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cocolog:85464900

Moses Maimonides 著『The Guide For The Perplexed』を読んでいる。Part I の終りまで読んだ。属性論、縁起論、カラームについて。 (JRF 5861)

JRF 2016年7月 1日 (金)

少し前からこの本を英語で読んでいる。前回([cocolog:85424726])から読みはじめて Part I の 33章まで読んでいた。今回は続きから Part I の終り 74章まで。

JRF2016/7/14349

『The Guide For The Perplexed』(Moses Maimonides 著, M. Friedla:nder 訳, Dover, 1956年)
https://www.amazon.co.jp/dp/0486203514
https://www.amazon.com/dp/0486203514

この本は、1904年に出た版から注などを取り除いた上で、一冊にまとめ上げて 1956年に出た版らしい。

JRF2016/7/12510

……。

少しだけ抜き書きする。…部分としては「少しだけ」だが、今回、説明は長くなった。

JRF2016/7/14073

……。

無実体(Incorporeality)の証明は Part II のようだが、簡単な説明は他にも載っている。

JRF2016/7/12650

>Without incorporeality there is no unity, for a corporeal thing is in the first case not simple, but composed of matter and form which are two separate things by definition, and secondly, as it has extension it is also divisible.<(I-XXXV, p.50)

JRF2016/7/10790

今では人は多くの細胞からなることが知られているが、多くの細胞からなっているからといって一人の人であることに変わりはない。細胞にわかれているような霊的肉体(参↓)を持っているからと言って、神の唯一性が虚しくされるわけではないと私は考える。神が霊的肉体を持っているか否かは論証不能のことと私は考えている。

JRF2016/7/11451

《魂の座》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_10.html

JRF2016/7/13209

↓に書いたように神の全知性を強く見て、神が予測し得ない決定を行える者を神が「創造しえない」と考えると神の全能性を今度は疑うことになる。

《神の全知性》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_9.html

JRF2016/7/19232

全知性は、↓で出てくるように>神の質問に全て答えられる人間はいまい。その「知」が人を超えるところに神の自由さがある<という点にあるのかもしれない。

《「ヨブ記」を読む》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2015/03/post.html

JRF2016/7/12484

言ってみれば我々が知っていて欲しいようには知っていてくれないのかもしれない。我々から見れば、ある種の知識が(現実が)神から「分かれている」、見えないところがあると見ても神を虚しくすることにはならないと思う。

JRF2016/7/17089

……。

偶像崇拝について。

>Idolatry is founded on the idea that a particular form represents the agent between God and His creatures.<(I-XXXVI, p.51)

JRF2016/7/16257

厳しい観方だな…。天使様の像を作って神を拝むのもアウトということだろう。キリスト教(カトリック、正教)と違いイスラム教やユダヤ教には、そういう観方の人もいるというのはわかっていたが、やはり厳しいな。旧約聖書を字義通りに読めば、むしろ、そうなのだが…。小説『神々のための黙示録』([cocolog:85308129])が意図しているように、そういう人々にも救いがあって欲しいと私は願う。

JRF2016/7/16043

……。

神が感覚的動詞を用いて表現されることに関して、

JRF2016/7/14253

>Nevertheless, we find in Holy Writ, "And God saw"(Gen. 6:5); "And God heard"(Num. 11:1); "And God smelt"(Gen. 8:21); but we do not meet with the expressions, "And God tasted," "And God touched."<(I-XLVII, p.63)

JRF2016/7/10051

本には、その理由も推察して書いてある。神に食べ物は必要ないだろうから tasted がないというのはなるほど…だが、touch もないのは意外だ。ヨブ記2章にサタンが神にヨブの骨と肉に触るよう述べるシーンがあるが、あれは例外的な記述・考え方なんだろうか?

JRF2016/7/15670

……。

天使も無実体であるという。

>By this remark they clearly stated that angels are incorporeal,(…).<(I-XLIX, p.66)

JRF2016/7/18646

しかし、アブラハムの前に現れた「天使」とか、肉体があると解釈して何が悪いのかと私は思う。奇跡はしばしば実体を持って現れる(参:[cocolog:85386184])。

JRF2016/7/12771

……。

>Those who believe that God is One, and that He has many attributes, declare the unity with their lips, and assume plurality in their thoughts.

JRF2016/7/13478

(…)

This is like the doctrine of the Christians, who say that He is one and He is three, and that the three are one. Of the same character is the doctrine of those who say that God is One, but that He has many attributes; (…).
<(I-L, p.67)

JRF2016/7/18969

キリスト教徒への言及。

JRF2016/7/19878

属性(attribute)に関する議論はちょっと納得できない。本ではこの前のところで the rejection of corporeality implies the rejection of essential attributes とも述べている。Incorporeality も Unity も属性なんじゃないかと思うが、それらは "essential attributes" でないということなんだろうか? 神の属性がいけないのは、それが神を逆に制限するからだと思うんだけど、Incorporeality はまさに制限する方向に働いている(と私は考える)。

JRF2016/7/18370

上の「全知性」も属性だろう。「慈悲深さ」も神の代表的な属性だ。全知性がそうであったように慈悲深さも神の慈悲深くなさそうに見える行いがあれば、慈悲深さの定義が変更される。他の者(人や物)に属性が適用されるときは、定義に沿って行なわれるのに対し、神に対して属性が適用されるときは、属性のほうの定義が変更されうる。そういう違いはある。あるが、マイモニデスが言っているのはそういうことではない。

JRF2016/7/18495

I-LII では、マイモニデスは quality や relation を神に適用するのも否定する。quality には「慈悲深い(merciful)も含まれると明記されている。私なんかは relation というと、データベースとか Excel の表も relation だとか考えるけど、マイモニデスは relation という言葉で何か別の物を言っているのかもしれない。よくわからない。

JRF2016/7/15190

I-LII では、plurality がどうとか言ってるので、Patai著『The Hebrew Goddess』([cocolog:85220789]) に出てきたシェキナ(The Shekhina)=「神の現れ」を多神教的に扱う…みたいなことを警戒しているのかもしれない。

JRF2016/7/17263

>The attributes found in Holy Scripture are either qualifications of His actions, without any reference to His essence, or indicate absolute perfection, but do not imply that the essence of God is a compound of various elements.<(I-LIII, p.73-74)

JRF2016/7/17377

なるほど、神の行動を一つ一つ捉えて、それに属性を考えるのは良いわけか。むしろ、上のように先に神の属性を考えて定義を変えればいいと考えるのは僭越なことという理解があるのかもしれないな。慈悲深さも行動に関して言っているならいいようだ。紛らわしい。が、これがマイモニデスの語り口と言ったところなのだろう。

JRF2016/7/19775

>It is now necessary to explain how negative expressions can in a certain sense be employed as attributes, and how they are distinguished from positive attribute.<(I-LVIII, p.81)

JRF2016/7/12484

排中律というか二重否定は真というのを信じる私にとっては、何で否定形の属性ならいいのかわからない。正教には肯定神学と否定神学があるという話を思い出すが…。

JRF2016/7/18005

……。

>Or is there a mean between existence and non-existence, or between the identity and non-identity of two things?<(I-LI, p.69)

JRF2016/7/18528

プログラミング言語 Perl で、連想配列の要素が存在するか否かを確かめるということをよくする。逆に言えば、存在するかどうかが不明確なものを途中までは扱えるわけだ。また、電子署名は暗号を使って identity を証明するわけだが、暗号が破られることも当然ありえ、アタックされている途中は中間的状態にあるわけだ。

JRF2016/7/11811

プログラミングによって私が学んだ世界観=リアリティからすると、マイモニデスの考え方は未熟に見える部分があると言って良いと思う。もちろん、その見方は(私の)勘違いによるものかもしれないけど。

JRF2016/7/18044

……。

人は感情で動いてはならない。

JRF2016/7/14911

>He must not let loose his anger, nor allow his passion to overcome him; for all passions are bad, and they must be guarded against as far as it lies in man's power.<(I-LIV, p.77)

JRF2016/7/12693

感情は神から来るものではないということなのかな。肉体に対する敵視がマイモニデスにはあるのかも。

JRF2016/7/13059

……。

変化(change)も神のものではないらしい。

JRF2016/7/19424

>We have already, on several occasions, shown in this treatise that everything that implies corporeality or passiveness, is to be negatived in reference to God, for all passiveness implies change; (…).<(I-LV, p.78)

JRF2016/7/12186

四つの特徴、corporeality, emotion or change, non-existence, similarity of His creatures を神のものとして導くのはありえないのだそうだ。

JRF2016/7/14737

やはり、マイモニデスは神を人格神としてよりも超越神として捉え過ぎていていると思う。私は神には人格があり、絶対(absolute)であっても、時を経て、例えば何かに感動したりして、変わりうると信じたい。

JRF2016/7/12742

>His existence is always absolute, and has never been a new element or an accident in Him<(I-LVII,p.80)

JRF2016/7/16659

ところで、accident はよく出てくる単語。quality が一般に accident だなどと言われる(I-LII,p.70)。accident って「偶然」(もしかすると「偶有」とかいう訳語になるかもしれないが)だと思うのだが意味がよくつかめない。人格神と見るなら神は accident な要素も持っていると思うのだが…。

JRF2016/7/16216

……。

書物(writing)も神が第六日に創り出したものらしい。

>You know what the Mishnah says, "Ten things were created on Friday in the twilight of the evening, and 'the writing' is one of the ten things."<(I-LXVI, p.99)

JRF2016/7/17632

アダムやイブはエデンの園では文盲のようなイメージがあったが、きっとそうではないんだね。

JRF2016/7/18213

……。

神の知性については特殊な考え方があるようだ。

>(…), God is therefore always the intellectus, the intelligens, and the intelligible.<(I-LXVIII, p.102)

JRF2016/7/17986

何言ってるかよくわからないが、上で挙げた《魂の座》のところの「神の記憶モデル」の議論を思い出した。被造物のすべてが神の記憶のままという信条をマイモニデスが持っていたかはわからないが、それに近い「誤解」を与えていると思う。

JRF2016/7/19810

……。

「第一原因」論について。

JRF2016/7/13853

>The philosophers, as you know, call God the First Cause (in Hebrew 'illah and sibbah):

JRF2016/7/14473

(…)

but those who are known by the name of Mutakallemim are very much opposed to the use of that name, and call Him Agens, believing that there is a great difference whether we say that God is the Cause or that He is the Agens.
<(I-LXIX, p.102)

JRF2016/7/11808

確か解説だったか、宇宙(the Universe)のはじめに(神と共に)質料があったかどうかで争いがあったとあったので、そこが問題なのかと思ったが、I-LXIX にはそういう説明はなかった。

JRF2016/7/16273

>When we have found for any existing thing those four causes which are immediate connexion with it, we find for these again causes, and for these again other causes, and so on until we arrive at the first causes.<(I-LXIX, p.103)

JRF2016/7/11184

ここで four causes は質料因・形相因・作用因・目的因の四原因説(↓)のことだろう。

《四原因説 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%8E%9F%E5%9B%A0%E8%AA%AC

JRF2016/7/16204

ただ、私は、因果論は信じない。どちらかというと縁起論を信じる。

JRF2016/7/10228

臨界現象とかは何が原因であるか定[さだ]かにしがたかったり、病気の原因は病原のほかに普段からの生活という原因を無数に考えられたりするし、株価は将来の株価の予想を原因として値段がついたりする。さらに、サイコロを振ったりした場合は(究極的には不確定性原理に結びつけるべきかはわからないが)、本質的に予測不能のことが起こっているかもしれず、そうすると結果(サイコロの目)には原因がないと言っても過言でなくなる。

JRF2016/7/10251

結果に原因を求めるのは人の性[さが]であって、真実は、「縁」の海に「起」が立ち上るだけのように世界はあるのではないかと思う。だから、原因を遠く辿っていって第一原因に致るという言説は私には信じられない。もちろん、だからと言って唯一神が信じられないわけでもない。それは話が別だ。

JRF2016/7/18040

サイコロの目に神は介入するかもしれない。そのような偶然に常に神の介入を寄り頼むのは、神を試すようなことだからやるべきではないとしても、神は自由にそこに介入されるかもしれない。サイコロの目への介入は非奇跡的な原因に見えるから許されるという考え方には私は組みさない。神の介入は原因を無視した奇跡でありうる。

JRF2016/7/13855

縁起論について、未発表のメモから引用する。

JRF2016/7/16620


釈尊は世の法を「因果」ではなく「縁起」と見る。つまり、実際に世にある法 は「縁起」であるが、有限である人が知識とできるのは、その一部を切り出した「因果」のみであるということだ。

来世の道理も、自分のとらえた縁起によって今だけの方便を構成できるのみであり、来世を証明できる人間がいない以上、それを「正しい来世の道理」とするしか方法はない。ということだろう。

JRF2016/7/12832

(…)

私の言葉で言えば、経験的で代替性の蓄積が「縁」、想起や認識や普遍に基づく選択が「起」となろう。

JRF2016/7/18528

(…)

田上 太秀 著『仏陀のいいたかったこと』より

>釈尊は世界は因縁によって生成していると考えた。神も不滅原理も立てず、ものは種々の因縁によって結果するというのである。<(p.145)

>ものはみな、いろいろなもの同士のかかわりの上で成り立ち、また他のものを因縁として現象している。第一原因や絶対原因はないとする。<(p.146)

JRF2016/7/19549

(…)

世界そのものは「縁起」ではなく「(因)縁」のみでできている。我々が「起」としてなすことも、実際には「縁」に過ぎない。しかし、我々が認識できる範囲では、因果を捉えうる場合も多く、縁を見て起をなそうとする努力はまったく無駄というわけではない。というのであろう。

JRF2016/7/17040

……。

宇宙(the Universe)が、はじまりを持つか(はじまりがなく)永遠かは論証できるものではないことをマイモニデスは認める。

JRF2016/7/13670

>(…)wheter the Universe has been created or is eternal, cannot be answerd with mathematical certainty; <(I-LXXI, p.111)

その上で、はじまりがあってもなくても、神は存在することを論証している…

JRF2016/7/14785

>if it had a beginning (…) for a thing that has had a beginning, cannot be the cause of its own beginning, another must have caused it. The universe was, therefore, created by God.

JRF2016/7/14414

(…)

If (…) the universe were eternal, (…) there exists a being which is neither body nor a force in a body, and which is one, eternal, not preceded by any cause, and immutable. That being is God.
<(I-LXXI, p.111)

JRF2016/7/16116

…らしいのだが、私は納得できない。前回、無からの創造に関して書いたところで臨界現象のようなものから世界がはじまった可能性を示唆したが、前回は神もそのとき生まれたみたいに書いたが、論証としては必ずしも神は必要な要素ではない。これははじまりがある場合もない場合も同じだ。神の存在も論証の外に属すること、信じること、信仰に関わることだと私は考える。

JRF2016/7/13132

……。

マイモニデスは真空(vacuum)を認めないらしい。

>(…)there is no vacuum whatever therein, but the whole space is filled up with matter.<(I-LXXII, p.113)

どちらかというとエーテル論を信じているのかな? 現代では真空はありエーテルはないことに決着しているはずだけど、エーテルに似たヒッグス粒子みたいなものも出てきてるからな…。

JRF2016/7/13549

……。

人に心臓があってそれが体を動かしているように、天球(sphere)が動くことで魂などが影響を受け宇宙が動いている…という信念をマイモニデスは持つようだ(I-LXXII, p.113-119)。確かに地球が公転し自転することで、生物が生きる環境が作られてはいるけれども、魂への影響みたいなものは現代では考えない。

JRF2016/7/19850

この「天球」のような考え方は、現代の科学によってわかった宇宙観とは大きく異なり、マイモニデスのその他の考え方もそれぐらい事実と違っているのではないかと疑わせる部分になっている。

JRF2016/7/13383

……。

イスラム学者(Mutakallemim)が一般に信じるカラーム(Kalam, イスラム神学)の十二命題が I-LXXIII で紹介されている。引用する。

JRF2016/7/17458


Proposition I. All things are composed of atoms.

Proposition II. There is a vacuum.

Proposition III. Time is composed of time-atoms.

Proposition IV. Substance cannot exist without numerous accidents.

JRF2016/7/17475

(…)

Proposition V. Each atom is completely furnished with the accidents, and cannot exist without them.

Proposition VI. Accidents do not continue in existence during two time-atoms.

JRF2016/7/10638

(…)

Proposition VII. Both positive and negative properties have a real existence, and are accidents which owe their existence to some causa efficiens.

JRF2016/7/15092

(…)

Proposition VIII. All existing things, i.e., all creatures, consists of substance and of accidents, and the physical form of a thing is likewise an accident.

JRF2016/7/13237

(…)

Proposition VIII. All existing things, i.e., all creatures, consists of substance and of accidents, and the physical form of a thing is likewise an accident.

Proposition IX. No accident can form the substratum for anther accident.

JRF2016/7/10474

(…)

Proposition X. The test for the possibility of an imagined object does not consist in its conformity with the existing laws of nature.

JRF2016/7/12135

(…)

Proposition XI. The idea of the infinite is equally inadmissible, whether the infinite be actual, potential, or accidental, i.e., there is no difference whether the infinite be formed by a number of co-existing things,

JRF2016/7/13197

(…)

or by a series of things, of which one part comes into existence when another has ceased to exist, in which case it is called accidental infinite; in both cases the infinite is rejected by the Mutakallemim as fallacious.

JRF2016/7/17915

(…)

Proposition XII. The senses mislead, and are in many cases inefficient, their perceptions, therefore, cannot form the basis of any law, or yield data for any proof.
<(I-LXXIII, p.120)

JRF2016/7/17154

マイモニデスは原子(atom)論には反対の立場だが、紹介はしている。ここでの原子は、一つの原子は no magnitude で、原子が結合することによって magnitude を持つとするもので、現代の原子とは意味が違っている。しかし、マイモニデスが反駁として述べる「幾何学で二等分できるという命題の場合、原子の数が奇数ならば矛盾することになる」という意見は、現代の原子論にも適合する。

JRF2016/7/15683

ちなみにこの反駁は、原子の数がとても多いから無視して良いと言ったり、無限(infinity)と同じように概念上のことなのでそれで良いと言ったりしてしりぞけることになると思う。

JRF2016/7/15248

第三命題の Time-atom はよくわからない。第四・第五命題の accident の意味がわからないのは上に書いたとおり。

JRF2016/7/19394

第六命題は、説明を読んでいると、例でば、動きがある途中も一々神が創造している…一瞬一瞬を別のものとして創造しているというもので、だから、Time-atom がいるのかと逆に納得したところ。一瞬一瞬の間は自然法則のみで連続に通過しているわけではないというのがどうもここでいいたいことらしい。

JRF2016/7/12545

第七命題は、ある性質の実在が認識されるには、その逆(否定)の性質の実在が認識されなければならないということだろう。比較対象があってはじめて性質が浮かび上がってくる。これに対する反駁としてマイモニデスは死という性質を挙げている。第六命題と合わせて考えると、神は何かが死んだあと死という性質をいつまで創り続けていくのか、と。

JRF2016/7/11223

…そこを考えると、性質はやはり概念でしかなく、実在するのは性質の証拠で、正反の証拠があって性質が認識されるということだろう。死の証拠が千年残っているなら、そこに死の性質の存続を見る人もいよう。瞬間瞬間で神は性質を創ろうとするときは証拠を創っているとなろうか。ただ、反の証拠は可能性で十分ではないかという気はしないでもない。

JRF2016/7/16706

第八命題は、魂にも原子があると考え、動物性や人間性や言語(speech)は accident と考えるから、全ては物質(substance)か accident からなるとできるのだろう。

JRF2016/7/13664

第九命題は、accident の accident はない、物質に直接 accident は付随しなければならないという決まりのようだ。言語が人間性の基礎になっているとか考えちゃダメってことなんだろうか? 性質がそのまま実在するのではなく、概念で証拠が存在するだけと考えるなら、こんな複雑な考え方はしないでいいんだろうけど、…何かアラビア語の特徴が出ているのかな?

JRF2016/7/17401

第十命題がいいたいことは、「想造した物」が可能であるかどうかの判断は自然法則によるのではなく、知性による。…想像できるから可能、想像できないから不可能というわけでもない。天使みたいなものは自然法則からは何とも言い難いが知性によれば可能と認識しうる。…といったことだろう。ただ、ここでのマイモニデスの説明はよくわからない。イスラム学者の第一命題から第九命題を基礎にして第十命題が導かれるとあるのだが、よくわからない。

JRF2016/7/18210

…ただ、この命題、後の議論(p.138 など)では、神が無限のありえない選択肢ではなく有限のありえる選択肢から選んでいるということの論証にも使われているようだ。その必要性が私にはいまいち理解できないが…。

JRF2016/7/17064

第十一命題は、無限に関するもの。マイモニデスは仮想的に無限を考えることを認めているが、イスラム学者は認めない…ということだろうか。細かい条件が何を意味しているのかよくわからない。原子の理論からすると、無限分割というのを認めなさそうだというのは予想できるが、この本のここでは原子に触れていない。概念的に数列(series)を使って無限に接近していくというのが大事なのだが、それもダメだということか。

JRF2016/7/17345

…確かに無限というのは公理から操作的に「これをこう続けていく」と言うしかないことで、その操作を行う者を想定せねばならないとなるとこの有限の世界では不可能となる。そういうことが言いたかったのか。…天使も無限の操作を行えないと考えるのが大事なことだったのか?

JRF2016/7/14678

…実数の二点間は(整数に関して)無限の濃度を持っている。実在の幅のある物は原子を超えて無限に分けられるわけではないが、概念的には無限分割できる。整数を「有限」というのに比べて、そういう幅が「有限」だというのは意味が違う。脳は後者の意味で有限だが後者の意味で無限なものを想像できないわけではない。それは脳に無限な領域があるからではなく、無限というのが概念により知るべきものだからだ。

JRF2016/7/10164

第十二命題は、感覚は信用できない。たとえ、これらの命題から不思議な結論が導かれても、悪いのは感覚のほうだ。…という主張。

JRF2016/7/19709

……。

前回書いた「等比級数の無限和が有限の距離に収まる」…ようなことはマイモニデスは知っていたようだ。

JRF2016/7/13550

>Similarly it has been proved in the second chapter of the book on Conic Sections, that two lines, which at first are at a certain distance from each other, may approach each other in the same proportion as they are produced further,

JRF2016/7/16745

(…)

and yet would never meet, even if they were produced to infinity, although they are observed to be constantly converging.
<(I-LXXIII, p.130)

JRF2016/7/17426

本は円錐曲線(conic section)についてらしいが、これはつまり等比数列の極限について語っているのだと思う。こういうことを知っていて無限に関する論証をやっていたとなると、マイモニデスの意見ももうちょっと真剣に考える必要がありそうだな…。

JRF2016/7/10527

……。

イスラム学者による無からの創造(creatio ex nihilo)の議論が I-LXXIV で紹介される。マイモニデスは上で書いたようにはじまりがないこともありうるという立場なので、はじまりがあることを示そうとするイスラム学者の議論には冷淡ということになるだろう。

JRF2016/7/15230

そんな中で、マイモニデスが自分と似た着眼点と認めるのは、何かが性質を持ったり存在したりというのには目的があり、そう目的した者、すなわち神がいるという「目的論」のようだ。

JRF2016/7/13157

その他におもしろい議論として紹介されるのが、無限に着目する議論。まず、魂の不滅性に着目し、世界が eternal (はじまりがない)なら、魂が今すでに無限に存在しているはずで、(魂にも原子があるということだったから、)これは無限は存在しないという第十一命題に反しているという議論が紹介される。

JRF2016/7/12499

そして、これは天球が eternal に回転している場合も、その回転数が無限にならないようにしないといけないなら、過去にゆくごとに回転はゆっくりにするなどして、等比級数の極限と同じく、結局は回転数が有限の数にとどまるようでなければならない…つまり、縮めてみれば eternal でなかったのと同じことになる…これは矛盾だ…という議論が紹介される。

JRF2016/7/13643

……。

イスラム学者による神の唯一性(Unity)の証明の議論(I-LXXV)では、結論としてマイモニデスは証明ができてないことを認め、聖書などによる信条に頼ろうとしているように見える。

JRF2016/7/14665

一応、議論としては、原子に例えば暖かいと冷たいの同時に二つの特徴を持たせることはできないから、二柱の全能な(自由な)神がいるはずがないという議論を紹介している。マイモニデスは分業の可能性を指摘してこの議論には否定的である。

JRF2016/7/12628

正方形の対角線を辺の長さにできないのは原理的にそうなので、それができないからと言って神の全能性が否定されないように、神が二柱いなけれければいけないことがあってそれで分業しているのであれば、神の全能性が冒されるわけではない。…という議論も載せている。二者で分業しているのは神ではない、なぜなら全能性を持つもののみが神だから…という議論は、これで論駁される。もちろん、これは唯一性を支持する議論ではない。

JRF2016/7/19263

……。

イスラム学者による神の無実体(Incorporeality)の証明の議論(I-LXXIV)では、最初にマイモニデスはそれが神の唯一性の証明より弱い議論であることを認める。ただ、議論が「弱い」ためか、私はマイモニデスが何を言いたいのかが、これまで以上によくわからなかった。

JRF2016/7/19762

一つに、複数の原子から神が構成されていれば、複数の原子が神ということになるから、神の唯一性に反するので、そういうことはないという議論がある。しかし、前回の私と同じような議論をマイモニデスは紹介し、原子とは何かまったく別の構成要素から成り立っていて、それで一つの(霊的)肉体をなすなら、唯一性は破棄されないとし、先の議論を否定する。

JRF2016/7/18523

神は被造物と比較可能でないという議論から実体があれば比較可能になるからおかしい。…という議論も、先と同様に別の構成要素から神が成っていれば問題ないと一蹴する。

JRF2016/7/12634

実体があれば、神が有限である。というのをマイモニデスは認めてそこから議論を続けるのだが、私はそれは納得できない。実体がある部分があっても、実体がないような部分が無限に付属しているかもしれないと私は考えるから。Corporeality は部分的にも実体があれば真になるはずだから。ひょっとするとそこが私とマイモニデスの考え方の大きな違いなのかもしれないが。神が有限だから、属性がどうたら、無限の属性が考えられるとかいう話になるのかはわからない。よくわからない議論が続く。

JRF2016/7/19629

とにかく、マイモニデスは、無実体に関するイスラム学者の議論を十分なものとみなさないようだ。

JRF2016/7/16610

……。

……。

かなり長く解説してしまった。研究でもないただの読書に、そんないちいち反駁を書かなくてもいいという思いもあるのだが、つい、やってしまった。

マイモニデスの「証明」は、Part II からがメインのようだが、そこもいちいち反駁するのは私には荷が重い。逃げちゃう可能性も強い。

JRF2016/7/14126

今回、書いたのは研究者による研究ではなく、一シロウトのただの意見。(もちろん、私個人は私が正しいんじゃないかと思っているけど。)あまり、深刻に受け取らないで欲しい。

JRF2016/7/14596

Part II と Part III がまだあるかと思うと気が重いが、Part I をとりあえずも読み切れたというのは少し自信になった。英語のほうは不安続きだが、出てくる英単語はすでに調べたものという確率が高くなって、だんだん辞書を引くのに時間をとられることが少なくなってきている。他にやることもなく、暗く沈んでいる or ネットに時間ばかりかけるよりは、この本を読んでいたほうが気晴らしになるように思う。だから、少なくとももうちょっとは読み続けてみるつもり。

JRF2016/7/12205

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