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フィリップ・ポンス『裏社会の日本史』を読んだ。貧困層・被差別民・ヤクザといった日本の「周縁部」を描くことで、表の歴史である権力交代史からは見えづらい模様をうかがうといった本か。 (JRF 4342)

JRF 2016年12月23日 (金)

『裏社会の日本史』(フィリップ・ポンス 著, 安永 愛 訳, 筑摩書房, 2006年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480857826
http://7net.omni7.jp/detail/1102269651

フランス語原著の出版は、1999年。

JRF2016/12/234282

権力側は、被差別民とヤクザを同じところに位置づけることで、ヤクザに差別的感情を抱かせてヤクザが力を持ち過ぎるのを牽制でき、また、被差別民に暴力の印象を植えつけて差別を正当化したりできる。そういうこともあって、両者の混同は危うく、貧困層・被差別民・ヤクザはそれぞれ違うことを忘れてはいけないのだが、しかし、それらに重なりがあるのはどうしようもない事実で、その重なりを描かないのもバランスを欠くのだろう。それら「周縁部」を描き切れないことを認めながら、描くのがこの本である。

JRF2016/12/231911

……。

備忘をかねて、どんなことが書いてたか少し引用していく。

JRF2016/12/231046

……。

>(…)やくざ(語の広い意味としては「ごろつき」)はそもそも江戸時代においてはプロの賭博師であって、巷の不良(かぶき者)、ペテン師や男伊達、侠客、親方とは必ずしも重ならない。今日、世論において混同が見られ(そもそも警察が混同している)、異論はあろうが、今日、テキヤや刺青をした男性がやくざであるとは限らない。<(p.7, 序)

「侠客」はやくざと違う場合があるのか…。テキヤとやくざの違いには(取材しての)こだわりがあったようだ。

JRF2016/12/234768

……。

>都市における非合法の世界や漂泊民、手配師、非合法賭博といったことを論ぜずして、やくざが演ずる放浪の水先案内人的な役割を理解することができようか。放浪や行商の伝統と結び付けずして、テキヤの伝統を捉えることができようか。最下層とされた人々や犯罪者たちの運命を知らずして、下層民たちのアイデンティティ希求(刺青がその表現である)を理解できようか。<(p.13, 序)

JRF2016/12/230361

やくざは縄張りに「定住」しているように思うが、「放浪の水先案内人」であるとはどういうことか? 名前を変えること…名前を変えて借金したりすること…が根幹にある…とか? 下層民の「アイデンティティ希求」も、名を変えても残る標章ということなのか?

JRF2016/12/234312

……。

>中世の遊行僧や説教師は、別の社会文化的機能を持っていた。諸国を遊行し、説経をし、教訓的な、あるいは驚異に満ちた語り物を聞かせながら、知識階級の文化と民衆文化を交流させ、真に国民的な文学の形成に寄与したのである。当初、仏の教えを説くものとしてあった語り部が、より俗なテーマへと発展して語りの文学となり、さまざまな神話やテーマ、ヒーローが生まれ、それらは、後代の物語作家たちの作品の源泉となっていくのである。<(p.36, 第1部第1章)

JRF2016/12/231527

私は小説を書くことがあったが、それを読んで、よりうまい作家が物語の枠を継承してくれたら…という思いもないわけではない。「文学」って何なのかと思うとき、その源流の一つがここに書かれたことなのだろう…と思いたい。ルパン三世とかのアニメが、昔の義賊物などを参考にして書かれているとしたらロマンがあると私は思う。

JRF2016/12/236448

……。

>マリー・ダグラスが述べるように、徳川時代の日本以外の歴史的文脈においても、「権力構造の網の目から零れ落ちる人々は、身分がはっきりと定められている人々に対し、潜在的危険性を持つ」のである。なぜなら、そうした人々は浮動的で、その意味で危険分子となるので、権力者が警戒すべき無秩序の温床となるのである。そして、ここに抑圧が始まる。<(p.61, 第1部第2章)

JRF2016/12/235543

危険分子が多少いたところで、ゆらぐような権力者はいない…そんなふうに私は権力を強者として見てしまいがちだけど、そういうものでもないのだろうか? 案外、脆いのだろうか?

JRF2016/12/231497

……。

>1859年にえたの若者と一般町人とのあいだの喧嘩に続き、江戸の町奉行池田播磨守が、えた頭の弾左衛門により事件の審議を付託された。池田播磨守は、えたの命は平民の七分の一に相当するという旨の判決を下している。これは、文字通りに受け止めないほうがよい逸話であろうが(…)。<(p.62-63, 第1部第2章)

JRF2016/12/237635

現代でも、交通事故とかの賠償額について、死亡者が高卒と大卒で逸失利益の算定が違うとかいう有名な判例があったような記憶があるのだが…、ググっても見つからなかった。いちおう学歴で差があることがある旨は↓などにあったが。

JRF2016/12/239243

《身分や学歴によって、賠償金は変わりますか? - その他(法律) 解決済 | 教えて!goo》
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2510448.html

もちろん、「七分の一」はそれより大分ヒドイが…。

JRF2016/12/234937

……。

>貧困の新しい性質にまつわる認識の齟齬が当時の論争に刻み込まれている。

JRF2016/12/231370

(…)


図式的に言うと、論争は二つの極にまとめられる。一方が、世襲による富に対抗し、個人の成功を称揚し、失敗の中に非適応の徴を見ようとする新興エリートのイデオロギー(明治期のバイブルとなったイギリス人サミュエル・スマイルズの Self-Help の翻訳の成功に表れているイデオロギー)であり、もう一方が、社会の現実と倫理的秩序とのあいだの溝の表現としての新たな貧困という次元の認識である。スマイルズやスマイルズ・エピゴーネンが、貧困を成功に向けての一種の不可欠の過程である場合もあると捉えたのに対し(…)。<(p.90, 第1部第4章)

JRF2016/12/230327

「天は自ら助くる者を助く」ね。助けられなかった者は何か問題があった…「非適応」があったという観方をするわけね。厳しいな。「世襲」が、ほんとうに実力があるものが指導的地位につくことをはばんでいる…社会の足を引っぱっている…というのは、今はあまり聞かないが、昭和のころはもっとそういう観方があったように思う。

JRF2016/12/233633

……。

明治期から昭和初期にかけて…

>身体のさまざまな部位のように、各人が皆にとって有益であるような調和ある都市という夢が、当時の指導者たちの思考から消え去ることはなかった。実際権力は、当時「危険思想」(社会主義)と戦い、すべての国民が「天皇の赤子」であるとされる家族国家の観念を国民に叩き込もうとしていた。<(p.93, 第1部第4章)

JRF2016/12/237498

誰かは誰かのために働けるはず。それがシャドウワークであっても…。統計には決して見えない「シャドウ」の部分があり、貧困を国家が調べてそこに介入しなければならなくなることには抵抗感があったのかもしれない。ダビデの国勢調査を思い出す。>民を数えたことはダビデの心に呵責となった。<(サミュエル記下 24:10)と、ダビデはそれを後悔する。調べることの悪というのもあるのだろう。

JRF2016/12/238442

……。

>日本の炭鉱労働者の三分の一を朝鮮人が占めていた。一方、流血の暴動が制圧された西表島(沖縄)や花岡(秋田県)では、台湾や福建省出身の中国人が多かった。1940年に労働者の強制連行が始まり、数多くの物語に描かれているように、朝鮮人たちは事実上、拉致され、鉱山に送られたのであった。<(p.117, 第1部第5章)

JRF2016/12/239256

ここ以外にもいろいろ書かれているが、「戦前」の日本はいろいろな方面に迷惑をかけた。そして現代も外国人労働者の実態についてよくない噂を聞くことがある。その報いが、いつか我が身に及ぶのではないかと恐れる。もちろん、我が身に及ばずとも恐れるべきなのであるが、もう我が身に及ぶことも現実味をおびてきたという予感がある。

JRF2016/12/237033

↓を思い出す。

[cocolog:72943095]
>一時期、技術などがある優秀な移民のみを受け容れようという論調があった。当然、「優秀な者」の家族はどうなるのという話があるはずなのだが、保守陣営的なところ挙がってきたわりにそういう話は聞かず、優秀さをどう測るかみたいな話になって、アレレと思ったことを覚えている。<

つまり、家族を見捨てるような移民こそ優秀な移民とするんですか? そんな国にしたいんですか?…ということ。

JRF2016/12/233613

……。

>「路上生活は、ある種の自律を授けるもので、ホームレスのうちで、それを手放す者は殆どいない。少なくとも、体力があるかぎり」と、救世軍本営の社会福祉部長(…)は考えていた。病気になると二者択一を迫られる。社会の援助を乞うか、それとも路上で死ぬかである。拒絶感で閉じこもってしまう者もある。(…)<(p.160, 第1部第6章)

「社会の援助」は乞えばえられるのだろうか…。少なくとも今のところは…かな? この先どうなるんだろう…。私はどうなるんだろう…。

JRF2016/12/230456

……。

>幕府は社会の周縁的空間を統御するため、「やくざ」たちに超法規的警察の役割を与えた。ミシェル・フーコーがフランスの事例について「非合法性の植民地化」と呼んだのと類似した過程を経て、幕府は、都市の浮動層を周縁に組み込んでいったのである。<(p.184, 第2部第1章)

権力者が、やくざを支配の道具とする。一方、下々は裁判を(例えばそのコストを)嫌って、ADR(裁判外紛争解決手続)を弁護士に頼むかのようにやくざを頼る。…ことがあった、と。現代ではそのあたり昔とは違う部分もあるのだろうが…。

JRF2016/12/233986

……。

>麻薬取引は、満州の傀儡政権にとって重要な収入源であった。一世紀前にイギリス人が行ったと同様に、日本人は1932年に麻薬専売局を設立し、中毒させることで敵を衰弱させようとしたのである。薬物依存の習慣を広めるために、日本人は、モルヒネを含む薬品を流通させ、フィルターに微量のヘロインを含むタバコの販売を促進した。このような麻薬は、日本の大商社が、世界でももっとも大量に、麻薬専売局に納入していた。<(p.210, 第2部第2章)

「フィルターに微量のヘロインを含むタバコ」というのがリアルさを感じさせるディティールだね。

JRF2016/12/235679

……。

>話は若干飛ぶが、ほとんど同時期に、マルセイユで CIA がコルシカのギャング集団を利用し、共産主義の台頭を抑えようとした(…)<(p.213, 第2部第3章)

戦後、共産主義を抑えるため、または、闇市を統制するため、アメリカがやくざを利用したことは、この本に書かれているが、戦前・戦中にやくざや極右をアメリカが利用したというふうには書かれていない。が、やくざなどが戦後大きな痛手を被らなかったことは書いてあるので、それを示唆しているように読めなくもない。そのあたりは、まだ無理かもしれないが、この先の歴史学では語られるようになるんだろうか? 資料は残るんだろうか…?

JRF2016/12/233033

……。

>「「被差別部落民」や「在日」に対する差別に言及せずして、日本のやくざについて語ることはできない」と山口組の弁護士(…)は述べている。<(p.252, 第2部第4章)

私がこのひとことの一番最初のほうで言ったこと。被差別民はしばしば貧困であり、貧困の家庭から脱け出すのに暴力にひかれ、やくざに流れるという道は、見逃せずにあるのだろう。もちろん、それだけではないが。

JRF2016/12/234919

……。

>非合法性の中でのこうした均衡が、日本の犯罪率がかなり低く、また長年にわたって人々がやくざを迫り来る脅威として感じてこなかったという事実の一因になっている。<(p.268, 第2部第4章)

JRF2016/12/239670

日本の犯罪率が低いのはやくざがいるからだ…と。うーん、今年4月の熊本地震で、「火事場泥棒」…地震被害の家を泥棒する輩がいると聞いたとき、「そんなことがあるか」と私はまず疑い、それが事実というセンが濃くなったとき、「やくざがとっちめてくれればいいのに」みたいなことを、正直、考えた。まぁ、私も「やくざがいるから犯罪が少ない」ことを肌の感覚で認めているということかな…。関東大震災のときはどうだったんだろう?

JRF2016/12/237030

……。

>暴力団対策法は適用の対象となる者を際立たせるものであり、法の下の平等の原則に反している。「反社会的」集団であるとして暴力団を指定する基準は、メンバーの前科の件数である。それに対し遠藤誠は、犯罪を犯した者が刑期を終えると、社会に対する責めは果たしたとして、一般の市民と見なされるのだという点を強調している。<(p.301, 第2部第5章)

JRF2016/12/233453

これは私もそう思うなぁ。私はヤクザに対して甘いのかもしれないが…。過去に暴力団にも法の下の平等があるべきという論を私は書いている ([aboutme:127257])。

JRF2016/12/231373

……。

>奇妙なことに、東京浅草界隈の露天商の店舗にも神農を祀った神棚がある。薬の神様と、祭りの際に寺社の境内に綿菓子や飴の類や金魚やさまざまな粉や薬味の屋台を出す露天商との間には、いかなる関係があるのだろうか。<(p.317, 第2部第6章)

ヤクザって「薬座」じゃないのって私は思っていたのだが、著者は賭博用語から来ているという説をとって、そう説明しない。

JRF2016/12/235205

《「ヤクザ」の語源は「薬座」ですか? - ヤクザ語源「ヤクザ」という言... - Yahoo!知恵袋》
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1439359004
>8・9・3を続けて読んだ「ヤクザ」が「役にたたないもの」を意味するようになり、それが転じて博徒集団のことを指すようになったとする。 さらに一部の地域では8・9・3のブタだけは、「勝ちではないが、負けでもない」というルールを採用しており、そこに由来すると主張する博徒の親分もいたし、本居宣長ら江戸時代の学者もこの説を取り上げている。<

JRF2016/12/230825

露天商=テキヤ組織を一種の「カルト」と見ると↓につながるかな…?

《Virtua Fighter 5 FS コスプレ:イロモノ 編》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2012/12/post-4.html
> 勝手な推理だが、現代、麻薬を使っていいのは医者だけだが、昔は、宗教行事など特別なときだけ認める、特定の宗教が管理するみたいな規制の在り方もあったのだと思う。(…)

『峰不二子という女』にもチラとそういった話が出てきたが、案外、現代も、新興宗教やマルチ商法あたりのカルト組織が「新薬」をリアリティある利益機会としているとかもありえなくはない。

JRF2016/12/230845

……。

>警察とやくざとの協調は、すでに述べた通り、二重の必要に応えるものであった。当局にとっては、孤立した、従って潜在的な危険性を持った個人を、合法性ぎりぎりの構造の中にではあれ囲い込むのに有利であり、やくざの側にとっては、自らの活動を正当化し、集団への帰属の必要性の基盤の上に成り立つ社会に、集団として地位を得るための手段であった。

やくざと結びついている? テキヤがどうしてそれ以外であり得ただろうか。<(p.329, 第2部第7章)

JRF2016/12/237292

「警察とやくざとの協調」をまとめた一文として引用したが、やくざの側のメリットがわかりにくい。単に非合法性をおおめに見てもらえる以上のことがあるということか?

JRF2016/12/232223

……。

>つまるところ、テキヤは天照大神よりも神農を崇拝している。<(p.332, 第2部第8章)

なるほど、と読んだときは思ったのだけど、それがどういうことなのかあらためて問われるとよくわからない。麻薬屋さんよりも毒屋さんということなのかな? それはうがった観方かな。まぁ、毒屋というか…「ひとこと」にはまだ書いていない内科(内卦)と外科(外卦)の話とか、漢方とかの「要訓練薬効」の話([cocolog:77188750])とかを思い出す。

JRF2016/12/238633

……。

>テキヤはやくざとの違いを際立たせようとするが(…)ともあれ、監獄において、世界は明確に二つの陣営に分かれている。すなわち「サムライ」と呼ばれるやくざと、その他の囚人である。監獄で何度か過ごした経験を持ち、インタビューに応えてくれたあるテキヤは、後者の一部が、やくざよりも劣位にあると見なされているテキヤであると述べている。<(p.340, 第2部第8章)

JRF2016/12/238389

監獄かぁ、それは(まだ)知らないなぁ。精神病院の閉鎖病棟なら知ってるけど。トルストイ『復活』を読んだとき、少し言及してるね。

[cocolog:83307893]
>私は札幌と大阪で統合失調症による入院を経験しているが、後の大阪での入院には、土地柄なのか札幌にはなかった「緊張感」みたいなものがあったように思う。<

JRF2016/12/234691

……。

>犯罪を単なる三面記事に帰したり、貧窮を豊かな社会の中での無念な挫折者や好意への適応不能性に帰したりすれば、われわれの眼にとって根本的であると映る次元の貧窮の様相も、やくざの像も、幾分か見逃してしまうことになる。<(p.347, 結論)

JRF2016/12/235252

第1部第6章のところで「社会の援助を乞う」ことができない人々がいるとのことだったが、それやここの「好意への適応不能性」からすると、ある種の「甘え」のように一般の人は感じている部分があるのかもしれない。ある意味貧しい人が貧しい人を叩く「不平等の平等」「平等に不幸」(参:[cocolog:86441523])の仕組みがここにもあるのかもしれない。

JRF2016/12/237691

……。

>学校の教科書の中では、単に輝かしいものとして通り一遍に語られがちな「身分解放令」。しかし、本書においては、人道的な動機は無視し得ないとしても、多分に蝦夷地開発のための人員動音の必要性、国民皆兵の布石として、また、近代国家の仲間入りのためのイメージ戦略といったことが大きな要因であった、との思いがけない(…)見解が示される。

JRF2016/12/237224

(…)

また、農民一揆や自由民権運動を担った人々の中に、多くの「侠客」や「やくざ」が含まれていたこと。そして「やくざ」が社会会改革的な勢力であったのは、日本において束の間に過ぎなかったのはなぜなのか、といった謎解き。被差別身分にありながら、幕府から一種の権威を付与され、共同体内の裁判権まで有していた弾左衛門という存在。また権力の手先の役割をも演じていた江戸期の被差別民に対する「庶民」の側の鬱屈した差別感情……。(…)フランスの読者にとってよりも(…)日本の読者にとって、よりスリリングで興味深い部分であろう。
<(p.400, 訳者あとがき)

JRF2016/12/237659

上では言及しなかったが、こういうこともこの本には書かれているということで…。

JRF2016/12/235090

……。

>原著の中で、明らかな事実誤認と見られた記述については訂正を施した。また、事実誤認の上に展開された見解、さらに、プライバシー保護や人権尊重の観点に鑑み不適切と思われる部分については、編集部との協議の結果、削除した。<(p.402, 訳者あとがき)

すわ検閲か「自主規制」か…と疑うところ。注で示せば十分なように私なんかは思うんだけどなぁ。ダメなのかなぁ…。

JRF2016/12/233216

……。

……。

ヤクザは暴対法以降、力がそがれたんじゃないかと思いきや、最近もヤクザのニュースをよく聞く。私は幸運にも縁がないが、縁がある普通人にとっては、これほどやっかいな人々もないのであろう。

貧困や差別については、私の「ニート or 引きこもり」という身分、それがこれから向かう先という点で、興味深く読んだが、少子高齢化の財政難の時代、どうなるのだろう、しかし、私はもうどうともできないな…と暗い気持ちになった。

JRF2016/12/235557

結構、分量のある本だった。私はここに書かれたことは関わらずに生きてきた。今までは生きてこれた。この先はどうなるかわからない。

JRF2016/12/233456

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