4/57313

私自身が「正しい」とはもうとても思えないが、正しくなくとも顧みられることはあるかもしれない。多神教へのこの「思い」は唯一神に助力され、たとえば私より優れた別の誰かが展開できたりしないものだろうか…。

JRF2016/4/52756

……。

……。

とりあえずトーラーの部分だけ読んだ。この先を読む前にちょっと他の「学び」を優先しようかと思う。それが一息ついたら、とても長い『旧約聖書』の続きの部分にとりかかるかもしれない。

JRF2016/4/54583

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