cocolog:86489259
夏目漱石『吾輩は猫である』ほか、いろいろ本を読む。感想はほぼない。頭に入ってこない。 (JRF 2319)
JRF 2016年12月12日 (月)
『詩経・楚辞』(牧角 悦子 著, 角川ソフィア文庫, 2012年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4044072272
http://7net.omni7.jp/detail/1106123695
詳しくは『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 詩経・楚辞』という題になる。
JRF2016/12/121470
「ビギナーズ」ということもあってか、さわりだけという印象。ただ、書の雰囲気は伝えてると思う。これを読んで、『論語』とかの中国哲学のようには関心を持てないな…岩波から出てないほど人気ないのも宜[うべ]なるかなと思った。
JRF2016/12/124445
『楚辞』について。神「(東皇)太一」は>「偉大なる一」、つまり唯一絶対の最高神<(p.179) だそうだが、『楚辞』にはそれ以外の神々が出てこないわけではないようなので、イスラム教的な唯一絶対神ではないのかな? でも、たしかエリアーデ『世界宗教史』([cocolog:81897781])でも唯一神信仰の原型との紹介があったように思うから、源流に近いものではあるのかもしれない。
JRF2016/12/128141
『楚辞』「離騒」篇について。
>一言でいえば、一人の主人公の苦悩に満ちた魂の遍歴の物語です。高貴な血筋と天の恵みを享[う]けて生まれた主人公が、この世の悪意に絶望し、天上世界に旅に出ます。しかしそこにも理想の境地を発見できず、また残してきた故郷への思いも断ち切れず、前にも後ろにも進めなくなる、そんな悩める魂の苦悩の遍歴を、壮大な背景とともに歌い上げたものです。<(p.190-191)
うーん、それが漱石をはじめ文学者の心を打ったということなんだろうか。今いち食指が動かない。
JRF2016/12/122330
……。
某氏が Twitter で、『吾輩は猫である』があっけなく主人公の猫の死で終る旨を語っていて、「ああ、それは確かに知らなかった。私はそれさえ読んでいなかったか。それぐらいは知っておきたいな。」と思って中古で買った。
JRF2016/12/125210
『吾輩は猫である』(夏目 漱石 著, 新潮文庫, 1961年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4101010013
http://7net.omni7.jp/detail/1101979475
JRF2016/12/124350
元は雑誌『ホトトギス』に1905年から1906年にかけて掲載されたもの。新潮文庫版を買ったのは、私の持ってる『草枕』が新潮文庫で注が詳しかったためだが、『吾輩は猫である』の注は、そんなに詳しくなかった。漱石らしい宛て字も、全部ではないがカナになっていて、そこは残念だった。
JRF2016/12/121197
猫が第一回(や第二回)のあと、読者から来たらしい反応に喜んでいるのが、どうもナンセンスで混乱しているように見える。猫がカマキリを「狩る」描写が残酷だし、最後もまぁ残酷だ。金持ちの陰謀で中学生まで動くというのは、やや精神病的=「神経衰弱」的なような気がする。「アラ」はいくらでもある。が、「滑稽小説」だからいいんだろう。
最初に書いたように、これといった感想はない。
JRF2016/12/122712
物語に巣鴨が精神病者が送られる土地として挙げられる。私は巣鴨と言えば、「スガモプリズン」、戦争犯罪者が送られたところとしてのみ知っていた。戦後、巣鴨が選ばれたのは、戦前の精神病者への特別な観方も顧慮してのことなんだろうか?
JRF2016/12/122691
……。
あと、↓も目を通した。
『物理がわかる実例計算101選』(クリフォード・スワルツ 著, 園田 英徳 訳, 講談社ブルーバックス, 2013年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4062578093
http://7net.omni7.jp/detail/1106262244
JRF2016/12/121079
Amazon 評はいいようだが、私には難しい本だった。私は数値よりも抽象的な式のほうが好きだ。以前、数値のほうが好きだという人がいたのを知っているので、そういう人にはいいのかもしれない。…が、どうだろう? 式の導出にそんなに納得できるものだろうか?
JRF2016/12/120513
微積分はほとんど出てこない。が、なぜ、その式を使ってよいのか、式の意味は何なのか、すっと納得するわけにいかないと思えるところが、たくさんあった。これを、ひと目でわかったと言えるのはよほど物理の訓練を受けた人だけではないか。私は、物理オンチなんだな…と自信をなくすほどだった。数値を見て感覚的につかめるほど、私は実験屋ではないということかもしれない。
JRF2016/12/128833
わからないばかりの中から一点だけ。
>驚くことに音楽の和音は数学に基づいている。(…)長三和音は4対5対6の振動数を持っている。(…訳注…)短三和音は、10:12:15 の振動数を持っている。<(p.75-76)
しかし、この点については以前、私は次のように語った。
[aboutme:109601]
>和音は周波数で説明できると読んだことがある気がするけど、今は厳密にはそれもおかしいということなのかな。<
JRF2016/12/122734
倍音の理論はわかるとしても、それが「4対5対6」とか「10対12対15」とどう関係するのかわからない。物理的というよりは感覚的なものじゃないのかなぁ? でも、物理学者がいうからには合っているのだろうなぁ。
JRF2016/12/124747
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受信: 2017-04-02 22:42:31 (JST)
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受信: 2017-04-02 22:43:02 (JST)
夏目漱石『草枕』を再読して、漱石が執筆の前に『楚辞』を読んだという注を見て、『楚辞』に関心を持った。岩波文庫で出てるかな…と思って見ると、かなり古いやつしかない。それ以外となると高いので、まずは↓を読んでみた。
JRF2016/12/123982