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魯迅『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』を読んだ。短編小説集。阿Qの卑屈さを私は持ってしまっている。革命・混乱があれば、私も何かの罪を負わされて死ぬのかもしれないとちょっと思った。 (JRF 7304)

JRF 2016年5月 7日 (土)

『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』(魯 迅 著, 竹内 好 訳, 岩波文庫, 1955年 1981年改訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/400320252X
http://7net.omni7.jp/detail/1100311580

1920年ごろの作品でそのころの中国の混乱期・革命期において生活する人々の事情を(もちろんデフォルメして)描いている小説群といえよう。全編興味深く、おもしろかった。

JRF2016/5/72170

Amazon 評の中に、阿Qは誰の中にもいるという評があったが、そういうものなのだろうか。もちろん、私も阿Qのような思考が痛いほどよくわかって、そういうのは特殊なのかと思っていたが、それが「誰の中にもいる」とされるのが驚きなのである。

JRF2016/5/73655

……。

阿Qはバクチでたまたま大勝ちしたことがあったが、どさくさにそれがなかったことにされた。そのとき…

JRF2016/5/75135

>まっ白な銀貨の山! しかも自分のものである銀貨の山 -- それがなくなった! 伜[せがれ]に持って行かれた、と考えてもおもしろくない、おれは虫けらなんだ、と言ってみても、やはりおもしろくない、今度ばかりは、かれは敗北のにがさを味った。

JRF2016/5/75668

(…)

だが、かれは、敗北をたちまち勝利に変えることができた。かれは右手をふりあげて、自分の横っつらを力いっぱいつづけざまに殴った。飛びあがるように痛かった。だが殴ったあとは気がはれて、殴ったのは自分だが、殴られたのは別の自分のような気がした。そのうちに自分が他人を殴ったような気がして -- 痛いことは痛かったが -- かれは満足し、意気揚々と横になった。かれはぐっすり眠った。
<(p.110)

JRF2016/5/75813

阿Qに伜がいることはなく、伜に持って行かれた、と思うことをなぐさめとし、人に非難されたり殴ぐられたりするときに自分は虫けらなんだと言うことでやり過ごしてきた…。

JRF2016/5/79805

この姿は↓を思い出す。

《「ヨブ記」を読む》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2015/03/post.html
>ふと何かを思い出し、「私が悪い」とつぶやくのが私の口ぐせで (参: [cocolog:81686700])、その「無意識」に「何とかしないと……。」を続けて気付きを得ようとすることがよくある。最近、それを「悪い」んじゃなくて「ダメ」なんだなとそもそもの部分で気付いて、「私はダメだ」と言うようにしてみた。今は、そんな諦めと自責のはざまを「無意識」のレベルでせめぎ合ってつぶやきが出てくる。<

JRF2016/5/75594

今、介護の研修を受けていて、帰ってきてその場面を思い出しては「おれが悪かった」「私はボンクラだ」「おれはダメだ」とつぶやいてしまう。それは阿Qと同じようなある種の自己防衛なのかもしれない。情けない。

JRF2016/5/72057

阿Qは革命にそそのかされて、自分がそこに参加する夢を見、その夢想が結局は自分の首をしめるという結末になる。

私も自分が力を持てるかもしれないと夢みて「改革」の思想にかぶれる日が来るのかもしれないと思った。それはきっと自己を破滅させるだけの妄想なのだろう。私の統合失調症が、ことによったらそういう方向に自分を持っていきはせぬかと怖くなった。

JRF2016/5/71730

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