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cocolog:85564284

Moses Maimonides 著『The Guide For The Perplexed』を読んでいる。Part III の終りまで読んだ。読み終った。神義論、ヨブ記に関してなど。 (JRF 9513)

JRF 2016年7月17日 (日)

少し前からこの本を英語で読んでいる。6月中旬([cocolog:85424726])から読みはじめて 前回([cocolog:85509098])に Part II の終りまで読んでいた。今回は続きから Part III の終りの 54 章まで。

JRF2016/7/170714

『The Guide For The Perplexed』(Moses Maimonides 著, M. Friedla:nder 訳, Dover, 1956年)
https://www.amazon.co.jp/dp/0486203514
https://www.amazon.com/dp/0486203514

この本は、1904年に出た版から注などを取り除いた上で、一冊にまとめ上げて 1956年に出た版らしい。

JRF2016/7/174772

……。

少しだけ抜き書きする。

JRF2016/7/172024

……。

Part III はエゼキエル書の神の戦車に関する説明からはじまる。何が重要なのか(萌えポイントなのか)私にはわからなかった。

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……。

マイモニデスによる「肉体」への蔑視のようなもの…。

JRF2016/7/173731

人と同じく…

>All other living beings likewise die or become ill through the substance of the body and not through its form.<(III-VIII, p.261)

JRF2016/7/177201

物質(substance)は地上のもので、形相(form)は神から与えられるものといったところになる。物質の不具合が、障害や病などを引き起こすという理論。そして、神は一切悪くはない。…という。

JRF2016/7/173342

>In short, a good constitution facilitates the rule of the soul over the body, but it is not impossible to conquer a bad constitution by training.<(III-VIII, p.262)

JRF2016/7/172831

祈りによって、悪い状態を脱することもできないんだろうか。本人が悪いなら本人による祈りはないだろう。でも、他者による祈りが本人に作用することはありえないことではないと私は信じたい。

マイモニデスは、モラルについて厳しい意見を持っていて、酒も歌(特に恋や酒に関する歌)などもダメだとしている。(III-VIII, p.263-264)

JRF2016/7/174186

……。

非存在(non-existence)や負の性質については、非存在や負の性質自体が創造されるのではなく、何かが存在していない何か、正の性質を持っていない何かが創造されるだけだと説く。(III-X, p.265-266) 悪も同様に「良さ」の欠如なのだと言う。

>"All evils are negations."<(III-X, p.266)

JRF2016/7/170131

しかし、私はそうは思わない。成績のいい子は「良い子」の一例だが、成績が悪いからといって「悪い子」とはならない。「悪い子」はいじわるやいたずらをする子のことだ。

JRF2016/7/178529

善悪は基本、人それぞれが判断する相対的なもので、ある人が善だと思うことが別の人にとっては悪と映る。それはある人にとって「ある」ことが別の人にとって「ない」ということになっているというのとは普通は違うように思う。子供を食わせるために泥棒をしたという人は、基本、悪い人ではあろうが「良心」の欠如だけでは説明できないものを持っている。

JRF2016/7/173766

マイモニデスは、神を悪としないため、全体にとっての善悪を個人にとっての善悪に優先すべきたといった考え方をする。広く見れば神は常に正しいんだ、ということ。広くみれば、せいぜい悪くないことが良いこととみなすべきとなり、悪くないことはないことが(二重否定の除去で)「悪い」ということになるのかもしれない。(先の泥棒が盗めるパンはあったということが世の中、悪くないことになるんだろうか? 許されれば?…常に許されうるような社会だろうか?)

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反対の性質を否定句によって導入できないのは二重否定の除去が使えなくなって不便だから、善いと悪いを別の軸でとらえるべきではないのかもしれない。でも、その場合は、良くないものも悪くないものも(悪いものも良いものも)同様に直接に創造されうると考えるべきだと思う。

keyword: 神義論

JRF2016/7/173986

……。

何のために the Universe は人は創造されたか、the Universe も人のために創造されたとしてもじゃあ、人は何のために創造されたのか、神がより完全になるため…というわけにはいかないだろう…というのがマイモニデスの議論。

JRF2016/7/178039

結局、神のご意志が大事でそれ以上は問えないというところに着目し、それは人を創造した目的だけでなく、他のものを創造した目的についても結局は「神のご意志だ」という以上のことはいえない(いうべきでない)というように結論づけている。動物も人のために創られたのではない。(神は人に動物を支配させようとしたけれども。)星も人を照らすために創られたのではない。それぞれを創ったとき神は「善し」とされたのだ…と。

JRF2016/7/172999

>Even if the Universe existed for man's sake and man existed for the purpose of serving God, as has been mentioned, the question remains, What is the end of serving God?

JRF2016/7/175846

(…)

He does not become more perfect if all His creatures serve Him and comprehend Him as far as possible; nor would He lose anything if nothing existed beside Him.
<(III-XIII, p.274)

JRF2016/7/175254

>For no part of the creation is described as being in existence for the sake of another part, but each part is declared to be the product of God's will, and to satisfy by its existence the intention [of the Creator].<(III-XIII, p.275)

JRF2016/7/172408

でも、神は一見、完全でなくなることは受け容れているのではないか? 神への疑いが人に生じることは悪とされないし、その疑いが誰にも生じなくなることを望んでおられるわけでもないのだと信じたい。我々から見て、それが神をより完全にすることだと考えるのはおこがましいことだとは私も思うけれども、神から見れば神がより完全になると考えていたとしても何の問題があろうかと思う。

JRF2016/7/176096

……。

今と天体(天球)に関する考え方がまるっきり違うが、「天文学的単位」が巨大であったのは、マイモニデスのころも同じだったようだ。

JRF2016/7/177012

>It has been proved that the distance between the centre of the earth and the outer surface of the sphere of Saturn is a journey of nearly eight thousand seven hundred solar years.<(III-XIV, p.277)

JRF2016/7/170634

>The body of each of these stars is more than ninety times as big as the globe of the earth, (…).<(III-XIV, p.277)

JRF2016/7/173028

……。

神の全知性・全能性について。世に正しい人で苦しんでいる人、神に逆らう人で幸せな人がいるのはどうしてか。神はそれをご存知ないのか、無関心なのか、それとも何もできないのか。…という疑問が III-XVI から III-XVII で語られる。

JRF2016/7/173818

アリストテレスの意見として、神は地上のことについては種に関して見守っておられるだけで、個々は見ていないのだと述べる。アシュアリー派の意見として、すべては運命のようなもので神の意志なのだ、人には可能(possible)と見えることも神には必然(necessary)か不可能(impossible)でしかないんだ、と述べられる。ムゥタジラ派の意見として、自由意志の尊重と死後の救済(逆に言えば生きてるときは当然に不平等がある)が述べられる。

JRF2016/7/176381

マイモニデスの意見は、動物などはアリストテレスの意見と同じだというのがわかるが、人間についてどう考えているか、いまいちつかめない。人は自由意志を持ち、神は正しく審判(judge)されるというのみだ。まるで、本当に正しい人で苦しんでいる人はいない、神に逆らうものは必ず報いを得るというかのように。ヨブ記を読んでなおその思いを表明できるとは私には信じがたいが。

JRF2016/7/171496

「審判」という言葉に大きな意味があるのかもしれない。それはすぐには現われない、(神の意志による)必要に応じて待ってくださるという含意があるのかもしれない。

JRF2016/7/176175

もしかすると、これこそが信仰だという思いがマイモニデスにはあるのかもしれない。神を信仰するとは、すなわちそういうことを信じることなのかもしれない。客観的に見ればヒドイことはあろう。しかし自分が主観的に見るときはそうはならないと信じて最後の最後まで生きれるのかもしれない。最後の最後のほんのわずかな救いに神の恵みを感じることがあるのかもしれない。それで十分だ…と。

JRF2016/7/170594

……。

Part III の XXII 章と XXIII 章はヨブ記に関する記述がある。覚えてないが、おそらくこれがこの本を買った目当ての一つであったはず。

マイモニデスは、ヨブ記をフィクションと認めるが、深遠なアイデアや解かれるべき大きな謎を含んだ書物として、ちゃんと解釈はしている。

登場人物をちょっとした説明で個々に紹介したあと、次のように評している。

JRF2016/7/170128

>The view ascribed to Job is the theory of Aristotle. Eliphaz holds the opinions taught in Scripture, Bildad's opinion is identical with that of the Mu'tazilah, whilst Zofar defends the theory of the Asha'riyah.<(III-XXIII, p.302)

JRF2016/7/173761

この中に出て来ないエリフ(Elihu)については、マイモニデスは高く評価しているようだ。エリフはヨブ、エリファズ、ビルダド、ツォファルの意見を繰り返しながら、天使についての知見など新しいことも述べているという。

JRF2016/7/177494

全体的に私の意見(↓)とは違う観方かな。

《「ヨブ記」を読む》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2015/03/post.html

JRF2016/7/170062

……。

神の試練は、神が誰かの勇気とかを知るために行なわれるのではない。神はそんなことは前もって知っている。…というのがマイモニデスの意見。

JRF2016/7/179622

>For a miracle cannot prove that which is impossible; it is useful only as a confirmation of that which is possible, as we have explained in our Mishneh-torah. (Yeside ha-Torah vii. f. vii. 3.)<(III-XXIV, p.304)

JRF2016/7/176746

奇跡は、神にとって不可能でないだけではないのかな。それだと上はあまり意味がない言及になるが…。それとも奇跡の先に可能になることに確信を持たせるということなのか? 誰かの勇気を神が知るためでなく、皆を勇気づけるために試練や奇跡は行われるということなのか? でも、神の加護は欲しいところで得られないことも多い。皆が信じたがっている、その一体感が大事なのか? しかし、それも裏切られうるものだ…。確信を超えて行動する者に、じゃあ、マイモニデスは付いていけたのだろうか? 王の命令はまた別の物だろう。なぜ、宗教には従えるのだろう?

JRF2016/7/177417

……。

Part III の XXIX 章には、Sabeans(サビーア教徒?)の本 the Nabatean Agriculture から引いて、聖書とはまったく別のアブラハムやアダムの伝承について言及している。不思議な植物の話…「マンドラゴラ」の名前も出てくる。

JRF2016/7/171613

……。

聖書に基づく教訓(precepts)は、「神の意志だ」と言って終りなのではなく、そこに目的を見出せるとマイモニデスは主張する。神は目的なく教訓を下さない、と。

JRF2016/7/172926

犠牲を使った儀式については、出エジプト以前の宗教の名残りなのだという。神が、出エジプト以前の文化に介入して望ましい儀式を設定していた…といったような説明はしない。しかし、以前に親しんでいた形式を突然やめさせるのではなく、それを(部分的に)続けさせることで伝わることがあるとする。

JRF2016/7/175685

>It is contrary to man's nature that he should suddenly abandon all the different kinds of Divine service and the different customs in which he has been brought up, (…)<(III-XXXII, p.324)

JRF2016/7/171401

神は人の心に直接介入して何かを覚えさせたりができないわけではないはず。でも、そうしない。

JRF2016/7/171997

>Although in every one of the signs [related in Scripture] the natural property of some individual being is changed, the nature of man is never changed by God by way of miracle.<(III-XXXII, p.325)

JRF2016/7/172347

犠牲に関する説明がある章(III-XXXII)の冒頭に、脳や脊髄についての説明がある。解剖学を禁じないところに、犠牲を使うことの合理的理由を見出させようとしているのか、と思わせておいて、そういう説明はなかった。

JRF2016/7/170364

……。

マイモニデスは、聖書に基づく 613 個の教訓(precepts)を 14 のクラスに分けて説明する。

その 6 番目は罰(特に罰金)についての教訓が語られる。罪には死に値いするもの、そうではないものがあり、しばしば起こるものとそうでないもので罰の重さも変わるという。安息日を守らないことが死に値するというのは有名である。

JRF2016/7/178410

神の法を拒否したり敵対したりする罪、例えば星に拝んだり、ミルクで肉を煮たり、ウールとリネンの着物を着たり、頭のコーナーを丸めたり…という場合は、死の苦しみを受けるべきだが、罰によるのではなく、偶像崇拝の街が滅ぼされたように滅ぼされるべきだとする。(III-XLI, p.349)

それは直接手を下すべきでない(しばらくほうっておけ)という意味なのか、集団として集団を処罰すべきだという意味なのか、どちらの意味なのか私には読み取れなかった。

JRF2016/7/175989

……。

ある伝承によると、アブラハムはその地方の最も高い山に祭壇を造りながら、そこで西に拝んだという。そのころ普通は、太陽の昇る方角である東を拝むものなのに。

JRF2016/7/170271

>Abraham turned therefore on Mount Moriah to the West, that is, the site of the Sanctuary, and turned his back toward the sun; (…)<(III-XLIV, p.355)

JRF2016/7/172759

わざわざそこまでして太陽神信仰に「反逆」する必要はなかっただろうにと思う。他の者の反感を買うだけだろうと思う。が、これがユダヤ教の伝承。偶像崇拝への反感なのだろう。一神教は反逆の宗教なのだなぁ…という感慨を持つ。

JRF2016/7/170710

>As regards the offering of wine (Num. x. 5, seq.), I am at a loss to find a reason why God commanded it, since idolaters brought wine as an offering.<(III-XLLVI, p.356)

JRF2016/7/179340

山羊や羊や牛の犠牲は、逆にそのころ、偶像崇拝者が避けていたから逆に命じたという文脈があって、酒はなぜ神が命じたかわからないという。マイモニデスにはイスラム教がそうであるように、酒自体への反感もあるということだろう。

JRF2016/7/170239

ライオンなどの野獣を犠牲に求めれば、選ばれた者しか用意できない。だから、一般的な家畜を犠牲に求めた。…という説明は合理的だと思う。そういう説明ではなく、インドでは禁じられていたとはいえ、牛を犠牲にすることに反偶像崇拝を理由にするのは、行き過ぎのように思う。

JRF2016/7/178822

牛や羊や酒の犠牲はむしろ当時の慣習に従ったという以上の理由はない、またはそれ以外はあとづけの理由なのではないか。

JRF2016/7/173933

天体崇拝が、農業と結びつくというのも、農業には暦はあったほうがよく、暦の発達には天体崇拝が有利だったとも言えるはずで、まったく非合理的で「偶像崇拝」的であったとも言い切れないと思う。ただ、マイモニデスの時代になれば、天体崇拝がなくても天体観測がなされその知識が保存されるようになっていたかもしれず、必要性は薄れていたかもしれないが。

JRF2016/7/177704

……。

613 の教訓のうち、理由がわからないものが数少ないがいくつかあるという。その一つが、なんと聖所のパンを置くテーブルに関する規定だという。

JRF2016/7/177521

>(…)but I do not know the object of the table with the bread upon it continually, and up to this day I have not been able to assign any reason to this commandment.<(III-XLIV, p.356)

JRF2016/7/174382

なぜ、マイモニデスが、これがわからないのか、わからないものと言及するのか、その理由が私にはわからない。他は(おそらく想像などから)何とでも理由を付けてきたのに。

それとも他は偶像崇拝にも文献による資料があるということか。当時の偶像崇拝の文献に載ってるから、必ずそれに反発したとはいえない。…としても、ちゃんと調べて言ってるなら、やはりすごいことだとは思う。

JRF2016/7/175055

……。

「子山羊をその母の乳で煮てはならない」(出エジプト記 23:19)は、この本では一般に「肉をミルクで煮てはならない」として引用される。この禁は [cocolog:84912421] では>バアル宗教で行われていた儀礼であり、その風習の侵入を拒否することを命じたもの<と説明したが、この本でも異教の偶像崇拝(idolatory)の影響を排除するため禁じられたと推測している。しかし、マイモニデスの持っている本には異教(Sabeans)の風習にそのようなものがあるとは確認できなかった、とのこと。

JRF2016/7/177831

>(…)but as far as I have seen the books on Sabean rites, nothing is mentioned of this custom.<(III-XLVIII, p.371)

JRF2016/7/172302

……。

割礼は性的興奮を弱めるものだという。

>(…)for there is no doubt that circumcision weakens the power of sexual excitement, and sometimes lessens the natural enjoyment; (…)<(III-XLIX, p.378)

JRF2016/7/177834

マイモニデスはそれ以上の理由を述べてないが、私は以前 [cocolog:82346841] で、割礼の理由についてうがった考え方をしめした。

JRF2016/7/171661


これ(…割礼…)を、(…)子の(その母の)改宗問題を考えると様相が変わる。つまり、包皮がない状況を人為的に強制していれば、もし快感が有利ならば、包皮がない状況でも快感が得られるほうに「進化」するはずである。

そして、包皮があるほうが敏感であるとすると、非ユダヤ人となり非割礼となった時点で、オナニーに強い快感を得がちになるのではないか?

JRF2016/7/177153

(…)

「オナニー野郎」になった時点で、「改宗」の報いを受け、例えば女性などから嫌われるようになるといった面があったのではないか?

JRF2016/7/178672

……。

神のことを考えて生きるのが一番良い生き方なのだという。

>Every pious man should therefore seek retirement and seclusion, and should only in case of necessity associate with others.<(III-LI, p.386)

JRF2016/7/172380

私は、40代なのにまるで仕事から引退したかのような生活をしている。これを神のための生活…仏教も含めてなら宗教生活とできれば、こころ安らかなのかもしれないが、実態は、人から受け容れられていないだけなので、ただ申し訳なく、情けなく、苦しいだけとなる。(親のおかげで、生活は楽…堕落した怠惰なもの…だけど。)

JRF2016/7/178497

……。

最後の章(III-LIV)では、知恵(hokmah すなわち wisdom)について説明がある。「知恵」は真理の知識やモラルの獲得の他に、仕事のコツなどについても言える。そして「知恵」は善いことばかりでなく悪いことに関してもありうるという。

ソロモンは最大の知恵者であったという。しかし、ある賢者は、モーゼはより「偉大」であったという。つまり、知恵で多少劣ったとしても、より偉大であることは可能だったということだろう。

JRF2016/7/174491

人の完成(perfection)は、財産の多さや肉体の健全さや性格とモラルの良さによるのではなく、真の知恵たる神に関する知識による…という。

我々が神にならってなすべきことは、地上で(in the earth)で、慈愛(hesed すなわち loving-kindness)と裁き(mishpat すなわち judgment)と正義(zedakah すなわち righteousness)を示すこと…なのだそうだ。

JRF2016/7/170421

……。

……。

Part III は、Part II の後半から引き続き私の興味を引くようなところが少なく、読み飛ばし気味に読んでしまったかもしれない。それでも英語を読むのに時間はかかったのだけれど…。

英語の本をこれで一冊読み終って、達成感がある。時間はかかるが、時間は今の私にはいくらでもあるという情けない状態なので、読んでる間、他のことを忘れられるのは、何というか、ありがたい。

JRF2016/7/170326

ただ、内容については「おもしろかった」という評にはならない。これも聖書([cocolog:84974434])と同じで、信仰があれば有益だと感じることができるのだろうが、まだ「信仰」にまでふんぎりがつかない今の状況では、右の耳から入って左から出ていくような読書になってしまっている。

JRF2016/7/174821

この次は、また別のユダヤ教に関する英語の本を読もうかと思う。その前に小説を書こうとしたり、日本語の本を読んだりするかもしれないけど。

JRF2016/7/175375

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