cocolog:88031559
ニール・シュービン『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』を読んだ。化石探索のフィールドワークのおもしろさと進化論がらみの(私にとって)新しい情報を知れたのが収穫。 (JRF 0040)
JRF 2017年9月 4日 (月)
魚が陸に上がる進化史上のミッシングリンクの化石を、地層などの条件をもとに北極圏に求め、見事、発見した冒険譚が語られる。
著者の古生物学研究室では、化石を扱いながらも遺伝子の研究もしているという。それは、私が [cocolog:73888324] で>遺伝子の違い、つまり、「距離」からその祖先を決定するのは「グラフ理論的」におかし<いと書いた上で、>考古学資料とか、別の情報を加味することで(進化の)方向が特定できる<と書いたことを地で行っているようで頼もしい。
JRF2017/9/46510
魚が陸に上がることを注目するのは、以前、私が少し傾倒していた西原 克成 氏の本などを思い出す。西原氏は「トンデモ」のように見られることもあるが、私はアラはあるかもしれないが、本質的なことを言っているのではないかと思っていた。
keyword: 西原
JRF2017/9/45647
今回の本で気になったのは以下の記述。
>どうか、あなたのボディプランをカイメンと比べようなどという無駄な努力をしないでほしい。試みることは可能だが、そんなことをしようとするだけで、解剖学的というよりもむしろ精神病理学的な問題が露わになるだけだからだ。<(p.150)
西原氏は、ホヤと人との共通性を論じていたが、あれは「クレイジー」という評価になるのだろうか? ただし、シュービン氏もこの本で後にナメクジウオやイソギンチャクに言及し、カイメンの細胞レベルでの類似性には言及するので、ホヤあたりはギリギリ「クレージー」という評価にはならないのかもしれないが。
JRF2017/9/46050
……。
アンドリュー・パーカー『眼の誕生』も確か読んだはずだが、内容は忘れた。私は↓のようにイメージを中心にすえた進化論を「唱えた」ことがあって、イメージに必要な眼の進化には特に関心を持っている。
《イメージによる進化》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/06/post.html
JRF2017/9/44103
この本では以下の文章に目がとまった。哺乳類の光受容体の遺伝子は、大部分が二種類からなるのに対し、ヒトを含むサル類は三種類の遺伝子からなり「色覚」に強くなったという。…
JRF2017/9/44279
>色覚をもつ他の霊長類の研究から、ヒトがもつような種類の色覚は5500万年前頃に出現したと推定できる。(…)この時代より前には、森林にはイチジク類とヤシ類が豊富であった。これらは美味であったが、どれも一様な同じ色をしていた。やがて植物の多様性が増し、その頃はおそらくそれぞれが異なった色彩をしていただろう。色覚へのスイッチの切り替えが、モノクロームの森林から色彩に満ちあふれた食物をもつ森林から色彩に満ちあふれた食物をもつ森への変化と軌を一にしていた可能性は、かなり高いと思われる。<(p.233)
JRF2017/9/45545
(赤とは別に)緑という色があると信じたから、最初はそれはほとんど妄想に過ぎなかったのが、それが区別できるように進化したのではないか…みたいなことを考えたことがある。まさに、そういうことが起こっていたという科学者側からの証拠の提示ということになるだろう。植物も色をより多く使うように共進化したのだろうか、それは虫などの他の要素が先だったのか…。
JRF2017/9/46410
……。
本には他にもいろいろ書いてたんだけど、私のとりあえずの関心は以上で。
JRF2017/9/49467
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……。
[cocolog:87988713] でやろうとしていた「多変量解析」を使って何かやるということはできてない。シミュレーションの結果の解析において統計学を使って対応のない二群の差の検定を使ってみたりもしたが、今いち使いどころが間違っているような気がする。
JRF2017/9/42863
この本を読んで、本物の科学者のすごさをあらためて知り、私のいたらなさを痛感した。私はダメだ。そして、ここからどう改善できるとも考えられない。
ドーキンス『利己的な遺伝子』を読んだ([cocolog:87123943])ときに、進化モデルのシミュレーションをしてみたいみたいなことも述べたが、それも、どうはじめればいいのか方針がたたないままだ。
JRF2017/9/41471
私は、どうにも行き詰まっているような感じで、それでいて、10月5日のミニスーファミをちゃんと予約できるかに毎日気をとられるようなふぬけた生活をしている。これではダメだ。食うなり寝るなりアニメ見るなり快楽はそれなりにあるのに、それを自分の躾にうまく使えてないのはもったいなく、情けないかぎり。何とかしないとダメだとは思うのだけど…。ダメだと悟ってどうにかなるという段階はもうおなかいっぱいな感じだしね…。
JRF2017/9/43940
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受信: 2017-09-30 06:55:18 (JST)
『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』(ニール・シュービン 著、垂水 雄二 訳, ハヤカワ・ノンフィクション文庫, 2013年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4150503923
http://7net.omni7.jp/detail/1106337567
単行本は、2008年9月に出ている。ずっと以前に買っていてすでに読んで再読のはずだが、フィールドワーク以外の章の印象がほとんど残っていなかった。情けない。
JRF2017/9/41139