cocolog:85747644
資本主義の二要素モデルを考えていている。その2。前回は追い貸しについて考えたが、今回は乗数効果のようなものを考える。 (JRF 5293)
JRF 2016年8月15日 (月)
ここで金融にはおおまかに二つの機能がある…一つは融通、一つは投資…みたいに考てみる。
JRF2016/8/151168
つまり、融通は、最初に工場労働者が農家から食べ物を買うための金を金融機関から借り、農家は受け取った金から工場で作られた製品を買う…という比較的即座に終る金の流れ。
投資は、農家が金を借り入れて工場から機械を買い、農産物ができたあとそれで金を返す…という比較的長期の金の流れ。
投資と融通の境界はあいまい。
JRF2016/8/156288
……。
で、そこから離れて、別のモデルを考える。
ある企業が C の借り入れをして資本財を購入する。相手はその資本財の購入によって得た収入をすべて労働者の所得に振り向ける。労働者は貯蓄率 r で預金し、残りは消費する。そうして、預金された r ・ C で再び投資がなされ、r ・ r ・ C が預金にまわり、(1 - r) ・ r ・ C が消費に周る…というのを無限に繰り返すとする。
JRF2016/8/153032
すると、投資総額は、
C + r ・ C + r^2 ・ C + … = lim_{n→∞} C・(1-r^{n+1})/(1-r) = C / (1-r)
JRF2016/8/157272
預金総額は、
r・C + r^2 ・C + … = r ・ C / (1-r)
JRF2016/8/159935
消費総額は、
(1-r) ・ C + (1-r) ・r・C + (1-r) ・ r^2 ・ C + … = C
JRF2016/8/150674
純投資は、消費された金額が企業に戻ってきて、それを投資総額から引けば良いと考えて…、
C / (1-r) - C = r ・ C / (1-r)
JRF2016/8/152802
純投資と預金総額が一致する。
JRF2016/8/159016
…でも、これって一体何を意味しているのだろう。貯蓄率が大きいほうが、投資などが膨らみ経済が大きくなるように見える。そんなことってあるか? 消費がほとんどされないほうが経済が大きくなるなんて…。
JRF2016/8/154223
普通の乗数効果の議論(↓)の場合、消費された金額が一定率で企業に戻ってくるというのを無限にまわす。上とは逆の議論のしかたをする。
《乗数効果 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%97%E6%95%B0%E5%8A%B9%E6%9E%9C
JRF2016/8/158704
では私の上の理論は何を言っているのだろうか。最初の借り入れ C と消費総額 C が一致していることに注意しよう。この理論は、「消費 C を実現するためには投資 r ・ C / (1-r) をする努力が必要である」ことを言っているのではないか。消費 C は融通などを通じて実現すべき部分で、そこがこのモデルでは最初の投入のようになっている。実は、その消費が実現するのは、適切な投資がなされた場合だけであることを示しているのではないか。貯蓄率が大きくなると、そのハードルが上がる、と。
JRF2016/8/156703
次期、貸出金利と預金金利の差額の利子が生じる。この利子は消費 C を構成する一部とならねばならず、経済に重くのしかかるのではないか。一方、今期の純投資が次期にも残っていると考えるのは前回の追い貸しのモデルに近くなって実現不能だろうから、純投資と預金総額は期ごとに相殺されると考えるべきなのかもしれない。
JRF2016/8/151875
……うーん、しかし、落ち着いて考えてみると、私の分析みたいなことが上の理論から言えるだろうか…単に理論構築に失敗しているだけの気もしないでもない。要・再考だな…。
JRF2016/8/151729
修正 「工場で作られた製品を買う」→「工場で作られた製品を買い、そのお金を工場は金融機関に返す」。
修正 「上とは逆の議論」→「上とは消費と貯蓄に関し逆の議論」。
JRF2016/8/152218
……。
追記。
「信用創造」と「乗数効果」をごっちゃにして考えたから誤ったのかな? 今、信用創造の項目(↓)を読むと昔(学んだの)と印象が違う。
JRF2016/8/159012
《信用創造 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E7%94%A8%E5%89%B5%E9%80%A0
>準備預金の過不足はインターバンク市場や日銀の資金供給によって都度解消されており、現実的に銀行による信用創造の限界となるのは自己資本比率規制である。<
JRF2016/8/159965
「BIS 規制」以降、不良債権などを考慮した自己資本比率が今では問題で、その前の銀行は、「売上」「シェア」を重視する経営だったように記憶している。
JRF2016/8/158700
……。
追記。
論理はあやしいけど、計算はあっていると思う。というのは、貯蓄率が r のとき、消費を C にしようとしたら、投入を C / (1-r) にすればよく、そのとき、貯蓄は r ・ C / (1-r) になる…というのは、級数とか使わずに言えることだから(今気付いたことだけど)。
JRF2016/8/154927
重要なのはおそらく、C / (1-r) をまるまる投入するのではなく C だけ投入すれば、「自動的」に r ・ C / (1-r) 分だけ貯蓄が投資にまわってつじつまがあうということ。もし、旺盛な貯蓄があっても適当な投資対象がないなど貯蓄を投資が下回っているなら、C よりも大きい額を投入しないと全投入が C / (1-r) にならないことがある…ってのがこの論の要点になるのかな? 級数とか使ってこれが「自動的」に見えるように論理立てたんだけど、結局はそれだけのことしか言えてないのかもしれない。
JRF2016/8/157149
…ところで、「C よりも大きい額」を D として D - C はどこに行くのだろう? 融通されることなく残って、投資にあてられるということだろうか? あと、上の利子との関係とかはどうなるのだろう? …うーん、やっぱり要再考だな…。
JRF2016/8/157076
……。
追記。
どうも混乱する。
「乗数効果」はあやしいと思う。うまく言葉にできないが、言葉にできないところを無理に言葉にしてみる。
JRF2017/3/31128
上の議論において、投資になったものが所得になり、それが消費と貯蓄になり、貯蓄分が再び投資になって…という議論にした。しかし、よく考えてみると(普通の乗数効果の議論のように)消費も企業の所得となり、それがいくぶんか企業の貯蓄となり、消費者の所得となり…という経路も持っている。預金された r・C だけが再び所得(や投資)に回るのではなく、(1-r)・C の部分も結局は所得(や投資)となるのだ。
JRF2017/3/34541
乗数効果の議論も双対的に同じことで、消費が企業の所得になり、それが再び消費者の所得になるというのとは別の経路で、貯蓄が投資となり、それが所得となるという経路も存在するのである。
すると等比数列的な減少というのは考えることができず、時間的制約を考えなければ無限に所得が積み重なるということになる。しかし、現実には「無限増殖」はない。そこにはおそらく時間的制約または投資を所得にするときや消費を所得にするときの「働き」があるだけだ。
JRF2017/3/30150
マクロ経済でみたとき、限界貯蓄性向や消費性向というのは観測されるのだろう。しかし、それは投資されたものが所得になり…というような上の議論とは、関係が必ずしもないものではないのか? それらはどちらかといえば時間制約をパラメータ化したものではないのだろうか?
JRF2017/3/31537
でも、このぐらいのことをエラい経済学者が考えてないということはありえない。間違っているのは私ということで間違いない。でも、スッキリしない。
JRF2017/3/31175
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受信: 2017-04-02 04:04:14 (JST)
前回、[cocolog:85578460] で二つの店舗のモデルに言及したが、それをもう少し細かく外部に金融機関があって、農家と工場(労働者)が取引することを考えてみる。
JRF2016/8/156599