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cocolog:88932382

ちょっとした経済モデルを作ろうとしていて、その参考としてミクロ・マクロ以前の基本的な経済学が学びたいと思い、三冊の別の『経済原論』を読んだ。といっても、すべてマルクス経済学に基づくもの。結果的には平井らの『経済原論』一冊を読めば私には十分だったように思う。 (JRF 3441)

JRF 2018年2月20日 (火)

……。

『経済原論』(平井 規之・北川 和彦・滝田 和夫 著, 有斐閣Sシリーズ, 1987年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4641059055
https://7net.omni7.jp/detail/1100575422

JRF2018/2/204582

この本とは少し離れた話題から議論に入ろう。

先日、いかに苦労をしているかを評価するするような「苦労教」はいけないというような Tweet を見た。ただ、「苦労」の評価というのは「努力」の評価の言い換えでもありうるのに注意しなければならない。

JRF2018/2/204679

《「結果」の平等、「機会」の平等》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/02/post_2.html

>「結果」の平等は、一見、「結果」重視に思えるかもしれないがそうではない。これは、同じ「努力」をしたのならば同じ「結果」になるよう、「結果」のほうを操作すべきだという「努力」重視の考え方である。(…)努力を見るときには、仕事を与えてみて、それをとにかく最後までやるかどうかを見る。しかし、仕事を与えるという時点で、すでにどういう仕事を与えるかという評価が入っているのである。<

JRF2018/2/209143

私は「運」のようにも見える「機会の平等」的、結果重視も必要だと考えている。

JRF2018/2/205594

この本では、使用価値を捨象して労働がつくる価値を考える。この本でも技術の巧拙ぐらいは考えるようだが、もっと「運」(に見える)要素を考えないといけない。労働以上の価値・労働以下の価値というのは往々にしてありうる。

『資本論』が話題になるとき、その問題は「イノベーション」をうまくとらえられないことにあるというのがこれまでの私の印象だったが、同じ労働時間をかけたところでイノベーションのヒラメキは生まれない。その「運」による価値というのがとらえられてないと私は思っている。

JRF2018/2/202539

>剰余価値率をますます高めることが資本にとって至上命令である。<(p.64)

剰余価値をすべて「搾取」のように考えるのは間違いであろう。CM を使って需要を増やしたとき、剰余価値率が上がるかもしれない。「営業」という労働でそうなったとも言えるが、多分に運の要素が強い。

JRF2018/2/207000

……。

言い方の問題になるが、労働者の所得から消費にまわるだけだと生産物をすべて買うことはできないという「誤解」を生じさせることもあるのではないか。後々読んでいくとその誤解が解ける機会もあるようだが、本を全部読む人ばかりではない。中途半端な知識を「煽動」するというイデオロギー戦略のようなものもあるのではないかと訝[いぶか]る。

JRF2018/2/200618

……。

商品が(平均的な労働を元にした)労働価値ではかられるのは、それが最低限「供給」すなわち再生産に必要だから。特に株式会社は継続企業でなければならず、再生産価格が重要になる。交易の場合、珍しいものについては再生産が考えにくいので、それとは外れた価格にはなるだろうが。

物々交換にも「相場」がある。それは労働価値を基準にしている…それを下回らないようにしているだろう。下方硬直性みたいなものはあるはず。

JRF2018/2/204128

……。

>賃金とは、労働力という商品の価格であって、労働の価格でも、労働に対する報酬でもない。<(p.68)

「労働ではなく労働力」を強調するのは、私から見れば、「労働力」を買うのは一面、くじを買うようなものだからだろうと思う。工場労働に対するような労働力は、労働できなくなる「失敗」のリスクを含むくじ=保険商品としての性格を持っていると言えよう。

JRF2018/2/203866

資本家が環境を整備することで、より高効率で、すなわち高い価値で売れる労働をすることができる。その分をすべて剰余価値として「搾取」しない場合、労働に地代のようなものが発生するのだろう。

JRF2018/2/206412

……。

>カレツキは、(…)完全雇用政策の資本主義的限界を次のように指摘した。すなわち、「永続する完全雇用というものは、彼ら(=実業の主導者)からみると不健全であり、失業こそ正常な資本主義システムのかなめである」(『資本主義経済の動態理論』)と。その理由は、永続的な完全雇用体制下にあっては、第1に、「首切り」は懲戒手段として役割を果たさなくなるであろう(…)からである。<(p.116)

自発的な失業とのはざまというのもあるにせよ、このカレツキの見解は、首肯できる。

JRF2018/2/207914

……。

>独占資本が強大となるにつれて、国民大衆にとって独占資本が敵対的な関係に立っているということが明白にならざるをえない。(…)

(1) 独占価格が形成され、独占的高利潤が獲得される反面、労働者の賃金は抑制される。(…)

(2) 技術革新が必ずしも勤労所得者の生活改善のために利用されない。(…)

(3) (…)国民生活に与える長期的影響について顧慮されることは困難である。(…)
<(p.193-194)

独占企業や金融資本の成立に関しては、なるほどと思うところも多かった。ミクロ・マクロ経済学の入門ではなかなかそこまで勉強しない。

JRF2018/2/201917

……。

……。

『経済原論』(宇野 弘蔵 著, 岩波文庫 白, 1964年・2016年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4003415124
https://7net.omni7.jp/detail/1106619927

日本語が難しい。上の平井他の『経済原論』を読んでいたので、かろうじて内容が部分的に読み取れたといった感じ。恐慌論や金属としての金の商品価値に関心が特別にあったのはわかる。でも、それぐらいで、それが平井らの入門の内容を超えることを言っているようには私には受け取れなかった。もちろん、平井らが宇野の論を参考にしているということであろうが。

JRF2018/2/209786

また、原理論だからと限定してしまっているためか、商業流通の労働が価値を足さない(p.231)などという決め打ちを行うことがあり、私は反発を感じてしまった。『経済原論』が数冊あって、どれか一冊と決めるときに「名著」だからといって、この一冊を選ぶのは茨の道だなと思った。

JRF2018/2/206808

……。

……。

『経済原論』(富塚 良三 著, 有斐閣大学双書, 1976年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4641093148
https://7net.omni7.jp/detail/1100434406

宇野のに比べればマシだが、これも文章が難しく、なによりクドい。それが丁寧でわかりやすいという人もいるのかもしれないが、私はそのときおりのイデオロギッシュな主張とあいまって、鼻についた。

JRF2018/2/200587

マルクスの『資本論』の構成にしたがって書かれた面もあるようで、その引用も多く、『資本論』を読みたいなと思ってまだ読んでいない私には、その雰囲気に触れられたという点では良かったかもしれない。

ただ、マルクス経済学的議論を知っていることを前提とするような叙述もあり、この本までに他の『経済原論』を読んでいたのでやっとわかったような部分もあった。また、「価値革命」(p.223)などググっても未だによくわからない言葉もある。次は『資本論』そのものを読まないとダメそうだ。

JRF2018/2/208283

……。

平井らの『経済原論』を超えた参考になる部分は、愚かな私にはほとんど読み取れなかったが、以下の文章は、なるほどと思った。

JRF2018/2/202049

>資本の累積的蓄積にともなう労働需要の累増によって、あるいは新市場の開拓、新産業分野の展開等にともなう資本の飛躍的膨張による労働需要の急増によって、産業予備軍が一定限をこえて収縮すれば、賃金率が上昇し、その賃銀率の上昇は機械採用の誘因として作用し、資本構成高度化の速度が高まる。すなわち、追加資本はヨリ高度な資本構成をもって投下され、また、元資本の更新が促進されかつその更新にともなう構成高度化の度合が大となる。かくして、一方では大量の予備軍が排出され他方では労働力吸収力が弱まることによって、再び貯水池は膨張し、賃銀率が下落せしめられることとなる。

JRF2018/2/204866

(…)

賃銀率の上昇が機械採用の誘因として作用するのは、機械が(その耐久年限の間にわたって)節約する延べ労働量に対して支払われる賃銀総額よりもその機械の価値が小なることが機械採用の資本制的限界条件をなし、他面では賃銀率の上昇は旧生産方法による諸資本の剰余価値をますます減少せしめ資本としての存立を維持し難くするからである。
<(p.158-159)

JRF2018/2/204947

機械が相対的余剰人員を作るというだけでなく、旧生産方法にとって賃銀高が苦しいのが余計に賃銀を下げる原因となる。二重の要因となるのがデカいのか。…と思った。が、新生産方法への移行には、機械の更新にともなう労働力需要による賃銀増もあるはずで、このあたりはちゃんとモデルを作ってみる価値があるように思った。

JRF2018/2/207836

ここをコンピュータ・シミュレーションできればかっこいい。やりたい。…機械の高度化には、労働力を少なくするものの他に、原料を少なくするようなものや、(剰余)価値を高めるようなものがあるはずで、どういうものを選ぶのか、無差別曲線的なものが描けそうだ。どういうものを選べば有利か「学習」さえできるかもしれない。上昇に対して上昇があったり下降があったりというのは差分(微分)方程式的なモデルになるだろう。…などと考えはするが、それらをちゃんとしたシミュレーションにできるかどうかは自信ない。

JRF2018/2/208635

……。

マルクス経済学では剰余価値が富の源泉のように見ているようだが、私は>債権では社会の富は増えない。株式のみ社会の富を増やせる。<([cocolog:75599118])…と考えたものだった。労賃や配当となるのは結局、消費によって資産とならず、いくぶんか資産となってもそれらは減価償却などでやがて費用化し、資産として残らないという考え方をした。上で「株式会社は継続企業でなければ」ならないと書いたのもそういった観点から。

JRF2018/2/200234

しかし、拡大再生産をしたりすれば(一時的に保持する)資産は増えるのであり、陳腐化で資産が減りうるのだから、その逆のようなこともありえるのかもしれない。そういった点まで考えると、富の源泉というものには別の答えがあるのかもしれない。…と少し考えを改める必要を感じた。

JRF2018/2/204751

拡大再生産の再生産表式分析において…、

>年々の固定資本の「貨幣補填」(=償却基金積立)額を d、「現物補填」(=更新投資)額を f とした場合、(…) f = d なる均衡条件は、蓄積による追加固定資本の投下額が年々増大してゆく拡大再生産過程においては維持されえず、不可避的に f < d となり、そこに固有の実現上の問題が生ずる。(…)固定資本の更新需要不足が年々生ずることとなる。<(p.291-292)

JRF2018/2/207123

これと私の上の議論を考え合わせると、この d - f に相当する分だけ、配当による株式の増価があり、それが釣り合っているときに限り、安定した経済成長が可能になる…とかあるんだろうか? 自信ない。上で述べたような中途半端な知識による「誤解」で「煽動」するというイデオロギー戦略にはまってしまっている可能性もなきにしもあらず…。

JRF2018/2/203227

……。

剰余価値ではなく利潤に注目することなどをこの本では古典・俗流経済学による隠蔽または「神秘化」(p.310 など)と呼んでいる。私は、平井らの『経済原論』のところで「運」の作用を重視した。マルクス経済学は、確率的事象または「偶然」を扱うすべを知らず、それらに「神秘化」の汚名をきせているのではないかと私は訝る。

JRF2018/2/200971

……。

>剰余資本率を m'、利潤率を p'、前貸総資本を T であらわすとすれば、m' = M / V、p' = M / T = (V / T)・m'。この場合の T をマルクスは(…) C + V すなわち生産物価値の構成要素としての不変資本と可変資本の和としているが、前貸総資本 T は正確には K + V すなわち固定資本と流動資本を含めての前貸不変資本総額と可変資本の和でなければならない。<(p.311)

JRF2018/2/202495

ここ、その年の固定資本更新分相当額は C に入っているはずだから、年の利潤率で見るべき p' は C + V で計算するので合っているのではないかと私なんかは思うのだが…。後に、時代が下るごとの資本構成の高度化は、利潤率の低下をともなうという命題が出てくるが、それについては K + V に関して言ったほうがわかりやすいのかな…という気はするが、はっきりしたことはよくわからない。

JRF2018/2/206352

……。

>利潤率は、剰余価値率・資本の有機的構成・資本の回転期間の三者の要因によって規定される。このうち剰余価値率はあらゆる生産部門において等しいと仮定することができるし、事実また資本主義的生産の発展にともなう労働力の可動性の増大(統一的な労働市場の形成)につれて剰余価値率すなわち労働搾取率はあらゆる生産部門において均等化する傾向がある。<(p.315)

JRF2018/2/208301

「剰余価値率はあらゆる生産部門において等しい」って本当か? 需給によって変わるんじゃないのか? 特別剰余価値ってそのようなものじゃなかったっけ?…と思うが、マル経では、剰余価値率がまず決まって、その後、需給によって平均利潤率が決まり、総剰余価値をその利潤率にしたがって資本家に分配する…というモデルになるらしい。

JRF2018/2/203339

マルクス経済学(マル経)…というか少なくともこの本では、工場の実際作業のようなもののみが「労働」で、労働者を管理すると言えばそこから資本家の領域に入り、流通経費…広告代理みたいなものも資本家の領域に属することになる。私は [aboutme:119462] で役員報酬を「労賃」と見るか「利子」的なものとみるかは「経済学」ごとに異なるみたいなことを書いたが、この本によれば、役員報酬を労賃と見るのは「神秘化」のたぐいで忌避すべきことのようだ。

JRF2018/2/203130

そういうのを学ぶ労働者からすると、労働者の数に対して適切な管理者の数というのは想像でき、そこから剰余価値率は一定という幻想を持ちやすい。そういうイデオロギー的「誤解」を生じやすいのかもしれない…とは思う。

しかし、やっぱり私は「俗流経済学」に毒されているためか、利益の実現というのが大事である以上、需給から利潤がまず決まり、しかるのちに剰余価値みたいなものも考えれるだけのように思うのだが…。

JRF2018/2/203056

ところで、利潤率が決まったあとの分配ってどうして起こると考えるのだろう? 資本家が株式を持ち合っていて、利潤が配当として平均的に分配されるのをモデル化したということなんだろうか?

JRF2018/2/207670

……。

>機械制大工業の成立以来の固定資本量の巨大化と累増をみてもあきらかな、労働生産力の急速かつ累進的な発展 -- 資本構成の累進的高度化にもかかわらず、利潤率のそれほど急速な低下現象がみられないのは、何故だろうか? それは、この法則の作用と交錯してあらわれ、これを阻害し、この法則に「たんに一傾向という性格のみを与える」ところの「反対に作用する諸要因」が、資本の蓄射と生産力の発展にともなって絶えず生み出され、作用するからである(…)。

JRF2018/2/205934

(…)

これら諸要員のうち生産力の発展の直接の所産たる相対的剰余価値の増大による剰余価値率の上昇ならびに可変資本の回転度数の増大なる二要因については、法則そのものの論証のさいにすでにみたが、これらの諸要因の他に、(1) 労働の外延的・内包的増大による労働搾取度の上昇、(2) 労働力の価値以下への労賃の引下げ、(3) 不変資本諸要素の低廉化、(4) 相対的過剰人口、(5) 外国貿易などの諸要因が重要視されなければならない。
<(p.351-352)

JRF2018/2/207649

設備の大型化が進行しているはずの状況で「予想」ほど利潤率が低下しないというのは、イノベーションにより小さな設備でできるような新しい産業が一方で生まれているからではないだろうか。通信機器の発達などで従来ではほぼできなかったことが小資本でできるようになった…とかいうのはありうる。もちろん、これまでにない機械の大型化などもあって、全体として固定資本に対する利潤率が低なるという傾向は観測できるのだろうけど。

JRF2018/2/200079

ここでもイノベーションの要素をあまり見ていないというマルクス経済学の弱点が露呈しているのではないか?

JRF2018/2/200010

……。

……。

この次は、作りたかった経済モデルや上でやりたいといったコンピュータ・シミュレーションについてやりたい。本は新しい本を買う小遣いが不足している(他のことに使う予定が多い)ので、しばらくは読まない感じかな…。

JRF2018/2/209136

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